バイク呉服屋の忙しい日々

出張ひとりメシ

立ち食いきしめんで、秒殺昼飯  日本橋・人形町

2015.07 15

人形町界隈を歩くようになって、何年経つだろうか。昭和の終わる頃からだから、もう30年に近くなる。

人形町通り沿いの商店街の佇まいは、あまり変わらないようにも見える。これは見慣れているせいもあるだろう。久しぶりに訪ねた人には、変容ぶりがわかるが、月に何回も歩いていれば、あまり気が付かない。

そうは言っても、マンションは確実に増えた。いや、今も増え続けている。うちと取引のあった問屋やメーカーの跡地は、ほとんどがマンションになり変わっている。

この街に来るようになってから、呉服業界は下降の一途を辿った。倒産・廃業・異業種への転換が相次ぎ、今や「絶滅危惧業種」との声も聞かれる。縮まりゆく業界の中で、何とか仕事が続けられてきたのは、自分の力などではなく、ただ運が良かっただけだ。

 

父や祖父からは、この業界の派手な接待の話をしばしば聞いていた。食事、土産、宴席など、それこそ当時の一流と呼ばれていた店や品々を、惜しげもなく使っていたらしい。昼間にちょっと問屋へ寄っただけで、老舗の鰻屋や鮨屋へ案内される。夜ともなれば、料亭で接待を受ける。いかに値段の張る品を扱っていたとしても、過剰であった。

もちろん、私の代になってからは、無縁なことだ。たまに、昼飯時に「そばでもどうですか」などと誘われることがあるが、お断りしている。取引先の人間とメシを食べるのは好きではないからだ。仕事の話なら、社内だけで十分事足りる。やはりメシは一人に限るのだ。

という訳で、二回目の出張ひとりメシの稿を書く。今回は、あっという間に食べ尽くす昼飯、すなわち秒殺メシの代表格である、立ち食いきしめんの店をご紹介しよう。

 

(かき揚げとおでん玉子入り・大盛りきしめん 690円 人形町・寿々木屋)

人形町という町の名前は、江戸期にこの界隈で生まれた芝居小屋と関わりがある。1624(寛永元)年、というから幕府開府の直後ということになるが、京都の猿若勘三郎と大阪・堺の村山又三郎が、現在の人形町界隈に相次いで芝居小屋を建てた。

後に、中村座と市村座という小屋になるのだが、これが江戸歌舞伎の始まりであった。次いで、大小様々な芝居小屋が立ち並び、江戸庶民にとって娯楽を楽しむ町に変わっていく。その中でも特に庶民に人気があったのが、人形芝居だった。

その賑わいとともに、この町には人形関係の仕事に就くものが移り住み始める。芝居小屋で人形を操る人形師はもとより、人形を作る者、修理する者などである。そして、羽子板や雛人形を売る市が立った。この頃は「人形丁」という名で呼ばれていたが、昭和初期の町制整理により、現在の「人形町」に定着したのである。

江戸通りからみた人形町交差点。ここから南へ下った新大橋通りまでが人形町のメインストリート。

さらに、この街は遊郭・吉原のあった場所として知られている。江戸初期の慶長年間から、今の人形町通りの東側には、ずらりと遊郭が立ち並んでいた。現在でも吉原の入り口・大門に通じる道だった通りは、「大門通り」という名前が付けられていて、その名残が残っている。吉原は、1657(明暦3)年の振袖火事・明暦の大火で焼失し、浅草寺の裏手に移転してしまったが、それまでは江戸男性の欲望を果たす街でもあったのだ。

吉原の焼失、さらには天保年間の芝居小屋の移転などで、賑わいが薄れかけた人形町だったが、明治初年になるとお茶屋が立ち並び、芸妓が行き交う艶やかな花街として知られるようになる。芸妓たちは、現在の人形町通りの両側にあたる旧「芳町」の名前をとり、芳町芸者と呼ばれていた。

うちの洗張り職人、太田屋・加藤くんの仕事場も、甘酒横丁を入った人形町2丁目・旧芳町にある。太田屋さんの初代は、芸妓達のキモノの手入れを請け負うために、この地に開業したのである。(一昨年の5・6月に太田屋さんを紹介した稿があるので、ご覧頂きたい)

人形町は、江戸開府より500年の間、娯楽の町・歓楽街としての役割を担ってきた。今でもこの街に、江戸情緒や江戸の粋が感じられるのは、このような歴史があるからなのだ。

 

立ち食いきしめんの店「寿々木屋」さんは、上の画像の人形町交差点から東へ50m。歩いて10秒ほどの所にある。大通りに面した1Fで大変わかりやすい場所。画像ではわからないが、店の奥にはもう一つ入り口があり、裏の路地からも入れる。

 

私は家で食事をする度に、家内から「よく噛んで食べて下さい」などと、まるで幼児を嗜めるようにお小言をくらう。一切アルコール類を受け付けない体質なので、夕餉に費やす時間は驚くほど短い。食べ始めてから15分もあれば、こと足りる。その上、出されたものを残すことが嫌いなので、うちでは残飯というものが出ない。

