今更言うまでもないが、エアコンとは、「エア=空気」と「コンディショナー・整える」を合わせた空調機器のこと。室内と室外二つの機械を配管で繋げたエアコンは、熱交換に必要な物質・冷媒によって空気中の熱をコントロールしており、冷房では室内の熱い空気が放出され、暖房では室外の空気を取り込んで暖めている。いずれにせよ、エアコンを使用する際には、整えた空気を逃がさないよう室内で循環させるため、窓を閉め切ることが基本になっている。
内閣府の調査によれば、二人以上の世帯のエアコン普及率は9割以上。その要因は昨今の気象の極端化によるもので、冷暖房がいずれも不要という季節は年々短くなっている。特に夏は気温が30℃を越す日が長く続き、5月の終わりから10月の初めまで、冷房が稼働する。なので部屋の窓は、この間ほぼ閉め切られることになる。
昨今は空調の熱効率を高めるために、家の構造そのものが高気密になっており、外気は遮断されて中の空気は漏れにくい。これによっても、家の中に自然の風や空気が取り込まれる機会は限られ、多くの人々は「作られた心地よい環境」の中で生活している。
翻って「冷やす機械」が全く無かった江戸の人々が、いかに厳しい夏を凌いでいたのか振り返ってみると、今とは真逆の「風を通すこと」に力点を置いていたように思える。
最も多く使われたものは、葦簀(よしず)と簾(すだれ)。どちらも細く割った竹や葦を糸で編んで作ったもので、これを軒先に並べたり、窓に吊るしたりして使っていた。密に編まれた素材が熱を遮り、空いた隙間からは風が入る。この道具は、日よけと風通しを兼ね備えた優れモノで、江戸の夏を凌ぐためには欠かせない道具だった。
そしてこの時代の人々は、いかに自然の力を呼び込むかを常に考えていた。家の前で打ち水をすれば、地面の熱が冷えて、自然に風が呼び起こされる。この風は簾を通して部屋に涼しさを呼びこむ。江戸の人々は、「限られた知恵」を生かしながら、厳しい夏を乗り切っていたのである。
また「風を通す工夫」は、居住する家だけではない。当然身に付ける夏の衣類=キモノも、風通しの良い素材が選ばれていた。それは麻や木綿、薄絹など原料を考えるだけではなく、絽や紗、羅といった生地の織技法にも工夫を凝らす。心地よく夏を装うための特別なあしらいは、すでに千五百年も前の飛鳥時代から始まっていたのである。
という訳で今日は、風通しの良さと涼やかさが特に感じられる夏の織生地・紋紗を取り上げてみたい。先頃、この白生地を使って独自の色染を試みてみたのだが、それがどのような品物となって仕上がってきたのか、それをご覧頂きながら、この素材が持つ特性と使い道を考えることにしよう。
(誂え染紋紗生地 左 百合模様・青磁色 右 薔薇模様・萩色)
染めモノに使う夏の絹白生地の役割は、いかに装い手に、見た目の涼やかさと実際に着た時の心地良さを感じさせるか、ということに尽きるだろう。そのため生地には、応分の透け感と肌離れの良さが必要になるが、最も重要になるのは通気性である。
特に最近の厳しい暑さを考えた時、風を通さないキモノを着続けることは、拷問に等しい。夏の装いは、その涼し気な色と季節感溢れる文様が相まって、例えようもないほど美しい着姿を映し出す。「人目を惹く」ことにかけては、冬の装いの比ではない。そんな時、装う本人が暑さに負けて「つらそうな表情」を見せる訳には行かない。そこで大切になるのが、着心地に直結する風通しの良し悪しで、それは装いの質にも大きく影響してくる。折角の夏の装いが、我慢大会になってしまっては、何にもならないのだ。
そこで夏キモノの素材として、どのような白生地を使うかということになるが、大きく分けて三つの織り方がある。それが、絽と紗と羅になる。いずれも生地に隙間を空けた織技法を採り、通気性と涼やかさを併せ持つ夏姿を特徴付ける素材。
このうち、最も古くて複雑かつ難しい織技法が、羅である。これまでも何回かブログの中で、この織技法について説明してきたので詳細は省くが、簡単に言えば、一本の経糸を他の経糸に絡ませ、その間に緯糸を織り込んでいくもの。これにより経糸の方向が直線に向かず、左右に捩れてからみ合うことになる。そのために織り出される文様は、隙間を空けた菱や斜め格子など特徴的な幾何学文に限定される。三種類の夏生地の中で最も製織数が少なく、現在用いられるアイテムはほぼ帯に限られる。
