バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

江戸で生まれた雪のデザイン 雪輪文

2015.12 10

海老茶色の結城紬地マフラーを首に巻き、黒いダウンジャケットを羽織る。バイク呉服屋が、冬の外回りへ出かける時の姿である。

バイクの荷台には、バイク呉服屋特製の「品物預かり板」が取り付けてある。この板は、長さが1尺4寸5分(約55cm)で、巾は9寸(約35cm)。これは、キモノを三つ折りにして畳んだときに使う、たとう紙の寸法に合わせて作ってある。

板の材料はベニヤで、その上に少し頑丈な茶紙を巻く。これを風呂敷で包み、中に品物を入れる。台を板で安定させておくのは、バイクの振動で、運んでいる品物がずれて、シワが出来ることを防ぐためだ。丁寧に手が入れられ、きちんと形が整っているキモノが、お届けの途中でシワだらけになってしまったら、元も子もない。

 

それにしても、今年の冬は暖かい。日中でも10℃を下回ることはほとんどなく、バイク仕事も辛くない。寒さを厳しく感じるのは、5℃以下の時で風が強い日。

赤道付近の海水温度が上がる、エルニーニョ現象。これが、日本に暖かい冬をもたらすようだが、詳しいことは知らない。テレビの気象予報士などが、説明しているのを何回も聞いてはいるが、全く頭に入らないし、覚えようともしない。バイク呉服屋は、数学が苦手だったが、理科は輪をかけて駄目である。

暖かい冬はありがたいが、エルニーニョが起こると、太平洋岸を通る低気圧が増えるらしい。その結果、普段冬の降水量が少ない関東などには、雪をもたらすことが多くなる。甲府でも昨年2月のバレンタインの日に、一晩で一メートル以上という、記録的なドカ雪が降った。今冬はまた、雪に悩まされるかも知れない。

 

雪は、文様の中でも様々な形で表現されている。雪を図案化して文様となった「雪輪」は、もっともポピュラーなもの。この他、写実的な「雪持文」や、雪の粒を表現した「霰(あられ)文」、雪の結晶をモチーフにした「雪華(せっか)文」などがある。

今日は、そんな「雪」の文様について、お話してみよう。

 

(桜鼠色 雪輪重ねに七福神うさぎ 染名古屋帯・千切屋治兵衛)

雪をモチーフにした文様が生まれたのは、桃山時代である。最初は、雪が降り積もった植物を意匠化した雪持文。柳に積もった雪の情景は、「雪持ち柳」、笹なら「雪持ち笹」である。この他、雪のある風景を描いた「雪景文」があり、いずれも衣装の中で表現される文様として、使われ始めた。

雪というものには、決まりきった形がないため、植物等に降り積もった場面を切り取ることが、一番自然な描き方だったのであろう。

 

大きい雪輪の中に、三つの小雪輪が配され、その中に七福神を模したうさぎの姿が描かれている。遊び心のある図案とうさぎのかわいさに惹かれて、思わず仕入れてしまった染め帯。バイク呉服屋と同じように、この帯を一目で気に入ったお客様が求められた。最初の画像は、仕立て上がってきた帯の、お太鼓を写したところ。

上の画像のうさぎは、左手に鯛、右手に釣竿を持つ。これは恵比寿天で、七福神の中で、唯一日本の神様である。描かれた姿からわかるように、漁業の神であり、商売繁盛の神様として知られている。

他の二匹のうさぎは、楽器を持っているのが弁財天で、唯一の女性神。さらに大きな袋を背負って、手に打出の小槌を持っているのが、大黒天。ご存知のように、開運・財宝の神様である。

残り四つの神様は、武将姿の毘沙門天、人望の神といわれる福禄寿、延命長寿の寿老人、そして大きなお腹で笑みを絶やさぬ布袋様。この七福神に参拝すれば、七つの災難を逃れ、七つの幸福が得られると言う。室町後期に発祥した、代表的な民間信仰。

前に出るところ。こちらのうさぎは武将姿なので、毘沙門天になる。最初は、写実的に表現されていた雪文様だが、次第に図案化されていく。雪輪を良く見ると、六ヶ所のくぼみがある。これは、雪の結晶が六角形なので、それを簡略した姿と見ることが出来る。もっとシンプルな雪輪で表現された品物は、どうなるか。次の二点で見てみよう。

 

(駱駝色 小雪輪散し小紋・千切屋治兵衛 群青色 破れ大雪輪小紋・菱一)