一気呵成に喰い込む姿を見て、「ダイソンの掃除機じゃないんだから」と呆れたように言う。結婚生活28年、判で押したような食事風景である。彼女から見たら、私は「食べている」のではなく「飲んでいる」ように見えるのだろう。だから米も副菜も「食べ物」ではなく、「飲み物」ということになる。

 

出張の時の昼飯は、時間が不定期であり、通常の12時台に食べるようなことはほぼない。そして私としても短時間のうちに、それぞれの取引先への要件を済ませて帰りたい。出張する日は店を閉めている、いわば休日だからである。そこで「手っ取り早くて簡単に」というのが基本になる。そうなるとごく自然に「立ち喰い」=「そば・うどん類」という図式が成り立つ。

立ち喰いそばのチェーン店は、この界隈にも沢山ある。「小諸そば」や「富士そば」もよく使わせてもらう。ただ「きしめん」の立ち喰いというのは東京ではかなりめずらしいと思う。この店に通い始めてから、もう15年は経つだろう。最初は、「きしめん」というもの珍しさから入った店だが、そばやうどんにない、独特ののどごしとあっさりした出汁に惹かれて、つい足が向いてしまう。

 

画像でわかるように、座席は、通りに面してカウンターが5席。奥に立ち喰い用の小さなテーブルがある。この手の店は、券売機があるのが普通なのだが、ここは調理場の横にお姉さんがいて、注文を聞いてくれる。

メニューに「そば」もあるのだが、ほとんどの客が「きしめん」を注文する。調理場の前には、揚げ物が並べられていて、そこからトッピングするものを選ぶ方式になっている。ここは、揚げ物を追加して揚げることがないので、遅い時間だと売り切れ品が続出している。おにぎりや稲荷寿司も置いているが、個数に限りがあり、これも無くなっていることがよくある。

きしめんは380円。トッピングは、かき揚げ130円、ナス、カボチャ、椎茸、舞茸、さつま芋、ちくわが70円、ピーマン80円、いか天170円、えび天270円。いかとえびは少し高いが、野菜天はどれも安い。

 

この日選んだトッピングは、かき揚げとおでん玉子(80円)。大好物の煮玉子を常備しているのも嬉しいところ。かき揚げはたまねぎと小エビで少し塩気がある。

画像でわかるように、汁が澄んでいる。その味は、江戸前のそば、うどんのように濃厚ではなく、実にあっさりとしている。きしめんの出汁は、ムロアジから取られているが、これが、平打ちのピラピラしたきしめんの麺によく馴染んでいる。

食べる前に、かき揚げをバラバラに崩して丼の中に散乱させるのが、バイク呉服屋流の喰い方。「ヨーイ・ドン」と腹の中で号砲を鳴らし、一気に喰い込む。食べるのではなく、まさしく飲み込むのだ。麺を3回啜ったら、汁を一口、この作業を十数回繰り返して、あっと言う間に終わりに近づく。煮玉子は最後まで温存し、残った汁に浸しながら頬張る。ささやかな幸せを感じる瞬間である。

 

「汁の一滴、血の一滴」。何も残さず、本日も完食。この間120秒、まさに秒殺昼飯。冷水を一気飲みして終了。「ふぅ~」と大きく息を吐き出してから店を出る。

 

夏になると、「冷やしきしめん」を注文する客が目立つが、やはりこの出汁の味わいは捨てがたい。だから大汗をかいても熱いきしめんを注文してしまう。全力で食べて外へ出ると、灼熱の夏の太陽にさらされる。私はかなりの汗かきなので、「ぶつかり稽古を終えた後の相撲取り」のような状態になるが、熱い時に熱いものを食べて汗を流すというのは、逆に爽快感のようなものがある。これは日中にバイクで仕事をして汗を出すことと、どこか共通する感覚なのかも知れない。

寿々木屋さんの創業は1949(昭和24)年というから、かなりの老舗である。この人形町の地で店を構えたのが、1965(昭和40)年。東京オリンピックの翌年ということになる。数年前までは、東日本橋にも同様の店があり、私はそこにも結構通っていた。

東日本橋の店は親父さん、人形町の店は息子さんと別々に商いをしていたのだが、親父さんが体調を崩して店を閉めてしまったようだ。だが、息子さんはこの味を忠実に守り、人形町を行き交う働く人の腹を満たしてくれる。いつまでも今のまま、店を続けて欲しい。

寿々木屋さん。本当にごちそうさまでした。

 

早食いの習慣というものは、どうしても変えることが出来ません。健康には良くないと、わかってはいるのですが、ゆっくり食べると食べた気がしないのです。

ただ食べ終えても、家内が食べ終わるまでは食卓を離れたりはしません。必ず待っています。こう書けば、思いやりがあるように見えるかも知れませんが、うちでは一緒に後片付けをするのが決まりになっているので、その便宜上で、ということですね。

 

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

(寿々木屋さんの案内)

定休日 土・日・祭日  営業時間 午前10時30分~午後7時

最寄駅 地下鉄日比谷線・人形町駅 A4出口から50mほど 徒歩1分以内

 

 

日付から

  • 総訪問者数:1777464
  • 本日の訪問者数:91
  • 昨日の訪問者数:344

このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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