バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

作り手の証、「落款」を探ってみよう  個性溢れる作家のサイン  

2021.03 14

昨年秋に誕生した菅内閣は、社会活動全般のデジタル化推進を、政策の目玉に掲げた。この一環として始まった動きが、行政手続きにおける押印、つまりハンコの廃止である。政策を担当する河野太郎行政改革相は、手続きの99%で、印鑑を不要に出来ると述べている。

長い間日本の社会において、ハンコはどうしても欠かせない道具だった。役所にせよ企業にせよ、物事を決める手順として、下役から上役へと押印していくことで、合意が形成されていく。どんな書類にも、まずハンコが必要で、これが無ければ正式なものと認識されず、事は運ばない。今回の政府の取り組みは、社会に蔓延っていた押印文化の慣習を見直し、新しいシステム作りの第一歩にしようとする試みである。

 

さて現代では、個人や組織の間で「唯一無二の証明の道具」となっている印鑑ではあるが、歴史をさか上ってみると、署名の代わりとして使用した記号や符号があった。それが、花押(かおう)の存在である。

これは、署名をするだけでは不安な本人証明を、他人に真似されないよう、もっと明確にするための「特殊形状のサイン」である。花押は、10世紀後半の平安中期、貴族社会の中で生まれたものだが、鎌倉期以後は公文書だけではなく、庶民個人間のやり取りにも使うようになった。

 

花押のデザインには、本名の偏と旁(つくり)を組合せて図案化した「二合体」と、名前の一文字だけを使った「一字体」と呼ぶものがあるが、いずれにせよ自著の代用であることから、実名を基にして作成することを原則としていた。

だが戦国期になると、大名たちは実名デザインの花押を用いなくなった。例えば織田信長だが、彼の最初の花押は、父・信秀が使用した「足利様(足利将軍家の花押を模倣したもの)」であり、次が自分の実名・信長の文字を反転させたもの。そして権力の座に座った時には、「麟」の文字を使用した。これは、中国の伝説的な動物・麒麟(きりん)が、正しい政治を司る世の中に現れると信じていたから。つまり花押の役割が、自著の証明から、地位を象徴するものへと、変化を遂げたのである。

こうして多くの権力者たちは、それぞれに工夫を凝らした自分の花押を持っていたが、江戸期になると、花押を版刻したものを墨で押印する「花押型」が普及し始め、後に印鑑に、その地位を譲ることになっていった。

 

さて、この本人を証明する印鑑や花押と同じような存在のものが、作品の中に見える。これが、皆様よくご存じの「落款(らっかん)」だ。正式には「落成款識(らくせいかんしき)と呼ぶが、書画を作成した際に、製作者が押捺した印影を指す。

落款は鎌倉期以降に一般化したが、これにより、作品の出所が明確になると同時に、作者の地位向上に繋がっていった。そして落款の有無は、作品の真贋を見極める上で重要な役割を果たす。つまり、作家を研究する上で、欠かせない情報源となっているのだ。

そこで今日は、我々呉服屋が扱う品物でも、度々お目に掛かる作者の印・落款について探ってみたいと思う。それぞれの落款の形式は、作品同様に個性が感じられて、興味深い。作品を見て頂きながら、落款のあり様をご覧頂くことにしよう。

 

型絵染の第一人者、芹沢銈介の「いろは文様・きもの」に付いている落款。

落款は、自分の作品であることのサイン・証明であることから、そのデザインは、作者それぞれが工夫を凝らしている。先述した花押のように、自分の名前から一字を選んだり、そのまま記すことが多い。

いろは文字の中で、埋もれるように付いている落款。「お」の文字の内側には、「せ」にも「世」にも見える文字がある。これは苗字・芹沢の「せ」の字を使ったもの。苗字使いの落款は、珍しい。キモノの場合、落款があしらわれている位置は、ほぼ下前の衽。着姿からは、必ず隠れる場所に置く。

作者は、自分のサインをこれ見よがしに付けたりはしないが、このいろは文様など、文字が密になっていて、よくよく探さなければ、印を見落としてしまう。だがこの意匠を見れば、誰もが「芹沢銈介の作品」と理解できるので、落款は無くても良いのだろう。

品物を入れた桐箱の蓋裏には、墨書きした自著と落款がある。こちらの印は、キモノに付いていた「せ」ではなく、名前の「銈」。金編に圭と書くこの字は珍しいが、落款をよく見ると、編の金が象形文字のように図案化されている。

品物を買い入れた際、この桐箱の中に入って送られてきたと思われるが、半世紀近くも前のことなので、詳しいことは不明だ。ただこれで芹沢銈介は、「せ」と「銈」二つの落款を持っていたと理解できる。

 

唐子人形をモチーフにとり、精緻な糸目使いで知られる加賀友禅作家の初代・由水十久。これは、能の舞・三番叟(さんばそう)を題材にした黒留袖。裾の返しに、舞で奏でる「鳴り物」を描いている。そして、下前衽下に落款が見える。

名前の「十久」を図案化した落款。見方によっては、英字の「K」にも見える、モダンで格好良いサイン。唐子人形を題材にした意匠も個性的だが、落款もまた個性派だ。

この黒留袖も、芹沢作品と同様に、専用の桐箱に入れて納品されている。こちらも、箱の蓋裏に墨書きの自著と落款が入っている。最近でこそ、こうした丁寧な扱いは、あまり見かけなくなったが、このような装丁には、美術品的な価値を持つ品物であることが、かなり意識されている。

