バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

母が遺した品々(3) 嫁ぐ娘のために誂えた、思い出深き黒留袖

2020.09 01

人が一生の間で、自分の縁者が一堂に会する場面というのは、結婚式とお葬式が双璧ではなかろうか。裏を返せば、この儀式の様子で、その人の人間関係や歩いてきた道を知ることが出来る。いわば、人生が透けて見えることになる。

だが、長い間儀礼の中心だった式は、今回のコロナ禍で大きく姿を変えようとしている。それは、感染の拡大を防止する「三つの密」を回避する観点から、既存のあり方を、根本から見直さざるを得なかったからである。

まず第一に、多くの人が特定の場所に長時間集わないことは、ウイルス回避の大原則。そして、向き合って食事をしないとか、マスク無しで会話はしないとか、お酌やグラスの回し飲みをしないこと、さらに料理を取り分けて食べないことなど、人との接し方が細かく規定されている。これでは、「人と会すること自体が罪」と言っているようなもので、大勢の人が集う結婚披露宴やパーティを開くことなど、到底不可能になる。こうした状況下では、万が一にも宴を強行しようものなら、多くの人から顰蹙を買う。

 

想定もしなかった突然の流行病は、根本から人間の生活様式を変え、これまで培ってきた伝統儀礼も、簡単に消し去ろうとしている。もちろん、いつかは終息する時が来るだろうが、その時はもう、以前と同じ姿には戻るまい。

おそらく、「冠婚葬祭」に関わる儀礼は、簡素で、多くの人と会さない形式が主流になる。ではそこで、和の装いはどれほど残っていくだろうか。コロナ禍以前でも、かなり需要は落ち込んでいたのが、この騒ぎで一段と不透明となり、見通しは暗いとみるのが普通だ。中高年以上ならば、まだこだわりを持つ人もいるだろうが、若い人に古い慣習を継続してもらうことは、至難のことと思われる。

 

そうした中でも、結婚式に着用する黒留袖(江戸褄)は、礼装の象徴というべき品物。花婿・花嫁の母親が必ず着用してきたキモノだが、式の変容と共に、徐々に姿を消すことになるかもしれない。今は、そんな危惧を覚える。

我々が結婚した昭和の時代には、まだこの第一礼装を「借りる人」は少なかった。だから今も、多くの家の箪笥には、母親が着用した黒留袖がじっと息をひそめている。今日は久しぶりに、母が遺した品物について、稿を進めてみる。一昨年の7月、私の母の「南蛮模様手描友禅黒留袖」をご紹介したが、今日は、家内の母が遺した品物を見て頂こう。自分の結婚が決まってから母が誂えた、家内にとっては思い出の品である。

 

(雲取に御所車模様 京友禅・黒留袖  正倉院菱文様 金引箔・袋帯)

家内の家は、全く商売と縁のない家である。だからうちの奥さんは、人の前に出るのが苦手で、商い向きの「呉服屋の女房」ではない。だがそもそも私自身も、家業を継ぐとは夢にも考えておらず、この夫婦は揃って、「根っからの商売人」ではない。

最初から家の仕事を志す者は、少しでも商いを発展させ、店を大きくしたり、知名度を上げることを目指すのだろうが、私にはこの意欲が全くない。それよりも、自分が納得した方法で商いが出来ればそれで良く、世間的な評価を求めることは無い。そして、欲を出さずに、身の丈に合った生活をすることが大切。こうした価値観は、何も言わずとも夫婦間で共有している。

無理をせずに、淡々と自分らしく商いを続ける。こうして還暦を過ぎた今も呉服屋を続けていられるのは、この価値の共有があるからと思う。但し、性格や趣味は著しく異なり、日々の生活に密着した場面で、二人はまるで考え方が違う。現在、この「性格の不一致」は、かなり酷いことになっている。

 

さて、明らかに家庭の質が違う相手との結婚だったが、家内の両親は一つも異を唱えなかった。それはもちろん、バイク呉服屋が信用されたからではなく、娘の選択を心から尊重していたからだと思う。当時、私の風貌は怪しさ満載であり、今私が考えても、親としては許せない外見であっただろう。だが自分が信じる娘が決めたことだからこそ、反対をしなかったのだ。

こうした事情を承知の上で、私は最初から、家内の母親には本当に良くしてもらい、亡くなるまで大切にして頂いた。また大らかな性格で、私の娘たちも、このおばあちゃんのことが大好きだった。そのため、三人は揃って家内の実家に寄宿して、大学へも通わせてもらった。

今日ご紹介する黒留袖と袋帯は、私と家内が結婚する際に、家内の母がうちの店で誂えた品物である。娘の嫁ぎ先に気を遣って新調した、晴れの日の衣装。30年の時を越え、今は家内の箪笥の中で大切に仕舞われ、次の出番を待っている。では、どのような品物なのか、ご覧頂くことにしよう。

 

(雲に四季花と御所車模様 京友禅黒留袖・菱一)

考えてみれば、この黒留袖を誂えた時、家内の母はまだ五十代の前半。今の我々よりも若く、この後何回も、この留袖の出番があった。甥や姪の式を始めとして、仲人を引き受けた時にも着用。家内によれば、この時誂えておいて、本当に良かったそうだ。

意匠はオーソドックスな古典模様で、メインの上前身頃は四季の花を満載した御所車模様。そして、後身頃に回る模様には、雲と花籠をあしらっている。

模様の中心に置いた御所車。平安貴族は外出する時に、牛に曳かせた車を使った。種類は使う人の地位によって違うが、どれも趣向を凝らした豪華な装飾で彩られていた。この、優美な平安社会を想像させる器物・車文は、江戸以降に文様化され、留袖や振袖などの第一礼装用の品物の図案に、数多く取り入れられてきた。

