バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

大島紬証紙、その裏側を探る(前編)  奄美組合の検査と証紙由来 

2026.10 07

権威のある人によって、その品物が間違いがなく良質であると保証されることを、「お墨付きを得る」とか「折り紙付きの品物」と言う。この二つの言い回し、ほとんど同じように感じるが、少しニュアンスが違う。

お墨付きは、保証する人物に重きを置いたもので、その人物の言葉だからこそ、信頼できるという風に捉えられる。一方の折り紙付きは、品物そのものが優れていることを指し、誰がそれを保証しているかについては、言及していないように思える。

この二つの語源を調べてみると、お墨付きは、戦国期の大名や江戸の将軍が、家臣に領地を与える際に交付した文書に、デザイン化した自分の名前・花押(かおう)を墨書きでサインしたことに由来する。これに対して折り紙付きの方は、平安期の公式文書に、頑丈な和紙を二つ折りにしたものを使ったことや、江戸期になり、美術品の鑑定書として二つ折りの紙を添えたことなどもあって、信頼に値する言葉として一般化した。

 

現在の染織品にも、このお墨付きや折り紙付きに当たる「信頼の証」が付いている品物がある。それが国が認定した伝統的工芸品、いわゆる伝産品であり、その証として付いているものが、伝の文字を模った「伝統マーク」である。これは国が、価値のある伝統工芸品として、認可出来る要件を満たしたモノだけに貼られている。

経済産業大臣の認可により、これまでに指定された伝統的工芸品は244品目。法律が施行された1975(昭和50)年、最初に認定された品物は、11品目。そのうち染織関係は、本場大島紬・宮古上布・西陣織・結城紬・小千谷縮と紬・博多織・久留米絣の7品目だった。

これらは全て織物になるが、最初に認可されたと言うことは、それだけ国が、この品物に対して「伝統的な工芸品に値する」と強く意識していたことが読み取れる。現在まで認定された染織品は57品目で、内訳は織物が38、染物が14、その他(組紐など)が5となっている。

 

以前ブログの中で、本場大島紬や沖縄織物に貼られている伝統証紙を取り上げたことがあったが、その時には、貼られている証紙の意味や記載内容について、お話をさせて頂いた。今日は、この「国のお墨付き・折り紙付き」を意味する伝統証紙をもう少し深く掘り下げて、どのような経過を辿って、品物が「折り紙付き」となるのか、そして実際に誰が「お墨付き」を与えているのか、その辺りの話をしていきたいと思う。

伝統工芸品として、品質を維持管理している各産地の組合。そこでは具体的にどのような仕事をしているのか、また品物を工芸品として認可するための条件は何か。知られざる産地組合の役割を見てみよう。今回取り上げるのは、認定されている伝統工芸品の中では、異例とも言える三つの組合を傘下に持つ本場大島紬。今日はまず前編として、奄美大島組合の品物検査を深堀し、さらに証紙の地球印に秘められた逸話もご紹介する。

 

大島紬の品質管理をする三組合。左から、旗印・鹿児島、地球印・奄美 鶴印・都城。生産する機屋は、自分の地域にある組合で検査を受け、伝統工芸品の認定を受ける。

そもそも国は、伝統工芸品として指定するにあたり、五つの条件を出している。それは、日常生活や冠婚葬祭で使われるもので、製造の主要部分が手仕事であること。またそれが、およそ100年以上にわたって受け継がれてきた技法により製造されたもので、主に自然由来の原材料を使っていること。そしてその品物は、一定の地域内で産地が形成されていること。

国が法律により、各地の伝統工芸品を保護しようとした理由は、これを制定した1974(昭和49)年当時の社会情勢と大きく関わりがある。この時代、オイルショックの荒波を被った日本では、高度経済成長が生み出した大量消費や使い捨ての習慣を見直す機運が生まれていた。この反省が、改めて立ち止まって、伝統文化=工芸的な品物を顧みることに繋がる。

そこで改めて産地を見渡してみると、すでに現地では後継者難や材料難という深刻な事態を抱えていた。国はこの課題を克服するため、産地の支援保護に動かざるを得ない。つまり経済の停滞が、伝産品保護へと舵を切った一つの要因となっていたのである。

 

伝統工芸品に対して、国が折り紙を付ける大まかな条件は決まったが、産地ごとには、「何を持って伝統的工芸品とするか」という規定を決める必要があった。主な内容は、原材料と技法、そして生産地。これが伝産法に基づく基準であり、告示と呼ぶものである。無論、生産地ごとに材料や技法は異なるので、各々の告示は当然違ってくる。

大島紬の告示日は、1975(昭和50)年2月17日。伝統的工芸品として栄えある第一号の指定産品であった。そして、次のように規定された。先染めの平織とすること。絣糸の絣を手作業によって柄合わせし、絣模様を織りなすこと。この技術・技法により製織された絣織物であることが、大前提となっている。さらに絣糸の染色法は、織締めによることと、伝統的に使用されてきた原材料(テーチ木・泥染め)を使うこと。さらには、使用する糸は生糸であること、つまり絹織物に限ることになる。

