バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

7月のコーデ―ネート  甕覗の淡さで、涼やかな夏姿を演出する

2022.07 25

「隣の芝生は、青く見える」とは、自分が持つモノ、あるいは自分が置かれた立場や生活が、他人より劣っていると感じてしまうこと。たとえ、様子をちょっと覗き見しただけでも、他人のことは自分より良く見える。こんな心理状態に苛まれる人は、結構多いのかも知れない。

サラリーマンや公務員の友人からは、「人に使われず、組織にも捉われず、自由気ままに生きているようで羨ましい」などとよく言われるが、それは自営業の、ほんの僅かな仕事の側面を覗いただけのこと。どうやら私には、人間関係のストレスが全く無いように見えるらしいが、一人だからの苦労も、それなりにはある。

 

一見自由な私であっても、組織に属して生きる人を見た時、羨ましくなることは沢山ある。例えば収入面から考えても、組織にいる限りは一定の給料や残業代が出て、ボーナスも受け取ることが出来る。その上いくばくかの退職金も貰えるとなれば、ある程度は収入の目途が付く。それは、人生設計が立てやすくなることに繋がるのだ。銀行が住宅資金を融資する場合、一番良い客は公務員か上場企業の社員と言われるが、それはとにもかくにも、収入が安定していて、焦げ付きが少ないと見込めるからである。

これが、私のような個人経営主であれば、いつ商いの状況が悪くなるか、見通しが立たない。今良くても、将来を見通せなければ、簡単にお金は貸せない。金融機関は融資の際のリスクを、出来る限り排除することが前提とされる。これが、雨の時は傘を貸さず、晴れる時にだけ貸したがるという話に繋がっていく。

 

組織人にしても自営自由人にしても、現代社会で生きることは容易ではない。なのでお互いに、その姿を少し覗いたくらいでは、本当のところは何もわからない。「覗く」という言葉は、僅かな隙間から様子を伺うという意味を持ち、何気に密やかな感じがする。この、見えるか見えぬかはっきりしない朧気さが、双方に誤解を生むのだろう。

さて、色にも「覗く」と名前の付いた、本当に微妙でごく淡い色がある。それが藍の薄色・「甕覗(かめのぞき)」。例によって、前振りの無理なこじつけが長くなってしまったが、今月のコーディネートでは、夏姿を演出する姿として、甕覗の色にちなむ品物を考えてみたい。どれだけこの色の涼やかさを引き出せるか、試すことにしよう。

 

(甕覗色 霰模様・経三本絽小紋  露草色 蔓唐草模様・四ツ井健 夏紬染帯)

夏をイメージする色となると、やはり青系になる。澄み渡る空、緩やかな川水の流れ、穏やかな海のさざ波。涼やかさや爽やかさを装いに求めるとなれば、どうしても夏の情景色・青を使いたくなる。この色をまとうと、本人だけではなく、その姿を見た者にも心地よさが生まれる。それはおそらく、自然と共に生きてきた人間にとって、青という色が常に身近に存在するからだろう。

日本で青を表現してきた技法と言えば、もちろん藍染。藍葉を用いた染色技法は、すでに奈良期には完成されており、正倉院宝物の中にも数多くの藍染色裂が見られる。藍染技術は、律令期には官僚の衣服を製織した織部司(おりべのつかさ)などで管理されていたが、中世になると民間で藍染を業とする者が現れ、これが後の紺屋に繋がっていく。桃山から江戸になると、木綿の栽培が盛んになり、それと共に藍の需要は一気に増えた。理由は、庶民の普段着である綿や麻に、藍染料が良く馴染んだからである。

 

藍の色は、発酵した状態(染色が可能になることを「藍が建つ」と言う)により変わり、またこの藍甕に布を浸す頻度によっても、変わっていく。黒に近い藍・褐色や鉄紺は、深い青。墨色を含む青・青鈍(あおにび)や緑の気配を持つ納戸(なんど)は、中間的な青色。紺や縹(はなだ)色は、最もオーソドックスな青。そこから、浅葱(あさぎ)や水と薄くなるにつれて、色は淡さを増す。

