バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

少し贅沢な四つ身絵羽で、「帯解きの儀」に相応しい姿を装う 

2018.11 15

先日、実家で飼っていた犬が亡くなった。年齢は20歳近かったので、大往生である。元気な頃は、外の小屋に繋いでおいたのだが、ここ一年ほどは衰弱が激しく、冷暖房完備の室内に入れていた。食べ物も栄養価の高いものを与え、具合が悪くなると獣医に連れて行き、薬を処方してもらう。心臓が弱っていたので、人間と同じ「ニトログリセリン」を飲んでいた。犬の長生きは、こんな飼い主の手厚い保護があればこそである。

昨年12月に公表された、社団法人ペットフード協会の調査によると、現在日本国内でペットとして飼育されている犬は892万匹、猫が953万匹。犬猫のどちらか一方、あるいは両方を飼っている世帯は、1357万軒と言われている。今日本の世帯総数が約5600万なので、およそ4軒に1軒は、家に犬か猫がいることになる。おそらくどの家も、うちと同じように、家族の一員として大切に扱っていることだろう。

 

日本の歴史上で、最も動物を愛しんだ為政者は誰かと言えば、江戸時代「生類憐みの令」を出した5代将軍・徳川綱吉が思い浮かぶ。綱吉は、「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれただけのことはあり、公設の犬小屋を作るとともに、野犬への餌やりを奨励、また放飼いも容認した。

そして保護の対象となる動物は、犬や猫、馬だけでなく、次第に鳥や魚、貝類、果ては蚊にまで及び、生きとして生けるもの全てが対象になった。そのため、動物虐待に対する処罰は過酷を極め、中でも犬殺しは極刑であった。また、鳩に石を投げたり、鳥の巣のある木を切っただけでも処分された例が、記録には残っている。

 

何故綱吉は、動物保護に執心したのか。それは、幼少の頃から教育を受けた儒教の思想に、強く影響されていたからと考えられる。徳を重んじるこの教えの柱となっているのは、他人に対して愛情を持つ「仁」と、正義を重んじる「義」。だから人間だけでなく、生きるもの全てを愛しむことは、「仁」を昇華させた結果なのである。

この行き過ぎた「生き物保護政策」は、世間で不評を買っていたが、彼は動物だけでなく、捨て子や病人といった弱い人間にも、暖かい情を向けている。また、無類の学問好きとしても知られ、湯島に聖堂を立てて、幕府公式の学問所として発展させた。これが東京大学の源流である。徳川15代将軍の中でも、憐れみの令の印象が強く、イメージが良くない一人だが、こんな側面もある。

そんな綱吉には、徳松という男の子がいたのだが、僅か5歳で夭折してしまう。小さな頃から病気がちだった徳松のために、神に祈りを捧げ、健康を願ってきたが、通じることはなかった。人並み外れて情の深い将軍だけに、その悲しみは、測り知れないものだったであろう。

1681(天和元)年、11月15日。綱吉が息子・徳松の祝い事をしたこの日が、子どもの健やかな成長を祈る日として世間に広まり、七五三の日となる契機となった。そんな訳で、今日はこの日にちなみ、子どもの祝着について話をしてみよう。

 

今に続く七五三は、江戸時代から続く子どもの通過儀礼の形式に則っている。

三歳を祝う慣わしは、髪を伸ばし始める儀式・髪置きを念頭に置いたもの。江戸の子どもたちは、男女の区別無く、三歳までは髪を剃っていた。そして、三歳になると頭の上に髪を束ねる髻(もとどり)を作るために、髪を伸ばし始める。この頭頂部に生えた髪の毛をまとめる髪型は、芥子の実に似ていることから、「お芥子」と呼ばれた。

男児五歳の祝いは、袴着である。初めて袴を着け、居ずまいを正すこの儀礼は、大人の入り口に立ったことを示すものであった。平安貴族社会から始まったこの儀式は、現在も皇室の中に「着袴(ちゃっこ)の儀」として残る。

帯解きは、帯を解くのではなく、キモノに付いている紐を解くという意味である。子どもは、男女共に七歳までは帯を使わず、紐でキモノを結わえる。だが七歳になると、紐を外して大人と同じように帯を締める。やはりこれも、大人になる自覚を持たせる儀礼と言えよう。

 

