不思議なもので、三人の娘を同じように育てたつもりでも、性格も考え方も違う。
長女は、他人に流されず、はっきりとした性格で、たまに相手に向かって「毒を吐くようなこと」もあるが、一番親思い。次女は、生真面目で堅実な努力家だが、少々意固地で、言うことをほとんど聞かない。三女は、人当りが良く、すぐ環境に順応できるが、計画性がなく、野放図。
考えてみれば、娘達にとって私は、あまり父親らしくなく、「へんなおじさん」くらいにしか、思われていないかも知れない。私も家内も、これといった家庭内教育を施した記憶はほとんど無く、気が付いたらみんな大きくなっていて、それぞれが自分勝手に、進む道を決めていたのだ。
小学校に上がるまでは、大変だったものの、後の子育ては適当で、いい加減なもの。思春期を過ぎる頃には、ほとんど口出しをせず、ただやることを見ているだけだった。そのため娘達は、伸び伸びと自由気ままに育った。
最近の親は、子どもの教育や将来に対して熱心に関わり、痒い所に手が届くような手助けをする。そのため社会も、そんな風潮に対しては敏感になっている。例えば、大学には親向けの就職講座があり、企業も採用の時には、親の顔色を伺う。さらに、結婚相手を探すために、親だけのお見合いパーティが開催されている。
親は、子どもの未来にとって、進むべき道を示す「灯台」でありたいと考えるのは、ごく自然なことで、「幸せになって欲しい」という気持ちの表れでもある。けれども、過度に干渉することで、失うことが多いような気がする。
まあこれは、それぞれの家庭の方針があるので、よそのことを批判することは、よくない。我が家は、関わることが面倒くさく、ただ放っておいただけなのだ。
今年の春、次女と三女が大学を卒業する。二人は二歳違いだが、次女が6年制に通ったために、同時になった。これだけでは、別にどうと言うこともないが、困ったのは、卒業式が同じ日になったこと。
二人とも、袴姿で式に臨むのだが、上に着用する振袖は、一枚しか持っていない。これは以前、このブログでもご紹介したが、私の妹が30年前に使った古いモノである。成人式には、三人ともこの振袖を使い、長女は大学の卒業式でも使った。
今回、二人の卒業式の日さえ重ならなければ、一枚ある振袖を使い回すことが出来て、問題は何も生じなかった。けれども、である。どちらか一人だけが振袖を使い、もう一人は、袖の短い小紋や訪問着を使わせるというのも、忍びない。散々悩んだ末に、仕方なく振袖を作ることにした。おそらくこれは、バイク呉服屋が自分の娘に新しい振袖を誂えずにいたことを、神様が許さなかったということであろう。
先週の水曜日、二人の卒業式があった。私と家内は手分けをして、それぞれの娘の式に参列した。そこで、今日と次回は、娘達が着用した袴姿を皆様にご覧頂くことにする。呉服屋として、どのような着姿を作ったのか、見て頂こう。
左の黒地振袖・海老茶袴が次女。右の枝垂れ桜振袖・茄子紺袴が三女
うちの娘達の身長は、三人とも165cmくらいで、ほぼ同じだが、長女と次女は華奢で、三女は体育大で鍛えていることもあり、ガッチリしている。画像を見ても、右側の子の肩幅は広い。今日はまず、左側・次女の衣装をご紹介しよう。この一組が、今回新たに誂えたものである。
(黒地 松竹梅模様 型友禅振袖・菱一 海老茶色無地 ウール行灯女袴)
新たに作った振袖を、どちらの娘が着用するかを決める時、次女が先に手を挙げた。末っ子は、この姉が「言い出したら聞かない性格」ということを理解しているので、すんなりと譲った。そんなところは、素直な子なので、助かった。
さて、新しい振袖を作ると決めたものの、うちの家計にとっては、予期せぬ出費である。いかに自分の所で扱っている品物とはいえ、タダではない。もちろん、仕入れ値なので、消費者が求める価格より安く済むが、家計から、店の方に支払いをしない訳にはいかない。
長女が大学に入ったのは、2009年の春だから、もう8年前になる。この間、次女・三女と次々に、大学に進んだ。大学生を二人抱えていた期間は、6年にもなる。そして三人とも、東京・千葉と県外に進学したため、学費だけでも大変なもので、到底私の稼ぎで全ては賄えず、奨学金の世話になった。この8年で、我が家の金庫は、すっかり空っぽになってしまったのだ。
そんな訳で、高価な手描き友禅など考えられず、型モノの中から、模様が華々しく、見映えの良いものを探すより仕方が無い。そこで、菱一に出向き、限られた予算の中で、一番晴れやかな品物を見つけることにした。