そして藍で染める青の中で、最も淡く柔らかい色が、甕覗(かめのぞき)になる。染料が入る藍の甕に、僅かな時間だけ浸けて布を引き上げる。これを、ちょっとだけ甕を覗いた染・甕覗と称したのである。なので、この薄い青には「覗色」の別名も付いている。今日のコーディネートの目標は、この色を基調とするキモノを使って、着る人にも見る人にも、爽やかな夏姿を印象付けること。では、始めてみよう。

 

(甕覗色 霰に水玉模様 経三本絽小紋・トキワ商事)

絽なので、畳の上に置いて画像を写すと、キモノ地色と畳の黄土色が重なって「襲(かさね)の色目」のようになり、本来の色が見えてこない。画像ではグレーや藤色を感じさせるが、実際のところは、淡い水色をさらに薄くした色。ごく薄い藍染液に、ほんのちょっと浸しただけで引き上げたとしても、布はほんのりと色に染まる。そんな「覗き色」は、真っ白の布の白さを消してしまうことから、「白殺し」の異名も持つ。

模様は、米粒のように小さな霰が全体に散らされ、その所々に白く抜けた水玉模様が配されている。挿し色は全くなく、極めて色の気配が乏しい。地の甕覗と白霰模様の色の差はほとんどないが、霰や水玉は地から浮き上がったように見えて、微妙に表情を作る。僅かに感じ取れる淡さこそが、この小紋の個性になっている。

地の絽の目を拡大してみた。画像から、絽目の間に三本の糸が入っていることが見て取れる。絽は、奇数の緯糸ごとに経糸を絡めて織ることで、一定間隔の隙間・絽目を生地に作る。この小紋には、緯糸三本が平織されて入っているので、三本絽あるいは三越(みこし)と呼ばれる。

入る緯糸の数は必ず奇数だが、これは捩った経糸を再度捩じって戻す際に、平織部分が奇数回になっていなければ、経糸と緯糸の上下関係に不具合を起こすため。絽の呼び名は平織に入る本数で決まり、三本なら三本絽、五本なら五本絽になる。キモノ生地に使う絽は、七本絽辺りまでだが、帯には、隙間の少ない十一本や十三本絽を使うことが多い。当然ながら、絽目を作る間隔が変われば、風が通る隙間が変わり、それに伴って涼感も違ってくる。この小紋は三本絽で隙間は大きく、従って着心地も涼やかになる。

画像で判るように、この小紋は絽の目をタテに付けている。こうした経糸方向に隙間を付ける絽を、「経絽(たてろ)」と呼ぶ。さて、この淡々しいキモノに、どのような帯を合わせれば良いのだろうか。薄いキモノの色を埋没させることなく、涼やかさを一段と高める着姿を目指すことにしよう。

 

(露草色 蔓唐草模様 手描友禅夏紬染帯・四ツ井健)

淡くおとなしいこの小紋では、帯にインパクトが付きすぎると、雰囲気が変わってしまい、かと言って淡白な色や図案を使えば、着姿は印象の薄いつまらないものになってしまう。つまり、帯は前に出すぎても、おとなし過ぎてもダメで、その案配が難しい。ただ、薄いと言えども甕覗は青系の色なので、同じ青系を帯の基本色として使えば間違いは無い。問題は、甕覗と比較してどのくらい帯地の青に濃淡を付けるか、またどのような色の気配にするかである。

そこで相応しいと考えたのが、青系でも柔らかみがあり、どこかに淡さを残す色。出来れば、夏の朝が似合いそうな、爽やかさや清々しさも感じさせたい。そんな考えの下でコーディネートに選んだのが、この露草色の染帯。

露草は、道端や庭の片隅にひっそりと咲く夏の花。この花は、古来鴨頭草(つきくさ)とも呼ばれていた。友禅の下絵描きに使うことでも知られているが、裏を返せば、この花の色素は水で簡単に流れてしまうほど弱いということになる。痕跡を消しやすいから、安心して下絵が引けるのだ。

