バイク呉服屋の忙しい日々

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2020年・子年の終わりにあたり  未曾有の病厄に瀕した一年

2020.12 27

本来ならば今年の暮れは、祭りを終えた後の「気だるい充実感」に、包まれているはずだった。祭りとはもちろん、夏に開催される予定だった東京オリンピック・パラリンピック。何事もなければ、きっと成功裡に終わっていただろう。世界中の人々を迎え、経済も大いに潤ったであろうことも、想像に難くない。

しかし現実は、誰もが予想だに出来ないことになった。昨年暮れ、中国武漢の市場で発症が始まった全く新しいウイルス感染は、瞬く間に世界を席巻し、あっという間に地球上の人々の日常を消してしまった。まさに「暗転」という言葉が相応しい。日本は、最大の国際イベント・五輪を目の前に迎えていただけに、なおその落差は激しかった。

 

ここ数年、飛躍的に増えた訪日外国人観光客により、観光業はかなり恩恵を受けてきた。ホテルや運輸関連だけでなく、百貨店を始めとする小売業もインバウンド需要が売り上げの大きな柱となり、経営の下支えとなっていた。内需が伸び悩む日本中の企業が、今年のオリンピック需要に、特別大きな期待を寄せていたことは、当然である。

そして東京や京都では、今年の需要を見越して、ホテルの建設や増床が進められていた。その結果として、ここ数年は土地の価格も上がり、不動産取引も活発となる。特に宿泊施設の絶対数が足りていない京都では、次々と古い町家が壊されてホテルが建ち、外国資本が土地売買に参入しているという話もあちこちで聞かれた。けれども、思いもよらぬ病厄は、そんな思惑を木端微塵に砕いてしまう。本当に「一寸先は闇」である。

政府は、苦境に立つ観光業や飲食業を助けるため、GoToキャンペーンを企画するものの、このところの感染拡大に伴い、それも一時ストップしている。だが、厳しい経営を強いられているのは、他の業種も同じであり、どこも有効な経営浮上策がほとんど見当たらず、先行きの不透明さは増すばかり。もちろん、呉服業界とて同じことだ。

 

ここ数日、取引先の営業マンが店へ年末の挨拶に来ているが、誰もが「今年よりも、来年が正念場になる」と言う。今年の春先から夏にかけて、ほとんど品物が動いていなかったので、メーカーの多くが過剰在庫を抱えた。そのため、来年新しい品物を作ることはかなり抑制される。つまりは、モノ作りの現場に仕事が行き渡らないことになる。

こうなると、当然作り手は仕事が無くなり、苦境に立つ。これまでもモノ作りの現場では、年配の熟練職人に頼ってきた側面は大きいが、これを機に仕事を止めてしまう人が多くなることを危惧される。そしてもし職人がいなくなれば、多くの現場では後継者がほとんど見当たらないので、モノ作りがストップしてしまうことが現実味を増してくる。それはこの先、「作りたくても、作れない状況」が生まれることになりかねない。

諸々のことを考え合わせると、ネガティブな思いに駆られることばかりだが、それでも日本の国に息づいてきた伝統衣装が、全く廃れてしまうことは、考えられない。そしてこんな日常の中でも、和の装いを嗜まれている方がおられる。そして着用することが、心に潤いをもたらすことにもなっている。そんなお客様に対して、呉服屋が出来ることは、普段と同じように店を開け、同時に、情報を発信し続けることであろう。

 

さて今日は、一年納めのブログになるのだが、毎年最後の稿では、その年の干支にちなんだ文様を龍村の光波帯の中から探して、ご紹介することにしている。だが今回「鼠の帯」を見つけることが難しかったので、今年は「終い」に引っ掛けて、「縞」の図案を見て頂くことにした。これでコロナも、何とか「終い」に向かってくれると良いが。

 

縞を基調とした龍村美術織物・光波帯四点。

龍村の織で表現される図案は、初代平蔵による古代織物の研究を礎としている。その多くは上代裂(じょうだいきれ)と呼ばれ、天平期以前に伝来した正倉院裂と法隆寺裂に由来している。この文様は、いわば輸入品であり、日本固有の図案・有職文様が現われる以前のもの。

光波帯は、経糸の浮き沈みで文様を織りなす「経錦(たてにしき)」が使われている。そもそも上代裂とはこの技法を使って織り出されたもので、つまりこの帯の図案も織技法も、1300年前の錦織を、そのまま現代に蘇らせた品物と言えよう。

初代平蔵の雅号・光波の名前を冠せたこの帯は、これまで約300種もの文様を開発して織られてきた。その図案は上代裂だけではなく、世界各地の様々な古い裂地をモチーフに採っている。これが名物裂と呼ばれるものであり、それは室町期の日明貿易で伝来し、多くの茶人に好まれた図案ばかりでなく、フランスや中央アジア、果てはスキタイやインカ帝国の裂までもが、復元されている。

今日ご紹介する「縞」は、そんな裂の中で表現されている文様の形式であり、それぞれに伝来した時代も場所も違っている。では、個別にご覧頂くことにしよう。

 

光波帯・日野間道(ひのかんとう)

間道とは、名物裂においては縞モノを指す。もともとこの言葉は、間=混じる、道=筋を意味する中国・長江南流域の俗語。それを裏付けるかのように、間道の別名には漢島・漢唐・広東などが当てられ、これが中国伝来の縞模様であることと理解できる。

日野間道は元々明代の裂だが、これを名物茶入の「日野肩衝(ひのかたつき)」の仕覆に用いたから、あるいは千利休に茶事を学んだ公家・日野輝資(ひのてるすけ)が愛用したと伝えられたことから、この間道に「日野」の名前が付いた。

