日常生活の中で、紐を結ぶ機会というのは案外少ない。誰もが思いつくのは、靴ひもを結ぶことだが、あとはパーカーなど一部の洋服や、エプロンの首や背中に付いている紐を結ぶことくらい。また以前は、読まなくなった本や新聞紙を廃品回収に出す時や、送る品物を入れた箱に紐を掛けたりもしていたが、最近では、紐いらずの回収袋や荷物箱が増えて来て、紐の出番は減っている。
それに比べて呉服屋は、紐結びと大変縁が深く、毎日の仕事の中で「紐を結ばない日」はまず無い。最も結ぶ紐は、たとう紙のそれ。最近はピラピラしたレーヨンの紐が主流になっているが、うちでは和紙を縒り合わせた、昔ながらの「こより紐」を使っている。レーヨン紐は普通の蝶結びだが、和紙紐は、紐同士を絡げ合わせる独特の結び方。お客様から結び方をよく聞かれるが、難しいと言われる。実際に目の前で結んで見せたりするのだが、なかなか覚えて頂けない。片方の紐をもう一方の紐に巻き付け、その絡げた紐を間に通して引っ張る。そんな紙紐で結んであるたとう紙は見映えがよく、中の品物が上質に見える。使う呉服屋はもはや少数派だが、私は和紙紐にこだわり続ける。
呉服屋では、たとう紙紐以外にも紙の縒り紐を使うことがある。それが品物に付ける値札・呉服札だ。この札の先には縒った紙が付いていて、この先端をキモノや帯の生地の端に通し、独特の結び方で固定させる。札を差し込む時は穴を開ける道具を使わず、紙の先端をねじりながら入れる。こうすると、生地に余計な傷が付かない。
また悉皆職人は、呉服屋から依頼された洗張モノなどに、店名とお客様名を書いた渋紙を結び付けるが、これも呉服札同様、先端に付いている縒り紐を品物に結んで固定している。これは職人が、預かった品物の出処を誤らないための施しだが、結び方は呉服札と同じ。具体的な方法は、言葉では説明し難いので省くが、とにかく頑丈で解け難い。
さらに遠方のお客様に品物を発送する時や、県外の職人に依頼する品物を送る時、また問屋へ荷物を送る時など、いわゆる「荷造り」の際にも紐掛けは欠かせない。一本の紐で縦横十文字に二重に紐を掛け、最後は特殊な結び方で止める。この紐結びをすると、荷物が完全に固定されて動かない。きれいに誂えた品物が、荷造りの不手際でくしゃくしゃになってしまったら、元も子もない。なのでお客様送りの時は、特に入念に荷造りをして紐を掛ける。
そしてキモノを装う時にも、「結び」は欠かせない。襦袢やキモノを着付ける際には、腰紐と伊達締めを複数本結び、帯を結んで、さらに帯揚げと帯締めを結ぶ。現代では生活の中で消えつつある「結ぶ」という行為が、和装の中では随所に見られる。その中で帯締めは、さしずめ着装のトリ、いわば装いを締めくくる大切な紐結びになるだろう。
そんな、着姿をまとめる重要なポイントになる帯締め。今日は前月の帯揚げに続き、夏小物の使い回し方として帯締め編をお送りする。合わせて今回は、カジュアル帯の小物合わせを一緒にご紹介することにしよう。
夏帯締めは、組目に隙間があるのが特徴で、組み方によって隙間の空き方に差がある。レース組の様に思い切り隙間を空けたものは、その形状によって夏の紐であることをアピールしているが、目の細かい紐は、色合いに重きを置いているように思える。いずれにせよ夏の帯締めは、軽やかに、そして涼やかに着姿を演出するためには、欠かすことにできない名脇役と言えよう。
