バイク呉服屋の忙しい日々

むかしたび(昭和レトロトリップ)

『北の駅』に思いを馳せる 十勝三股・添牛内・湖畔・抜海・緑

2014.11 23

「健さん」が亡くなった。ものを言わずとも、これほど存在感のある俳優はもう現れないように思う。「背中で語れる男」であり、その背筋はいつも「すっと」伸びていた。

「死んでもらいます」が決めセリフだった、「網走番外地」や「昭和残侠伝」といった「東映任侠映画」の主役だった頃の作品は見ていない。記憶にあるのは、「幸せの黄色いハンカチ」からだ。「駅」・「八甲田山」・「南極物語」・「鉄道員」・「あなたへ」などその代表作はほとんど見ている。

特に、降旗康男監督の作品では、「酷寒」の中で毅然と佇む姿が印象に残る。そのどれもが、寡黙な男の強さと優しさを感じさせてくれる。誰も真似できない格好良さだ。

 

以前、この「むかしたび」の稿で、「駅・station」の舞台になった「雄冬(おふゆ)」についてお話させて頂いた。この作品では、「銭函(ぜにばこ)駅」で妻と別れる場面や、「増毛(ましけ)駅」で終列車に乗り込むラストシーンなど、いずれも雪が降り続く小駅が描かれている。後の「鉄道員・ぽっぽや」もそうだが、「健さん」ほど冬の北海道の駅が似合う人はいないだろう。

そんな訳で、「呉服屋の話」から離れて、急に「北海道の小駅」の話をしてみたくなった。今日は、JRがまだ国鉄だった頃の、雪と駅の佇まいを見て頂こう。

 

(士幌線・十勝三股 1987年12月廃線 1981年2月撮影)

最初の「むかしたび」でご紹介した十勝三股。(昨年6・16「風が聞こえる静寂」の稿)画像を載せていなかったので、ここでお目にかけよう。そこには、自然に戻りつつあった駅の姿が残っている。

「腕木式信号機」や「貯水タンク」などが残る駅構内。広い敷地は、貨車による木材輸送が行われていたことを偲ばせる。

駅のホーム。右手の建物は駅舎。現在、この画像のような駅の遺構は何も残っていない。駅の周辺には「ルピナス」の花が群生していて、7月には紫色の花を付ける。以前ここに住んでいた方が植えた「外来種の花」が、自然に増殖したものだ。人々は去り、「花」だけがこの地に残された。

旧三股小学校へ向かう高台からみた町。家や製材所の建物が点在しているが、誰も住んではいない。現在は撤去され、原野に戻っている。

上は三股盆地を見下ろせる坂の上からみた「石狩岳」に続く東大雪山系の山々。私を「立ち尽くさせた」美しい風景はこれである。下は「三股小学校」の跡地から見た「ピリベツ岳とクマネシリ岳」、通称「オッパイ山」。「乳房の形」のような二つの連なりがよくわかる。

三股の魅力は、「あるがまま」ということに尽きる。かつては鉄道があり、林業の町として、多くの人が生活していた。しかし、その時代が過ぎて、消えてゆく人の痕跡を残さず、原野に戻る。時の流れとともに、自然に帰っていく姿を、そのまま見せていること、それが心に響くのだろう。もちろん、三股を取り巻く風景がこの上なく美しいことは、言うまでもない。

 

(深名線・添牛内 1995年9月廃線 1980年1月撮影)

深名線というのは、道北の名寄と、空知の深川を結ぶ路線で、経路のほとんどが「幌加内(ほろかない)」という町で占められていた。

幌加内町の面積は767k㎡というから、大阪府の約4割という広大さである。しかし、その気候は「峻厳」であり、冬の厳しさは、北海道の中でも抜き出ている。とくに町の北部の朱鞠内(しゅまりない)や母子里(もしり)では、「恐ろしいほど雪が降り、寒い」のだ。

朝の添牛内。鉄道と並行する国道が見えるが、「スケートリンク」のように凍り付いている。

幌加内町の平均気温は、1月が-9℃、2月が-15℃である。「朝の気温」ではなく、一日の平均気温がこれだから驚かされる。私は、頻繁に町の北部にある「朱鞠内」に行っていた時期があったが、家の中で「ダイヤモンドダスト」を見たことがあった。これは、水分が昇華して出来る氷の結晶が、日光で輝くことにより美しく光る現象で、氷点下10℃以下の晴れた日に見られる。

