バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

8月のコーディネート  残暑の中、秋色木綿に袖を通す

2026.08 25

一年365日、バイクに乗らない日はほとんど無い。疾走するその間、焼けるような暑さの中では、ぎらつく太陽を全身に浴び、雨や雪の中では、降り続く雫の冷たさに体を縮める。バイクは遮るものが何も無いので、五感の全てで季節を感じ取ることになる。

毎年お盆休みを過ぎると、そんなバイクの体感にも僅かな変化が生じる。日中の陽ざしの強さは変わらないが、朝晩の通勤の際には、切る風に涼やかさが感じられるのだ。最近では8月末でもまだ、気温が35℃以上の猛暑日になることも多く、秋の遠さを実感させるが、微妙に空気は変わりつつあり、季節は晩夏に向かっている。

 

「処(しょ)」という言葉には、計らうとか対応する、あるいは収まるという意味があり、一方では、留まるという意味もある。二十四節気の中の「処暑(しょしょ)」は、夏の暑さが収まる頃、つまり秋の入り口に立つ季節を示しているが、近ごろでは、夏が収まるのではなく、まだ夏が留まっている季節と位置付ける方が良いのかもしれない。

ともあれ、夏休みの宿題に慌てる8月末から、新学期が始まる9月初旬までが、暦の上では処暑になる。今年に限れば、8月23日~9月7日までの約半月。この間をさらに、前半・中盤・後半と区分けしたのが七十二候だが、その区切りは五日ごとに訪れ、各々初候・次候・末候として、その季節に相応しい言葉で彩られている。

 

丁度今は、処暑の初候に当たる時期で、「棉柎開(わたのはなしべひらく)」と名前が付く。棉は綿のことで、まだ植物のままの時には、糸偏ではなく木偏が使われる。また、木偏に付くと書く柎は「うてな」と訓読みし、花の土台=萼のこと。つまりこの名前は、「綿の実を包んだ萼が、開き始める頃」という意味になる。

棉が、クリーム色のふわりとした花を咲かせるのは、7月から9月にかけて。萼は、花の後に付く実を守る役目がある。この萼が開くことで、白い綿毛を持つコットンボール・朔果(さくか)が付く。そしてご存じのように、この実を摘み取り、その繊維を紡いだものが綿糸になる。棉の実を摘み取る季節は、主に10月である。

夏はまだ終息に向かわず、当分留まっている。そんなことを踏まえて、今月のコーディネートでは、残暑の中でも装うことの出来る木綿を取り上げたいと思う。アイテムでは浴衣の範疇に入るが、使っている生地の質や模様、そして色によって、秋になっても装うことの出来る品物がある。今日は、そんな秋木綿の組み合わせをご覧頂こう。

 

(左 紅型模様・奥州小紋 右 乱菊模様・松煙染小紋)

現在綿糸材料となる綿花は、ほぼ全てを輸入に頼っており、主な供給国はアメリカ、ブラジル、オーストラリアである。しかし明治までは、綿織物の原料となる木棉はすべて国内で生産されており、その自給率は100%であった。

平安時代の勅撰(天皇の命令で編纂されたもの)歴史書の一つ・日本後記の記述によれば、日本に綿のタネがもたらされたのは、799(延暦18)年のことで、三河国(現在の愛知県東部)に漂着した崑崙人(こんろんじん・東南アジア系の肌の黒い人々)が運んできたものを、当時の南海道や西海道(四国や九州)諸国に植えたとある。ただこれは絶滅し、室町期の大永年間(1512~28)に朝鮮から伝わるまでは、輸入に頼っていた。

その後、綿作が行われるようになったのは、15世紀末から16世紀初頭であることが、文献からも判っているが、具体的にどの地方から始まったのかは不明である。ただ桃山期以降、綿は麻に代わる素材として広く普及したことから、江戸期になると綿栽培は急速に拡大し、それに伴って日本各地で特徴的な綿織物が生まれた。

