バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

神に捧げる麻布で、夏越の祓いを  青色系の小千谷縮を着こなす

2020.07 17

「祓い(はらい)」とは、神に祈願して、災難や罪、穢れなどの邪気を払い、心身を清浄に戻す神事。神道の中では、最も重要な儀式の一つである。子どもの通過儀礼では、節目ごとに神社に参拝してお祓いを受ける。初宮参り、七五三参り、あるいは十三参りは、それまで無事に育ったことを感謝しつつ、神の加護の下、大人になるまでの健やかな成長を祈願する。

この子どもの年中行事に限らず、人々は様々なことで「祓い」を受ける。年の初めには、一年の無病息災を祈念して「お祓い」をしてもらい、「厄年」に当たる男女は、何事もなく年を越せるようにと「お祓い」をしてもらう。気の持ちようなのだが、神社でお祓いを受けていると、何となく安心する。

 

人々は、個人的に各々が神に依頼して祓いを受けるが、国として執り行う「大規模な祓い」が、年に二度ある。これが「大祓(おおはらい)」と呼ぶもので、日本最初の法令・大宝律令には、すでに宮中儀礼として記載がある。

大祓の日は、6月30日と12月31日。皇居神嘉殿の前庭で、皇族と国民全ての厄払いをする。大祓は、この両日の定期的な執行だけでなく、新しい天皇が即位した直後や、大規模な災害や疫病が蔓延した時にも、臨時に行うことがある。その意味で今年は、何が何でも「緊急に大祓」が必要な、そんな年に当たるだろう。

いにしえの大祓は、天皇の住居・大内裏正門の朱雀門で行われ、執行役は、当時の有力豪族・中臣氏と卜部氏。麻(ぬさ)と刀を奉り、大祓詞(おおはらえのことば)を奏上した。当時の為政者も、国民が受けた厄災を祓う儀式を重要視していたのである。

 

この「祓いに使う道具」として欠かせないものが、大幣(おおぬさ)である。幣とは麻の古い名前で、古来は麻や木綿が使われ、後に紙が使われるようになった。大幣には、白木で作った祓串と木串を使った小串があるが、いずれも紙垂や麻布を用いている。

幣(へい)とは、食物以外の神への供物を指すが、その中で麻(ぬさ)は、神に捧げる大切な布であった。古事記には、大麻の枝に白丹寸手(しろにぎて)と青丹寸手(あおにぎて)を付けたと記されているが、平安期の祭祀官・斎部広成(いんべのひろなり)の神道資料「古語拾遺」には、麻で青和幣(あおにぎて)を作り、穀で白和幣を作ったと記されている。

この時代の麻とは、織物原料の苧麻(ちょま・からむし)であり、もう一つの穀とは、紙原料の楮(こうぞ)を指していると思われる。考えてみれば、この二つはいずれも、古代から繊維の原料として使われてきた。

 

今日は、この「神に奏上する麻」に注目してみる。そして、夏を代表する麻織物・小千谷縮を使った装いで、毎日続く病と天候の厄災を祓うことにしたい。古来より尊重されてきた麻の神通力にすがってでも、何とかこの苦境を乗り越えたいと思う。

 

今日使う青色系の小千谷縮三点。左から鉄紺色無地・水色細縞・碁盤縞格子。

麻が日本に渡ってきたのは、とにかく古い。最古の縄文遺跡(紀元前1万2千年~5500年)として知られる福井・鳥浜貝塚では、麻製の縄や編み物が出土しており、魏志倭人伝に「細苧(からむし)は、倭の産品」と記述があることから、すでに弥生期には、かなり広い範囲で栽培されていたと考えられる。

その後麻は、貴重な繊維材料として、税の対象にもなる。それが、律令で制定された租税・租庸調の中の「調」であり、各家では毎年、一定の麻布を納める義務が生じた。長さ4丈2尺・巾2尺4寸で1反、これが成人男子一人が納める分の調布だった。

長年納税品とされてきた麻だけに、こぞって人々は自給栽培し、当然ながら自分たちの衣服の原料にもしてきた。そして時代が進むうちに、商品として生産されるようになり、栽培に適した場所は特産地となった。越後(新潟)や北陸一帯が麻の産地となり、近江縮や大和(奈良)晒の原料となっていったのである。