普通は「屋外」で見られるものが、「家の廊下」で見られる。すなわち家の中が-10℃以下だったことがわかる。過ごしていた家が、離農した農家の古い家だったので、当然起こり得る現象だった。また、「冷蔵庫」を「逆」に使っていた。普通は「凍らせたり、冷やしたり」する道具なのだが、家の中で冷蔵庫が一番暖かいのだ。だから「凍らせてはいけないもの」が仕舞われる。もし、部屋に置いておこうものなら、次の朝には何でも全部凍る。

雪の量も半端ではない。今年の2月に甲府でも1m20cmの雪が降ったが、朱鞠内のことを考えれば、何でもない量である。上の画像の駅「添牛内」は、朱鞠内の隣の駅だが、ご覧のような「駅名標」の姿である。積雪は3m以上。標識どころか、駅舎も雪に埋もれている。幌加内町の年間平均降雪量は13m以上にも及ぶ。

画像でわかるように、「駅の除雪」がされていない。これはすでに駅の利用者がいなかったことを表している。深名線沿線の主産業はやはり林業であり、すでにこの当時人口流出が激しかった。つまり「集落ごと」人がいなくなるような地区があり、それが「駅」はあっても「人」がいないという状況を生み出した。1980年の幌加内町の人口は、3739人。現在は1659人にまで減少している。1k㎡あたりの人口はわずか2.13人。日本一「人口密度」の低い町である。

朱鞠内駅の北隣駅(仮乗降場)の「湖畔」駅と深名線のディーゼル列車。

「乗降場」というのは、正式な駅ではないので、交通公社の時刻表などには掲載されていない。北海道内で売られている「道内時刻表」には記載されているが、簡単に言えば、地元の住民に便宜を図るために作られている「乗り場」である。

「湖畔」という駅名は、戦前に電源開発のために作られた「雨竜ダム」の人造湖である「朱鞠内湖」の「畔」という意味である。「湖」なので、観光資源として使えそうな気がするが、ほとんど知られていない。夏でも訪れる人はわずかで、冬になれば「誰もいない」。周囲を森に囲まれ、木立が湖の水の中に林立する風景は美しい。ここにも、人知れず手付かずの風景が残されている。

家路を辿るおばあさん。雪に囲まれていてどこが道なのかわからない。朱鞠内で。

深名線は、北海道のローカル線の中で、一番最後に廃止された路線である。集落が消え、人口密度がもっとも低いような所が、なぜ残り続けたのか。それは、「道」に問題があったからだ。朱鞠内から名寄までの北部区間は、鉄道に代わる「道路」そのものが整備されず、深川までの南部区間でも並走する国道が一度の吹雪で不通になる。皮肉なことに、厳しすぎる自然条件が、鉄道の寿命を長くさせた。

 

あと二つ、駅の画像だけをお目にかけよう。

(宗谷本線 抜海 1982年2月)

(釧網本線 緑 1981年2月)

上の抜海(ばっかい)は、稚内の二つ手前の小駅。周囲は何もなく、原野の中にポツンと佇んでいる。抜海海岸から利尻富士を見るために降り立った駅。海まで2kほどだが、このあと吹雪になり難儀した記憶がある。

下の緑(みどり)は、釧路と網走を結ぶ「釧網本線(せんもうほんせん)」の中間あたりに位置する、山間の小駅。若い頃働いていた「ウトロ」の町へ行くためには、釧路または網走からこの路線を使い、「斜里(しゃり)」で下りる。「緑駅」は、斜里町の隣町の「清里町(きよさとちょう)」にある字名から取られたもの。

釧路14:00発の網走行き普通列車は、緑駅で上り、下り双方の列車の「行き違い」をする。もとより「単線」なので、駅で「列車交換」するほかない。ディーゼル機関車に引かれた3両編成の古びた客車が、見えている。夕闇せまる駅のホームが美しい。

 

今日お話した五つの駅は、いずれも観光地とは無縁な小さな駅ばかりで、すでに廃線となり、その姿を見ることはできない場所もある。昭和末期の国鉄分割民営化に伴う、赤字路線の廃止で、北海道の鉄道は寂しくなった。

私は「鉄道マニア」ではないので、「乗ること」や「車両」などにはほとんど興味がない。ただ、「日常の足」である鉄道や、地域の中心である「駅」が、その土地の「生活」とどのように関わっていたのか、知りたいと思っていた。ご紹介した画像は、30年ほど前のものばかりだが、駅を通して、その土地に思いを馳せて頂ければ、嬉しい。

 

先月親しくさせて頂いている、十勝三股の田中さんから、ジャガイモとカボチャが届きました。田中さんの奥さんからは、「早く仕事にキリをつけて、こっちに来れば」と、誘われます。

三股の風景が、いつも自分の心のどこかにあることを、見抜かれているのでしょう。

 

次回からは、「呉服屋」に戻ってまた話を進めていきます。今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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