バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

婚礼衣装を誂える(中編) 紋あしらい、そして帯合わせを考える

2023.01 22

和装にとって江戸という時代は、画期的であり、またある意味では、革新に満ち溢れた時代だったように思える。例えば、桃山期から江戸初期に使用した帯は、幅の細い平絎(ひらぐ)帯や細い紐状のモノを巻き、結び垂らしていただけだったが、中期の元禄の頃には、帯の幅が広く長くなると共に、幾つもの結び方が考案されて、一気にその装飾性が高まった。そして後期の文化・文政時代に入ると、年齢や身分に応じた帯結びが開発され、その個性溢れる帯姿は、まさに百花繚乱であった。

そして帯だけではなく、キモノの反物丈が長くなったことを契機に、女子はおはしょりを作る装いに変わり、それは現代まで続くキモノ姿の原型となっている。また装いだけではなく、キモノの模様を表現する方法として、糊防染による友禅染が開発されたのも元禄期であり、自由に図案を描くことが出来るこの画期的な技法が、現在まで脈々と受け継がれ、多くの意匠作りに生かされている。

 

こうした着姿や文様表現と共に、大きく変化したのが髪型であろう。平安から江戸までの800年間、身分を問わず、女子の髪型は長い髪を下ろしていた。だが江戸初期になると、髪を束ねて結わえる「立兵庫(たてひょうご)」や折りたたんで結ぶ「島田髷(しまだまげ)」を作る女性が現れる。それまで下げ垂らすだけで、結うことの無かった髪の形が、ここで革新的に変わったのである。

中期の元禄以降は、友禅染の勃興により衣装模様が流麗になったことを受けて、髪の結い方も様々にアレンジされると同時に、基本形も生まれてくる。それは、最初に髪のてっぺんを丸く束ね、残りを前髪と横の二つに分け、最後に中心の根元に集めるようにしたこと。これが結髪の土台となり、後に難しい技術を駆使した複雑な髪型に発展する。

女性たちは、物心がつく頃から自分の髪をまとめる練習をし、十二、三歳の頃には、一人で自分の髪を結えたり、あるいは他人の髪をも結えるようになっていった。当時、自分で髪を結えることと自分のキモノを縫えることが、嫁入りの条件となったとも言われている。そして帯結びと同様に、年齢や社会の階層ごとに結い方が分れ、それにより髪型はより多様化した。

 

さてこうして生まれた多彩な江戸結髪の中で、令和の今まで続いているのが、花嫁姿を彩る日本髪・文金高島田である。大奥の御殿女中や嫁ぐ前の武家の娘が、好んで結ったとされる島田髷は、髪を束ねる根元の位置が高いために、髷が水平となりふっくらして見える。この髷を高く結わえることが、男性の髪で、高く浮いて根元から急傾斜する「文金風」に由来することから、合わせて「文金高島田」の名前が付いたとされる。

高い位置の髷姿は、極めて優雅で上品な髪姿を象徴する。この優美さがあったからこそ、明治以降、婚礼に相応しい日本女性の髪姿として、今日まで尊重されてきたのだろう。今回花嫁衣裳の誂えをされたお客様も、もちろん自分の髪で日本髪を結うことを望まれ、その結姿に相応しい衣装は何かを考えて、バイク呉服屋に依頼をされた。

今日の稿も前回に引き続き、どのように婚礼の誂えを施していったのか、紋誂えとと帯選びを中心にして、話を進めることにしよう。

 

(誂え終えた振袖と合わせて選んだ袋帯 黒地 檜垣取花鳥丸文・紫紘 Mさま撮影)

帯は、誂え終えた振袖を傍らに置きながら、合わせ選んだ。白生地を選んで別染する振袖だっただけに、仕上がってきた色を見極めてからでないと、本当に見合う帯は選べない。上の画像は、お客さまが、着装の直前に誂えた振袖と袋帯を並べて写したもの。不覚にも私は、帯選びの際に、振袖と袋帯を合せ置いた画像を写すことを失念していたので、ここではお送り頂いた画像を使わせて頂いた。

