バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

臨機応変に、紋姿を工夫する  刺繍紋をどのようにあしらうか

2022.08 29

私の家の紋は「丸に五三の桐」、妻の実家の紋は「丸に木瓜(もっこ)」。どちらも、最もポピュラーな五大家紋(片喰・桐・鷹の羽・藤・木瓜)の中にある、極めてありきたりな紋である。日本の家紋は、二万種類以上はあるとされているが、我々呉服屋が仕事で使う紋帳には、せいぜい二千種類ほどしか記載されていない。これでは、紋全体から見ると一割程度に過ぎないのだが、紋帳に載らない紋を依頼されるケースは、それほど多くない。裏を返せば、残り九割の家紋は、相当レアモノとも言えるだろう。

平安時代後期、公家が自分の調度品に付けた目印が、家紋のルーツとされる。その後の武家時代には、敵味方を区別する旗や身に付ける武具に紋を入れて、一族であることや主君に帰属していることの証とした。このような紋形式が、各々の家を象徴するマーク・家紋として、現代まで脈々と繋がってきたのである。

 

呉服屋という仕事柄、一般的な紋なら図案を見れば紋の名前は判る。ただ、そうは言ってもモチーフによって微妙なデザインの違いがあるので、簡単に決めてかかることは出来ない。例えば五大紋の一つ・片喰(かたばみ)を見ても、三枚だけの葉で構成される単純な「片喰紋」と、葉の間に剣のような葉が入る「剣片喰紋」があり、それぞれ丸の付く紋と付かない紋がある。もちろん、これ以外にも片喰をモチーフにした紋があり、紋帳に掲載されているだけでも80種類を数える。年々、紋に馴染みのない方が増えてきたので、紋入れを承る時にはどうしても慎重になる。

代々家に伝わる紋はおいそれと変える訳には行かないが、それぞれの紋図案には特徴があり、印象が違っている。「鷹の羽違い紋」や「矢違い紋」などは、その図案から武士を連想させ、何となく勇ましい雰囲気を持つ。こうした紋を家紋とするお客様からは、「もう少し女性らしい紋だったら良かったのに」との声を聞くこともよくある。

 

昨今では、家にまつわる儀礼・儀式の変化が激しい。特に冠婚葬祭に関わることは、家として最も重要な儀礼だったが、それが著しく簡素化している。結婚は家主体から個人主体となり、葬儀は身内だけで執り行うことが一般化した。この変化は、家の儀礼と密着していた呉服屋のビジネスにも大きく影響し、簡素化が始まると共に需要が落ち込み、その低落傾向は底なしで、未だ止まる気配が見られない。

そして、家の象徴だった家紋の存在感はすっかり薄くなり、自分の家紋名さえわからない人も多くなった。だが呉服屋の仕事においては、紋に関わる依頼が全く無くなった訳では無い。無論、第一礼装用の黒留袖や喪服の紋入れは減っているが、付下げや無地、江戸小紋では、工夫を凝らして紋姿を整える方が少なからずおられる。そこで今日は、紋を伴って誂えた品物をご紹介しながら、どのような視点で紋を工夫したのか、お話することにしたい。

 

(丸なし九曜星 金糸陰菅繍 背一つ紋・西紋店 一越地薄藤色鏡文・付下げ)

皆様はすでにご存じかと思うが、第一礼装として着用する黒留袖や喪服、あるいは男物の礼装用着尺などは、紋位置が予め白く染め抜かれる形状・石持(こくもち)になっており、紋姿も上絵技法を使って入れる日向五つ紋と決まっている。日向紋は格の高い正式な紋姿であり、これを変えることは出来ない。色留袖の紋あしらいも、基本的には日向紋を使うが、品物が石持にはなっていないので、紋柄を白く抜いてから筆で模様を描き入れる。紋数も、一つから五つまで自由に決められるが、最近では一つ紋が主流で、多くても三つ紋までである。

第一フォーマルでは紋姿を工夫出来ないが、自由度が高いのは、付下げや無地、江戸小紋に紋を入れる場合。この時は、品物を着用する方の考え方により、紋の種類が変わってくる。無地でもフォーマル感を強く着姿に表現しようとすれば、自然に染抜き紋=日向紋になる。しかし、あまり仰々しい姿にさせたくない場合には、紋の格を下げた略式紋・陰紋を入れることで可能になる。

 