そして産地は、鹿児島県・鹿児島市や鹿屋市他、奄美大島各町村、そして宮崎県・宮崎市、都城市、串間市の一部と規定され、伝統的工芸品の認可検査は、三つの組合に任された。それが、鹿児島市の本場大島紬織物協同組合(旗印)であり、奄美の本場奄美大島紬協同組合(地球印)であり、都城市の都城絹織物事業協同組合(鶴印)であった。

 

伝統的工芸品として認定される大まかな告示はあるが、それは具体的にどのような要件を満たさなければならなかったのか。つまりそれが「お墨付き」になる条件である。この墨を付ける役割を担っていたのが、各産地組合ということになる。なので、組合の検査には厳格さが求められ、それは直接伝統的工芸品としての信用に関わって来る。

それでは組合の検査は、どのように、そして誰が行っていたのか。そのことを深堀してみよう。おそらくそこに、産地としての矜持が見えてくるはずである。

 

反物の端には、検査合格の印が押された奄美組合証紙のシンボル・地球印証紙と泥染証明書が貼られ、その横には伝統的工芸品である証・伝統マークシールが貼られている。この組合の検査が通らない品物は、正式な大島紬とは認められない。

そして証紙の下に隠れている反物の端には、別誂の文字と製織した機屋・恵の文字が見える。さらにその上には、金色の奄美証紙の地球印マークと「本場奄美大島」の赤文字が織り出されている。実はこのマークと文字は、「織口文字(おりぐちもじ)」と呼ぶ重要な施しで、これが無ければ、そもそも組合検査が受けられない。

これは奄美組合の織口文字だが、鹿児島組合にも同様のものがあり、組合マークの旗印を真ん中に挟んで、左右に「本場大島」と織り出されている。それでは、ホンモノの大島と認定する検査の基準は何か、奄美組合を例にとって見ていくことにしよう。

 

検査の基準は、大きく分けて次の三点に分かれている。一つは反物のサイズや重さに関わる規格、二つ目は製織の仕上がり具合、そして三つめが染色の状態である。

奄美のサイズ規定は、長さ・キモノ一反分を3丈2尺5寸(12m50cm)と決め、織り巾は女性モノは9寸2分(34.8cm)以上、男性モノを9寸3分(35.2cm)以上と規定されているが、実際には女モノが9寸5分~1尺、男モノが1尺5分前後の幅で織られている。特に女性モノは近年、身長や裄のサイズが大きくなったことに伴い、従来の9寸2分程度の短い織幅では、対応できなくなっている。

また反物の重さも基準が決められており、450g以上となっている。他の絹織物は、凡そ800グラム程度の重さを持つが、大島はごく細い糸を使って織り出されているために、極めて軽い。そのため、450gという軽い基準値が割り出されている。

 

そして基準の二点目と三点目、製織と染色に関わる検査規定は、品質の根幹を成す大切なもの。特に絣の検査は、告示において「大島紬は絣織物を前提とする」と明確に決められているだけに、特に重要視され、綿密に行われている。

最も注意する点は、経糸と緯糸で構成される絣模様が美しく仕上がっているか否か。そしてその織目が、均一に仕上がっているか否か。大島の絣は、緯糸を通して、筬を打ち込みながら、絣の柄を合わせて織り上げられる。そこで起こる絣のズレは、織り手が針で一本ずつ調整しながら、織り進められていく。画像で判るように、絣が一つ一つの点となって模様が構成されている。この点が不均一となれば、やはり全体に支障が出る。

そして同時に、織生地の表面に穴やキズ、あるいは不要なスジが入っていないか確かめを行い、泥染や草木染を行った際のムラや色落ちの有無も綿密に調べられる。

 

そして面白いのは、反物の両端、いわゆる耳と呼ばれる部分が、美しい直線で織られているか否か。それはここがきれいに仕上がっていると、キモノを仕立てた際の仕上がりが美しくなるからだ。また検査員は、指先を反物表面に滑らせて、品物が大島特有のしなやかさを持っているかを、確かめる。大島紬の特徴的な風合いも、検査の対象になっている。

 

奄美組合の検査合格印の横に、摘要の欄があり、その下に「検査合格・井上」の判が押されている。この判を押した井上さん・井上五十助(いそすけ)さんこそが、組合の規定にそって、この品物の検査をした検査人=お墨付きを与えた人、ということになる。

驚くことに、現在奄美大島組合の検査に携わっている人物は、この井上さんただ一人。以前は何人か検査人がいたが、製織数の減少に伴って、10年前からたった一人で、大島紬の品質を左右する重要な仕事を請け負っている。絣作りや染色など、大島の複雑な工程を全て熟知し、その優劣が察知できなければ、検査人にはなれない。ある意味で、大変なプロの仕事と言えよう。

組合検査が合格すると、そこで伝統マークが同時に貼られていく。こうして、産地組合のお墨付きと国の折り紙が付いて、伝統的工芸品が市場に出ていく。その証である日の丸付きの伝統マークには、アルファベット一文字と七桁の数字が付いている。これが、この大島紬反物のシリアルナンバーである。

