バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

「愛らしさ」と「優雅さ」を兼ね備える伝統文様  蝶文様

2021.04 11

人は何物にも捉われず、無為自然の中で生きることが本義と説いた老子と荘子。いわゆる老荘思想だが、少し政治的な側面を持つ老子に対し、荘子は徹底的に世俗から離れ、縛るものを拒む「自由な境地」を求め続けた。荘子は、エピソードや寓話に例えて、己の思想を説いた稀有な人物だが、その代表的な説話の一つに「胡蝶の夢(こちょうのゆめ)」がある。これを読むと、何を大切にして生きるのかが、見えてくるらしい。

ある時、荘子は夢を見た。それは自分が胡蝶(蝶のこと)として、ひらひらと飛んでいる夢。目が覚めてみると、果たして自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも蝶が荘子になった夢を見ていたのか、判らなくなってしまった。

自分が蝶なのか、蝶が自分なのか区別が付かない。このエピソードは、現実と夢との境界を付けない境地を、捉われの無い無為自然の境地として、喩えたものである。それは、目的意識に捉われない自由な世界であり、そこに達することでこそ、自然と融和した自由な生き方が出来ると説いている。

 

荘子はこの時代(紀元前3~4世紀・中国の群雄割拠たる時代)の思想家としては珍しく、軍事的・政治的な意図を徹底的に排除して、「人の幸福はどうあるべきか」だけを、ひたすら追求した人物であった。

万物は全てに等しく、善悪の区別に絶対は無い。そして、あらゆるものに価値の差など無い。全てを取り払い、あるがままだけを受け入れることで、人は強くなれる。それはやがて、未来の自由へと繋がっている。

花から花へと自由に飛び回る蝶のように、自然な生き方をすることこそ、人間本来のあり方かもしれないが、様々な規範や煩悩に支配される現代人にとっては、かなり難しいことだろう。だが現在、我々の前に立ちはだかっている疫病に対峙する時は、情報に翻弄されない、ある種諦観した心を持つことが大切と思われる。二千年以上も前の思想家の言葉は、困難に直面した現代においても、光を放っているように感じる。

 

さてそこで今日は、蝶の文様について、ご紹介してみたい。春を象徴するモチーフ・蝶は、その形態と色彩の美しさから、文様としてさまざまな衣装にあしらわれてきた。それは今も、キモノ・帯問わず、華やかな意匠として、その姿を我々の前に見せている。品物の中では、特徴的な蝶文様をどのように描いているのか、ご覧頂こう。

 

揚羽蝶に枝垂れ桜模様 一方付小紋(昭和50年代の品物)

蝶をモチーフとした造形美術は、中国の隋や唐の時代に姿を現し、日本に伝来したのは奈良時代と古い。正倉院の裂にもその姿は見られるが、この時代の図案はいずれも、中国で様式化された形をそのまま使っていて、独自性がほとんど見られない。そしてそもそも、この時代の「鳥文様の主役」は、空想の鳥・含綬鳥(がんじゅちょう)や戴勝(やつがしら)、鳳凰などの瑞鳥、霊鳥であった。

日本人の生活に身近な鳥たちが、文様として意匠化されたのは、平安中期から。こんなところにも、異国文化から国風文化へ脱却した証左を見ることが出来る。鳥は単独でモチーフになることもあるが、多くが四季折々の植物文と組み合わせてあしらわれた。

春の意匠は、梅や椿に鶯。夏は、千鳥に流水や柳にツバメ。秋は蜻蛉に萩。そして福良雀に代表される雀文や、鶴文は吉祥文として位置づけられ、鷺や鴨、カモメのような水鳥は、州浜文や海賦文の中で欠かせないモチーフとなっていく。

 

そんな中で蝶は、他の鳥以上に仔細に観察され、文様として発展する。モチーフの中心となったのは、やはりその姿の優美さから揚羽蝶である。蝶は虫から脱皮してサナギとなり、後に大きく姿を変えて美しく空へ羽ばたく。その変化に神秘性を感じたために、好まれて武士のシンボルともなったが、平家の家紋・揚羽蝶にも、そんな由来があるかも知れない。

蝶は、向かい合って飛んでいる姿や、花から蜜を吸い取っている姿、闇夜の中で飛び交う姿など、絵になる風景を作る。そしてそれは、様々な意匠となって表現されている。蝶ほど、色彩の美しさと形状の優雅さを兼ね備えた鳥文様は、無いだろう。ではどのように意匠化されているか、個別に見ていくことにしよう。