陰紋は、紋の輪郭と中に描かれる模様の構造を線で描くことで、日向の紋姿と裏返しになる。一般的には、刺繍であしらうことが多い。気軽な略紋であるが故に、使う糸の色を工夫したり、紋の形状を変えてみたりと、着用する人の考え方一つで、様々な工夫が出来る。時には紋を着姿を彩るデザインと捉え、装いのシンボルとする方もおられる。

では刺繍紋を駆使する際、どのような観点から紋姿を決めているのだろうか。実はそれぞれの紋には、姿の決め手となる理由がある。そこでこれから、付下げや無地に付けたそれぞれの紋を見ながら、あしらいのポイントがどこにあるのかを、説明してみよう。

 

仕立をする前の紋姿。背紋の位置は衿付けから1寸5分下と決まっている。この品物は付下げなので、模様合わせをしていけば、自然に紋の位置が割り出せる。これが無地や江戸小紋のように柄の合い口が決まっていないモノだと、着用する方の寸法を勘案しながら紋位置を決める「紋積り」をしなければならない。

以前ブログでも紹介したが、うちの紋仕事は全て、地元の紋章上絵師・西さんに依頼している。縫い紋に関しては、ご主人が紋図案の下絵を描き、奥さんが刺繍を担当。平面に変化を付けて縫い進めて文様を表す・菅繍(すがぬい)技法を使って、紋姿を描く。菅繍は、生地の緯の目にそって、すだれ状に糸を渡しながら縫っていく。この付下げ生地のように、横にシボのあるものは、織糸の間のくぼみに繍糸をそわせていく。菅繍には、模様を全面に縫い埋める「日向菅繍(ひなたすがぬい)」と、この紋のように輪郭だけを縫った「陰菅繍(かげすがぬい)」がある。

この付下げの地色は、柔らかみのある薄い藤色で、意匠はモダンな正倉院の鏡文様。星をイメージさせる丸い図案は、白と金だけのシンプルな配色。全体的に、控えめでおとなしい雰囲気のキモノに仕上がっている。孫の結婚式に出席するために誂えられたキモノだが、付下げの格を上げたいとの希望から、紋を入れることになった。

紋で格を上げたいが、着姿は仰々しくさせない。そのために紋は、日向の染抜き紋ではなく、陰の刺繍紋を選択した。ただ使う縫い糸は、白ではほとんど目立たないので、模様に挿されている金を使う。太陽を思わせる九曜星紋は、デザイン的にも金の糸色が映える。さりげなく紋の存在を知らせるには、良いあしらいであった。

 

(丸に九曜星 金糸陰菅繍 背一つ紋・西紋店  ちりめん黒地松文・付下げ)

前と同じ九曜星紋だが、こちらは丸が付いている。同じモチーフの紋だが、もちろん誂えたお客様は別の方。お茶会の初釜用にと、求められた付下げ。

金彩で写実的な松を描いた重厚な図案。着姿の中心となる上前衽の松には、刺繍あしらいの小枝が見られる。色の気配が黒と金だけで、付下げとしてはフォーマル感が強く、紋を入れることに躊躇はない。恭しい初釜の装いとするために、金糸を使った。

 

(丸なし片喰 緑糸陰菅繍 背一つ紋・西紋店 一越白地御所解模様・京友禅訪問着)

ハート形の小さな三つ葉紋・片喰(酢漿草とも書く)は、デザインとしても大変可愛い紋。葉の色と同じ緑糸は、紋図案に似合う。あしらう生地が白地だけに、緑の片喰紋がお洒落に映る。

白地に御所解模様という、古典の極みとも言える訪問着。個々のモチーフを小さく描き、意匠全体からは清楚で上品な雰囲気が醸し出される。娘さんが七歳になったお祝いに、誂えたキモノ。若いお母さんが誂えた、はじめてのフォーマル。松や菊の葉に挿してある緑を、紋の色に選んだ。

 

(丸に片喰 黄色糸陰菅繍 背一つ紋・西紋店  紋織カナリア色・別誂染無地)

同じ片喰紋だが、こちらは丸あり。糸が緑と黄色では、同じモチーフでも、かなり紋姿の目立ち方が違う。この品物は、お客様が白生地を選んだ上で好きな色に染めた、オリジナルな無地キモノ。主に着用する場はお茶席だが、紋をあまり目立たせたくないので、キモノのカナリア色とほぼ同じ黄色糸を繍に使う。無地で紋を控えめにするには、キモノ地色と共色(同じ色)の糸を使うことが、最も有効。白糸でも良いが、共糸だとキモノの中にほぼ埋没してしまう。