三つの生地素材の中で、夏モノとして最も多く使われているのが絽で、織り出された時期も江戸初期と一番新しい。これも基本的には搦(からみ)織の一種で、奇数の緯糸(三本・五本・七本など)を越したところに二本の経糸を捩って隙間=絽の目を作り、その間を平織にするもの。従来の紗では、隙間が多すぎるために、精緻な模様を染め上げることは難しかった。そのため友禅染が発達した江戸期になってから、絽の製織が行われるようになった。そんな訳で、現在小紋や夏のフォーマルモノに使われている生地は、そのほとんどが絽になっている。
紋紗白生地の見本布。20種類もの図案を繋げて、模様見本にしている。
最後に残ったのがこれからご紹介する紗だが、これも羅や絽と同様に、地の経糸と捩れた経糸・二種類の経糸と緯糸が組織して作る隙間・錑目(もじりめ)が織り出されているが、これはかなり生地面に隙間が空くものでもあった。紗の技法は、羅と比べて容易だったことから中国で大いに発達し、日本でも奈良期には伝来しており、その技術を用いて織り出された紗の裂が、多数正倉院に残されている。
紗は平安期になって、従来の組織を変化させた「顕紋紗(けんもんしゃ)」という薄織物が織られるようになる。これは二通りあって、一つが紗地に平組織で文様を織り出したもの、もう一つが、平地に紗組織で文様を織り出したものである。素材糸にも特徴があり、経緯糸共に不純物を取り除いた精練糸を用いることで、絹特有の光沢としなやかな風合いが生まれ、通常では二本の経糸を捩らせるところを三本使うことにより、強い地の組織を作った。
七宝繋ぎは、公家装束に用いられていた最もポピュラーな有職文。
顕紋紗に代表される紗は、平安貴族の夏衣裳の主役となり、様々な宮中装束に使われるようになる。その装い姿は、地から浮き上がった文様が、下に重なった色からほんのりと浮き上がり、それが隙間を空けた生地感に伴って、なお涼やかな姿となって映し出される。それは、いわゆる「襲の色目」の美しさを体現したものになっており、特に夏の薄物の場合には、その色の重なりを「匂い」あるいは「薄様」と呼んだ。
斜めに直線を交差させた網代文など、見本布には幾つも幾何学図案がある。
かように、夏薄物として古来より愛され、使い続けられてきた紋紗。地の上に表現される文様は多彩であり、下の襦袢の色に連動して浮き上がる色目によっても表情が異なることから、様々な工夫を凝らして着姿を演出することが出来る品物と言える。つまりこれは、夏キモノとして、最もオリジナリティを発揮しやすい品物なのである。
と言うことで、今年は夏を前にして、紋紗の白生地をバイク呉服屋好みの色で、誂え染を試みてみた。どんな模様をどんな色で染め、どんな姿に仕上げたのか、これからご覧頂くことにしよう。
薔薇模様 紋紗白生地・マルシバ
以前にもご紹介したが、この紋紗生地を扱っているのは、白生地メーカーのマルシバ。丹後や長浜、あるいは五泉といったポピュラーな産地の品物だけでなく、加藤改石製織の牛首手織紬のような、希少な白生地も扱っている。主な取引先は三越だが、大松を始めとする友禅の工房にも生地を納入している。
さて問題は、どのような文様の白生地を選ぶかなのだが、15種類ほどある見本布の図案は、上で掲げたような有職文や幾何学文が多い。品物の捌きやすさを考えれば、こうしたオーソドックスな図案の方が無難で、たとえ売れずに残ってもそれほど心配はない。この生地の長さは、3丈5尺ほどあり、キモノだけでなく長い丈の羽織やコートに誂えることが出来る。こうした汎用性を考えれば、なおのこと「普通の図案」の方が良さそうだ。
けれども、それではありきたりで面白味は無い。専門店の品物には、やはり個性が求められ、そこに売り手のセンスや好みが反映されなければならない。ということで、今回は思い切って植物模様単独の図案を選ぶことにした。自分の好みで色染することを考えれば、やはり植物文の方が色を想起しやすく、意匠としてオリジナリティが発揮されやすいのではないだろうか。
そこでまず選んだのが、薔薇模様の紋紗生地。そもそも薔薇をモチーフにした紋織生地など、夏冬通してほとんど見たことが無かったので、見本布の中でこの生地を見つけた時には、直ぐに手が止まった。
織り出された薔薇の花は、大きくも小さくも無く、生地全体に連なってあしらわれている。単純に花だけであるのも良く、色染すれば着姿から模様がふわりと浮き上がってきそう。洋花である薔薇は、キモノや帯のモチーフとして使われる機会は少なく、大正期になってようやく、モダンな銘仙や染帯の図案として顔を見せるようになった。
