バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

桜の意匠をどのように捉えるか  春限定か、あるいは通年使えるのか

2021.03 21

「和の装いとして、最も贅沢なことは」と問われれば、それは、職人が手を尽くした高価な品物をまとうことではなく、着用する場面ごとに、品物を沢山用意することでもない。それぞれの季節に相応しい姿を、キモノや帯、そして小物も含めたコーディネートで演出すること。どう考えても、これに勝る贅沢はあるまい。

吉祥な文様は新たな年の始まりを表し、明るいパステル色は春の気配を伺わせ、水や空を感じる図案は涼やかな夏姿を、色づく草木のあしらいは、秋の深まりを演出する。

この国の民俗衣装・和装の最も大きな特徴は、季節ごとに使う素材が変わり、そこで表現される色や文様も、その都度変わっていくこと。日本人は、微妙な四季のうつろいを敏感に感じ取り、その美しさを慈しむ繊細な心を持つ。これがキモノや帯の色や文様となって、具現化されているのだ。

 

文様では、季節ごとに登場するモチーフが変わり、そのほとんどが、植物や動物、自然現象など、人々の身の回りにあるもので構成されている。そのことを考えた時に、旬を装うことが即ち、和の佇まいとなるのだろう。

そして、季節ごとにまとめられたモチーフは、時として融合して、一つの文様を形成する。例えば、梅や桜の春花と、菊や楓の秋花、さらに松や牡丹なども加えた、四季花オンパレードのような文様も良く見られる。また、決まった花だけを使う四君子文や松竹梅文などは、おめでたい吉祥文として扱われ、水辺や流水などの定型化した風景の中には、特定の花の姿があり、網干文や御所解文と別途の文様名も付いている。

 

多種多様な文様の中で、最も旬が前に出るのは、やはり季節性の高い植物を単独で使う場合だろう。梅だけの図案、菊だけの図案となれば、誰もが即座に春と秋を想起する。

特に春の植物は、花ごとに微妙に時期がずれて、装う旬に違いがある。梅や福寿草は早春、桜や藤なら春の盛り、そして桐とか葵は晩春から初夏をイメージする。この花々が単独で意匠化されている場合は、単に春と言っても、旬の時期が異なる。

 

さてこの春花の中で、桜だけは特別な存在のように思える。間違いなく春を代表する花だが、同時に国を代表する花でもあり、日本人が最も愛する花でもある。そんな「国民的な花」だけに、キモノにも帯にも、桜だけであしらわれている意匠が、他の植物文に比べてかなり散見される。

だが悩ましいのは、「桜の季節」があまりにも短いことだ。蕾が膨らみだしてから花が咲いて散るまで、せいぜい三週間余り。この間が、桜を装う旬となる。だがこの短さは、桜を春の象徴と考えるからであり、日本の国花と見れば、また使い道が変わってくるようにも思える。誰もが愛しむ桜の文様を、どのように捉え、どのように使うべきなのか。今日は、そのことを少し考えてみたい。

 

贅を尽くして演出されたフォーマルな桜の姿。(友禅訪問着・菱一 金引箔帯・紫紘)

以前にも書いたが、桜を春の代表花、そして国を代表する「国花」と位置づけるようになったのは、平安京遷都から半世紀ほど経った9世紀半ば・仁明天皇の頃と考えられる。和歌の題材にしても、それまで花と言えば梅だったものを、桜がとって代わった。

ということから、桜の文様を衣装のあしらいとして使うようになったのも、国風文化が勃興した平安期以降のことである。桜文は、一本の木に花が咲き誇る姿をそのまま意匠とするだけでなく、枝に咲く花姿を切り取って描いたり、川に花が散り落ちる姿を、筏や流水と組み合わせて映したりと、趣のある場面を様々に設定しながら、図案とした。

そして、桜の種類や咲いている花の状態により、文様は形を変える。花には八重桜・枝垂桜・散桜・枝桜・葉桜など様々な形状があり、色目にも、桜鼠や墨染桜、灰桜などの名前がある。キモノや帯に見える豊かな桜の表現は、こうして作り上げられてきた。

