バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

とても稀な、絵画的江戸友禅  大羊居の手による、秋模様単衣訪問着

2017.09 09

現在我々が目にするキモノや帯の文様には、奇をてらうものはほとんど見られない。どれもが、我々の祖先・先人達が生きた時代の中で、それぞれ生まれてきたものである。一つ一つの文様には、その時々の歴史的な背景や裏付けが、明らかに存在している。

 

例えば、縄目文やそれに近い渦巻文や波文などは、すでに縄文土器の中に見られる。模様は、器を焼く前に、撚った糸や紐を器面に転がしたり、また竹などの簡素な道具を用いて、描いたりしていた。その後、大陸から青銅器や鉄器の金属器が伝わると、銅鐸(どうたく)に人物や動物、住居の文様が描かれるようになる。時代が進んで、人々の暮らしが狩猟や漁猟から、農耕生活へ変わっていったことに伴い、文様のモチーフを身近な生活の中に、求めるようになったのである。

古墳時代になり、中国大陸との交流が始まると、さらに文様は多彩になる。この時代の壁画には、龍文や四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)文が描かれ、その影響が伺える。さらに、仏教が伝来した飛鳥時代以降は、忍冬文に代表される唐草文が、美術工藝の中で多用されていく。

そして、隋や唐と直接文化が繋がった白鳳・天平期には、シルクロードを経由して、西アジアから様々な文様がもたらされると同時に、その文様の配置方式も伝わってくる。文様を左右対称に配置する様式や、唐花や宝相華を放射状や環状に描く方式、さらに文様を散らして描くものなど、特徴的な文様の構成様式が生まれた時代と言えよう。

 

平安・鎌倉期になると、日本独自の和文様が生まれてくる。切金文や色紙文などは、和歌や書を嗜んだ貴族生活の中で生まれたもの。また、公家装束の生地に織りこまれた藤の丸、鸚鵡の丸、鳳凰の丸などは、後の有職文の原点となった文様である。また、鎌倉武家文化では、写実的に模様を描くことが多くなる。州浜文や、後に御所解文の中の構成文様となる、塩屋や舟、葦、垣根などは、この時代から多く描かれるようになった。

室町に入ると、宋や明からの輸入品からもたらされた名物裂の文様と、蒔絵に代表される写実的な植物文様が並立し、唐草も、日本的な花を唐草様にデザインしたもの(例えば、菊唐草や桐唐草)が使われるようになる。さらに時代を経ると、衣装の変化に伴い、文様や加工方法も大きく変わってくる。

特に桃山期以降は、小袖が内着から表着になったことや、能を初めとする芸能の高まりが、文様の質を変えた。箔、縫い、絞り染めが駆使された四季花文様は、この頃の特徴的な模様である。また、辻が花染めや、ポルトガル・スペインとの貿易でもたらされた異国的な南蛮模様が生まれたのも、この時代である。

 

江戸期には、装飾的な大和絵・琳派の描く文様や、これと対照的な裃の模様に端を発した細かい江戸小紋柄などが生まれ、さらに農民からは、日常の道具を表した絣の文様が生まれた。上流階級から一般庶民・農民に至るまで、その階級ごとに好むものや、使うモチーフが異なり、それこそバラエティに富む、様々な文様が見られる。それはこの時代までに形成された、幾何学文、正倉院関連の模様、平安期の王朝文、有職文、さらに絵画的な写生文等々が表現の基礎となっており、それをそのまま、あるいはアレンジしながら、衣装や様々な工芸装飾の中で使っていたのである。

現在、キモノや帯にあしらわれている文様は、ほぼ「どの時代かの文様を切り取ったもの」であり、それは、広い意味で全てが「古典文様」と言えるのではないだろうか。

 

時代ごとの文様の勃興の様子など、簡単に説明出来るものではなく、とても小さな呉服屋の店主あたりの手に負えるようなテーマではない。だから、本当に雑駁な流れでしか、歴史を振り返ることは出来ない。そんな中で、今日は文様からは少し離れた絵画的な図案の品物を、御紹介することにしよう。

 

(薄グレー地 「那須散策」 手描き江戸友禅単衣訪問着・大羊居<菱一>)

先述したように、今、キモノや帯の上で表現されているほとんどの図案は、これまでのどこかの時代で、文様として形成されたものである。では、文様に捉われない図案とは、どんなものか。それは、風景をそのまま写し取った、絵画のようなものになろう。

だが、単に写生的、絵画的図案というだけならば、これまで文様として認知されているものとして、幾つもある。例えば、水辺の風景を写し取った「州浜(すはま)文」や「海賦(かいふ)文」、さらに山の表情を描いた「遠山文」などが、それに当たる。そして、流水の傍らに、柴垣や松、御所車や家屋などの特定のモチーフを配して描かれる風景文・御所解文様も、この範疇に入ると思われる。

そして、上記のような漠然とした架空の風景ではなく、具体的にある場所の景色を切り取って写実的に描いた図案でも、文様化しているものもある。川の中に色づいた楓が浮かんでいる姿は、「竜田川文」であり、なだらかな山と鹿が一緒にあしらわれていれば、「春日山文」である。誰もが、ある特定の場所を類推出来る風景だと、それは一つの文様として認知され、使われていくのだ。