薔薇は一般に、5~6月に咲く春バラと10~11月に咲く秋バラに分けられるが、紋紗を装う時期は夏なので、厳密に旬を考えれば少し外れているかもしれない。けれども薔薇は、誰もが華やかなイメージを持つオーソドックスな花。だから、それほど季節感を意識しなくても良いような気がする。と言うことで、まずこの薔薇紋紗を使って誂染を施すことにした。
染め上がった薔薇の紋紗生地。下に置いてあるのは、色染に使った見本帳。この薔薇図案に染付ける色を考えた時、もうピンク系の色しか思いつかなかった。
本来の薔薇は深紅もあれば黄色もあり、オレンジも藤紫もある。けれども紋紗の姿は、下の生地に重ねて色と図案を浮き上がらせて着姿に映すもの。やはり薄物であることを意識して、重ねた時の色の気配を予め想像すれば、あまり濃い色は向かない。そうしたことを勘案して選んだのが、この落ち着きのある萩色だった。
枕草子には、「朽葉の唐衣、淡色の裳に、紫苑、萩などをかしうて、ゐ並みたりつるかな(136段)」とあり、宮中に使える女房達の衣裳の、紫苑(しおん)や萩の色に合わせた襲の色目が、初秋の着姿を映してとても美しいと述べるくだりがある。
萩色は、紅が掛かった紫色を白で薄めるような色の気配を持ち、それが夏から秋へと繋がる初秋の風情を醸し出す。そんな意味からすれば、この紋紗の色もこの時期に装うと、なお趣きを増すように思われる。
百合模様 紋紗白生地・マルシバ
そしてもう一つ選んだのが、この百合模様。花と葉を横向きにあしらい、その間に流れるような蔓を配した動きのある図案。全体が図案化されているので、百合がモチーフとは少し判り難いが、かえってはっきりしない方が使い勝手が良いかも知れない。
誂え色として選んだのは、涼やかな青磁色。モチーフの百合の楚々としたイメージにもピッタリ合致した色で、いかにも夏の装いに相応しい。そもそも百合は夏花を代表する植物なので、これは図案も色目も、紋紗の装いを十分に引き立てるものになっている。
染め出しをした生地には、見本帳と色見本番号、そして依頼した店の名前を書いた渋札(渋紙・柿渋を使った紙)が括りつけられている。頑丈な渋紙には、こうして誂え染の際に職人に知らせる重要事項を記しておく。こうすれば、染める色を違えるようなミスは無くなり、仕事が確実なものになる。色染めばかりでなく、洗張りやスジ消しの際にも品物に渋札が付けられる。
爽やかさが前に出る青磁色。ごく薄い色だが、下に白い襦袢を付けると、この淡く柔らかい緑色が、百合模様と一緒に浮き上がり、涼やかなことこの上ない着姿になる。キモノにしても良し、単衣や夏薄物の上に羽織るコートや道中着、あるいは羽織にしても良いだろう。
この微妙な色の薄さが、襲の色目となった時に生きてくる。紋紗生地を誂染する場合、下に着用する白や生成色の襦袢に合わせた時、どのような色の重なりになるかを常に考えておく。袷の色無地を誂染する際には無い「色の類推」が、特に必要になる。
この青磁色・誂え紋紗無地は、先日羽織として誂えの注文を受けた。上の画像が、その完成形。画像からは百合模様が判り難いが、単衣や薄物の上から羽織ったその姿には、紋紗独特の軽やかで涼し気な表情が生まれてくるように思う。
今日は夏の装いを彩る紋紗について、その生地の特徴や相応しい染色などを画像と共に説明しながら、ご紹介してきた。透け感のあるキモノや羽織は、装う方だけでなく、その装いを目にする人たちにも特別な印象を持たせる。紗や絽のキモノ、あるいは羅の帯が持つ涼やかさは、和装を知らない人をも振り返らせる力がある。ぜひ皆様も、平安びとのような美しい色重ねの装いを、紋紗の夏姿で経験して頂きたい。
コントロールされた湿度や気温の中に、ずっと身を置き続けると、体の調節機能が鈍って、少しの変化にも対応できなくなってしまいます。かといって、年々酷くなる夏の暑さを凌ぎ、まともな日常生活を送るためには、どうしてもエアコンの力に頼る他はありません。
環境はどんどん変化し、人間はどんどん弱くなる。もしかしたら令和の日本人の方が、江戸時代の日本人より、ずっと耐性が低いかも知れません。生物の多様性が加速度的に失われていくことこそ、未来に対する最大のリスクかと思うのですが、それに目を瞑って、些末なことばかりに捉われる国の指導者の何と多いことか。本当に世の中、もう末のような気がします。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。