江戸時代は、生育環境が進歩した現代とは異なり、亡くなってしまう子どもも多かった。そこで、「七つまでは神のうち」と言われていたように、神様の加護無くしては、子どもが無事に育たないと考えられていた。このため、七五三に限らず、幼児期の生育儀礼が数多く執り行われていた。

生まれて七日目の「お七夜(しちや)」は、命名をする儀礼であり、同日には、初めて産毛を剃る「産毛そり」の慣わしもある。また、三十一日目に神社にお参りして、健やかな成長を神に願う「初宮参り」や、百日頃に祝い膳を囲む「お食い初め」は、今も幼児儀礼の形式として、多くの家庭で行われている。

子どもを持つ家庭にとって、それぞれの儀礼は、それまでの子どもの成長を喜び、これからの無事を、神の加護の下で祈るもの。やや形骸化した感は否めないが、子どもを思う気持ちは、江戸時代も現代も変わることはあるまい。

そこで今日は、子どもの通過儀礼としては最後の節目にあたる「七歳の晴れ姿」を、華やかな絵羽モノを使って、大人っぽく装ってみよう。

 

(紅色地 束ね熨斗模様 京型友禅四つ身絵羽・菱一)

子どものキモノは、着用する年齢により、その寸法に応じた長さで生地を裁つことから、それぞれに名前が付いている。

生まれたばかりの赤ちゃんから2歳くらいまでのキモノは、後身頃を生地の巾(9寸5分・36cmほど)いっぱいにとって作ることから、一つ身と呼んでいる。使う布の総尺は、1丈(3.78m)ほどなので、大人の一反モノからは、三枚の一つ身を作ることが出来る。

三歳祝着は、一つ身には付けない背縫いをつけ、身頃と衽を裁ち合わせて仕立てをする。必要な長さは一つ身の1.5倍。従って大人の一反モノからは、二枚のキモノを作ることが出来るが、身丈の3倍で身頃を裁つことから、これを三つ身と呼ぶ。この三つ身と一つ身を、仕立の上では、小裁ち(こだち)と称している。

さて大人への入り口・帯解の七歳になると、背も高くなって使う生地も長くなる。そのため、身頃は身丈の4倍で裁ちを入れることになり、このキモノには四つ身という名前が付いた。裁ちでいえば、5~12歳のキモノは中裁ちになる。なお大人のキモノ裁ちは、本裁ちである。

 

子どものキモノにふさわしい真紅地色。こんな鮮やかな色は、祝着か振袖にしか見られない。つまりこれは、若々しさや愛らしさを象徴する色である。

以前ブログでご紹介したことがあったが、うちで扱う女の子のキモノは、初宮参りの八千代掛けから三歳・七歳まで、一枚のキモノをその都度仕立て直しをしながら使い廻す工夫をしている。この品物はどれも、総柄の小紋なので、十分可愛らしい姿を作ることが出来て、使う効率も良い。

だが今日ご紹介する品物は、大人の訪問着と同様に、模様を裁ち合わす位置が決まっているもので、その分豪華さと大人っぽさが出せる。小紋と比べると、一つ格上であり、七歳という限られた時期に誂える贅沢な品物と言えよう。大人のフォーマルモノと同じく、品物を判りやすく見せるために、模様を合わせて、予めキモノの形にしてあるが、これを絵羽付けという。だから、このキモノは「四つ身絵羽」になる。

熨斗を束ねた「束ね熨斗」は、代表的な吉祥文様の一つ。熨斗は、鮑肉を筋状に伸ばして乾かしたものを、儀礼の宴席で食べていたことに始まり、これが祝事の進物になり、やがては飾りとなった。これが、慶事にお金を包む袋・熨斗袋として残っている。

束ね熨斗は、紙で束ねた鮑を表しているが、「お目出度い模様」であるのと同時に、動きのある図案で、華麗さも兼ね備えていることから、江戸期から小袖や振袖の意匠として、数多くの品物に使われてきた。そして今も、祝着だけでなく、振袖や留袖、訪問着、付下げと、フォーマル全般の品物に幅広く見ることが出来る。

この祝着は、上前と両袖に束ね熨斗だけを描き、熨斗目の中に松竹梅模様や、萩・牡丹・桐などの四季花と鶴を配し、真ん中の熨斗を束ねた結び目には、宝尽し模様をあしらっている。模様は型糸目だが、色は手挿し。子どもモノらしく型染疋田を多用し、束ね紐は、金駒刺繍を使って表している。子どもモノとはいえ、きちんと加工がされており、可愛い中にも重厚感のある祝着。