組紐が何に使われてきたのか。用途の歴史を振り返ることで、時代ごとの特徴も見えてくる。組紐の始まりは飛鳥・奈良期で、高度な色彩配色と複雑な図案を持つ組紐が、その精巧な技術と共に大陸から伝えられた。主に用いられたのが、経巻や袈裟あるいは数珠など仏教と関わりのある道具。もちろん衣服にも様々な紐が使われ、685(天武天皇13)年の袍袴(ほうこ・朝廷役人の服飾規定)の制定では、上着・袍の衿をとる紐や、裾を括って着用する袴・括緒袴(くくりおのはかま)の裾口に通す紐に、組紐を使うことが記されている。法隆寺や正倉院の遺物の中に見られるこの時代の紐は、奈良組・常組・笹浪組などである。
平安期になると、組紐も他の染織品同様「国風化の波」が押し寄せ、従来の大陸伝来の色彩や配色、技法をアレンジして、日本的な組紐が生み出された。代表的なものは、太刀を吊る紐・平緒(ひらお)である。この時代の道具なので、平緒に使われている組紐も身分によって異なり、五位以上は唐組、以下は新羅組と決められていた。
これが武家が支配する鎌倉期に入ると、貴族中心の平安期以上に組紐の需要は高まり、それを牽引したのが鎧に付ける紐であった。小札板(こざねいた)の上下を糸で結わえる鎧の縅(おどし)や、胴を締めるための繰締(くりじめ)紐など、一つの鎧に大量の組紐が使われていた。この時代に生み出された亀甲組は、緻密で複雑な組織を持つが、それはこの時代の職人が持つ精巧な技術を、裏付けるものでもあった。
鎌倉から室町期までの戦乱の時代、組紐の主な需要は武具の付属品に付ける紐だったことから、実用性重視の丈夫で強いものが大量に求められた。そこで、この時代に開発されたのが丸源氏組である。色の違う矢羽根模様を交互に組み込んだものだが、技術的には簡単で、比較的早く組むことが出来る。強くて丈夫が取り柄のこの紐は、いわば「早い、安い、うまい」という「吉野家的な組紐」なのである。ただそれでも需要が追い付かず、組紐の代用品として革紐や絎紐(くけひも)を使うこともしばしばだった。
江戸期も、組紐需要はやはり武士の道具に偏り、最も使われたのが太刀や脇差の鞘に付いている紐・下緒(さげお)であった。他に刀を持つ部分の柄巻(つかまき)糸や刀袋の房などに用いられた。ただ戦国期のように戦がある訳では無いので、紐は実用性より装飾的な面が重視された。とはいえ武家が使うものなので、華美ではなく、粋な美しさが重視された。そんな江戸の武士需要を追って、組紐の職人たちもまた江戸に集まるようになる。やがて組紐は武士の道具だけでなく、庶民の道具にも入り込むようになり、それは羽織紐や文箱の房、あるいは鏡台の飾り房、手提袋の緒や髪飾りの紐など多種多彩な用途に広がっていったのである。
現在組紐の主流になっている帯締めや羽織紐だが、いずれも江戸期から広がりを見せた。帯締めの始まりに関しては、前稿で述べたので略すが、羽織紐は帯締めよりもはるかに歴史が古い。発端は鎌倉期の承久年間で、この時代に装われた上着・道服の胸に紐が付けられていた。この道服こそが、羽織の原点と考えられており、その後時代を追って現在のような羽織となり、胸の紐は羽織紐に変わった。
羽織紐に用いた組紐は、江戸の時代の中で様々に変化する。初期の天和年間(1681~84)は八つ組、貞亨年間(1684~88)が平組で、後期の文化年間(1804~18)は丸組、天保年間(1831~44)が平組長紐、そして末期の安政年間(1855~60)には内記組が多く使われ、年代ごとに流行が変わった。