源氏物語絵巻「竹河」の一場面を題材とした紫紘の帯。帯名は、春艶。

源氏物語絵巻や春日権現験記を始めとする中世絵巻物には、桜の姿や桜文様の衣装をまとった女性を描かれているが、以後今に至るまで、小袖や能装束、歌舞伎衣装などあらゆる分野の衣装デザインとして、桜文様は使われ続けてきた。

そして色の観点から見ても、淡く薄い紅色を「桜色」としたのは平安時代から。貴族たちは、花の盛りに「花見の宴」を開くようになると、透明な白絹に蘇芳や紅花で染めた赤の裏地を重ね、淡い桜の色を演出する「桜襲(さくらかさね)の直衣」をまとうようになったのである。

 

桜花散し小紋・流水に桜花の丸名古屋帯・桜に鎧文様袋帯 桜散し帯揚げ・桜色帯〆 今日は「桜尽くし」のウインド。

1300年も前から、特別な意識を持って意匠化されてきた桜。もちろん現在、キモノや帯の製作に携わっている人たちにとっても、多くの日本人同様にこの花には特別な思い入れがあり、「どうしても使いたくなるモチーフの一つ」になっている。だから、「桜だけのキモノや桜だけの帯」を見かけるが多いのだ。

扱う呉服屋にしたところで、桜が嫌いな人はほとんどいないだろう。写実的に描いても、ある程度図案化されていても、桜の花をモチーフにした品物は、他の図案にはない美しさと優しさが感じられる。私も、春らしいパステル系地色で、可憐に桜を表現している品物は目に留まりやすく、帯でもキモノでも、つい店先に置きたくなる。それは、最も衝動的な仕入れを起こしやすい図案と言えるだろうか。

 

作り手も売り手も大好きな桜であるが、装うお客様にとって「求めやすい品物か否か」になると、これが難しい。その理由は、先述したように「花の命が短いこと」である。

日本人にとって、桜は春の代名詞になっている。それだけに旬を意識する。植物の中でも、桜ほど咲く時期に注目の集まる花はあるまい。だからこそ、桜だけをモチーフにするキモノや帯を、桜の季節以外に装うことが躊躇されるのだ。

こうしたことから、桜だけの品物は敬遠されてしまう。それはたとえ、お客様が模様の色や図案を気に入っていたとしても、いざ着用する時期や場面を冷静に考えると、購入するにはなかなか到らない。実際の商いの場面では、売り手にとって「桜」は、実に扱いの難しいモチーフである。けれども、桜を「日本国の象徴花・代表花」と位置付けると、見方が少し変わるようにも思う。そしてアイテムによっても、春に限らずに使えるものと、春に限定されるものがある気がする。その辺りのことを、探ってみよう。

 

銀箔地・霞に小桜文様袋帯 金箔地・遠山桜文様袋帯 どちらも梅垣織物の品物

桜には、特定の図案とリンクさせることで、風景文として確立している文様がある。左の銀地帯は、小桜が若草色の霞文の中に付いているが、これは春先の霞棚引く景色を写し取ったもの。右の金引箔帯は、連山に咲き誇る桜をあしらっているが、桜の名所・吉野の風景を切り取ったかのよう。

霞桜を近接したところ。このように桜と自然現象の文様とを組み合わせた場合、それは特定の季節を表現することにもなるが、桜単独の文様とは違い、春への意識は薄くなる気がする。桜文というより風景文として位置づけられそうな意匠では、この感が強くなる。そして特にフォーマルな帯だと、桜には国花としての役割があるように思える。

 

紫紘の手による、黒地の桜尽し文袋帯。ブログ冒頭でご紹介した桜霞図案や源氏物語・春艶とは、全く雰囲気の異なる桜文。最初の二点は、精緻な織図案で写実性が高いために、春という季節が前面に出ている。この黒地帯にあしらわれた桜は、かなり図案化されていて、リアルさが消えている。こうした桜ならば、春限定でなくても良いだろう。

 

うちの三人の娘が着用した、朱霞ぼかし枝垂桜文様の振袖。元々は私の妹が誂えたもので、およそ40年前の品物。しなやかに優しく、枝が下に垂れる「枝垂桜図案」は、桜文様としてスタンダードな形式の一つ。その優美さ故に古くから愛され、能衣装や小袖にも度々使われてきた。