振袖の色は理想通りに染め上げることが出来たが、帯や小物をどのように合わせていくかが、次の課題となる。そしてその前に、この無地振袖に「どのような紋を施すか」という命題も、クリアしなければならない。ではまず、紋の誂えからお話してみよう。

 

今回、この誂え染の振袖に施した紋は、八重向梅(やえむかいうめ)紋。

この婚礼用無地振袖を誂えるにあたり、Mさまの方から「紋は三つ紋で」との希望をお伺いしていた。無地であり、しかもここ一番の婚礼衣装であることから、紋は欠かせない。昭和30年代までは、無地ではなくとも振袖に紋を入れることが多かった。未婚の第一礼装として強く認識されていた振袖だからこそ、家の象徴・家紋が欠かせなかったのである。

けれども、この無地振袖に入れる紋に関しては、家を象徴する意味合いは持つものだが、もう一方でデザイン性ということを考えて選ばれていた。普段私の店で、女性が色無地紋付を誂える際には、その多くが実家の紋か嫁ぎ先の紋を選択される。けれども中には、家とあまり関わりのない第三の紋とも言うべき紋を選ばれる方もおられる。すでに時代は、家制度が相当に薄れており、自分の家の紋さえ理解していない方も多い。もう以前ほど、堅苦しく考える必要は無くなっていると考えるのか、妥当であろう。

けれどもMさんは、やはりどこかに「自分の家と関わりのある紋」をあしらいたいと考えられていた。そこで家のルーツを辿りつつ、紋を確認していくことにして、その中で優れたデザインを持つ紋があれば、それを使おうと考えたのである。

 

Mさまのお母さまのお母さまのお母さま、つまりひいおばあさまが、嫁入り衣装として持参した鮮やかな空色地の振袖。そこに入れられていた紋が、この八重向梅だった。

Mさまのご実家・父方の紋は「鷹の羽違い」で、お母さまのご実家の紋が「丸に三つ引」。Mさまの言われるところでは、この二つの紋は双方ともに、「裃か陣旗に付けた方が似つかわしい紋」とのこと。武家っぽく勇ましい紋姿で、女性らしい可愛さに欠けるのは、私も理解出来る。さらに探すと、お母さまのお母さま(つまり、おばあさま)の実家の「蛇の目に花木瓜」という紋が出てきたのだが、珍しい複合紋で形は悪くは無いのだが、まだ少し堅苦しい。

そして最後に「これは、どうか」と持ってこられた振袖に入っていたのが、この八重向梅紋であった。Mさまは、この無地振袖の色を選ぶ当日、紋選びの参考になるようにと、おばあさまやひいおばあさまのキモノを用意していた。よくこれだけの品物が、時代を越えて保管されていたと感心してしまったが、この振袖は、最も古い品物だった。

染め色や紋を決めた日、さらに帯選びをした日には、Mさまのお母さまも同席されており、品物由来や、紋について話を聞かせて頂いた。この八重向梅紋付振袖を誂えた、お母さまのおばあさまは、1886(明治19)年に熊本の旧家に生まれた方で、このキモノはおそらく、明治末年頃の品物と推測される。

梅を八重に重ねた紋の姿は、いかにも女性らしく、可愛い。この振袖の紋を見た瞬間、Mさまもお母さまも私も、「この紋が良い」ということで衆議一決。迷うことなく、この八重向梅をあしらうことに決まった。式を終えた後、Mさまから頂いたメールには、「新しく誂えたキモノの中に、紋と言う形で、昔の記憶を引き継ぐことが出来て、良い記念になりました」と書かれていたが、まさしくその通りで、本当にこの紋を選んで良かったと私も思う。それが出来たのは、やはり100年以上も、この振袖をきちんと保管していたからであり、そこに確かな歴史の重みをも、感じさせてくれるのである。

