バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

龍村の帯文様で見る正倉院(3)  透彫栄華文

2022.09 14

今月8日、イギリスのエリザベス女王が96歳で崩御された。1952年の即位から今日まで、実に70年の在位。これは、17~18世紀にフランスで君臨したブルボン王朝国王・ルイ14世の72年に次ぐ、世界史上二番目の長さである。君主として長い間親しみと尊敬を集めてきた女王だけに、悲しみの声が国全体に満ちている。

任命した首相は、ウィストン・チャーチルから、リズ・トラスまで15人。ポリス・ジョンソンを引き継ぎ、イギリス三人目の女性首相となったトラスを任命したのは、亡くなる僅か2日前の6日。最後の最後まで職務を全うした、稀有な君主と言えよう。国葬は19日と決まり、新しい国王にはチャールズ皇太子が即位することになる。

 

皇太子は王位に就いたものの、即位を公式に宣言する「戴冠式(たいかんしき)」は、女王の喪が明けた数か月先になる。式はロンドンのウエストミンスター寺院で執り行われ、新国王はイギリス国教会の大主教から冠を戴き、その即位を宣明にする。

この時に使われる冠が「聖エドワード王冠」で、重さ二キロの純金製。デザインは、4つのクロスパティー(十字紋章)と4つのフルールドリス(図案化したアイリスの花)を交互に配置したもので、そこには444個もの宝飾品が散りばめられている。この冠は、17世紀後半に在位した国王・チャールズ2世のために製作されたもので、そこには、16世紀後半に君臨した女王・エリザベス1世が所有した真珠が使われている。これは、現在イギリス王室が所有している、最も古い祭祀具の一つ。

 

こうした装飾品の原型は、実は日本の天平期にもみられ、正倉院には、金銅版の透かし彫りで唐花模様をあしらった荘厳具(仏堂や仏具を装飾する道具)が、多数収蔵されている。それは、この時代特有の美しい天平文様で彩られており、現在その図案は、幾つかの染織品の中で復元されている。そこで今日は、久しぶりに龍村の帯にみる正倉院文様の話をしてみたい。選んだのは、金属板を用いた透かし彫の工芸品からヒントを得た帯の文様。早速、始めることにしよう。

 

ティアラを想起させる、正倉院の透かし文様をモチーフにした龍村袋帯。

正倉院に所蔵されている宝物が、今に続く文化の源泉になっていることは、言うまでもないだろう。6世紀末の飛鳥推古朝時代から、大陸との交流が始まり、遣隋使・遣唐使の派遣によって、本格的な文化の受け入れ態勢が整った。律令制定による本格的な国家建設も、法律と制度で整然と組織されていた中国の国家体制を学んだ成果であった。

都市も、大陸の都城制度に基づいて整備され、特に奈良の平城京は、唐の都・長安を模範としていた。そして、大陸から持ち込まれる文物は、当時の日本人にとっては憧れであり、また吸収すべき文化の礎と認識されていたはずである。しかも唐から伝来した工芸品は、中国だけでなく、さらに伝来してきた先にあるペルシャやエジプト、あるいはヨーロッパ諸国の文化の影を色濃く留めているものも多い。つまり正倉院の宝物は、その母体は唐の文化にあるものの、シルクロードで結ばれた西方地域の文化を合せ伝えるものであり、古代における東西交流の姿を象徴していると言えよう。

またもう一つ特徴的なことは、この品々が埋蔵物ではなく、収蔵品であったこと。多くの国では、この時代の遺品となると地中から発掘されたものに限定されるが、正倉院の品々は、校倉造という、機能的によく考慮された高床式の倉で保存されてきたものであり、それだけにその姿は1400年の時を超えて、美しさをそのまま現代に伝える。

 

ご存じのことと思うが、正倉院の宝物は聖武天皇ご愛用の品物であり、献納するにあたっては目録が製作されている。これが国家珍宝帳であるが、その品々は本当に多岐にわたっている。袈裟や帯、刀類や念珠など衣服や日常の身の回り品を始めとして、琵琶や琴、笙や尺八のような楽器類、碁盤や双六などの遊戯具、弓や太刀、甲の武具類、そして鏡や屏風、厨子(仏具を収納するもの)等の調度品、さらに水差しや盃、尺(ものさし)のようなものも含まれている。

この品々は、染織ばかりでなく、金銀細工や、金属鋳造、木工、漆塗、陶芸、など工芸におけるありとあらゆる技が駆使されている。そしてそこに装飾される文様は、これも多種多様であり、しかもこの時代特有の配置法が駆使され、各々のモチーフをデザイン化している。

龍村が帯の意匠に用いている正倉院の文様は、染織によるあしらいばかりではない。今回ご覧頂く帯も、金銀を加工して形作られた美しい「透かし文様」。太刀や仏の力を示す荘厳具の姿を参考にしながら、この帯文様のルーツを探っていくことにしよう。

 

(黒地 透彫栄華文 袋帯・龍村美術織物)

帯姿は、幅の違う横段で切り取られた二つの文様で構成されている。天平図案なので、当然モチーフは唐花だが、染織品でのあしらいとは異なり、透かし彫りのように、黒い地から浮き上がって模様を見せている。帯の文様とする時には、切り取った形を使うことで、立体的で迫力のある姿が生まれてくる。模様表現は、ほとんど金糸の濃淡だけだが、それだけに重厚感がある。