たとえ桜単独の文様であっても、振袖となればそれは別で、春という季節にこだわる必要は無くなる。画像からも、若さを象徴する振袖に相応しい、枝垂桜の図案が見て取れる。挿し色使いも見事で、季節云々よりも、文様そのものが若々しく愛らしい。

振袖と同じような考え方が出来るのが、こうした祝着用の帯。図案は梅と桜の花散らし。花の季節を考えれば春の衣装となるが、花模様の図案も色合いも可愛く、いかにも子どもモノらしい意匠。七歳のお祝いは、11月なので当然秋になるが、この帯図案が「梅と桜の春柄だから、使うことを躊躇する」などということには、絶対にならない。子どもの祝着でも振袖でも、文様の雰囲気がアイテムに合致していれば、季節に縛られることは無い。

 

小さな桜を一面に散らした、桜色地の江戸小紋。江戸小紋には、このキモノにように、小桜をアレンジして型紙を起こした品物をよく見かける。着姿からはほとんど目立たない小さくて細かい桜だが、これも桜を尽くした文様の一つ。もちろん、こうした江戸小紋の場合は、季節に捉われることはない。

一方こちらは同じ桜小紋でも、小花を散した無地場の多い飛柄小紋。地色は、本来の色に近い桜鼠色で、白と墨の二色の花弁には、薄い桜色が手で挿してある。小さな花弁だけだが、あしらいは丁寧で、その分リアルな桜の花姿に映る。江戸小紋の小桜とは異なり、いかにも春を感じさせる桜姿。この雰囲気だと、否応なく着用時期を考えてしまうだろう。

趣味性の高い品物であればあるほど、作り手が季節感を重視する。その意識は必ず、文様の中に表現される。それを感じる品物こそ、旬の装いに相応しいものとなる。そんな例となる染帯を、二点紹介しよう。

 

一昨年、オリジナルの桜模様小紋を製作した時に、参考にした塩瀬染帯。明るい挿し色や疋田を使って、桜らしい華やかな春姿を描いている。おそらく、お太鼓に出したこの桜を見れば、誰もがそこに春を感じるはず。否応なく旬を意識させる帯。

桜の枝には、仲良く並ぶメジロの姿が。地色は柔らかな空色。桜だけでなく、集う鳥の姿をあしらうことで、春の到来を強調する。こうした図案こそが、その時でなければ装えない贅沢な品物になろう。

 

今日は、日本人にとって特別な花・桜があしらわれるキモノや帯を、どのように捉え、相応しい着用の場面を想定するかについて、考えてみた。

桜は春に限定されると考えがちだが、品物を個別に見ていくと、季節を意識せずに装うことが出来る品物も多いことが判る。それは、フォーマル帯にみられる風景文としての桜であったり、振袖や子どもモノにみられる愛らしい桜だったりする。桜には、日本人の心を豊かにする力があるのだろう。だから、通過儀礼や式での装いには、欠かすことの出来ない図案となるのだ。

そしてもちろん、桜の季節に限定される品物もある。特に小紋や染帯には、作り手が旬を意識して、図案や配色を考える。そうした個性と季節感を重視する旬な装いこそ、和装には欠かせない。

 

桜という図案の装い方には、決まりなど何もない。今日私が使い道についてお話したそれぞれの品物も、人によれば、考え方は違うかも知れない。春に限定するものか、それとも季節を意識せずに使えるものか。それはおそらく、扱う者や装うお客様それぞれが、自由に考えて良いのかも知れない。

確かなことは、桜は、春の姿そのものであり、人と人との出会いや別れの場面を彩る美しい花。そして同時に、日本人の誰もが愛する「こころの花」。だから、この花に寄せる思いは、どんな装いの場面でも変わることはあるまい。

 

先週18日の木曜日、甲府ではソメイヨシノの開花が宣言されました。平年より9日も早く、これは過去二番目に早い開花だそうです。20℃を越える日が続いていますので、週末には7分咲きほどにはなるでしょう。東京の開花は、甲府より早い14日だったので、満開もかなり早まるかも知れませんね。

今日21日は、首都圏で緊急事態宣言が解除されますが、考えてみれば昨年、この桜の時期に感染者が増大し、後に大変な事態に発展してしまいました。私も、同じ轍を踏まぬように、一人でひっそりと、名も知れぬ場所の桜を見に行こうと思っています。

今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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