バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

18歳成人は、何をもたらすのか(前編) 式典は、どのように変わるか

2018.01 16

犬は、食べ物を目の前に置くと、よだれを出す。この反応は、犬が先天的に持っている反射行動、いわゆる無条件反射である。だが犬は、訓練を繰り返すと、食べ物がなくても、よだれを出すようになる。

1902(明治35)年、ソビエトの生理学者・イワン・パブロフは、犬に食べ物を与える前、必ずベルの音を聞かせてみた。そうすると犬は、食べ物を前に置かなくても、ベルの音が鳴るだけで、よだれを出した。これは、ベル=食べ物と想起することで、唾液の分泌が引き出されたことになる。この、訓練や経験を積むことでも起こる後天的な反射行動が、条件反射である。

動物や人間の行動は、刺激によって変化する。体験したことや伝え聞いたことなどを学習することで、行動が変わっていく。パブロフの実験で導かれた理論は、「古典的条件付け」という学習の形態と認識され、行動は科学的に根拠つけられるとする「行動主義心理学」の大きな柱となった。

 

成人式と言えば、誰もが振袖を想起する。毎年、式典の様子は報道され、華やかな振袖姿の新成人の姿は、否応なく誰の目にも印象付けられる。そして式の記憶は、親世代から続いていて、成人式典と振袖は、切っても切り離せないモノと認識される。

しかも、娘を持つ家庭には、成人を迎える数年前から振袖カタログが届き、式への参加が刺激される。そしてあたかも、振袖着用が式参列の必須条件であるかの如く。

けれども、どうして成人式に振袖を着用するのか、誰もわかっていない。おそらく「みんな着てるから、私も」なのだろうが、冷静に見れば、式の主旨から考えて、振袖が必須の品物とは思えない。それがいつの頃からか、「成人式に振袖は付きもの」と社会全体が学習してしまったために、多くの人が着用行動に出るのだろう。まさに、条件反射である。

 

その結果、「振袖は成人式だけの衣装」とする認識が蔓延し、本来果たしていた役割が薄らいでしまった。それは、「未婚女性の第一礼装」としての位置づけである。

無論、成人式は通過儀礼であり、振袖を着用するフォーマルの一場面ではある。けれども、第一礼装として使う場面は、それだけではない。ひと時代前までは、自分の結婚式や結納で着用したが、他にも、親族や友人の祝いの席や大学の卒業式、謝恩会など、いわば「晴れの席」ならばどんな場面でも、最もふさわしい衣装のはずだ。

 

振袖が成人式限りの衣装と化したのは、消費者の意識の変化と言うより、呉服屋の変質に大きな要因がある。それは、商いの中心を「振袖販売」に頼らざるを得なくなった、業界の苦しい台所事情の成れの果てとも言えよう。

人々の生活様式の変化で、カジュアルモノは売れなくなり、儀式の簡素化でフォーマルモノも売れなくなる。そして、嫁入り道具としてキモノや帯が意識されることも無くなった。そして最後に唯一残った品物が、「成人式に使うモノ」と社会が学習してしまった振袖だったのである。

そこで呉服屋は世間に対し、より以上に、振袖は何が何でも必要なモノとして、売り込むことに傾注する。そして商いの方法が、消費者の利便性のみを追求したものに変わっていく。レンタル併設やセット販売、さらに着付けや写真サービスなど、「着用してもらうためには、何でもします」とばかり、至れり尽くせりで消費者を引き付けてきた。

結果として振袖は、成人式衣装として磐石なものとなり、現在に至る。だが、手管だけに走ったこの商いは、消費者に本当の質や価値を見極める機会を失わせ、振袖本来が持つ「第一礼装」としての認識を、人々から消し去った。

 

だが、振袖を着用する今のような成人式は、もしかしたら無くなるかも知れない。それは、成人年齢が18歳に引き下げられるからである。この民法の改正は、現在実施されている成人式典を、大きく変えるものとなり、存続すら論議を呼ぶことは間違いない。

そこで、成人年齢が18歳になることで生じる式典の変容と、それに伴う呉服業界の行く末について、二回の稿に分けて、バイク呉服屋の私見を述べてみたい。

 

未婚女性の第一礼装・振袖。(紋綸子空色地 しだれ桜楓文様振袖・菱一 黒地 流水色紙文様袋帯・梅垣織物)

すでに18歳で選挙権を持つことが、公職選挙法の改正により、実施されているが、今回の民法改正は、成人としての定義を20歳から18歳に引き下げるもので、これは1876(明治9)年の太政官布告以来、実に142年ぶりの変更となる。

今度の改正で変わる主な内容は、親の同意なくローン・クレジット契約を結ぶことが出来たり、男女ともに18歳になれば、これも親の同意なく結婚することが出来るようになること。今回の引き下げにより、影響を受ける法律は200以上にものぼる。また、飲酒や喫煙、競輪競馬など公営ギャンブルの馬券購入などは、民法ではなく、それぞれに法律があるために、この改正と同時に年齢が下げられるかどうかは、不透明だ。

政府は、この1月に招集される通常国会に改正案を提出する。もし可決されれば(間違いなく決まるだろうが)、3年ほどの周知期間を経て、実施される。おそらく、これから4年後の2022年には、施行されるであろう。

 

すでに私は3年前のブログで、将来成人年齢を引き下げた時に、式典はどのように変わっていくか、ある程度予測をして書いている(2015.1.12と2.8の稿「成人の日を問う」)。詳しくは、この稿を読んで頂きたいと思うが、意外に早く、この問題に直面することになったような気がする。

式典の主催者は、各自治体であるが、2022年までには、日取りや形式も含めて、具体的な対応策を考える必要がある。僅か2年の引き下げではあるが、実際に成人となる若者たちの立場は、18歳と20歳では大きく異なり、現状のままの式典では、立ち行かなくなるのは目に見えている。

