バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

紋章職人 西紋店 西さん夫妻(3) デザイン紋・加賀紋

2016.03 20

大概のスーツの襟下には、小さな穴が開いている。その名前は、「ラペルホール」または「フラワーホール」。もともとジャケットは、学生服の詰襟のように、襟を立てて着用していたもので、この穴は第一ボタンを止める時に使われていた。

後に、ジャケットの襟は開かれ、穴は無用のものとなったが、後に英国で、ここに花を挿して、パーティなどに出掛けていくことが流行したため、フラワーホールという呼び名が付いた。

もちろん現在では、花を入れる穴としてではなく、一般的にはバッジを止めるホールとして使われている。国会議員の胸には、恭しく「議員バッジ」が輝いているし、多くのサラリーマンの胸には、会社のシンボルである「社章」が光っている。

 

さて、一般的に社章というものは、どのようにして決められているのだろうか。会社名を略したものや、代表的な製品の名前を模したものなど、様々な観点からデザインされている。新しい会社では、専門的なデザイナーに依頼する場合もあるだろう。

そんな中で、歴史の古い老舗企業を見ると、創業者の家紋に由来するものを使っている会社が多い。例えば、財閥系と呼ばれる会社を見てみよう。現在、日本の三大財閥と言えば、三井・三菱・住友である。

それぞれが、グループ企業とよばれる会社を傘下に持ち、多くの会社で同じ社章が使われている。三井物産・三井不動産・三井金属などの、三井系企業の社章は、「丸に井桁に三」。三菱系の三菱電機・三菱地所・三菱重工などでは「スリーダイヤ」。住友系の住友化学・住友商事・住友生命は「菱井桁」。

 

三井財閥は、伊勢の商人・三井高俊が起こした質屋と酒屋・越後屋に端を発する。1673(延宝元)年、高俊の四男・高利が江戸で開いた「三井越後屋呉服店」は、ご存知の通り三越の前身である。その後両替商としても、幕府の御用商人となり、明治に入ると三井銀行を開業している。

初め、越後屋のシンボルマーク・社章は、三井家の家紋「隅立四つ目結」であった。それを現在の「丸に井桁に三」に変えたのが高利である。これは、丸が天の時、井桁が地の利、三の文字が人の和で、高利が、商いの理念を実現するために必要とする、三つの要素を表している。

三菱のスリーダイヤは、創業者・岩崎弥太郎に由来する。このマークは、岩崎家の家紋・重ね三階菱と、出身地である土佐・山内家の紋・丸に土佐柏を複合して考えたもの。住友は一番判りやすく、創業家・住友家の紋「菱井桁」をそのまま使っている。

 

社章でも判るように、紋のデザイン性は素晴らしく、そのまま使っても良し、アレンジしてもまた良し、なのである。さて、キモノに入れる紋にも、家や格を表す役割を離れて、お洒落を楽しめるようなデザイン紋が存在する。今日は、自由自在に図案や色を考えることが出来る、洒落紋・加賀紋についてお話してみたい。

 

(加賀紋 家紋・丸に抱茗荷 花紋・紅梅白梅  共に刺繍・すが縫い)

加賀紋という名前は、洒落紋の代名詞になっているが、他に花(華)紋とか伊達紋、飾り紋とも呼ばれている。このように、デザイン化された紋を付けるようになったのは、江戸中期・元禄の頃からとされている。

紋は本来、格式を表すものであるが、江戸期には第一礼装に付ける「定紋」の他に、もう少し気軽な略礼装用の紋として、加賀紋を用いた。

この紋が使われ始めた頃と、庶民の間に紋が普及し始めた時が重なっている。一般の人の間では、紋は格式を示すものというより、飾りのようなものと意識されていたのだろう。だから、このような飾り紋が余計に広まっていったように思われる。

 

では、何故洒落紋に「加賀」の名前が付いているのか。上の画像で判るように、中心に家紋が置かれ、周りを囲むように花があしらわれている。この紋は、家紋と花の両方を刺繍でほどこしているが、本来の加賀紋は友禅、つまりは染めを使って表されていた。

加賀紋の発祥は、その名の示す通り、加賀・石川県。元禄期ということは、加賀友禅が産み出された頃と、同時期に当たる。これで、加賀紋が染めだけのあしらいということが、理解出来るだろう。当然、中に入る紋も、「染め抜き紋」であった。当店が、加賀の作家に依頼して作った「加賀のれんの加賀紋」を見て頂くと判りやすいので、下の画像で御紹介しよう。