雪輪は、雪持文様が変化したもので、純粋に雪だけを切り取り、図案化している。江戸時代に始まる文様の一つの特徴は、生活に身近なものがモチーフとなったこと。これは、一般庶民の生活が向上したことの表れであり、デザイン=文様に関心が高まったことで、今までなかったような素材のものが、文様化されていった。

雪のような自然現象だけではなく、家の調度品、例えば扇や傘、団扇、籠なども文様の材料となった。また、生活の場面そのものを切り取ったような文様も現れた。舟を曳く姿や、田植え、牛車を牽く場面などである。

雪だからと言っても、このように図案化された雪輪文は、冬に限定された意匠ではない。竺仙の浴衣には、褐色地に雪輪だけが白く染め抜かれたものがあるが、雪=涼やかさをイメージして、作り出されたもの。暑い季節に使うモノに、季節はずれの冬をイメージしたデザインをほどこす。これは、お洒落な演出の一つになろう。

雪輪の一部をわざと欠けさせて、重ねて付けられた模様。七宝文様でも、このように一部が欠けたもの(破れ七宝と呼ぶ)があるので、これは「破れ雪輪」とでも言おうか。但しこの名前は、バイク呉服屋が勝手に付けた名前なので、正式なものではないが。

このような、雪輪だけで模様付けされた小紋を見ると、どことなく小粋な感じがするが、やはり江戸庶民の中から生まれた文様だからであろうか。

茶道の中でも、この雪輪を特別なものとする流派がある。江戸千家である。たまに、この流派に属する方から、紋付無地の依頼を受ける時があるが、紋は、自分の家紋ではなく、「雪輪」を入れることが多い。

江戸千家の祖は、紀伊(今の和歌山県)新宮出身の川上不白。不白は、藩士の子どもだったが、当主の水野忠昭の勧めで、7代目表千家・如心斎へ弟子入りする。後の1750年代(宝暦年間)に江戸へ出て、神田明神に蓮華庵を開くことになる。江戸千家に集う方々の紋は、この開祖・川上不白の家紋・雪輪に因んで付けられている。

 

(雪輪有職重ね模様 袋帯・西陣 藤原織物)

雪輪と言う文様は、オールラウンド・プレイヤーだ。単独で用いられることもあれば、この帯のように、模様を区分ける役割を果たす場合もある。そして、染・織に関わらず、キモノにも帯にも使われている。

様々な大きさに区切られた雪輪の中に、四季の花と唐花、それに花割菱や七宝などの有職模様が散りばめられている。凹凸のある円形の雪輪は、模様を立体的に見せることが出来る。その上、中にどんなものを入れて描いても良く、発想が自由で幅が広い、実に使い勝手の良い文様と言えよう。

 

最後に、雪輪文の原型になった雪持ち文を、キモノの中で見て頂こう。

(銀鼠色裾ぼかし 雪持ち薄に雀模様・訪問着)

雪持ち文様が見られるようになったのは、桃山時代からである。桃山期に代表される能衣装の中のモチーフは、ほとんどが四季の花や草木である。その中には、植物と共に、季節の彩りを演出する工夫がなされている。

「秋草」は、組み合わせる植物により「秋」を演出し、「露芝」や「雪持ち」などは、雨の雫や雪が落ちる植物の様子を描くことで、季節感が出てくる。

雪が落ちたばかりの薄に集まる雀。雪をかぶって頭を垂れる穂、鳥達はその中の虫でも探しているのだろうか。おそらく、雪が降り始めた初冬の姿を表しているのだろう。ご覧のように、雪持ち文様は写実的であり、「旬」が前に出てくる。雪輪文のように、季節を問わず使えるものではなく、やはり冬に限定された文様となる。

 

文様というものを見ていくと、それぞれが生み出された時代背景と、大きく関わる。

今日御紹介した雪輪文のように、江戸の生活の中で生まれたデザインもあれば、平安貴族の装束と関わりが深い有職文もある。また、外来文様と呼べる数々の正倉院文様には、伝来してきた地域の特色が溢れている。

現代に受け継がれる様々な文様は、その一つ一つに歴史と意味があり、興味は尽きない。これからも、出来るだけ沢山の文様を、品物と共にご覧に入れて行きたい。

 

雪の少ない都会の人たちは、雪をロマンティックなものと、見ていることでしょう。「ホワイト・クリスマス」に憧れるのも、その表れですね。

片や、雪が日常化している北国の人たちには、なるべく積もらないでいて欲しいはずです。毎日の雪かきの苦労は、その土地の人にしかわかりませんから。

雪ほど、地域ごとに見方の分かれる気象はないでしょう。皆様は、雪がお好きですか?

 

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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