 

元々、麻栽培が盛んだった越後。中でも魚沼地方(十日町や小千谷など、魚沼丘陵にある町)では、領主上杉氏の奨励もあって、16世紀後半から苧麻の栽培が増え、それと共に麻布が量産されていった。そして、江戸前期の寛文年間(1661~72年)、播磨国明石の浪士・堀次郎将俊(明石次郎)が、良質な越後の麻布に惚れ込み、すでにあった越後縮の改良を始めた。これが越後上布・小千谷縮の始まりである。

越後上布と小千谷縮は、平織と縮織の違いこそあれ、同じ麻織物である。苧麻の手績み糸を使い、いざり機による手織りの上物・越後上布の生産は、年間20~30反と限られており、価格もとびきり高い。それに対して、レミー紡績糸を使い、機械機で大量生産できる小千谷縮は、庶民的な価格であり、誰もが気軽な夏薄物として楽しむことが出来る。

 

(鉄紺色 無地・小千谷縮  杉山織物)

小千谷縮には、廉価なイメージがあるが、越後上布と同じように、手績み苧麻糸を使い、地機(いざり機)で織る手くびり絣の高級品がある。生産反数は年間わずかに3反。無形文化財に指定されている「本当の小千谷縮」には、なかなかお目に掛からない。また、紡績ラミー糸使用の高機手織りがあり、こちらは伝統的工芸品に指定されている。「伝産マーク」が付いている小千谷は、これである。

今日ご紹介するのは、「一番手の掛かっていない小千谷縮」になる。絣ではなく、無地モノや縞、格子。自動織機を使って織ったので、風合いは手機とは少し違うが、それでも麻キモノの涼やかさは、十分に感じることが出来る。

今日はその中でも、夏らしい青系色の品物を使い、爽やかな着姿を考えてみたい。帯には、見た目の涼やかさを優先させ、青色同系の濃淡か、青と白の組み合わせを試すことにしよう。まずは最もポピュラーな、藍一色の無地モノから。

(水色地 波に千鳥模様・麻九寸型染帯  竺仙)

鉄紺は、青系色の中でも暗みを感じる色。冷たい鉄色を混ぜ込んだ、深い紺である。こうした小千谷の無地モノは、男女どちらでも使うことが出来るので、呉服屋とすれば扱いやすく、毎年何色か仕入れをしておくと、知らないうちに捌けていく。中でも紺系色無地は、売れ筋商品の一つ。

無地は帯次第で雰囲気を変えることが出来るので、柄物を使いたくなる。バイク呉服屋が大好きな「波に千鳥」。今年の春仕入れた帯だが、私のツボを心得ている竺仙の担当者が、店に来て真っ先に見せた品物。「間違いなく仕入れる」と確信しての所業である。悔しいが、まんまと作戦に嵌ってしまった。

深い紺と淡い水色の組み合わせ。帯は優しい地色で図案も可愛く、合わせると渋いキモノの印象がかなり変わる。帯配色も青と白が基調なので、涼やかだ。

可愛くするか、小粋に見せるか。やはり無地モノは使い勝手が良い。なお、この波に千鳥の麻帯は先週売れてしまった。合わせたのはこの小千谷ではなく、竹模様の絹紅梅。私のツボを、そのまま好みとするお客様がいるお蔭で、バイク呉服屋の商いが成り立っている。

 

(水色地 白細縞・小千谷縮  吉新織物)

先ほどの千鳥帯の地色に近い、水色地。白い細縞が付いているが、遠目には無地に見える。優しく爽やかな色合いでいかにも夏らしく、若々しい印象を与える。実際の地色は、画像より少し蛍光的な水色で、コバルトブルーと呼ぶ方が相応しいかも知れない。

この小千谷の原料糸は、有機栽培・オーガニックラミーで、麻製品の総合メーカー・トスコが生産。また小千谷縮や越後上布は、糸延べ(整経)の前、糸に糊を付けて乾かしてから使うが、この織屋では、群馬・下仁田特産の蒟蒻粉を糊にして使っている。原料や製織過程の材料にこだわることは、機械機とは言えども、着心地に関わってくる。