だからという訳では無いが、この加賀留袖もいろは模様訪問着も、すでに商いの対象にはなっておらず、非売品扱いだ。購入してから半世紀が過ぎ、両作家ともかなり昔に物故している。だから、万が一求める方がいたとしても、適正な価格算出が出来ない。そして値段云々ではなく、私自身が手放すことを拒んでいる。

 

作家が多いという点では、下絵考案から色挿しまで、一貫して作品を仕上げる加賀友禅に勝るものはない。その一人一人の落款を登録した名簿が、上の画像。一番古いモノが、画像の右上にある白い表紙。これは、加賀染振興会が結成された昭和53年に発行されたもの。ということで、ここに登録されている作家は、実力者揃いである。

現在、加賀友禅作家の落款は、次のサイト(kagayuzen.or.jp/sign)で検索することが出来るので、以前のような名簿は必要なくなった。サイト内では、登録された357人の落款を見ることが出来るが、その中では、落款変更をした作家や、組合を脱退した人、また物故者を分けて掲載している。その数は、203人。これで、登録している現役の加賀友禅作家は、154人と理解できる。

もし皆様が、自分のキモノに付いている落款をお知りになりたい時、それが加賀友禅であれば、ほぼこのサイト検索で判明出来るので、ぜひご活用されたい。せっかくなので、物故した作家の中から、落款を一つ取り上げてみよう。

 

画像の落款名簿(昭和53年発行)の右端に、成竹登茂男の名前が見える。このブログでも、何度か作品をご紹介したが、椿や牡丹などの春の花を、絵画的に描かせたら右に出る者がいないと言われた、優れた作家。

落款は、登茂男(ともお)の最初の二字を使っている。また輪郭には、六角形の亀甲型の枠を使っている。落款は文字に限らず、枠取りの形も留意しておく。画像の名簿を見ても、枠の形が正方形、長方形、丸型と作家によって様々。

成竹登茂男の振袖。得意とした椿と梅をモチーフにした作品。挿し色はあくまで優しく、暈しを巧みに使って、極めて上品な姿に仕上げている。

昭和53年・朝日新聞のコラム(都道府県別人国記・石川県編)に掲載された成竹登茂男の記事。当時すでに80歳だったが、現役作家として活躍していた。うちでは、この作家の作品を数多く扱っていたので、先代の父が、目ざとく見つけて切り抜いたのだろう。今となっては、当時の姿を知ることが出来る貴重な資料だ。

 

最後に、作家個人ではなく、作り手を束ねる技術者集団の落款をご紹介しよう。現在、最も高級な江戸手描き友禅の製作者として知られる大羊居。そして、その兄弟会社として存在する大彦。どちらも、江戸中期に創業した大黒屋を源流に持つ老舗。

「大羊居染」と染め抜かれた正方形の落款。この訪問着は、大羊居には珍しい茶屋辻を図案としたオーソドックスな意匠。

牡丹をモチーフにした付下げ。花弁や花芯に見える精緻な刺繍のあしらいは、大羊居の大きな特徴。画像で見ても、立体的で強烈な牡丹の花には圧倒される。

 

落款は、大彦の創業者・野口彦兵衛から仕事を受け継いだ次男・野口真造の名前と、「大彦染繍」の文字が染め抜かれている。品物は、国立博物館所蔵の名品・縮緬地鷹衝立模様小袖を忠実に復元した逸品。

こちらは、枯山水をモチーフにした大胆な意匠。どちらも、着るというよりむしろ見るに相応しい品物で、美術的な価値の高い作品と思われる。こうして見ると、まだ大羊居の方が商業ベースに乗せやすい気がするが、いずれにせよ、これほど技を凝らした品物が、この先どれほど製作されるだろうか。

分業であるがゆえ、現場ごとに職人を確保しなければ、品物を作ることは出来ない。もちろん、技術者たちには、それなりの賃金を払わなければならず、そのためには作り続けるしかない。だが、如何せん高額品であるが由に、そう簡単に捌けてはいかない。質にこだわりを持つ方に、求めて頂く以外にはないが、先々理解ある消費者がどれほどおられるのか。手を尽くした作品を存続させることには、想像以上に困難が付きまとう。

 

作者の証・落款。目立つことの無い小さな印には、作品への思い入れが込められている。そして同時に、これは作り手のステイタスシンボルでもあるのだ。もちろん落款があれば、作者は特定できるだろう。しかし印の有無に関わらず、一目で作者が誰と判る作品になれば、それこそが一流の証だと思う。

染織の未来に、個性的で優れた作り手が一人でも多く残ることを、強く希望したい。

 

ブログ読者の方から、「自分の品物に付いている落款は、誰のものなのか調べて下さい。」というメールを、時々頂くことがあります。品物の画像が添付されていればまだしも、落款だけでは本当に難しいです。本文でも書いたように、加賀友禅ならばまだ特定しやすいのですが、落款を持っている工芸作家は大勢います。おそらく、日本工芸会に所属する染織関係の会員・準会員の方なら、ほぼすべての方に落款があるでしょうから、それを全部把握することは、とても難しいことです。

そして、そもそも落款が「ホンモノ」ではないことも、よくあります。つまりその品物は、特定できる人の手仕事によらないということです。どうして、こんな紛らわしいことをするのか。穿った見方をするならば、「落款があれば品物に箔が付く」と考え、価値をごまかして価格を吊り上げるために、「誰のものか判らぬ落款」を付けたとしか思えません。

和歌には「詠み人知らず」として優れた作品がありますが、落款があるのに「作り手知らず」では、どうにもなりません。一点の作品にかける作者に思いを馳せれば、徒や疎かに落款を使うことなど、出来ないはずなのにね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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