バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

バイク呉服屋への指令(2) 母の個性的な振袖を、イメージアップせよ

2016.12 18

今、二十歳の娘を持つ母親の年齢を五十歳前後とすると、自分が成人式を迎えたのは、1986(昭和61)年頃。この時代は、バブル経済が膨張する直前であり、多くの人が株や不動産などに投資して資産を増やそうとする、いわゆる「財テク」のさきがけとも言える時代であった。

また、財テクをせずとも、銀行へ預金をしておくだけで、今では考えられないような金利が付いた。昭和61年~平成元年の定期預金の金利は、およそ6%。普通預金でさえ、0.5~1.5%である。

現在の定期金利は、もっとも高い静岡銀行で0、250%。大手の都市銀行は、押しなべて0、01%。昭和61年ならば、100万円を1年定期で預けると、6万円もの金利が付いたが、今は、たったの100円。この30年で、600分の1にまで落ち込んでしまった。

落ちこんだのは、呉服業界も同じである。この頃の市場規模は、約2兆円とも言われたが、現在は、2800億で約10分の1にまで縮んでいる。失われた20年とも言われる経済の低迷、さらに生活様式の変化や儀礼の簡素化などが相まって、右肩下がりで需要は落ち続けている。

 

こう考えてみると、母親が成人世代だった頃は、今よりずっと景気が良かったわけだが、そのせいもあって、自分の振袖を持っている方は多い。家計に少し余裕があれば、「娘に振袖を誂えてやりたい」と、当時の親が考えたのも、普通の成り行きであろう。

そしてそれは、多くの呉服屋が、振袖販売を商いの中心に据え始める、契機ともなる。カジュアルモノがほとんど売れなくなり、フォーマルに特化しなければ経営が苦しい。そんな時代背景の中で、振袖は、恰好の商材となった。これが、今に続いている、いわゆる「呉服屋の振袖屋化」の始まりとなったのである。

このように、求める消費者側と、売る店側、それぞれの事情が交錯した結果、この頃から、誰もが「成人式には振袖を着用して出席する」という、慣例のようなものが出来上がったと考えられる。実際に、この時代から、成人式への出席率が上がっている。

当時の親世代は、振袖を「レンタルするモノ」という意識よりも、「購入するモノ」と捉えていたことが、今の親が振袖を保有している一つの要因である。それにこの時代は、そもそも、レンタル業者そのものが少なかった。

 

バイク呉服屋が「振袖に関する仕事」として、もっとも多く承るのが、この「母親の振袖」を使って、着姿をリニューアルすることだ。多くの家庭では、親に購入してもらった自分の振袖を、大切に保管している。だから、まず、この品物を生かして使いたいと考えるのは、ごく自然なことである。

ただ、全ての品物を同じように使うのではなく、どこかに「新しい工夫」を凝らして自分の娘に着用させたい、と考える方も多い。

今日の稿は、そんなおかあさんから、「自分の時よりも、イメージアップした着姿になるようにして下さい」と、依頼された仕事をご紹介してみよう。これまた、私に大きな責任が伴う、お客様からの「重要な指令」である。

 

(白紺地片身替り 紅白梅模様振袖  黒地 松笹文様袋帯)

母の振袖をリニューアルして、雰囲気を変えるといっても、方法は様々だ。ほとんどの場合、キモノはそのまま使い、帯や小物類を新たに考えて、着姿を変えていく。時によれば、伊達衿と刺繍半衿だけを新しくして、後はそのままということもある。襟元を変えるだけで、かなり印象を変えられることも多い。

リニューアルの規模は、「以前の雰囲気をどれくらい残すか」によって、大きく違ってくる。出来るだけ、同じような印象を与えるようにするのであれば、衿や帯〆、帯揚げなどの小物類だけに止まるが、全く新たな着姿にしようとすれば、やはり帯を改めることが必要になってくる。

 

今回の仕事を依頼された方は、このブログを読んだことがきっかけで、初めてうちの店にやって来られた。同じ山梨県内だが、甲府からは少し離れた郡内地方(富士五湖周辺)にお住まいの方。わざわざ1時間ほど車を走らせて、来て頂いた。