どこか危うげな淡い青が、露草色の特徴であり、この帯色なら甕覗のキモノ地色を壊さずに済む。意匠は、六弁唐花を五枚配して蔓で繋げている。模様の挿し色は、藍にグレーが掛かった「藍鼠(あいねず)」と少し濃い紺を使い、花芯の中に黄系・刈安色を挿す。帯と言えども、手で糸目を引き、手で色を挿した本格的な友禅。

帯生地には、「本駒夏信州」と名前が入っているが、これは駒糸を使った信州産の紬地ということ。駒糸(駒撚糸)とは、まず糸を左撚りで1500回ほど回転させ、それを数本束ねて、今度は1000回ほど右に撚る。こうして出来た糸を使って生地を織ると、絽や紗のように透け感のある織姿になる。画像で見ても、隙間が空いていることが判る。強撚糸・駒糸はシャリシャリした風合を持ち、織り上がった生地の質感は麻に近い。友禅の作家は、無論意匠にもこだわるが、あしらいに相応しい生地は何かということを、常に頭において仕事をしている。

花弁の縁取りは、紺と藍鼠の二色。流れのある蔓が、模様に一体感を与えている。葉脈やそれぞれの花弁の姿には、各々にほんの僅かな違いがあり、それが柔らかみのある自然な姿として意匠に残る。手描友禅ならではの美しさであろう。

今年の春、二年ぶりに店に来られた作家・四ツ井健さん。呉服専門店の中でも、特に品物にこだわりを持つ店だけに限り、作品を持って自ら訪ねて来られる。疫病が蔓延したこの二年は、なかなかその機会も持てずに、大変だったと話される。作り手も売り手も、厳しい時間を過ごしたのは同じだが、四ツ井さんは困難な中でも、変わらずに作品制作を続けられていた。この夏帯は、春に求めた二点のうちの一つ。では、甕覗小紋と合わせてみよう。

 

主張の少ないキモノは、帯次第で着姿を自在に工夫出来ると言うが、まさにそれを地で行く組み合わせ。キモノの甕覗・僅かな青の気配を、露草地色の帯が上手く引き出すと同時に、上手く抑えている。帯のお太鼓全体に広がる蔓唐花は、それなりに主張はするものの、キモノの雰囲気は消していない。むしろ、夏色の涼やかさが増すと感じる。

前の図案は、シンプル。模様よりも露草地色が目立ち、キモノを引き締めている。表情の少ない小紋だが、案外経に付いた絽の目が目立つ。この前姿は、すっきりと涼しげに映るだろう。

帯〆には、花の黄色い刈安色を使って明るい気配を出し、着姿のアクセントにする。絽の帯揚げは薄いクリーム色で、所々に飛絞りで小花をあしらう。小物にも青色系を使う手もあるが、そこまで統一感を出す必要はなく、こうして、どこか一か所だけに暖色を見せた方が、全体を見渡した時にしっくりくる気がする。(内記組帯〆・今河織物 絽飛絞り帯揚げ・加藤萬)

 

今日は「夏の涼やかさ」をテーマにして、薄い薄い甕覗色の小紋を使ったコーディネートを考えて見たが、皆さまには涼しさを感じて頂けただろうか。夏特有の生地に、夏地色を引き、そこに相応しい意匠をあしらう。やはり一番贅沢な姿は、その季節、その時でなければ出来ない装いになるのだろう。暑くも短い夏の盛りに、一度は夏キモノをお試しあれ。そして後の手入れは、バイク呉服屋にお任せあれ。最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。

 

その昔、「シブがき隊」というアイドルグループの「nai nai 16(ナイナイ シックスティーン)」という歌がヒットしたことがありましたが、確かサビの歌詞は「ナイナイナイ 恋じゃナイ、ナイナイナイ 愛じゃナイ、ナイナイナイ でも止まらナイ」だったはず。

そこで「自営隊」であるバイク呉服屋も、「nai nai 62(ナイナイ シックスティツー・62歳)」を作ってみました。「ナイナイナイ 昇給ナイ ナイナイナイ ボーナスナイ ナイナイナイ とても暮らせナイ」。

少しその姿を覗けば、一見自由に見える個人経営ですが、内実は大変厳しいものがあります。定年がナイので、一体いつまで働けば良いのかわかりませんが、この先、年金だけでは到底足りナイことは、言うまでもありません。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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