バイク呉服屋の忙しい日々

その他

ブログ開設9年目にあたり  この先目指すは、バックパッカー的呉服屋

2021.05 22

現在東京では、三回目の緊急事態が宣言されている。一応、今月末までの予定だが、解除されるか否かは不透明な情勢。東京以外に、大阪や福岡、京都、北海道など9道府県で発令されているが、やはり感染は、人口が密集している都市に集中しているようだ。

政府が考える感染防止の第一は、人の流れを断ち切ることと、密集を避けること。対策の中心は、飲食店の営業時間を制限したり、酒類の提供を取りやめることだが、東京では、二回目の緊急事態には無かった百貨店の営業自粛が求められている。そこでは、食料品や日用品だけが販売を許可され、他の商品は「不急不要」として、販売の自粛に追い込まれてしまっている。

 

デパートの5月商戦は、連休や母の日もあることで来客も多く、商いは活気づき、一年の中でも売り上げが見込める月の一つである。その5月が、昨年も今年も営業自粛とあっては、とてもやっていられない。そこで先日、「我慢も限界」とばかりに、販売する品物を緩和しようと試み、高級婦人服などの扱いに踏み切ろうとしたが、すぐに東京都から横槍が入った。

小池都知事は、「高級衣料品は生活必需品ではなく、不要不急の品物。だから販売するフロアを拡大せず、自粛に協力して下さい」と、改めてお達しを出したのだ。これではまるで、戦前の国民精神総動員法のスローガン、「贅沢は敵だ」とか「欲しがりません、勝つまでは(コロナに)」である。

デパートやそれに連なる納品業者も、生活が懸かっている。一刻も早く営業を再開してモノを売らなければ、自分の首はどんどん絞めあがる。このままでは、コロナに殺される前に、東京都に殺されてしまう。そんなふうに感じている者も少なくないだろう。

人の流れを止めるならば、全部の大型店舗を休ませるべきなのに、電化製品の量販店やユニクロのような衣料量販店は、営業を許されている。これはどう考えても、都の方針と明らかに矛盾する。これではデパート関係者に非ずとも、都知事のことを、「おい、小池!」と徳島東警察のリーゼント刑事のように詰りたくなってしまう。

 

5月は、バイク呉服屋がブログを始めた月。早いもので、今年で9年目を迎える。これまで起こした稿の数は、600近く。毎回、読者が途中で嫌になるほど長い記事を、自分勝手に書き連ねてきた。我ながらよく続いたと思うが、これは読み手の都合をほとんど勘案せず、自分の意思の赴くままに、書き散らかすことが出来たからこそだ。

ブログを始めるにあたり、10年は続けたいと思っていた。その時には遥か遠い目標だった歳月が、もう手の届くところに来ている。私の年齢も、50代前半から60代へと変わり、漠然とではあるが、呉服屋としての仕事の終わりも、意識するようになってきた。そこで節目に当たり、この先どのように仕事をするのか、考えてみようと思う。まとまりは付かない稿になるだろうが、どうかお付き合いをお願いしたい。

 

バックパッカーだった若き日のバイク呉服屋(1985年6月 ダグール族の青年と)

ブログで自分の顔を曝すのは、たとえ若い頃の姿であっても、気が引ける。昔のネガをひっくり返してみても、自分の姿が写っているものは極端に少ない。ほとんどが一人の旅なので、誰かにシャッターを押してもらわない限り、自分の写真は得られない。当時は、旅の記録を残す上で、自分の画像は要らないと考えていた。上の画像は、内モンゴルのホロンバイル草原で、道案内に雇ったモンゴル族の通詞が写してくれたもの。

バックパッカーの旅の基本、それを一言で言えば、「足の向くまま、気の向くまま」になるだろう。計画性はほとんどなく、自分の気分次第でどこへでも行く。行先の変更も当たり前で、無駄なことにも頓着しない。要するに、いい加減なのである。

休むも進むも、自由自在。泊まるところがみつからなければ、道端に寝ることは厭はず、食べるモノは何でも良い。無論、公序良俗に反しないことは心がけなければいけないが、人の目や体面に気を遣うことは無い。そして全ての行動が、自分の意思次第で決まる。それは、社会性や世間体をほとんど意識しない行為であり、極めて自己中心的なあり方であろう。

 

昨年の5月のブログで、コロナ禍における新しい生活様式で、和装需要はどう変わるかを論じているが、その稿の中で、「果たして、来年の今頃には収束しているだろうか?、それとも年末までずれこむか」と、半ば疑心暗鬼になって記している。

残念ながら悪い予感は当たってしまい、感染の状況は一年前より酷いことになっている。常識的に考えれば、この状態でオリンピックの開催は難しいのだが、未だに政府から中止の二文字は聞かれない。このまま突っ込んでいけば、どうなってしまうのか。それは、神のみぞ知ることであろう。

 

今年になり、度重なる緊急事態宣言と、それに伴う自粛要請によって、国民の生活は息苦しさを増し、取り巻く経済状況も日に日に厳しくなっている。

呉服業界も、儀式や儀礼が中止、あるいは極端に簡素化されたことで、フォーマルモノを着る機会はほとんど失われた。また密を避けるという大命題により、和装で臨む茶事や和楽器の演奏会は尽く中止になる。もちろん、夏の花火大会や各地の祭りも無くなった。その上、国全体に蔓延する「自粛ムード」が和の装いを躊躇させる。「たまにはキモノでお出かけをして、食事でも」という、何気ない日常の愉しみも、奪われてしまったままだ。

