バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

縁を繋ぐ文様 結び文と熨斗文

2014.06 01

今日から6月。日本の旧暦では水無月(みなづき)で、田に水が無くなる(或いは田に水を必要とする)季節と由来されている。この呼称は旧暦に基づくものなので、新暦の6月の気候とは約ひと月のズレがある。今年の旧暦6月1日は、6月28日にあたる。

日本の6月は、梅雨入りの季節であり、すこしうっとうしいような日が続くが、ヨーロッパの気候は爽やかで、すごしやすい。その昔、ヨーロッパの農村では、3~5月に結婚することが禁じられている時代があり、6月に結婚式を挙げることが多かったという。

そして、6月は英語で「June」。ローマ神話の主神ユーピテル(ジュピター)とその妻ユノ(ジュノー)にちなんで名付けられたこの季節に、結婚するカップルが幸せになれるという「Jnne Bride 6月の花嫁」の慣わしは、そんなヨーロッパの気候ともあいまっているのであろう。

もちろん、ローマ神話において、最高位の女神とされているユノが、juno jyga(結びのユノ)とか、juno lucina(出産のユノ)と呼ばれており、女性の結婚生活を守る神とされていたことを、「June Bride」伝説の裏づけと考えられている。

そんな訳で、今では「イザナギ・イザナミ夫婦が作った神国日本」でも、「ユーピテル・ユノ夫婦のローマ神話」に習い、多くのカップルが水無月にゴールインしている。

 

「結婚」が、「人と人とが縁を繋ぐ」最大の契機であることは、言うまでも無い。日本では法的に「婚姻届」を出さなければ、「正式な夫婦」と認められていないが、ヨーロッパなどは「事実婚」が幅広く社会で認められており、そこで生まれた子どもが「私生児」などでも、法的に差別なく国の保証が受けられている。フランスなどは、この制度が定着して以来、出生率が飛躍的に上っている。

「少子化」が、国の基幹を揺るがす大きな問題になっている日本において、「男女の結びつき」というものが、「家制度」のような形式に捉われ続けているうちは、好転することはあり得まい。

男女が出会って、そこに「縁(えにし)」が生まれるということだけを、単純に尊重すればよい。それを社会全体が認め、国が認めないようでは、大きな変革は生まれず、いつまでも硬直化したままであろう。

つまらない話にまたそれたが、今日は「繋ぎ文様」ともいえる「結び文」と「熨斗文」をご紹介しよう。

 

(束ね小熨斗結び・観世流水文様 江戸友禅黒留袖 北秀)

祝い事や、祝い金などを包む包装紙、祝儀袋に必ず添えられている飾りが「熨斗(のし)」であることは誰もがご存知であろう。この現代に繋がる儀礼的飾りは、古来から使われてきた、「鮑」という貴重な「縁起物」を簡略化したものである。

鮑は今でも高価な海産物である。山梨県には、「鮑の煮貝」という高級特産品もある。昔から、「海のない国」だった甲斐の国は、海産物を隣国の駿河(静岡県)に頼っていた。しかし、「冷凍技術」のない昔では、「新鮮」なまま運べるはずもなく、現地で保存加工したあと送られていたのだ。

鮑は、醤油漬けにされ、何日もかかって駿河から甲斐へ運ばれた。その間の時間で、醤油が鮑に程よく染みこみ、絶妙な味わいとなった。これが、今に続く「鮑の煮貝」の始まりである。海のない県山梨で、海産物の鮑が特産品とは、真に不思議な話だが、こういう経緯である。ただ、山梨県人には、「煮貝」は「贈答品」という位置づけになっていて、日常の中で食べる機会はほとんどない。

また、話が外れたが、「鮑」そのものは、奈良期には、長寿をもたらす縁起物として、すでに尊重され、「熨斗鮑(のしあわび)として、朝廷に献上されていた記述が残されている。後に、高級な進物として、位置づけられることに繋がる。

そして、「慶事」に使う飾りとして、「鮑」が用いられる。「熨斗」というのは、鮑の肉を薄く長くスライスし、筋状に引き伸ばした上乾燥させたもののことだ。最初は祝い事や儀式の酒肴として使われたが、後に、祝い事の進物になり、そして簡略されて「飾り」となった。

 

めでたい飾りの「熨斗」は、江戸時代には意匠化され、キモノや帯の文様として使われるようになる。「めでたい文様」なので、「めでたい席」に使われる「吉祥文様」ということになる。よく用いられたのは小袖や振袖などである。

上の画像の品は、「束ねられた熨斗」なのだが、どれも小さく結ばれ連ねられている。これを見ると、「熨斗文」であり、「結び文」でもあるようだ。

「結び文」というものを考えてみると、「結んである状態」の品物を文様上に表してあるもの、という位置づけが出来、その意味では「束ね熨斗文様」も「結び文様」の範疇に入ると思われる。ただし、図案の中で占める大きさや印象で、この「熨斗文様」の雰囲気は大分異なる。その違いは、次ぎにご紹介する品物とで比較をして頂くとよくわかる。