また、著名な絵師が描いた風景をそのまま写し取って、図案に使うこともある。歌川広重が描いた「東海道五十三次」や「近江八景」などは、江戸期中期以降、衣装の図案に使われてきた。これに限らず、京都の名所として知られる、清水寺や八坂神社、五条大橋、さらに桜の名所・吉野の景色なども度々図案とされてきた。このような風景は、すでに「名所旧跡文」として、文様化している。

 

では、写実的に描いたもので、しかも文様の範疇に入らない図案とは、何か。それは、作者自身が見たある風景を、そのまま感じ取って図案として描いたもの、となるだろう。つまり、描いた者だけが知るオリジナルな景色である。

この品物には、「那須散策」とタイトルが付いている。これは、このキモノが、那須高原を歩いた時に出会った風景を、そのまま図案として描いたと理解出来る。

絵画的とされる加賀友禅には、作者が見たオリジナルな風景を取り込んだ作品が、たまに見受けられる。下絵、色挿しを一人で行う加賀友禅では、作品の中で、作者の感性を表現しやすい。景色を見た作者が、感じたままの姿、そして色を、自由自在に描くことが出来るからだ。もちろん加賀にも、古典文様をモチーフに取る作品もある。だが、文様を離れた作品が、もっとも多いことは、間違いないように思う。

 

この訪問着を、「稀」とする理由は、これが江戸友禅だからだ。ご存知の通り、江戸友禅は、加賀友禅とは違い、分業の仕事である。下絵・糊置・色挿し・刺繍・箔置など、分野別に違う職人の手が入る。

加賀は、作者自身が見た景色を、思うままに表現出来るが、分業の江戸友禅では、大変難しい。ではこの作品を創るにあたり、一体誰が、那須の景色を実際に見たのか、ということになる。まさか、下絵師、色挿し職人、刺繍職人が、こぞって那須高原へ出掛けていって散策し、それぞれが感じたものを、自分の持ち場で生かしたとは、考え難い。

このキモノを作るにあたり、図案や色をプロデュースした者がいたと考えるほうが、自然である。この人物が、実際に那須に赴き、自分で風景を眺めて感じ取ったものを、それぞれの職人に伝えて、一つの作品として完成させたのであろう。

 

丁寧に糸目糊置きし、きちんと色挿しされた手描き友禅。枝は写実的に、花は図案化して描いているのが面白い。

葉が色づき始めた姿を、黄系の刺繍で表す。残った緑の葉も、微妙に糸の色を替えている。こんな一つ一つの模様の中にも、細やかな仕事が伺える。これを積み重ねて全体の模様とすると、奥行きのある美しい姿として仕上がってくる。手描き友禅ならでは、映り方である。

 

大羊居が製作した証の落款。

現在、江戸友禅の最高峰に立つ大羊居。大彦染繍研究所の流れを汲み、昭和初期から、手描友禅ひとすじの道を究めている。上質なフォーマルキモノの需要が、限りなく少なくなっている現代においては、友禅に関わる多くの職人を仕事ごとに抱え、独創的な作品を製作し続けること自体が、奇跡である。また、そんな職人達の存在があるからこそ、こんな稀な絵画的江戸友禅が制作出来たとも言える。大羊居の作品のイメージとしては、どちらかと言えば大胆に図案化したものが多いように思えるが、その中でもこの風景画のような作品は、珍しいように思う。

 

今日ご覧頂いた「那須散策」は、菱一が扱っている品物。ということは、菱一が大羊居に依頼して製作したもの、ということになる。しかもこの訪問着は、単衣用だ。

地色の薄グレーといい、秋の気配を感じさせる那須の森を描いた図案と色といい、全てがこの「9月に使う単衣」が前提になっている。菱一は、よくぞこんな品物を大羊居に依頼したものだ。それは、メーカー問屋としての、意識の高さをも感じさせてくれる。おそらく取引先に、こんな贅沢な品物を必要とする店があってのことと思う。

今回皆様に御紹介できたのは、以前あるお客様から単衣訪問着の依頼を受けた際に、菱一からこの品物を一時借り受けたからである。この時は、別の品物で商いが成立したのだが、画像だけは残しておいた。普段はほとんど、自分で買い取った品物で商いをするが、特殊な品物を頼まれた時だけは、品物を借りる。これほど手を掛けた、贅沢で稀な図案の単衣訪問着を仕入れられるほど、バイク呉服屋に資力は無いのだから、仕方あるまい。本当に凄い呉服屋とは、このような品物を買い取れる店であろう。

最後に、絵画的な大羊居の単衣訪問着を、もう一度ご覧頂こう。

 

ある季節に限定した品物を着用することは、何よりの贅沢かと思います。そしてその品物の色や図案に、「旬」が意識されていれば、なおのことです。カジュアルモノならまだしも、使う場所が限定されるフォーマルに、旬を表現出来るような人は、これまた限定されると言えましょう。

けれども、袷・単衣・薄物と、季節ごとに変わるのが日本の民族衣装としてのキモノや帯です。その都度、素材や文様、色を意識して変えることは、この国特有の「美しい四季のうつろい」を、着姿として体現することになります。

出来うる限り、旬を感じさせる品物を扱いたく思いますが、限界があるように感じます。今日のような贅沢な品物を、自由に仕入れられる身分になりたいものですね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日付から

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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