仕立をする前、紋を入れた生地を合わせてみる。紋の中には、小さな数字・220822と書かれているが、これは紋をあしらった紋章上絵師・西さんのサイン。2022年8月22日と、紋を入れた日付を残している。もちろん、このサインはキモノ姿からは見えず、紋の中に隠れてしまう。

あしらった紋は三つで、背に一つと両袖に一つずつ。そして通常の女性紋の大きさ・直径5分5厘(約2cm)ではなく、男性紋と同じ大きさ・直径1寸(約3.75cm)になっている。大きくした理由は、紋を一つのデザインとして考えているからであり、この優しく女性らしい「八重向梅」を着姿のアクセントとして、強調したいという意図がある。

そしてこの紋には、もう一つの工夫がある。それは「切り付け紋」という技法を用いていること。描いた紋を特殊な細糸で縫い付ける「切り付け」は、後に取り外すことを前提として考えた紋入れ技法である。この振袖は、後に袖を短くして、無地キモノとして装うことを想定している。その時には紋も、この大きく目立つ紋ではなく、通常の女性紋に入れ替える必要が出てくる。だから色を抜いてあしらう「染抜き紋」にしてしまうと、直しに手間と費用が掛かる。糸で縫った切り付け紋なら外すのは簡単で、生地に齟齬も出てこない。なお「切り付け紋」については、かなり昔にその仕事ぶりをブログでご紹介しているので、そちらをぜひお読み頂きたい (2013.8.19の稿)

 

別誂無地振袖に見合う帯として提案した、紫紘の帯10点。

依頼されたMさまは、今回の婚礼用振袖一式を誂えるに当たって、最初からきちんとしたコンセプトを持っておられた。自分の好む色で無地振袖を誂えることと同時に、それに合わせる帯の色や模様にも、はっきりとした希望を持たれていたのだ。つまり着姿のイメージが、ご自分の中でしっかりと固まっていたことになる。

帯を提案する際には、Mさまの理想とする装いにいかに近づけるかを、まず最初に考えなくてはならないが、それは何はともあれ、「正統派の古典で、重厚感のある姿にする」ということである。まずは、この条件を満たす帯を探すことが求められる。ただ有難いことに、予め探して欲しい帯のメーカーや、その地色、文様など、極めて具体的な希望をお伺い出来ていたので、私としてもスムーズに仕事を進めることが出来た。

どこの帯屋が、どのような意匠を選んで帯を織っているのか、とてもよく理解されている。そしてそれは、どれを選んでも「美しく重厚な姿」になることには、間違いのない帯ばかりであった。

別誂無地振袖に見合う帯として提案した、龍村の帯10点。

明度の高い、はっきりとした牡丹色無地振袖を、帯で重厚な古典の装いに形作るとなれば、帯の地色は豪華さを際立たせる黒・白・金・銀となるだろう。実際にMさまの希望も、私と違わなかった。また、きっちりとした古典を表現する意匠として、格天井文や蜀江文、七宝文あたりに注目されており、モチーフも松や菊、扇面、雲取、雪輪、雪持柳などを挙げられた。

そして図案の配色には、薄水色や抹茶色が入り、そこに橙色や黄緑、朱などを散りばめた、多色使いの華やかな帯が良いと話される。重厚できっちりとした意匠であると同時に、振袖だけではなく、この先に無地紋付のキモノに合わせる帯として、長く使うことが出来るような、飽きの来ないスタンダードさが求められていると、私は理解した。

別誂無地振袖に見合う帯として提案した、梅垣の帯7点と、川島、捨松帯2点。

当日帯合わせのために持参した帯は、上の画像にある合計29点。私の商いの常として、キモノに合わせる帯を依頼される時には、せいぜい10点ほどしか提案しない。それに比べて、今回は明らかに多い。その理由は、Mさまの希望がかなり具体的であり、それがまたオーソドックスな古典文様だったために、ついぞお目に掛けたい帯が多くなってしまったのだ。さらには、希望される帯メーカーが、紫紘・龍村・梅垣と馴染みのある織屋ばかりだったこともあるだろう。