 

まず18歳という年齢を考えてみる。普通に考えれば、この年齢は高校3年生だ。もし現状のまま、1月の第2週に式典を催すとすれば、参加出来ない人が続出するだろう。

先週末は、大学入試センター試験が実施されたが、丁度成人式典の1週間後だった。入試を控えた18歳の受験生達が、直前に開催される式典に、どれほど参加するだろうか。人生を左右する試験を前にすれば、とても成人式どころではないことは、容易に想像出来る。また、センター試験ばかりではなく、2月・3月と試験は続き、自分の進路が決まるまでは、余計なことは考えられない。そして進学や就職に伴い、親元から離れて暮らす準備をしなければならない者も、大勢いる。

新成人たちが迎える「18歳の春」は、それぞれ大きな分岐点であり、言い方は悪いが、成人式に感けている余裕など、とても持てない。それは本人だけではなく、見守る親にとっても、同じと思える。

 

また、現在20歳で実施されている式は、高校卒業後に2年が経過しているため、ある意味「同窓会的な役割」を果たしている面がある。多くの新成人は、式へ参加する理由として、友人たちに会えることを挙げているが、実際に、式が終わった後で、小・中・高校の同窓会が数多く開かれている。

式の建前は、「大人への自覚を高めるセレモニー」だが、これが「友人と旧交を温める場」になり変わっているのが、現状と言えよう。しかしながら、18歳成人となれば、高校在学中に成人を迎えることとなり、式が同窓会化することはあるまい(違う高校の友人に会えることは残るだろうが、いずれにせよ高校まではほとんど同じ地域に住んでいるので、新鮮味は無い)。

このように、高校3年生という立場から考えても、また式の現状からしても、現行のまま成人式典を続けることは難しく、変わらざるを得ないだろう。そこで、自治体ではどのような対策を立てるのか。時期を変えるか、形式を変えるか、はたまた式そのものを廃止するか。様々に考えられる。

 

成人の日は、1948(昭和23)年に、国民の祝日に関する法律の下で、制定された。この祝日は、「大人になったことを自覚し、自ら生きようとする青年を励ますこと」を目途にしている。2000(平成12)年の、ハッピーマンデー制度の実施に伴い、現在は1月の第2月曜日、あるいは日曜日に開催しているが、それ以前は1月15日と決まっていた。これは、元服=成人と認める通過儀礼が、古来より小正月(正月15日)に行われてきたことに因むためである。

おそらく国としては、「成人の日」そのものの日取りは、この祝日の意図するところから考えても、動かせまい。だが、この日と連動してきた式典の開催が、先に述べた理由から難しいとすれば、式典の時期だけを動かす他には無いと思える。

 

現在も、一部の地方(東北、新潟などの豪雪地帯)では、1月ではなく5月のゴールデンウイークやお盆中に成人式を実施している自治体がある。また山梨県内でも、丹波山村や小菅村などは、新成人のほとんどが村外に出ているため、参加しやすいようにと、正月の2日に式を開催している地域がある。

このように考えると、式典の時期を動かして実施する自治体が、地方を中心にかなり増えると予想出来る。時期はおそらく、進路に目途が付いた5月の連休か、夏休みが多くなろう。

また、式典の現状が本来の趣旨からかけ離れていることを考慮し、思い切って廃止してしまうところも出てくるかも知れない。「同窓会的な場を、わざわざ行政が設定する必要は無い」と考えても、何ら不思議は無い。

また1月実施は変えないとして、式典に参加する年齢を18歳ではなく、19歳とする手を打つこともあるだろう。これなら、ほぼ現状のままの形式を踏襲して、式を存続できる。だが、すでに大人として認められているのに、式典だけは翌年に持ち越しというのは、「成人の日」の主旨からは離れてしまう。これは今ならば、21歳で式典だけに参加するようなものである。

各自治体では、それぞれの地域性も踏まえた上で、結論を出すだろう。そしてそれは各々異なり、今のように、ほぼ全国で統一された日取りや形式にはならないことだけは、間違いあるまい。

 

4年後には確実に、成人式典は変わる。これまで成人式を、多くの呉服屋が最大のビジネスチャンスと捉え、振袖販売を事業の中心に据えてきた。その理由は、「成人式には振袖が付きもの」と、新成人を含めた社会全体が認知してきたからだ。

出席者が激減したり、そもそも振袖を着用し難い季節に、実施されるようになったり、また究極の措置として、式典そのものが廃止される事態となれば、今のように成人式=振袖とはとてもならない。ということは、否応無くこれまでのような「いわゆる振袖ビジネス」を続けることは、難しくなる。

「呉服屋が売るのものは、振袖」と、一般の人からは思われている現状だが、「着用の場を喪失」することで、変わることを余儀なくされる。それは小売屋だけでなく、呉服業界全体にも大きな影響を及ぼすことだけは、間違いない。

これからの4年間、それぞれの地域の自治体がどのような結論を出すのか、戦々恐々となっている呉服関係者は、かなり多いだろう。次回は、この呉服業界にどのような影響を及ぼすのか、具体的に話を進めてみたい。

 

現在の呉服市場は、2800億円あまり。この中の三分の一・800億円程度が、成人式の振袖販売で得るものと言われています。

この30年の間、振袖に特化する小売屋が多くなるに従って、業界内側の仕事に様々な陰を落としてきました。それは、呉服屋が劣化し、業界が変容していく最大の要因であったかも知れません。

しかし私は、成人式典が変わるこの機会を、業界が正常化する一つの契機と捉えたいと思っています。そして、それは伝統に則った姿として、未来にキモノ文化を残すことが出来る「最後のチャンス」になるでしょう。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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