すでに持っている振袖の地色が、クリームと橙色の段ぼかしという、淡い雰囲気の品物なので、新しい振袖の地色は、濃地のものと決めていた。出来れば、重厚さのある黒地が良く、若々しさが溢れるような模様を希望した。そこで、見つけたのが、この「黒地に松竹梅文様」のキモノだった。
模様は、松竹梅だけ。後身頃の裾から上に、すっと立ち上がった竹が印象に残る。着姿を後ろから見ると、この竹がかなり目立つ。模様の中心、上前おくみと身頃には、色とりどりの松竹梅が、密集して描かれている。
「型モノ」だけに、一つ一つの模様を見れば、まさに「型通りのもの」だが、これは価格を考えれば仕方が無い。呉服屋が自分の娘に作るものでも、予算内で納めようとすれば、我慢しなければならないこともある。
そんな中で、この振袖に目が止まったのは、模様のシンプルさと、配色の鮮やかさである。松竹梅だけの意匠に、潔さを感じ、若さもある。また、後身頃に伸びる竹も、着姿のアクセントになるだろう。
袴を使うキモノの場合には、模様の中心・上前は隠れてしまう。キモノの模様が見える部分は、両袖と肩、胸、それに襟元になる。この振袖は、襟に模様が少ないため、少し寂しく見えるが、その分を華やかな袖模様で補っているように思える。
斜め後から、着姿を写す。肩越しだと、袖と肩の模様の華やかさが、一際目立つ。
背の高い子なので、袖丈が3尺の大振袖に作ると、着映えがする。特に、前から見える左前袖には、模様が密集しているので、上前は見えなくとも、振袖らしい華やかな雰囲気は、ある程度出せる。
すでにうちにある茄子紺色の袴だと、いかに模様が密でも黒地の振袖に使えば、着姿が沈む。そこで、少しだけ赤みのある色の袴を使うことにした。
材質は、ウール。大学生協や衣装屋が貸す卒業式の袴は、ほぼ化繊だが、ウールだと重々しさが感じられ、しっとりと落ち着いた着姿になる。また、よく刺繍をあしらったものや、色をぼかした袴も見かけるが、無地の方がすっきりする。
この海老茶色は、大正時代の女学生の間で流行った袴の色。女学校へは、矢絣お召と、この海老茶袴で通ったが、そんな彼女たちのことを、袴の色をもじって「海老茶式部」と呼んでいた。余談だが、現代の卒業式に見られる、特徴的な色の袴といえば、何といっても、宝塚音楽学校の卒業生が使う、「モスグリーン色」。一緒に着用するキモノは、黒紋付と決まっている。
袴には、半巾帯を使うが、ほんの少しだけピンクのラインが入った、博多半巾を使うことにした。帯もやはり、化繊ではなく、絹モノの方がきっちりと締まる。前から、ほんの少しだけ覗く帯の色は、ピンク色。キモノの黒、袴の海老茶とも、相性が良く、ポイントにもなる。
襟元の色の映り。振袖の黒・伊達衿の茜・刺繍衿の桜の花びら。
上半身を前から写してみた。襟元には模様がほとんど無く、地の黒が目立つ。そこで、鮮やかな茜色の伊達衿と、淡いピンク色の桜の刺繍衿を使うことで、衿・胸元の寂しさを消してみた。こうしてみると、少しだけ覗く帯のピンク色が、着姿の中で効いているように思うが、どうであろうか。
今回の卒業式のために誂えた品々。長襦袢は、黒地の振りからちょっとだけ覗く時に、印象に残るような、玉熨斗模様の濃ピンク無地にしてみた。
私は、この次女の方の卒業式に参列した。何しろ、彼女の大学に行くのは、最初にして最後のこと。友人達からは、かわいいと着姿を褒められ、満足そうだった。そんな表情を見ていると、「作って良かった」とつくづく思う。やはり、バイク呉服屋も、ただの「親バカ」だ。
今回は、蚊帳の外に置かれていた長女が、5月に招待されている親友の結婚披露宴に、この振袖を着用するらしい。三人も女の子がいれば、誰かがどこかで使う機会もあり、無駄になることはあるまい。もう少し上質な仕事の品物を選んでやりたかったが、今のうちの経済状態では、これが精一杯である。
次回は、すでにある「枝垂桜の振袖」を使った、三女の卒業式姿をご紹介しよう。
長女とは、カラオケ屋で一緒に唄いまくり、次女には、麻雀を熱心に指南し、三女とは、ナンセンスギャグで盛り上がる。
家内に言わせれば、私は、「何一つ父親らしいふるまいをしない」そうです。そういえば、次女は在学中、男の子達と麻雀荘に度々通っていたらしく、卒業式でも「雀友」と、記念写真を取りまくっていました。
こんないい加減な親の下でも、それなりに育ってくれた娘達には、感謝しています。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。