では、この30点ほどの帯の中で、何が選ばれたのだろうか。そして、その帯が見初められたポイントはどこにあったのだろうか。

 

(黒地 檜垣取 春秋花鳥と狂言の丸文様 袋帯・紫紘)

帯選びの途中経過は端折るが、最終候補として残ったものが三点。それは求めて頂いた黒地桧垣文の他に、紫紘の白地・菊唐草菱華文(紫紘帯画像の上段右から二番目)と、龍村の黒地・招福三友錦(龍村帯画像の上段一番右)。文様で言えば、檜垣花鳥文・菱菊唐草文・松竹梅文となる。

紫紘の二点は、檜垣・菱と幾何学文で文様を大胆に区切っており、そこに春秋花や菊唐草をあしらったもので、構図やモチーフは全く違うものだが、意匠パターンは共通している。龍村の松竹梅は、図案一つ一つが大胆でインパクトが強く、思わず圧倒されそうな意匠である。

檜垣で切り分けられたところに、枝垂れ桜に鳳凰、露芝に菊、桔梗、さらに能装束のあしらいによく使われる狂言の丸(紋尽くし)が散らされている。桧垣が不揃いなので、中に入る図案の嵩は各々違う。

そして、牡丹色無地振袖に合わせる帯として、この紫紘の黒地・檜垣春秋花文が選ばれた。決め手となったのは、檜垣文の中に春秋の花を組み込むという構図の面白さと、モチーフ全てが古典的なあしらいになっていること。そしてやはり、どんな色のキモノでも抑え込んでしまう「黒地の帯」が持つ独特の力には、抗えなかったということなのだろう。さらに言えば、檜垣の切込みと中に入る模様の大きさのバランスが良く、それを飽きなく長く使えそうな意匠と判断したことも、大きな要因となったと考えられる。

 

さて、こうして紋あしらいが決まり、合わせる袋帯も決まった。それでは、どのような装いの姿となったのか。Mさまから実際の画像を送って頂いており、またそれを掲載するお許しを頂いているので、次回は皆様に、その美しく、麗しい姿をご覧頂きたい。また、この振袖と帯に合わせて使った小物類や襦袢についても、一緒にお話してみたい。そして、今回依頼された花嫁衣裳がどのように完結したのか、まとめの話をしよう。

なお次回の稿では、「1月のコーディネート」をご覧頂き、「婚礼衣装を誂える(最終編)」は、2月最初のブログでアップする予定にしているので、少しお待ち頂きたい。

 

花嫁衣装として誂える振袖一式は、やはり「威儀を正す装い」になります。キモノや帯が、和装の王道を行く重厚で古典的な意匠であることはもちろん、その姿をきちんと完成するために、小物類にまで、その意識を行き渡らせる必要があります。それはおそらく、礼装の名に恥じない姿とは何かを考えなければ、きちんとした答えが出せないと思います。

帯に造花を付けたり、鎖のようなものを巻き付けたり、レースの襟を付けたり、とんでもなく衿を抜いた姿にしたり、あちこちにギャザーを入れた変則的な帯結びをしたり、そうかと思えば帯を前結びしたり、花魁のようにもろ肌を脱いでみたり、帯締めも帯揚げも変則的にリボンのように結わえてみたり。これが今の「トレンド」で、これこそが「令和の振袖姿」とお考えならば、どうぞお好きなように、ご自由におやりになれば良いでしょう。

けれども、それしか知らないならば、振袖の本当の意味での美しさに触れられないまま、終わってしまうことになり、誠に残念と言うほかはありません。ただ、水を飲む気のない馬に水を飲ませることは難しいですし、無理に飲んで頂こうとも思いませんね。 今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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