大島紬に限らず、伝統的工芸品として認定された品物にはすべて、このナンバーが付いている。それは第一義として、国がこの伝統工芸品の信頼性を担保するため、不正なコピー品など「偽モノ」を防ぐためのもの。この数字は重複の無い連番になっていて、万一不具合が起こった場合には、製造者や原材料を特定し、責任が明確化できるようになっている。

また奄美産の大島紬では、2005(平成17)年4月以降の品物について、独自の12桁シリアルナンバーを設けた。そして、この数字をウェブの専用サイト・大島紬商品履歴システムに打ち込むと、製品の製造履歴が確認できるようにした。そのデータは、図案者・染職人・絣締め職人・織り手など、品物に携わった全ての人の情報を網羅しており、より産地としての責任を透明化、明確化している。

 

最後に、奄美産大島のシンボルとなった地球印の謂れを、少しだけお話しよう。

大島紬の組合は、1901(明治34)年に奄美の組合・鹿児島県大島紬同業組合が結成され、1916(大正5)年に鹿児島本土の組合・鹿児島織物同業組合が結成された。この間15年のタイムラグは、奄美出身者が鹿児島本土に渡って製織事業を起こし、企業化するまでの時間差を示している。当時の組合証紙に記されたシンボルマークは、奄美・鹿児島共に旗マークであった。

鹿児島本土の組合マークは、今も旗印。但し戦前には、この旗の一方が旭日旗(太陽をシンボルとする軍旗)で、もう一方が日の丸になっている証紙もあった。

戦後、沖縄同様に日本から切り離され、アメリカの統治下にあった奄美群島では、そもそも日本国旗の使用が厳しく禁止されていた。そのため大島証紙のシンボルになっていた旗印を使うことが出来ず、当時の奄美産大島紬は、マークを入れずに「本場大島紬」の文字だけを書き入れていた。

そして1953(昭和28)年、奄美群島が日本に復帰するのに伴い、鹿児島の組合と区別化するために、奄美組合は証紙マークと先述した織口文字を新しくすることに決める。そして公募の結果採用されたのが、地球儀マーク・現在の地球印であった。このマークの裏側には、厳しい占領時代を経て、現在まで生産を続けている、奄美産地苦難の歴史が込められている。

 

今日は、伝統的工芸品・本場大島紬の証紙の裏側には何が見えるのか、その検査の内容を深堀し、また証紙マークの歴史にも思いを馳せてみた。これは大島紬だけではなく、伝統的工芸品と認定されている他の56品目の染織品全て、各々の証紙に込められた産地の矜持があるだろう。

日本を代表する工芸品として、その技術をつなげ、次の時代に品物を残すために、今も各産地では弛まぬ努力を続けている。奄美産大島紬の生産反数は、戦前の1921(大正10)年がピークで、その数何と334.228反。戦後のピークは1972(昭和47)年で、297.628反。それが昨年、2025(令和7)年の生産は、僅か2.272反。この40年余りで、戦後最盛期の0.7%にまで落ち込んでしまった。

この先も、職人の高齢化や就業者の減少を考えれば、もはや生産反数は減ることはあっても、増えることは無いだろう。この織物を、どこまで守っていけるのか。これは、この国の伝統的工芸品全体の未来を占う、一つの試金石になるように思える。次回の後編では、奄美・鹿児島に続く、第三の産地・都城の大島紬について深く探ってみたい。

 

お墨付きや折り紙付きは、良い意味での保証ですが、同じ「付けること」でも、悪い意味での認知に「札付き」があります。これは江戸時代、現代の戸籍に当たる人別帳において、要注意人物にあたる人名の上に札=付箋を貼り付け、監視・区別していたことに由来しています。

江戸時代、幕府は人々を統制するために、互いを監視し合う「五人組制度」を設けます。この制度は、近隣の五戸を一組として、互いの生活や信条を監視し合う制度。そして組の中から、年貢の未納者や異教・キリスト教の信仰者、あるいは犯罪者が出た時には、五戸の住民すべてが共同責任として、処罰を受けることになっていました。

ですので、家族の中に悪さをしそうな者がいれば、近隣に迷惑が掛かるので、事を起こす前に家から勘当して、外に出しておく必要がありました。人別帳の上に札を貼られてしまうのは、こんな人物だったのです。

 

こんな監視制度は、封建国家や全体主義国家では、治安維持に使う常套手段でした。かつての東ドイツで、国民を徹底的に監視した秘密警察・シュタージが思い起こされますが、今も世界には、こうした気色の悪い制度を続けている国が、幾つも散見されます。こんな国の指導者こそが、それこそ「札付きのワル」であり、「ならず者」と呼ぶに相応しい人物なのでしょう。

日本でもかつて戦前に、悪法・治安維持法がありましたが、すでに成立している特定秘密保護法が、国民の言論や思想の自由を制限する一里塚にならぬよう願うばかりです。今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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