 

この時代の木棉は「和棉(わめん)」と呼ばれ、繊維は太くて短く、独特の厚みと弾力を持つ極めて丈夫なものだった。それは、洗うほどに手触りが良くなり、吸湿性と保温性に優れることから、庶民の野良着や労働着として使うには真向きな素材であった。

しかし江戸末期の慶応年間に、当時の薩摩藩主・島津斉彬が日本最初の西洋式綿織物工場・薩摩紡績所を設立して機械化に道を開くと、和綿の短い繊維が機械織に適さないことが判明。その結果、素材を中国綿やインド棉の輸入綿花に求めることとなる。そして国内産和棉は廃れ、次第に栽培されなくなって、今日に至っている。

 

綿素材の歴史に話が逸れてしまったが、今日取り上げる木綿は、その素材が経糸に絣糸を織り込んで仕上げた、紬のような表情を持つ生地でありながら、しなやかな風合いをも持ち合わせている良質なもの。それは木綿と言えども、浴衣とは異なる落ち着いた装いを演出出来る、洒落た大人の夏キモノと言えよう。

それでは、老舗木綿染メーカーとして最右翼の竺仙の手による、伝統的な綿織物・奥州小紋と松煙染小紋を使って、秋のカジュアル姿を考えることにしよう。

 

(弁柄色 乱菊模様 木綿松煙弁柄染小紋・竺仙)

この松煙染小紋も、後述する奥州小紋同様に、経糸に節のある紬糸(ネップ糸)を織り込んだ生地を使っている。触ると手織紬のような風合いがあるが、細番手の糸を使用しているので、見た目よりもしなやかで軽い着心地になる。

この奥州絣生地は、色が落ち着いた茶色で、しかも少し地が厚いこともあって、盛夏よりも暑さが落ち着いた秋口に着用する方が、着心地の観点から考えても向いているように思われる。そんな雰囲気に合わせるように、地色と図案にも工夫が凝らされている。

松煙染に使う染料は、脂分を多く含む松の木を燃やして出来た煤(すす)を、膠(にかわ)で練り上げたものである。膠は、動物の骨や皮を煮沸することによって、含まれるコラーゲンが加水分解(水によって、それまでの化合物の結合が切断され、新たな物質が生成されること)して出来るもので、本質はゼラチン。

膠で練り上げた煤は、水にも油にも溶けない色素・顔料(がんりょう)なので、布に定着させるためには、豆汁(ごじる)を使わなければならない。豆汁はその名前の通り、水に浸けて膨らませた大豆をすり潰して作った乳状の液体で、主成分はグリセリンになる。この植物タンパク質が、顔料を繊維に接着させる仲立ちの役割を果たす。

この松煙小紋の地色は、赤みに少し茶色を含ませた弁柄(べんがら)色。弁柄は顔料の一種で、土の中に含まれる鉄分が酸化した状態、つまりは腐食しているもので、日本中どこでも産出する。この地色は、この酸化鉄顔料を用いて染めたものである。

弁柄は赤系顔料の中で、硫化水銀鉱物の朱と共に最も古く、縄文時代から使用された形跡がある。弁柄の名前は、インドのベンガル地方で良質なものが多く産出したことに由来し、「紅殻」あるいは「紅柄」とも書く。江戸時代には、町家の建物の柱や格子戸に弁柄が塗られており、弁柄と銅の生産地として栄えた、岡山・高梁市の吹屋地区では、軒を連ねる家が全て赤い弁柄色に統一され、独特の風情を醸し出している。

この品物のモチーフは、菊。花弁が自在に伸びて、動きのある立体的な姿にあしらわれている。このような菊のことを、乱菊あるいは糸菊と呼ぶが、いずれにせよ菊の花を優美に、そして華やかに図案化したものと言えよう。なお上の画像で、乱菊の中心部に黒っぽく滲んだ箇所があるが、ここに使われているのが松煙である。松煙染の色の特徴として、こうした渋い墨色や青みを含む鼠色に染まっていく。