車に積まれた花は、紅白の牡丹を中心に置いて、周りには菊、梅、藤、萩、女郎花など春秋を取り混ぜた花々を描く。特定の季節に偏らない花のあしらいは、この留袖が季節を問わず使える施しと言えよう。

後身頃の模様。雲取りの中に金箔の切金模様と、松と梅を入れた花籠模様をあしらう。前の御所車から後へと自然に模様を繋げて、全体に流れのある意匠となるよう、図案を工夫している。

 

御所車文では、車輪に凝った図案と色を施すことが多い。この車輪を見ると、車軸の一本一本を矢のように描いている。また地面に触れる輪や花を載せる台座には、唐花模様がある。しかも朱色を主体とした配色のために、ことさらに車輪が目立っている。

また、メインの花として描いた牡丹の中で、最も目立つ朱赤の花には、刺繍を使っている。そして小菊の一部にも、金糸繍で花弁をあしらったものが見える。模様上の藤花の垂れさがる枝姿は特に目立つが、藤は植物文の中でも格調の高いモチーフの一つで、この花が入ると華やかさが増してくる。

この留袖に使っている友禅の技法の中で象徴的なものが、切金に代表される箔置きのあしらい。上の雲取の中には、四角の金箔が見えているが、これが切箔という技法を使ったもの。

箔のあしらいは、まず台の上に金箔を載せて裁断し、それを一旦台から落として取り置き、模様部分に糊を引く。そこで裁断した箔を筆に付け、布面に散らした後、紙をあてがいながら手で押し、模様付けをする。そうして出来上がったものが、この切金である。また画像からは、細かい金の粒子状の模様が随所に見られるが、これは糊を引いた生地に、小さい筒で金を振り落とす・金砂子(きんすなご)という技法を用いたもの。こうした友禅の箔加工は、専門の職人の手で一か所ごとに、丁寧にあしらわれる。

前から見た着姿・上前身頃と衽の模様姿。改めて前姿を写してみると、この黒留袖の華やかさがよく判る。家内の母は、年齢にしては上背のある人だったので、剣先ぎりぎりまで伸びた裾模様が、ほとんど表に出てきて着映えがした。留袖系の裾模様は、特にその位置(高さ)に注意が必要となる。小柄な方では、模様が中に入ってしまうこともあり、着姿のバランスがとれなくなる。体格によっては相応しい品物が変わることも、呉服屋は留意しなくてはならない。

さてさて、この平安優美な御所車模様・黒留袖には、どのような帯を合わせたのか。この時には、帯も一緒に誂えてもらったので、それをご覧に入れよう。

 

(本金箔糸使用 正倉院菱連ね模様 袋帯・紫紘)

地に、渋い金と明るい金を交互に配した重厚な色目の帯。模様取りは菱の連続で、中に三パターンの正倉院模様が入っている。キモノの意匠が、平安王朝的な写実性の高い御所車文だったので、帯は模様の雰囲気を変えて、花文でも抽象的な唐花文を使っている。第一礼装、特に留袖の場合には、キモノと帯双方の格の高さや重厚さを揃えることに、コーディネートの重きを置く。

いぶしたような渋い金地の上に、正倉院・宝相華文が浮かび上がる。そして濃い金地の花卉文の周囲には、細かい七宝と青海波が見えており、八弁の天平花を立体的に見せている。精緻な図案と抑えた配色が、落ち着きがある中にも、礼装帯としての重厚感をよく表している。

お太鼓を作ると、宝飾的な図案・宝相華の華やかさがよく判る。地の金は、ほとんど光らず深く沈みこんだ色。引き箔糸を使った質の良さが、帯姿からも見て取れる。

 

花々を満載した御所車の留袖と、菱を連ねた天平文様の袋帯。写実性豊かなキモノと美しく図案化された帯。対照的な意匠ながらも、フォーマルに相応しい豪華さと厳かさを兼ね備える。これなら、どんなに時代を経ても、スタンダードな図案として、飽きずに着用できる。世代を超えて使うに相応しい、そんな一組であろう。

 

我々夫婦も、結婚して30年以上が過ぎた。三人いる娘たちは、まだ一人も結婚せず、家内が黒留袖を着用する機会は、まだ巡ってきていない。今のことだから、誰がいつ嫁ぐかはわからず、もしかしたら、誰も嫁に行かないかも知れない。

昔と違って結婚は自由であり、また適齢期なるものも、いつしかほとんど口にされなくなった。親が娘の未来を心配しないことも無いが、所詮それぞれの人生なので、自分で決めれば良い。すでに離れて暮らしているので、親が口を挟むことは無い。

しかし、それでも家内は、母親の遺した黒留袖に手を通す日が来ることを、心待ちにしているみたいだ。最後にもう一度、そんな品物をご覧頂こう。

 

父親とは身勝手なもので、娘に付き合っている人がいると判ると、あまり良い気持ちにはなりません。しかも、自分の若い頃の所業をすっかり棚に上げ、意味もなく機嫌が悪くなるのですから、始末に負えません。

この先いつか、娘が誰かを家に連れてきたとしても、果たして家内の両親のように、何も言わずに認めることが出来るか、その自信はありません。しかし家内からは、「あなたは、自分がいかに若い時に怪しかったか、よく考えてみてください」と言われます。

結婚することも、しないことも困る。父親にとって娘とは、何とも不思議な存在です。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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