お会いして、お話を伺うと、ご自分の使った振袖一式があるのだが、娘さんが使うのには、どうも帯がしっくりこないとのこと。ご自身が着用した時でも、納得がいかなかったようだ。また、振袖そのものが大胆で個性的な模様だから、自分の子には似合わないような気がする、とも話す。

いっそのこと、全部新しくすることも考えたいと言う。そして、以前このブログで紹介した、黒地の振袖と橙色の蝶文様の帯が、まだ残っているのかと問われた。お母さんは、このコーディネートに目が止まったことで、うちに来ようと考えたらしい。

 

初めて来られた時は、ご自分の振袖を持参されていなかったので、とにかく一度品物を見せて頂いた上で、どのような方向で考えるのか、改めて相談することになった。

コーディネートの稿で使った振袖と帯は、まだ在庫にある。気に入って頂いている品物があるにせよ、残されている振袖を見ないまま、新たな品物だけを奨めていくことは、どうにも釈然としない。帯や小物を工夫することで、イメージアップを図ることが出来るかもしれないからだ。

 

白と鮮やかな濃紺色で染め分けられた、いわゆる片身替りの振袖。

片身替り(かたみがわり)とは、本来、左右半身ずつ異なった生地で作られている品物のことである。背縫を中心とした左右の身頃、また両袖に、違う色あるいは文様を使う。この左右対称の意匠は、この振袖でも判るように、大胆で着映えがする特徴を持っている。すでに鎌倉期には、直垂(武家装束の一つ)にこの図案が見られ、桃山時代後期から江戸慶長年間にかけては、小袖や能衣装などに数多く使われ、大流行した。

地色も大胆だが、中の図案も梅ひと柄。裾から上に向かって、梅の古木が伸び、紅白の花を咲かせている。特に、模様の中心となる、上前のおくみと身頃に付けられている幹は太く、花も密集している。

片身替り地色で、模様も大胆な振袖ではあるが、決して悪い品物ではなく、むしろ個性的で、若々しさ、華々しさもある。今ならば、こんな特徴のある品物は、なかなか作らないだろう。このキモノの持つ良さを引き出す手段は、きっとあるはずだ。

 

お母さんが、この振袖に使った帯は、薄水色の少しおとなしめの品物だったらしい。私が考えるところ、この大胆なキモノの色と図案に、帯が埋没してしまったのではないだろうか。いわゆる「キモノに帯が負けてしまった」という状態である。

帯は、自ら主張しながら、よりキモノを生かして、着姿を引き締める役割を持つ。キモノと帯、両方が一体になることで、雰囲気というものが出てくる。どちらかが目立ちすぎると、バランスを崩して、キモノと帯それぞれが持つ本来の良さというものが、埋もれてしまう。

お母さんに言わせると、この振袖は、「演歌歌手の舞台衣装」みたいとのこと。おそらく、キモノの大胆さばかりが、強調されてしまった結果なのだろう。何とか、このイメージを変え、誰もが納得するような着姿にしてみたい。ここからが、バイク呉服屋の腕の見せ所である。

 

(黒地 大松笹文様・袋帯  梅垣織物)

これだけ迫力のある振袖を押さえ込めるとすれば、帯にも相応の迫力が必要となる。そして、片身替りに付けられている地色、白と紺のどちらにも映える帯地色となると、もう黒以外にはなかなか考えられない。

ただし、黒地なら何でも良い訳ではなく、やはり模様に大胆さが求められる。もちろん、格式を上げることも勘案しなければならず、古典的な文様の方が、ふさわしいだろう。キモノが、梅だけの文様なので、格を意識させるには、帯の図案は重要である。

その結果として行き着いたのが、この梅垣織物の松笹文。黒地ではあるが、金糸を基調にした、大松と大笹が帯地いっぱいに広がっている。大胆ながらも、古典のお手本とも言えるようなオーソドックスな図案。