落ち着きのある奥州絣の生地を、弁柄染を使って深い赤に染め上げ、そこに秋を代表する花・菊を華麗な姿で描く。生地も染もモチーフも、すべて秋を思わせる品物で、これこそ、これから旬を迎える木綿キモノと言えよう。それでは、この秋色木綿にはどんな帯を使えば、より季節に寄り添う装いになるのか、考えてみよう。半幅帯を使った気軽な姿と、名古屋帯を使った本格的なキモノ姿の両方をご覧頂くことにする。

 

(首里道屯・木綿半幅帯 米沢絹和紙混紡・紗名古屋帯)

弁柄地色にリンクさせて、模様色に赤を含ませる帯を用意してみた。もちろん半幅帯では浴衣っぽく、名古屋帯ではカジュアルな街着として装うことを前提とする。

 

(白地市松格子 絹和紙混紡 八寸紗名古屋帯・米沢季織苑工房)

経糸に絹、緯糸に紙と絹を併用した、透け感のある紗の紙布帯。織り込まれている紙糸は和紙を裁断して縒りをかけ、糸状にしたもの。紙糸は軽くて強い性質を持つので、夏帯の素材としても相応しい。紗の粗く空いた透け目が、いかにも涼し気。

大きな菊が、反物の生地巾いっぱいにあしらわれているので、こうした幾何学的な帯の方がまとまりやすい。赤と墨黒の市松格子が規則的に並ぶが、白い無地場が多い帯なので、すっきりとした姿に映る。

小物はあまり色を前に出さず、涼やかさが感じ取れるような、大人しい組み合わせを考えてみた。帯締めは、白と細い二本の赤茶色の横縞。帯揚げは、薄グレーと薄藤色の二色横段暈し。(内記組帯締め・龍工房 紗メッシュ暈し帯揚げ・渡敬)

 

(白地 横段縞ミンサー浮柄 首里花織木綿半幅帯)

半幅帯も、白と赤を基調にしたものを選んでみた。小さなミンサー柄を浮織にした首里花織帯で、細い横段縞と等間隔の縦縞が交差している。乱菊の松煙小紋が洒落た姿になっているので、半幅帯で装ったとしても、あまり浴衣っぽくはならない。こちらも、上の紙布紗帯と同様に、幾何学的な帯図案でバランスの良い着姿になっている。

 

(桑染色 琉球紅型調模様 木綿奥州小紋・竺仙)

もう一つの奥州小紋は、数年前に浴衣コーディネートで登場させたので、品物の内容については、簡単に説明する。しばらく店の棚の中で出番を待ってたが、今年の夏ようやく見初める方が現れた。今日は、その時合わせた帯と一緒にご紹介しよう。

先述したように、奥州小紋は経糸に絣糸を使うことにより、紬のような表情が現れる品物。織り出される色は茶色だが、その色の気配は僅かに褐色味を帯びた薄い色。この色は、桑の樹皮を用いて染めた色に近いことから、桑色あるいは桑染と言う。温かみのある色だが薄いために、それほど暑苦しさを感じさせない。暑さのピークを過ぎた9月には、相応しい色のように思える。

図案は、桜と柳の間を琉球の鳥・トゥイグワーが飛び回っている。この琉球紅型や琉球絣に用いられるオーソドックスな模様が、キモノとして使うことを主張している。奥州小紋という生地、そして紅型調の図案からしても、盛夏ではなく、やはり秋木綿として装う方が的を得ている。

それではどのような帯で秋姿にしたのか、見て頂こう。浴衣ではなくキモノとして考えたので、合わせた帯は名古屋帯になる。

 

(白地 ピンク三本献上縞 博多八寸名古屋帯・西村織物)

