バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

1月のコーディネート 「お色直し」を意識して、色と文様を合わせる

2018.01 28

結婚式に仲人の存在が無くなってから、久しい。昭和の時代に結婚した我々世代にとって、現代の式の変貌ぶりには、隔世の感がある。

本来の仲人は、まず見合いの設定をし、二人の気持ちを確認しながら仲を取り持ち、最後式に繋げるまで、結婚全般をプロデュースする役割を果たしていた。だが、昭和が終わる頃には、形式的なものに変わり、新郎や新婦の上司や恩師などに、式当日限りの仲人をお願いしていた。

 

戦後、恋愛結婚が増えるに従い、仲人の存在は薄れることになるが、それまでは見合い婚が主流であり、その源泉は、江戸期の厳格な身分制度にまで遡ることが出来る。

士農工商と階級化されていたこの時代、身分違いの者同士は、法令の定めにより、結婚することはなかった。また同じ階級、例えば町人同士でも、お互いの家の格が相当しなければならないという、いわば不文律のようなものが存在していた。

そのため仲人は、男女の家柄や家格を考えた上で、両家を結びつけ、婚姻に繋げた。そして当時の見合いは、二人が出会う場ではなく、すでに了解を得た上で、結婚を確認し合う場であったことから、この時代の結婚が、当人の意思よりも、家同士の事情を優先していたと判る。

 

江戸の庶民達は、式や披露宴を挙げることもなく、妻は夫の下へ身の回りの品物を持参して、一緒に暮らし始める。婚礼の儀式が執り行えるのは、武士や一部の上流階級(商家など)の町人に限られていた。

式は、花婿の家の座敷で行い、新郎の衣装は裃、新婦は白無垢打掛と白の綿帽子姿。司る役目の者に従って、式は粛々と進む。座敷の床の間には、夫婦円満をテーマにした謡曲・高砂の掛け軸(熊手を担いだ翁と箒を持った姥の姿を描いたもの)や、万年長寿を意味する鶴と亀の置物が置かれた。

座敷の床間には神が宿ると、江戸の遥か以前より人々は信じていた。だから、この場所を背にして、三々九度の盃を交わすのは、ごく自然なことであった。これは、ある種の神前結婚式であり、明治以後の式の原型が、ここにあるように思える。

 

盃の儀式までの白い衣裳は、花嫁の純潔で無垢な姿を表したもので、結婚後には、嫁ぎ先の家に染まるという意味も持つ。さらには、白が死装束の色でもあることから、覚悟を持って相手に添い遂げる意思の表れ、とも捉えられる。

そして、盃を交わし夫婦の契りを交わした後、花嫁は衣装を変える。江戸後期の文化・文政年間からは、体の内側から白、赤、黒の振袖を三枚重ねて着る「三襲(みつがさね)」の習慣(別々に一枚ずつ着用した説もあり、判然としないが)があり、それは大正末期頃まで続く。この衣装の色変わりが、お色直しである。

この色直しに使う振袖の色は、赤と黒であり、文様も、松竹梅など和花を中心とした吉祥文様が定番であった。また、家紋を入れたものも多く見受けられ、これは昭和30年代の振袖姿の中にも、まだかいま見える。

 

毎年1月のコーディネートには、振袖を取り上げているが、今日は、伝統的に「お色直し衣装」の意味合いが強い、この地色と文様を意識しながら、品物をご紹介することにしたい。

 

(黒地 雲取桐唐花模様・振袖  白地 松重ね模様・袋帯)

婚礼衣装を重ね着したり、特定の色を慶事の衣装色とするのは、いつ頃から始まったのか。また、お色直しの習慣は、どのように形作られたものだろうか。

すでに平安期には、蘇芳色(赤)の小袿(うちぎ)の下に白い単や長袴を付ける紅白の取り合わせが、宮中の婚礼衣装として定められていた。また、清浄を意味する白い色は、重要な宮中祭事の祭服や、女房(女性)出産の際の産着にも使われており、特別な色として認識されていた。そして赤は、明るい色と誰もが意識しており、慶事に使う色としてすでに定着していた。