この図案に似せたと考えられる特定の宝物は無いが、ヒントにしたと類推されるものは、幾つもある。どのような形であしらわれているか、帯と比較しながらご覧頂こう。

 

(南倉収蔵品 金銅葛形裁文 デザイン画・奈良女子大学特任教授 藤野千代さん)

デザイン画を手掛けた藤野千代さんは、天平文様に魅せられ、正倉院の収蔵品に見える150種類以上の文様をデザイン化し、データベース化した。美しく彩られた幾つもの天平デザインは、奈良県内の企業が製造する食品や文具類のパッケージや包装紙として、数多く採用されている。

一見して王妃のティアラのようなシルエットだが、これは、仏堂に飾る旗・幢幡(どうばん)に付属している飾り金具・鉸具(こうぐ)を集めた御物の中に見られる。葛形(かずらがた)とは、蔓を持つ植物の形状を意味しているが、冠の唐草図案は、その名の通り優美な曲線を描く。この飾りは、仮面舞踏劇・伎楽(ぎがく)の面に付属して使われ、演者はこれを頭に巻いて劇を演じた。正倉院には171もの伎楽面が残されているが、こうした冠にも、手を尽くして彫り抜かれた唐草文が施されていた。

(南倉収蔵品 金銅磐形裁文 デザイン画・藤野千代さん)

これも上の冠と同じ、南倉165に収蔵されているもの。磐形(けいがた)は、同じようなものが十数枚あるが、いずれも荘厳具(仏堂や仏像を厳かに飾る道具)である幢幡の一部。文様のほとんどは唐草文や連珠文であり、いずれも線を切り透かして表現されている。こうした金属板を使った透かし文様のことを、裁文(さいもん)と呼ぶ。

 

大きい幅で区切られた中には、四弁の十字形唐花文をあしらう。花のモチーフは、アカンサス(葉アザミ)のようにも、ロータス(蓮)のようにも見える。オリエンタルなイメージの唐花も、左右対称な十字架形文様では、何となく欧風的な印象が残る。

(北倉収蔵品 金銀鈿荘唐太刀 デザイン画・藤野千代さん)

帯のデザインとは少し異なるが、これも透かし模様。唐風の太刀の鞘には、こうした唐草透かしの文様が入っていた。実用ではなく飾りとしての太刀は、其処にデザインが凝らされており、透かし彫りの金具の中に、色とりどりの玉や水晶を嵌め込んで、より華麗な姿に仕上げていた。

この太刀も含めて、国家珍宝帳には400点もの武具や武器の記載があり、収蔵品のアイテムとしては突出している感がある。その理由は、天皇を警護していた者から、冥界に旅立った帝を守る意味で、数多く武器類を献納されたためと言われるが、上のデザイン画にある金銀鈿荘太刀や金銀荘横刀は、刀身にも外装にも、聖武天皇の遺愛品に相応しい美術的装飾が施されており、それは他の宝物と遜色が無い。いずれにせよ、正倉院の御物のほとんどは、生前天皇の身近に置かれたものばかりであり、一つ一つの文様が放つ眩いばかりの光は、天平の世に花開いた国際性豊かな文化を象徴している。

 

シルクロードの終着点・平城京に届いた数々の宝物は、千年以上の時を繋いで、今なおその優美華麗な姿を、我々の前に見せてくれる。その優れたデザインを残し繋げていくことは、ある意味日本人の使命と思われるが、表現する道具を考えるならば、帯やキモノに優る品物は無いだろう。あまたの美しい天平図案を、現代の作り手がどのようにアレンジし、染織品として再び世に出していくのか。龍村美術織物の帯ほど、古きを温めて、新しきを知る意識、つまり復元と独創の試みがなされている品物は無いだろう。

今日は久しぶりに、龍村の帯を題材にして正倉院の文様にまつわる話を書いた。帯の名前に付いている「透彫文」をヒントに、「透かし彫り」にスポットを当てたのだが、たった一つの加工技法を顧みても、文様の内容やあしらわれる宝物の歴史的背景は無限に広がり、どの視点で説明を試みたら良いのか、曖昧なまま終わってしまった。浅学のバイク呉服屋にとって、文様の深淵を探ることは大変難しいことだが、次回の稿では、もう少しかみ砕いた説明が出来るよう、事前に準備をしなければと反省している。

 

「正倉院の参観を許された者の得る第一印象は、古都ローマが、ここにアジアの大陸的規模で甦ってきており、あたかもその中に身を置くような思いのすることである。明らかに広大なアジア大陸の全地域にわたる各地から、その土地の宝物がこの奈良盆地に送り込まれている」。これは明治期に、日本の美を幅広く世界に紹介したアメリカの美術史家・アーネスト・フェノロサの残した正倉院の印象です。

廃仏毀釈が進んで、古い文物を蔑ろにする傾向が顕著だった明治の初め、欧米の学問や制度を導入するために招いたフェノロサやラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、エドワード・モース(大森貝塚の発見者)など、いわゆる「お雇い外国人」によって、日本の素晴らしさが見直されていきます。特に美術に精通したフェノロサの力は大きく、今日まで続く文化財保護の法整備に道を開いたと言われています。

日本の文化は、優れた大陸の文化を受容しようと道を開いた時から始まり、その素晴らしさは後に外国人によって評価される。それは文化の価値が、地球を俯瞰するということになるのでしょうか。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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