(白地 亀甲に唐花模様 祝帯・川島織物)

七歳の節目・帯解の意味を尊重するならば、やはり帯は、様々な結び方が工夫できる本格的な祝帯にしたい。キモノの地色は鮮烈な赤で、模様が束ね熨斗。華やかさと重厚さを兼ね備えるものだけに、多色使いの白地帯で、優しくまとめてみた。

六角形の亀甲文は、亀の甲羅に似ていることから、その名前が付いた。亀は長寿の象徴なので、この文様も古くから吉祥文様として存在してきた。画像で判るように、亀甲の中は色とりどりの唐花で埋め尽くされている。赤・橙・鶸・黄・水色と、どの花も明るい色だけを配し、それが子どもらしい印象を与えている。

 

(白地水色ぼかし しだれ菊撫子に扇面模様 京型友禅四つ身絵羽・菱一)

稿が長くなっているので、もう一枚は簡単にご紹介しよう。

子どものキモノには珍しい白地で、裾と袖に水色のぼかしが付いている。模様付けが全体的に小さいので、おとなしい印象が残るが、清楚な姿を演出出来るキモノになるだろう。裾へ向かって流れるしだれ花が、可愛さを表現する一つのポイント。

しだれに使っている花は、その形が菊にも撫子にも見える。模様の中心は、牡丹・桜・橘を描いた三本の扇。箔と刺繍を使い、丁寧に加工している。束ね熨斗のキモノの豪華さとは対照的だが、優しく控えめな女の子には似合いそうだ。

キモノがおとなしいので、少しインパクトの強い帯を使って、子どもらしい着姿を作る。華やかな色と大ぶりな図案の帯は、イメージをがらりと変える役割を持っている。このキモノの図案は、大人の訪問着のような雰囲気があるが、やはりこれは七歳の祝着なので、この年齢に相応しい姿を作る必要がある。

(朱地 花大七宝模様 祝帯・川島織物)

七宝は、宝尽しとしてあしらわれる文様の一つであり、平安期の公家装束に使われていた織文様・有職文でもある。この円を繋いだ曲線的な割付けを、帯地いっぱいに広げると、独特の大胆さが表れる。このような大七宝文は、祝帯や振袖に向く帯の意匠として使うことが多く、若さを象徴出来る文様と言えるだろう。

 

キモノの中でも、子どもの通過儀礼・七五三の衣装は、振袖と並んで、もっともレンタル率の高い品物であろう。やはり、一定の年齢の時に一回だけ着用することを考えれば、購入にはなかなか踏み切れない。

効率を考えれば、とりあえずキモノの質を問わないで式を済ます、というのも理解は出来る。だがそこは、長い伝統に培われた民族衣装だけに、きちんとした加工を施している品物も、まだまだ残っている。また、子どものキモノだからこそあしらわれる色と文様があり、これを理解して身に付けることで、より儀礼の意味は深くなる。ご紹介した束ね熨斗や亀甲、扇面取り、七宝には、稿で述べたように、いずれも子どもの儀礼に使う模様とするだけの理由が存在している。

四つ身絵羽は贅沢だが、儀礼を弁えて身を正すことを考えれば、欠かすことは出来ない品物である。いくら簡単に済ますのが、今のご時勢とは言えども、この先インクジェットのプリントモノしか市場に残らないのでは、あまりにも寂しすぎる。

レンタルでのキモノ着用が増えるにつれて、質の良い品物に目を向ける人は、減り続ける。これは何も、子どもの祝着ばかりではない。時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、少しでも情報を発信して、良質な品物があることを伝えたい。呉服屋としては、これも大切な役目だと思う。

 

昨年初めて、飼われているペットの数の上で、猫が犬を上回ったそうな。これは、犬よりも猫の方が、飼い主の手を煩わせないというのが理由とされています。

確かに犬の方が従順で、ある程度「しつけ」をすれば、飼い主の言うことを聞くような気がしますが、猫はそんなことには馬耳東風で、自由気ままに生きています。だから、飼い主は何もせずともよく、家にいてくれるだけで十分満足なのです。

「猫かわいがり」は、理由も無く可愛がるという意味ですが、それを「犬可愛がり」とは誰も言いません。こんなところで、ペットとして飼われている犬と猫の違いが判ります。時間に追われ、効率を求める今の社会にあって、猫の自由さをうらやましく感じる人が増えているのかも知れませんね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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