明治の代になると、組紐の需要先であった武士階級が喪失し、一時行き場を失いかけた。しかしご承知の通り、お太鼓結びの定着から帯締め需要が急増し、羽織紐の需要もまだ顕著であった。失業した武士の中には、組紐の技術を学ぶ者が少なくなく、時代の需要を見込んで、使い手から作り手へと転身を遂げた。
簡単に組紐の歴史を振り返るつもりが、ついぞ長くなってしまって、大変申し訳ない。今回もまた、話し出すと止まらないバイク呉服屋の悪い癖が出てしまった。ただそれだけ組紐の技術が、染織史の中で大きなウエイトを占めるということでもある。それでは今日の本題、夏の帯締めの使い回しについて、話を進めることにしよう。
(上5本 内記レース組・渡敬 下4本 内記組・龍工房)
しなやかな風合いを持ちながら、緩み難くしっかりと結ぶことが出来る内記組は、平組紐の一種。糸が一本ずつ交差し、筒状となって組み込まれる。特有の弾力があり、それは夏紐でも変わらない。なお地内記組として、一本飛びに糸を交差させて組上げた安田(あんだ)組を、表裏に合わせる組み方がある。
この渡敬の紐は、レース組でもそれほど隙間が目立たないが、むしろ透け過ぎない方が使い道は広がる。色目は淡いパステル色が中心で、いかにも薄物に使う紐らしい。ただ夏モノは、帯もキモノも薄色になりがちなので、着姿を引き締める意味でも、少し濃い色の帯締めが必要になる。画像の一番右に見える群青色の紐などは、青系キモノに白地の帯を合わせた時に使うと、かなり効果的。
龍工房の内記組は、渡敬の紐と比べて隙間が少ない。弾力があり、しなやかな風合いを持つこの紐は、盛夏より単衣に向きそう。色は白と合わせた二色組なので、表情は柔らかく涼やかになる。
帯締めの表面を拡大すると、組目が良く判る。左の龍工房はレース部分が少なく、右の渡敬は全体に及んでいる。どちらもピンクと白の二色内記組だが、少し様相が違う。渡敬の紐に組み込まれた三角片の中には、僅かに銀糸が覗いている。
(左3本 平源氏レース組・渡敬 右2本 平源氏レース組・龍工房)
先述した組紐の歴史の中で、鎌倉期に鎧や甲冑の付属紐として、丸源氏組が使われたことを述べたが、丸源氏を平組にした平源氏組も同様に、武具の紐として使われていた。源氏組の特徴は、違う色を交互に組み込んで矢模様を作ること。なお「源氏」という名称は、この紐が強くて丈夫だったことから、鎌倉時代の支配者・源氏の名前をとって名付けられたらしい。
真ん中の二色が交互に組み込まれて、矢羽根の形になっていることが判る。レース部分は紐の左右両端だけ。立体感があり表情にも個性が感じられるので、小千谷縮や夏紬などのカジュアルな装いに向く紐。
龍工房の平源氏は、真ん中に隙間を空けて、左右対称に糸が組み込まれている。白とミント・青の組み合わせが爽やかで、いかにも夏らしい紐。
同じ平源氏組でありながら、かなり紐の表情に違いがある。糸の配置により、色を変えながら模様を形作る・交ぜ柄の帯締めは、洒落た夏姿を演出する絶妙な小道具と言えよう。ではこの紐を使った帯合わせをご覧頂こう。
(合わせた帯 白地 七宝格子絣模様 紗八寸名古屋帯・帯屋捨松)
夏帯には珍しい、不思議な幾何学的な図案だが、いかにも個性的な織屋・捨松らしい帯である。模様が大胆なので、どちらかと言えば無地っぽいキモノの方が合わせやすい。渋い黒や濃紺の小千谷縮などが、良いかも知れない。帯締めと帯揚げには、帯柄の深緑色が意識されている。
帯揚げの段暈しは落ち着いた緑系で、平源氏組の帯締めにも、同色が入る。小物双方の色をリンクさせることで、装いにはまとまりが出てくる。この捨松帯でポイントになる色は、やはり緑。帯の個性を装いで生かすためには、小物も個性的であるべき。平源氏組紐は、こんなコーデで使うと面白い。