本来この間道は、赤・薄紅色・白・黄・黒などの色の縞で、各々はこの帯のように真っすぐではなく、真田紐のような組織で織り出されて、少しよろけている。こうした織姿を演出するためには、経緯の糸にはごく細い綿糸を使い、横の筋の真田組織では絹糸を使う。左に強く撚っている木綿糸を使うことで、横筋をよろけるさせるのである。

日野間道の地色は、白やこの帯地のような茶を含んだ白茶色、ベージュ系が多い。また縞の太さにも様々あり、一律ではない。だが、この帯の雰囲気は、間道とか縞と呼ぶより、ストライプと呼ぶ方が似合う。モダンで可愛く、洋っぽさをも感じる。こんな鮮やかで明るい縞の帯は、この光波帯以外には、なかなか見当たらない。

 

光波帯・天平段文(てんぴょうだんもん)

先述したように、いわゆる上代裂と位置付けられるものには、正倉院裂と法隆寺裂があるが、その99%が東大寺・正倉院に収蔵されたもので、法隆寺モノはほんの僅かに過ぎない。その内訳は、正倉院裂が約10万点・法隆寺裂が約千点と言われているが、裂そのものの古さは、やはり建立が古い法隆寺裂にあるとされている。

この帯の縞を見ると、横に並んでいる縞は、層を成すように濃淡が付いていて、それが帯幅いっぱいに繰り返されている。こうした色彩濃淡の変化を、暈しではなく、段階を区切って(この帯は縞だが)表現する技法のことを、「繧繝(うんげん)」と呼ぶ。

正倉院の錦裂には、こうした繧繝形式を採るものが随所に見られ、特に南倉の収蔵品・繧繝錦几褥(うんげんにしききじょく・机の敷物)では、その縁の部分にこの優れた技法を見ることが出来る。繧繝の特色とは、その色使いの美しさに加えて、文様の奥行きをも感じられる形式と言えようか。

 

光波帯・花文繧繝錦(かもんうんげんにしき)

これも天平段文と同じく、繧繝形式の文様。こちらは、縞の中に花文を配置しているが、それが少し単調な繰り返しになっていることで、前の帯よりも可愛い意匠に映る。

この図案は、確固とした正倉院の収蔵品をモチーフとしているが、それが樹下鳳凰双羊文・白綾褥(じゅかほうおうそうようもん しろあやじょく・献物机あるいは鏡箱の敷物)である。紫と赤の縦縞に緑の四弁花、白の縦縞に紫と赤の六弁花を交互に配する。この天平の文様感覚が、帯図案に忠実に再現されている。

花文と縞のコラボは、現代に通ずるモダンさがある。文化が花開いた天平という時代を象徴するような華やかさが、図案から見て取れる。

 

光波帯・華猪文長斑錦(かちょもんちょうはんにしき)

この図案は、上の三点のように、日本に伝来した上代裂や名物裂とは異なり、外国の裂をモチーフに採って意匠化したもの。これは、中央アジアのイラン系騎馬民族・スキタイの遺跡から出土した裂を参考にして、図案が構成されている。

スキタイの裂は遊牧民族らしく、動物をモチーフにした文様が、数多く見受けられる。この帯は猪を縞の目として使っているが、このような図案形成をする縞のことを、長斑(ちょうはん)と呼ぶ。なおスキタイの動物文様については、かなり以前にテーマとして書いた稿があるので、もしよろしければ、そちらもご覧頂きたい(2013.10.22 異文化が伝えるもの コプト文様とスキタイ文様・パジリクの午)

この形式はこのような外国裂だけではなく、正倉院裂にも見られ、その代表的なものに「花鳥文長斑錦」がある。参考までに、下の画像でご紹介しておく。

龍村の帯と言えば、やはり華麗で高価な袋帯のイメージがどうしても先に立つが、この光波帯は、仕立上がり価格で98.000円と、かなり求めやすい。そしてその上、日本に伝来した文様の歴史を知る上で、大変有意な品物である。裂を研究する中、これまで300以上もの図案を織り出すとは、他では到底真似することなど出来ないだろう。龍村という稀有な織メーカーを理解する上においても、この光波帯はまたとない品物と言えよう。

最後に、今日ご紹介した縞図案の光波帯四点を、もう一度ご覧頂こう。

 

さて、今年も月4回・全48回のブログ原稿を書き終えることが出来ました。今年は思いもよらぬ病厄により、これまでの日常がほとんど失われた、未曾有の一年になってしまいました。しかも年の終わりになって、感染はなお広がりを見せ、収束に向かう気配は全く見当たりません。

来る年も、まだまだ我慢が続くと思われ、仕事も毎日の生活も、これから本当の「正念場」を迎えるのではないかと思います。けれども、どんなことにも始まりと終わりがあり、いつかは必ず、この病を克服する時が来るはずです。

小説家・広津和郎が記した小文「散文精神」の中には、こんな一節があります。「どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通していく精神こそが、散文精神である」。散文は、味気が無く情緒に乏しいとも評されることが多いですが、裏を返せば、感情に捉われず淡々と記すことに繋がっています。きっとこうした姿勢が、人の生き方や物事の対処方法にも反映される気がします。

この先も厳しい日々が続くと思いますが、私は情報に一喜一憂することなく、この散文精神で新しい年に臨みたいと思っています。

最後に、今年こんな状況の中でも、お声を掛けて頂いたお客様、また万全の感染対策を整えてご来店頂いたお客様、そしてこの、つたないブログを読んで頂いたすべての皆様に、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。来年も、どうぞよろしくお願い致します。

 

なお、新年の営業は1月8日・金曜日からと致します。またブログの更新もその日前後を予定しております。休みに入りますので、頂いたメールのお返事が遅れてしまいますが、何卒お許し下さい。

今年も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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