(加賀紋 家紋・五三の桐 花紋・松竹梅  家紋・染め抜き紋 花紋・糸目友禅)

では、刺繍を使ったものはどうか。これはその頃、「伊達紋」という名前で加賀紋とは隅分けられていたようだ。それがいつしか、技法には関係なく、このようなデザインの洒落た紋の総称として、加賀紋という名前に統一された。伊達紋は、洒落紋の呼び名の一つとして、今にその名前を残している。

 

(加賀紋 家紋・丸に五七の桐 花紋・桐花  共に刺繍・陰すが縫いとすが縫い)

江戸期の加賀紋(伊達紋)の図案を見ると、真ん中に家紋を置き、それを囲むように花が付けられているものが多い。だが中には、花がメインで家紋が付録のようになっているものがあり、家紋そのものも無いものが見受けられる。

上の画像も、そうした図案に習うもので、桐の花が模様のメインとして大きく付けられ、家紋の五七の桐の位置は、背縫いの中心線よりやや右にある。陰すが縫いが使われているので、家紋そのものも略式紋・陰紋である。

この紋のように、家紋とリンクする花(桐紋に桐花)を使うこともあれば、全く関係ないものを使うこともある。例えば、自分の誕生花だとか、そのキモノを使う季節に咲く花だとか、あるいは自分が一番好きな花だとかだ。要するにあしらう模様に制限はなく、自由に考えられるということ。そして当然模様は、花でなくとも良い。虫でも、鳥でも、月でも、流水でも何でも好きに付けられる。

洒落紋は、キモノの格云々ではなく、一つのデザインとして存在しているため、全て使う側の自由裁量に任されている。

 

(加賀紋 花紋・椿とリンドウ 刺繍・すが縫い  家紋は無し)

家紋を付けずに、花だけで表現された洒落紋。家紋を抜くと、より洒落感が強まる。紋の意識を完全に消して、自由に品物を使いたい時のほどこし。無地モノなどは、通常のように定紋だけを入れて紋付にしてしまうと、着る場が狭められてしまうので、それを避ける意味で洒落紋を入れることが多い。

無地モノは、紋が入らないと少し寂しく感じることがあるので、飾りとして加賀紋があれば、着姿にアクセントが付く。家紋付きの加賀紋を入れることもあれば、上のように家紋抜きの図案にすることもある。使う方の考え方一つで、どのようにも出来る。

加賀紋を入れる品物は、無地の他に、付下げや訪問着などに入れることが多い。それもどちらかと言えば、重厚な模様のものではなく、少し軽い感じの品である。無地場の多いような、あっさりした図案であったり、遊び心のあるモダンな模様の品物だと、洒落感は一層強まるだろう。

 

加賀紋として御紹介した画像は、紋章職人の西さんが請け負った仕事のもの。お客様の参考になるようにと、見本帳にして渡して頂いている。上の帳面の中に、様々な洒落紋が記録として残されている。

刺繍をほどこすのは奥さんだが、花紋のデザインや紋の全体像を考えるのは、ご主人。お客様が本や写真などを持ち込み、図案を指定することもあるが、大概は花だけは指定しておいて、どのように模様付けをするかは、職人さんにお任せという方が多い。

西さんは絵心のある方なので、実に上手に図案を描く。そして、配色も的を得たものになっている。洒落紋は、紋章職人の仕事の中でも、もっともその人のセンスが試されるものであろう。

 

今まで、バイク呉服屋が依頼された仕事の中で、忘れがたい無地の振袖があります。

個性的な娘さんが指定した色は、まさに「真紅」と呼ぶにふさわしい、目の覚めるような赤。三丈モノの白生地を二反使い、八掛けも同色に共染めして誂えました。あまりにも鮮烈な色だったので、20年近くたった今でも、この振袖のことは脳裏に焼きついています。

そして、背には家紋の無い、花だけの加賀紋。どんな花を付けたのかは、もう覚えていませんが、ご自分の誕生花だったような気がします。真紅の色の中に咲いた花紋は、小さいながらも存在感があり、個性的な着姿となりました。また、この振袖に合わせた帯が、緑青色の大胆な龍村のオリエント文様だったため、より以上に強烈な印象を私に残してくれたようです。

いつか、このお客様から品物を預らせて頂き、皆様にもお目にかけたいと思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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