この帯姿ならば、決してキモノには埋没しない。片身替りの地色など、簡単に押さえ込んでしまうほどの、強い主張のある帯である。そして、帯に使ってある模様が、松と笹だけというのも、これを選ぶ大きなポイントになった。

振袖が梅、帯が松と笹(竹の葉)。双方を合わせると、「松竹梅文様」になる。つまり、梅文様だけというキモノ図案の特徴を生かし、それを帯の模様にリンクさせたことになる。なかなか、松と笹だけの帯図案というのも珍しく、偶然の産物だが、うまく当てはまったものだ。松竹梅文様は、もっとも日本的な吉祥文様の一つ。着姿の格を上げるには、ふさわしい古典文様である。

 

前の帯合わせ。こうしてみると、白と紺に分けられた地色が、より引き立つような気がする。むしろ、片身替りで良かったのかもしれない。写実的に描かれた紅白梅の花びらと、帯の中の松と笹竹が、バランスよく映っている。大胆なキモノ図案を、この帯が完全に抑えているように思う。

帯が決まったところで、小物合わせに移る。小物の基調となる色を迷うことは、ほとんどない。この振袖の若々しさを印象付けている、紅梅の紅色以外には考えられない。

 

(紅色絞り帯揚げ・同色帯〆・同色伊達衿 すべて加藤萬)

紅梅と帯の松葉の一部に配されている、鮮やかな紅赤。この色が、全体の雰囲気を作る「鍵」になっている色。

伊達衿にも、帯〆・帯揚げと同じ色を使うことで、着姿全体を統一したように印象付けることが出来る。

(紅色 大梅模様 飛び絞り長襦袢・菱一 白地梅小花 刺繍衿・加藤萬)

どうせなら、長襦袢や刺繍衿も「梅」でまとめてしまおう。襦袢も、おとなしいピンク地よりも、鮮やかな梅花色の方が似合う。しかも白抜きの絞りが、かわいい図案だ。刺繍衿も、梅のような、あるいは桜のようにも見える花が、彩り良く図案化してある。

 

30年の時を経て、新しく生まれ変わった一枚の振袖。もう、決して「演歌歌手の舞台衣装」には見えず、重厚な古典の中に、若々しさがあり、とても個性的な、二十歳の第一礼装にふさわしいひと組である。

店に相談に来る時は、お母さんだけでなく、必ずお父さんも一緒にいらした。このコーディネートは、お二人に満足して頂けるものになったようだ。何とか、今回も「無事任務を果たすこと」が出来た。

娘さんは、学業が多忙のため、全てをご両親にお任せされている。お母さんは、娘さんの写真を持参され、私に彼女の性格や雰囲気を伝えられた。少し小柄だが、素直で清楚な、優しい顔立ちのお嬢さんである。着用するのは、再来年の1月。来春、採寸する時にお会いするのが楽しみだ。

なお、ブログの稿として、品物を使うことを快く理解して頂いたAさま、ご協力を感謝致します。

 

ご覧になった皆様は、バイク呉服屋が果たした「今回の任務」を、どのようにお感じになっただろうか。持っている品物を使い、多様に着姿を工夫する。これは、振袖に限ったことではなく、どんなモノでも同じことだ。

成功のカギは、依頼されるお客様の意向を尊重し、それに見合う品物を提案すること。やはり、お客様から「よく話を伺うこと」が、大切になる。信頼を頂き、今日のような商いをさせてもらえることは、まさに呉服屋冥利に尽きると、私は思う。

 

私が、この仕事に就いて30年。その間呉服業界は、ずっと低迷してきました。けれども、活況を呈していた昔のように、右から左へすぐに品物が動いていくことが無いからこそ、丁寧に仕事を続けることが出来たとも、言えましょう。

一人一人のお客様、一点一点の品物にゆっくり向き合う。これは悪いことではありません。効率や利潤を求める以前として、何よりも納得を頂ける商いにすること。これより大切なことは、見つかりません。

バイク呉服屋は、やはり「スローワーク」が基本になる、ということですね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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