 

これが、鎌倉・室町期以降になると、婚礼式の形式やその衣装に、現在の原型となっていると思えるような形態が見受けられる。

この時代の婚礼は、三日にわたって執り行われていた。まず二日目までは、式三献の膳と盃事で、三々九度の盃事に当たる。面白いのは、二日目までは、新郎と新婦、そして式進行役を果たす待上﨟(まちじょうろう・女官)だけが式に臨むこと。この時の衣装は白い打掛けと小袖で、これが現在の白無垢姿に発展したとされる。三日目になってようやく、新郎の両親や親族が式に列席し、花嫁と対面する。そして新婦の衣装は、白から赤へと色を変え、お色直しとなる。

 

この式の形式や衣装は、江戸中期あたりまで、武家や公家の間で踏襲されてきたが、文化文政年間になると、有力な商人や豪農(庄屋)などいわば「セレブな家」の間では、式服に変化が見られるようになった。

先に述べた、白・赤・黒と三枚の振袖を重ね着する「三襲」を色直しに使うことや、友禅と刺縫をあしらった黒いちりめん地の振袖を、婚礼衣装に使うことが流行し、その衣装は贅を尽くすものとなったのである。この時代の振袖は、裾を引きずって着装するため、文様の位置は上・下前の裾が中心であった。

 

色直しの三襲は、明治の世になっても続き、驚くことに、列席している女性までもが、色直しの際には重ね着をするようになる。つまり、黒留袖の重ね着である。

重ね着と言っても、三枚の振袖全てを完全に着装することは当然不可能であり、それは三枚重ねで羽織ったような状態であった。これを、三回に分けて、一枚ずつきちんと着装するようになったのが、大正末から昭和初期である。つまりは、白→赤→黒と振袖を変えて、お色直しを三回行うようになったのだ。

名古屋市あたりは、今も婚礼を派手に行う土地として知られているが、市の図書館に保管されている古い婚礼資料には、三枚の振袖を着まわす式の姿が、多く残されている。

 

無論、今の結婚披露の場では、お色直しとして三枚の振袖を着回すようなことはまず無いと思われるが、貸衣装の打掛の中には、衿と袖口に何色かの生地を重ねて仕立てある品物があり、ここに三襲の痕跡を僅かに見ることが出来る。

長々と、衣装の変遷やお色直しについて書いてしまったが、振袖という品物が、どのような場面でどんな使い方をされ、またどんな地色が尊重されてきたかということを、皆様にご理解頂きたかった。

 

(黒地 雲取に桐唐花模様 京型友禅振袖・菱一)

三襲の中でも、黒地色の振袖は最後に着装する、いわば締めの色。そして黒は、黒留袖や黒紋付、さらに喪服としても使い、白と並んでもっともフォーマルを意識する重厚な色である。

黒地の振袖は、否応なく重厚感が強まり、その着姿は引き締まったものとなる。振袖を未婚の第一礼装と意識する時、真っ先に想起する地色は、やはり黒地になるだろう。

幾つもの雲取りを模様として全体に配し、その中には様々な文様が散りばめられている。花菱亀甲、七宝、青海波などで、いずれもがオーソドックスな古典文様。そして間には、桐と松菱、さらには梅の丸や笹菱を置くことで、より華やかさを印象付ける。

模様の中心・上前おくみに置かれた桐花。三葉のうち、一枚は葉脈だが、後の二枚には菊唐草をあしらう。葉の縁取りと葉脈には金の駒刺繍を使い、葉の内側は、箔で変化を付けて表現する。型友禅ではあるが、模様の細部に職人の仕事が伺える。

桐の葉を取り囲むような、七宝や花菱亀甲、青海波文のあしらい。

桐を模様の中心に据えたことで、文様的にはこの振袖が重く映る。それは、桐文が皇室の紋章として存在するからであり、特別な花と意識されるためだ。品物の中に、どんな花をあしらうかで雰囲気が変わり、使い道が決まることもある。「お色直し」に着用することを意識するならば、やはりその場にふさわしい模様や図案があるように思う。