(合わせた帯 白地水色横波 博多波筬八寸帯・西村織物)
緩やかに打ち寄せる波を表現した、博多の夏名古屋帯。筬(おさ・経糸を通して一定の密度に配列し、杼の口に通した緯糸を織前に押し付ける織機の用具)に緯糸を曲げながら打ち込むと、波打つような模様姿となって織り上がる。これを波筬(なみおさ)と呼ぶが、明るい水色を使って織りなされたこの帯は、揺らぐ波とともに涼感溢れる姿に仕上がっている。
やはりこの小物コーデも、帯の模様色が基本。波筬帯の涼やかな水の色を装いで前に出すためには、帯締めも帯揚げも、水の色から離れる訳にはいかない。但し同系色を使っても、少し色にアクセントを付けないと着姿が平板になる。平源氏組帯締めの色は、帯色より少しだけ濃いエメラルドグリーン。メッシュ生地の市松段暈し帯揚げは、帯色より僅かに薄い。
(レース組2点・左 翠嵐工房 中 加藤萬 右 レース平源氏組・加藤萬)
隙間が目立つ、一般的な夏のレース組。帯締めそのものに透け感を持たせて、涼しげな装いを強調する。帯締めの歴史を振り返ると、夏用の帯締めが生まれたのは昭和50年代で、それまでは季節の振り分けがほとんど無く、色目や形によって使う時期を見極めていた。今でも、江戸組紐の老舗・道明では夏モノを作っていない。
寒色系が多い夏帯締めの中、ピンクやオレンジの紐も帯によって出番がある。浴衣を夏キモノとして装う機会が多くなっているので、夏小物の出番も自然と増えることになる。では、レース組を使った帯合わせをご覧頂こう。
(白地 魚横段模様 型絵麻染帯・竺仙)
可愛くデザインした魚を横に並べた、ユニークな竺仙の型絵名古屋帯。キモノや帯のモチーフになり難い魚柄だが、この図案ならば装いたくなる。すっきりした白地に描かれる魚は、涼やかな夏姿として映える。お太鼓姿を見ただけで、思わず微笑んでしまうような意匠。
小物の色は、オレンジの魚色に合わせる。この帯の小物には、寒色暖色いずれも考えられるが、模様の中で一番目立つオレンジ色が、やはり着姿のポイントになりそう。こうして帯と並べてみると、すんなりとまとまっているように見える。帯揚げも同系の色で、藤井絞の雪花絞りを使う。夏の涼しさを印象付けるより、魚デザインの面白さを優先させたコーデになった。
二回にわたって、夏小物のご紹介をしてみたが、如何だっただろうか。帯揚げにも帯締めにも、様々な生地や施し、また組み方の違う品物があり、とても網羅しきれない。年々暑い期間が長くなり、それに伴って薄物や夏物の出番も増えている。キモノや帯だけでなく、小物にも目を向けて頂き、ぜひ自分らしい夏姿を演出して頂きたい。
毎日の仕事として、たとう紙や反物の値札、そしてお客様に送る品物を入れた箱にも、紐を掛けて結んでいますが、実は目には映らない紐も結んでいます。それが、このブログです。徒然に書くつたない記事が、私と皆様を結ぶ紐の役割を果たしているのです。
もちろん読んだからと言って、直接お目にかかる訳でも無く、仕事の依頼を受けることもそれほどありません。でも、そんなことは関係ないのです。それまで、私や私の店の存在を全く知らない方が、細い紐を辿ってブログ記事に触れる。もはや、それだけで十分のように思え、もしも何かの役に立てて頂けるなら、それは望外のことでしょう。
毎回の稿は、伸びきったゴム紐のように長くなっていますので、画像だけでも楽しんで頂ければと思っております。今日も、最後までお読み頂き、ありがとうございました。