 

誰も経験したことのない疫病だけに、有効な対処法など、誰であろうと簡単には見つかるまい。そして大急ぎで開発されたワクチンも、海外に依存しているだけに、おいそれと手に入らないのは無理なからぬこと。だから、責任の矢面に立たされている政府関係者や自治体の長、感染症の専門家たちのことを、むやみに責めてもいけないと思う。感染を止めれば、経済が止まり、経済活動を広げれば、感染が広がる。よく、ブレーキ踏みながら、アクセルを踏んでいると非難されるが、どちらか一方に絞ることなど、誰であっても不可能である。

私は、為政者たちに一定の理解はあるつもりだが、今回の一件で、国は肝心なところで、国民を助けないことを露呈した気がする。経済活動に自粛は求めても、そこで失われた収入は十分に補填されない。そして禍が長引けば長引くほど、支援は薄くなっていく。いわゆる「自助・共助・公助」と言われるが、公助はいかにも手薄で、地域のコミュニティが手を差し伸べる共助にも、限界はある。最後に残るのは、自助だけなのだ。

つまり、何があっても、自分や自分の家族の命と生活を守ることが出来るのは、自分でしかない。もしかしたら今度のコロナ禍で、「国や隣人を当てにしてはいけない」という教訓を受けたのかも知れない。国民としてよりも、一人の人間=個人として生きる。そうあらねば、守るべきものが守れなくなってしまう。

 

バックパッカーだった若き日のバイク呉服屋(1981年2月 オホーツク枝幸海岸)

いずれはワクチンが行き渡り、そしてそのうち有効な薬も開発されて、感染は収束する。我慢は、あとどのくらいか。いずれにせよ、耐える他は無い。

呉服屋の仕事は、コロナ以前と比較してどのように変わるか。和装の需要は、以前から右肩下がりに減り続けていたが、今度の禍で減少幅はさらに拡大するだろう。その結果として、良質なモノ作りは困難となり、結果として職人は失われる。また品物の作り手だけでなく、加工を受け持つ職人も、力を発揮する場所を失う。新しい品物が売れなければ、そして手直しの依頼が無ければ、和裁士を始めとする職人各々に、仕事は行かなくなる。

以前、作家の高村薫さんが、「自然災害や予期せぬ災いは、それまで隠れていた問題を顕在化させる」と話すのを聞いた。まさに呉服業界に深く蔓延る問題点もその通りで、コロナによって、より明確に表面化されたような気がする。

 

そしてこの状況を考えると、残念だが私には、すでにこの業界は、もうどうにもならないところへ追い込まれてしまったように思える。無論、「キモノという装いの形」は残るだろう。しかし、人の手を尽くした質の良い商品は姿を消し、加工職人の枯渇から、今までのように「丁寧に直すこと」は年々難しくなっていく。形骸化は避けられず、伝統に培われた民族衣裳の本質は、ここで失われることになる。

このブログに書いてある和装のコンセプト、「良質な品物を、丁寧に長く大切に使う」ことは、いずれ必ず不可能になるはずだ。あと何年と具体的にはわからないが、そう遠くないことだけは間違いない。

 

こうした現状を受けて、これから私の仕事をどうするか。それはもう、後先を考えず、依頼された目の前の仕事を、出来得る限りの範囲でこなすことしか無いだろう。いつ品物が枯渇するか、いつ職人がいなくなるか、判らない。けれども、未来のことを考えても、もう仕方が無い。消えてしまうその日まで、依頼がある限り、頑張る他は無い。ただそれだけである。

そして、未来の和装がどうなるのかなどと、大それた考えを及ぼさないことだ。もう私は、自分の仕事の範囲だけでしか、物事を考えないことにしたのだ。その範囲とは、うちを信頼して下さるお客様と、うちの仕事を請け負ってくれる職人たちのこと。その他のことは、もうどうでも良いと思っている。

誰がどう思うと、よそがどうなろうと、自分には関係ない。そして自分に対する他からの評価や評判も、どうでも良い。自分が思うことだけをやり、自分の限界まで仕事を全うする。そして辞めると決めたら、くずくずしない。そんな自己中心的な、ある意味で「バックパッカー的な発想」を持ちながら、残りの呉服屋生活を送るつもりである。

やはり、人間の根幹をなす「モノの考え方」は、若い時とそう変わるものではない。 そんなことを今、改めて思い知らされている。

 

今日は恥ずかしながら、これまで隠ぺいしていた「禁断のバイク呉服屋の素顔」を、ブログで晒してしまいました。到底鑑賞に堪えるような風貌ではなく、よほど目の部分を黒塗りして隠そうと思いましたが、40年も前の姿であり、すでに時効が過ぎていますので、そのままを見て頂きました。

なお、画像を拡大することだけは、今回に限りお止め下さるように、切にお願い申し上げます。怪人21面相風に言えば、「毒入り危険、眺めたら死ぬで」ですからね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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