 

(丸に梶の葉 日向菅繍 背一つ紋・西紋店  紋織空色・別染誂無地)

これも誂染の色無地にあしらわれた縫紋だが、これまでの輪郭紋と違い、刺繍で模様を全部埋め尽くした紋姿になっている。これが、日向菅繍である。縫糸は、共糸でも白糸でもない、淡い桜色。このように、無地にあしらう紋でも、染めた色と関りの無い色の糸を使うこともある。キモノ地が優しい空色なので、紋で色の気配を変えるとしても、パステル系を使うと、全体の雰囲気は変わらない。お茶会や、子どもの入卒の装いに使うことを考えて、若いお母さんが誂えたキモノ。

 

(丸なし稲垣茗荷 日向菅繍 背一つ紋・西紋店  紫地向い鶴模様・誂え江戸小紋)

同じ日向菅繍でも、使う色糸を多色にして誂えた紋姿。紋ではあるが、着姿のアクセントになるように、デザイン性が重視されたお洒落な紋。珍しい稲垣茗荷の形をアレンジしつつ、色の構成を考える。職人のセンスが試される仕事だが、上手く仕上がっている。型紙の模様と染める色をお客様自身が選んだ、オリジナルな江戸小紋。大学生の娘さんの卒業式に出席するために、誂えた一枚。

 

(丸なし剣片喰紋・陰菅繍 杜若加賀紋・日向菅繍  黒絵羽織)

最後にご覧頂くのは、陰と日向を併用した菅繍紋。加賀紋のモチーフは様々だが、お客様が選ぶのは、自分の誕生花や特に思い入れのある花など。これを上手く模様化したところに紋を組合わせて、加賀紋にする。加賀紋の大きな特徴は、色を施した模様と色の無い紋のコラボ。この黒羽織にあしらった紋は、典型的な加賀紋姿と言えよう。

思い切り丸くデザインした杜若模様には、刺繍で模様を埋め尽くす日向菅繡を使い、お客様の家紋・丸なし剣片喰紋は、白糸で陰菅繍を施す。使い道の無くなった黒い絵羽織を、お洒落なカジュアル羽織に変える。アイデア次第で、紋は品物の用途を転換する施しになる。

 

紋のあしらい方一つで、品物の雰囲気が変わり、着用する場面も変わってくる。そして、使う糸の色によって、印象は変えられる。背に一つ付く紋の直径は、僅か5分5厘(約2.1cm)。着姿からはほとんど目立つことのないあしらいだが、あえてそこに心を配って、施しをする。紋の糸色にしても、八掛の色にしても、使う色には理由がある。このほんの小さなこだわりこそが、間違いなく、装いに深みと個性を与える重要なエッセンスになっている。

もし皆様が紋を入れる機会があれば、糸の色やデザインに注目して、自分らしい紋姿をあしらって頂きたい。それは装いを、違う角度から考えるきっかけにもなると思う。

 

女性紋の中には、「通紋(つうもん)」と呼ぶ紋があります。これは、誰でも使うことの出来る便宜的な意味合いを持つことから、貸衣装で扱う黒留袖や喪服などによく付けられています。最も多いのが、五三の桐紋で、蔦紋や揚羽蝶紋なども使われています。

冠婚葬祭が形骸化するに従い、キモノを着用するとしても、レンタルで済ませてしまう方が多くなりました。これは通紋が付く衣装ですので、当然ほとんどの方は、本来の自分の家紋とは異なる紋姿で装うことになります。もし真剣に紋を家の象徴と考えるならば、結婚式やお葬式のような「家の一大事」に、無関係な紋が付いた装いなど出来ないはずですが、現実には、気にされている方はほとんどいません。

流石に、紋の付いていない留袖や喪服は着用出来ないが、付いていれば何でも良いくらいにしか、意識されていないのでしょう。こうしたことは紋だけではなく、和装全般に広がっています。時代の流れと言えばそれまでですが、「内実を考えない見てくれの姿」しか残らないのであれば、それは寂しいの一言に尽きます。果たしてこの先、伝統的な儀礼はどうなっていくのでしょうか。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうごさいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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