紅型調の奥州小紋には、それほど色の気配が無いので、帯で装いの印象を明るくしてみる。求めた方が若い方だったので、思い切ってピンク濃淡の博多献上帯をお勧めした。

キモノの模様が割と大きく、流れのある小紋柄なので、やはり帯はシンプルな抽象柄の方が、しっくりとまとまる。こういう時に博多献上帯は、とても都合が良いアイテムで、キモノの雰囲気を壊さず、そして特徴的な縞模様を生かしながら、バランスの良い着姿を形作る。

この献上帯は、二本の華皿模様の間に一本の独鈷模様をあしらった「三本献上」で、縞の色を華皿は濃く、独鈷を薄く付けている。模様を、同色のピンク濃淡にすることで、古いイメージの献上縞が可愛い姿になる。一般的な献上縞の本数は、三本か五本だが、模様の間隔が狭くなる五本献上は、地味になりがち。

奥州小紋は生地の性質から、挿し色が藍や茶などに限定されるために、どちらかと言えば、落ち着いた姿になる。少し印象を変えたい時には、帯の色目を工夫することが、一番手っ取り早い方法だ。

帯のメイン色・ピンクを、そのまま小物にリンクさせる、一番オーソドックスで無難なコーディネート。帯揚げは白地にピンクの飛び絞り、帯揚げは白とピンクのレース縞。(レース組帯締め・翆嵐工房 絽飛び絞り帯揚げ・加藤萬)

 

今日は、竺仙の少し贅沢な木綿生地・奥州小紋と松煙染小紋を使って、夏から秋へと渡る「処暑の装い」を考えてみた。綿の生地質や色、そしてあしらわれる図案によって、僅かな旬の違いがある。コーマや綿絽、あるいは生地が軽い紅梅系の綿織物は、やはり盛夏が中心になり、生地が厚手の綿紬や奥州絣は、秋口になって装う方がタイムリー。

このところ夏が長くなっているので、自分で手入れが出来る木綿の出番は、自然と多くなる。生地にも模様にも、バリエーションに富む綿織物。旬を考えながら品物を選ぶと、また装いの視野が広がる。暦の上では、夏を終う時期に差し掛かっているが、木綿の装いはもう少し楽しめそうなので、ぜひ皆様も特徴ある品物に目を向けて頂きたい。

 

「棉柎開」の他にあと二つ、繊維をテーマとする七十二候があります。それが、「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」と「紅花栄(べにばなさかう)」です。どちらも、24節気の小満(5月21日~6月5日)の間の候なので、その名称は、初夏の気候を象徴する内容になっています。

春の蚕が脱皮を繰り返し、羽化する前に一番葉を食べる五齢の時期を迎えるのが、5月の終わり頃。そこで「蚕が起きて、桑を食む」と候の名前が付きました。また6月の初旬は、紅を発色させる天然染料・紅花が咲き始める季節。「紅花栄える」は、その様子をそのまま候に反映したと考えられます。最初に節気や候が中国から伝えられたのは、七世紀末の奈良時代でしたが、江戸期になって当時の天文学者・渋川春海の手で、日本の気候に見合う名前に改訂されました。

 

候で取り上げられている繊維は、棉と蚕(絹)と紅花。何れも明治までは、日本の至る所で作られていた植物材料であり、綿糸・綿織物と生糸は、戦前まで最も重要視された日本の輸出品になっていました。それが現在では見る影も無く、ほとんどは輸入に頼らざるを得ないような状況です。また紅花のような天然染料は、遠の昔にその役割を化学染料にとって代わられています。

二十四節気・七十二候の名称は、とっくに形骸化しており、改訂の時期を迎えているかも知れません。けれども今、折々の気候を反映できるような名前を付けることは、極めて難しいでしょう。何より、激しい気候変化による災害の多さが、優雅な季節のうつろいを、どこかに吹き飛ばしてしまっています。

ですが、季節を感じ取る心だけは、持ち続けたい。だってそれが、古来から日本人に備えられてきた、秀でた感受性なのですから。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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