上前から、模様の全体を見たところ。印象に残るのが、桐の葉の色。それぞれ若草、緑、橙、水色と色を違えて挿してはあるが、どれもパッと目を惹く鮮烈な色。これを見ると、この振袖の主模様として、桐を強く意識していることが判る。

黒地のキモノは、挿し色一つ変えるだけで、印象が変わる。そしてどんな色を挿しても模様が浮き立ち、見る者を引き寄せる力があるように思う。さて、このような礼装を強く意識した黒地の振袖にふさわしい帯は何か、考えてみよう。

 

(白地 彩松重ね模様 袋帯・紫紘)

紫紘が織る帯の図案の中には、単純なモチーフながらも、きっちりとキモノを抑えきってしまうようなものが、よく見受けられる。この帯も、その一つ。

帯巾いっぱいに大きく松を織り出し、それを連ねて表現している。縁取りの色は、紫・濃橙・水色・松葉色の4色。枝葉は金と白が中心で、松の実だけは、先の4色を交互に使いながら、変化を付けている。

松は、吉祥文様を構成するモチーフとして、欠かすことの出来ないものであり、植物文の中ではポピュラーな図案である。松の色は、四季を通して変わらず、不老を意味する。門出を祝う席で使う品物として、ふさわしい模様の一つと言えよう。

 

黒地の重厚な振袖を、柔らかく、そしてしっかりと抑えることが出来る白地の帯。松という、ある意味堅苦しいモチーフを使いながらも、帯姿は若々しく、モダンさもある。

振袖の模様が、どちらかと言えば密なために、帯にはすっきりさが求められる。単純に模様を連ねた帯だからこそ、上手くまとまる。

黒と白という、二つの対照的な色を組み合わせ、華やかさと品の良さ、さらに若々しさをも演出する。その上、「お色直し」という最高のフォーマルの場にふさわしい恭しさも、求められる。あくまでも第一礼装を、強く意識したコーディネートかと思う。

 

帯揚げは、桜花を刺繍で散りばめた薄橙色のちりめん地。そこに、金糸で花弁を表現した茜色の帯〆を合わせる。帯〆に少し強い色を使うのは、着姿全体を引き締めるため。

伊達衿には、帯の松色とほぼ同じ橙色を使う。刺繍衿は、薄橙色を含む花の丸模様。使っている小物全て、加藤萬の品物。

 

今日は、お色直しで着用することを想定して、振袖のコーディネートを試してみた。如何だっただろうか。これまでにも、ブログの中で度々お話してきたように、振袖は未婚の第一礼装として存在する品物であり、決して成人式限りの衣装ではない。

振袖を、女性の人生の中の、最も輝く儀礼の場で着用する品物と意識すれば、自ずとどのような模様を使い、どんな着姿にすれば良いのか、答えは出てくる。婚礼衣装の歴史を見れば、その中で、振袖がいかに重要な役割を果たしてきたのか、よく理解出来る。正当な振袖姿の伝統を繋ぐためには、振袖という品物に対するこの認識が、とても大切かと思う。このような考え方が、時代に合わないとか、堅苦しいと批判されることは、私も重々承知しているが、呉服屋を続ける限り、変わることはないだろう。

最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。

 

振袖という品物が持つ意味を考えれば、女性が、自分の結婚式の衣装として着装する時こそが、もっともふさわしい場面になりましょう。だから振袖を扱う者として、この最高の場で着用するに値する品物を、お客様には提示しなければなりません。このことは、いつも心に置いておく必要があります。

バイク呉服屋は、無論、成人式に多くの方が振袖を着用する現状を、否定するものではありません。しかしながら、フォーマルの場で使う品物には、色にも模様にも意味があります。若い皆様が、振袖を選ぶ時、また着用する時に、長い間この国で培われてきた「衣装としての意味」に、少しでも思いを馳せて頂ければと、思います。

素晴らしき和装を次世代に繋いでいくのは、若い皆様方の他にはありませんので。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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