「熨斗鮑」に見立てた一条一条の重ねの中に、様々な「吉祥文様」が施されている。熨斗の周りは金の駒刺繍で縁取りされており、中の文様は「宝尽し文様」。「宝尽くし」であしらわれる文物は、「七宝・分銅・宝珠・打出の小槌・巾着・筒守・隠れ蓑・隠れ笠」。

上の熨斗文は「二種類の青海波と花弁」、下は「七宝」。熨斗の何条かは、「型の疋田」で形作られている。

「おめでたい席」に使われる黒留袖だから、この「吉祥文」同士を組み合わせることで、なお生きてくるように思う。「人と人が結び合う」結婚、という儀式にふさわしい「結び文様・束ね熨斗文様」と言うことができる。

今は無き北秀商事の作る図案は、古典文様の組み合わせなのだが、斬新でモダンなイメージを持つ柄行きの品物が多かった。この品物も、「束ね熨斗」を小さく幾つも重ね、その中になお様々な文様が付けられている。これを散りばめることで、「黒」という地場も生きてきて、なお印象的な柄行きになっているのだ。

全体は、こんな感じである。最後にもう一度どうぞ。

 

もう一つ、「熨斗文」を用いた品物を紹介しよう。先にも述べたが「同じ文様」でも印象が違う。

(黒地 熨斗文に四季花・花の丸文様 型友禅振袖 千總)

千總の型友禅の振袖は、高島屋や伊勢丹など主に百貨店での扱いが多い。ごく一部は、本格的手描き友禅も作られてはいるが、数は少なく、価格もかなりのものだ。普及品は、典型的な古典文様を幾つか組み合わせ、型を用いて作られている。百貨店扱いが主流なだけに、「同じ型」を使って、ある一定量が生産されることになる。柄行きそのものは、「古典」を意識しているのだが、「北秀」の意匠に比べると、少し斬新さに欠ける。同じ「型友禅」であっても、作る絶対量が、千總と北秀では違う。市場に出回る商品の量的な差で、一般向け図案を作るのか、斬新さを追求するのかが決まるのだ。ただ、そうは言ってもこのような千總の品は、価格的に廉価で「オーソドックスな古典柄」を求める方には、「安心して使える品」であり、目に留まりやすいものであろう。

品物の図案の中で「熨斗文」が使われているのは、柄の中心となる上前おくみ、身頃にかけてと、左前袖。

四季の花に埋まるような形で付けられた「熨斗文」。この品物と同じように、大体の場合、「構成する柄の一部」として、「熨斗文」が使われることが多い。前の黒留袖のように、「熨斗文」だけで作られる図案は大変めずらしい。同じ文様を使っていても、雰囲気は異なる。こちらの振袖では、「結び文」として意識されることはないように感じる。それだけ、この図案の中での「熨斗文」の存在感が薄いということになろうか。

こちらも最後に全体像をどうぞ。

 

文様というものは、同じものを使っても、品物の図案の中で、どれだけの位置を占めるかということで、印象が違う。振袖によっては、大胆に「熨斗文」を使い、この文様そのものを、着る人に意識させるような品物がある。柄の一部として使うのか、メインの図案として使うのか、「文様」というものが、一枚のキモノの中でどのような役割を果たしているかということが、品物を見る上、また選ぶ上では大切なのだと思う。

 

「結び文様」の代表的なものに、「結文文(むすびふみもん)」があります。これは、和紙に書いた手紙を細く折って「千代結び」にした形のものを、文様として表現しています。平安時代の貴族の恋文などは、「小さく結わえられ」渡されていました。どんな結び方かと言えば、神社で引いたおみくじを木などに結わえられるあの形、を想像して頂くとよいでしょう。

「封筒」というものがなかった時代、小さく折り曲げられ、簡潔に折られた中には、様々な「想い」が込められていたのです。そんな「奥ゆかしさ」も、この「結び文様」に見ることが出来ましょう。

 

人と人が手紙をやり取りするということが、本当に少なくなりました。「メール」ではなく、自分の手で書き記した「文(ふみ)」は、その時の感情や気持ちがそのまま「字体」に表れていて、その文字の乱れや震えで、相手の本心を知り得ることも出来たような気がします。

男女の縁を繋ぐ「道具」として手紙の存在が、無くなりかけている現代では、「相手の気持ちを汲み取る」ということも、同時に薄らいで来ているのではないでしょうか。

 

このところ、ブログを書く時間が取りにくくなっています。すこし忙しくなると、どうしてもシワ寄せが来ます。「バイクでの外仕事」が増える(つまりお客様からの依頼事が増えること)と、夜遅くになってから稿を書かなくてはならず、仕事場での拘束時間も長くなります。

「残業代は出さない」という法律を国が作るらしいですが、もともと何も支払われていない、「バイク呉服屋」は、「ブラック企業」ならぬ「ブラック家業」ということになるでしょう。そんな訳で、更新の間隔が少し開くかもしれませんが、これまで同様、よろしくお付き合い下さい。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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