(白地水色横段 波筬波模様・博多紗八寸名古屋帯  西村織物)

帯の表情を見ると、緩やか波模様が自然な間隔で、織り込まれている。これは、緯糸を曲げながら打ち込む特殊な筬・波筬(なみおさ)を駆使すると、こんな模様の姿になる。製織した西村織物では、経糸に生糸、緯糸に練糸を使い、生地に柔らかみを持たせている。紗の目が小さく、美しい絹の光沢も目立つ。

帯配色の水色は、キモノ地色とほぼ同じ。共通した色を組み合わせるコーディネートは、最もオーソドックスで間違いが少ない。この蛍光的な水色は、キモノとしても帯としても珍しい色。

まさに「水」を感じさせる組み合わせ。帯の緩やかな波紋が、着姿に立体感を与えるだろう。シンプルな品物同士だが、個性的でもある。

 

(紺地に白 碁盤縞・小千谷縮  杉山織物)

最後は格子柄。縦と横の縞を組み合わせる格子模様は、線の太細や密粗により、千差万別な表情が生まれる。また使う色の組み合わせにより、バリエーションに富んだ模様の広がりが生まれる。

格子縞のなかでも、この縮のように、縦横の巾に同じ格子が規則的に並ぶものを、碁盤の目のように見えることから「碁盤縞(ごばんじま)」と呼ぶ。この図案は、木綿にあしらわれることが多いが、大概がこうした紺地に白、あるいは白地に紺である。喜田川守貞が記した江戸後期の類書(百科事典的な書物)・守貞漫稿(もりさだまんこう)には、「木綿単衣には、辨慶大名碁ばん等、密ならざるを専とし。今の碁盤島は、右の格子筋也。」との記載があり、この碁盤縞は、江戸期からポピュラーな格子縞だったことが判る。

(白地 網捩り縦鎖模様・紗八寸名古屋帯  西村織物)

白地の上には、水色と薄藤色の細い鎖が、不規則に縦に並んで織り込まれている。また、表面の紗生地に触れて見ると、比較的大きい網目が付いている。これは、広げた経糸とすぼめた経糸を交互に繰り返す組織にして織ると、こうした大きい網目の大きな捩(もじ)りが出来る。これを網捩りと呼ぶ。

網捩り紗八寸帯の表面を拡大してみた。こうして見ると、紗の透け感が判ると思う。規則的な格子に、すきっと縦に伸びる鎖縞を合わせると、爽やかさが前に出てくる。

キモノの格子が密なので、帯は単純に。幾何学図案同士の合わせでも、色と図案のバランス次第で、きれいにまとめることが出来ると思う。青と白だけで合わせれば、夏らしくなることは請け合いだ。

 

今日は、手の届きやすい無地・縞・格子の小千谷縮で、気軽に夏キモノを楽しむための帯合わせをご紹介した。自粛ムードばかりが目立つ昨今だが、決してキモノを着ていけないことは無い。皆様にはぜひ、「神捧げの布・麻」を装い、疫病の退散を社で祈願して頂きたいものである。

最後に、ご紹介した帯とキモノの組み合わせを、もう一度ご覧頂こう。

 

天皇家の行事としてばかりでなく、民間の各神社でも、6月末日には大祓の神事を執り行います。これが「夏越の祓い(なごしのはらい)」で、半年分の穢れを落とし、この先の健康と厄除けを祈願します。

この厄落としの方法は、社の境内に備えられた、チガヤという茅を編んだ大きな輪を、8の字を書くように三度潜り抜けます。この輪くぐりをすれば、災いは免れることが出来ると、遠く平安の昔から信じられてきました。

年の半分が過ぎましたが、まさか2020・オリンピックイヤーがこのような年になってしまうとは、誰も予想すら出来ませんでした。まさしく「一寸先は、闇」を地で行く年。現代科学の英知を結集しても、いつ終息するか未だに目途すら立ちません。おそらくこれは、「神のみぞ知ること」なのでしょう。ですので、もう我々に出来ることは、「神頼み」以外には無いような気がします。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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