 

大きな揚羽蝶を生地全体にあしらった、とても大胆で優美なキモノ。品物としては、模様位置が決まっている「一方付小紋」の範疇に入るが、着姿を見ると、蝶の存在感が強く意識される。華のあるキモノだけに、総模様の訪問着としても使えるだろう。

揚羽蝶を拡大してみると、地の中に小さな丸が不規則に入っている。この小丸が霰文で、蝶図案の中には鮫小紋のあしらいも見える。つまりこの小紋は、異なる図案の型紙を、地や模様ごとに変えながら使って染めた、大変手の込んだ品物と言える。模様全体に柔らかみがあるのは、微細な点で図案が構成されているからだ。

蝶の配色も鮮やかだが、霰や鮫によって、落ち着きのある見え方になっている。そしてやはり枝垂れ桜と揚羽蝶は、春の装いとして、この上ない組み合わせであろう。40年ほど前の品物だが、今となっては、こんな手の掛かる小紋はもう作れそうもない。

 

有職文 菱取向かい蝶文様 袋帯  紫紘

蝶を、日本的な文様へとアレンジして用いるようになった平安中期には、貴族の服装も唐風から和風へと変化した。男性は束帯、女性は十二単が正装となったが、色はどれも単色であり、変化は生地の織模様で付ける以外には無かった。この公家装束の織文様は、位階によって異なり、後に「有職文」として区分されるようになった。

有職文は、七宝や立湧、襷や菱などの幾何学的な図案と、葵や藤などの植物や、鶴、鸚鵡といった鳥を組合せて、複合的に表現されている。模様のあしらい方は、地を空けて散らしてあることが多い。

蝶を有職文のモチーフとする時は、この帯図案のように、二匹を向かい合わせて使う。これは菱文の中で向き合っているが、丸めてあしらうことも多い。このような蝶文を「向かい蝶」と呼ぶが、蝶であれ、鶴であれ、鸚鵡であれ、動物や鳥を向かい合わせで使う図案は、有職文の大きな特徴の一つと言えよう。

 

紅色地 揚羽蝶文様小紋 七歳祝着  千切屋治兵衛

蝶文はその可愛さから、子どもモノの意匠として使うことが多い。この祝着に使った小紋も、舞い飛ぶ揚羽蝶だけを生地いっぱいにあしらっている。このように鳥や動物を、文様の中で写生的に描き始めたのは、鎌倉期から。これは、平安優美な貴族的公家有職文から離れ、武家が現実的な描写を好んだ結果であろう。

山吹地 揚羽蝶文様 七歳用祝帯  奥田織物

こちらは、祝着用の帯にあしらわれた揚羽蝶。蝶の舞う姿は、麗しくも愛らしくも描くことが出来る。配色を工夫すれば、イメージがたやすく変わるので、その意味では重宝な図案である。子ども用の蝶文は、当然キモノも帯も明るい原色が中心。

 

白地 市松取蝶文様 紗八寸名古屋帯  帯屋捨松

浅葱色地 大揚羽蝶文様 櫛織夏八寸名古屋帯  帯屋捨松

黒地 舞揚羽蝶文様 紬八寸名古屋帯  帯屋捨松

上の画像の帯は三点とも、個性的な図案で知られる捨松の品物。どれも大胆に蝶をデザインして、模様としている。カジュアルモノでは、あまり形に捉われることはないので、思うがままの楽しい図案と色使いになっている。

華やかで動きのある揚羽蝶は、作り手の創造力を刺激するモチーフなのだろう。大きくも小さくもなり、群れたり離れたりも出来る。単独でも良し、植物を伴わせても良い。そして色は蝶本来の色だけでなく、自由な感性で挿すことが出来る。自在な発想で描くからこそ、面白い品物が多く生まれる。

 

檳榔樹色 露芝に蝶模様 泥大島紬  奄美平田絹織物

黒に近い深い紫色・檳榔樹(びんろうじゅ)色の、珍しい泥大島だが、露芝の中で遊ぶ蝶を、絣模様で表している。この蝶は揚羽ではなく、控えめな小さい形。地の空いた流れのある意匠は、すっきりとした印象を与える。蝶は、華やかなだけでなく、こんな渋い演出も出来る。

紅色 露芝に揚羽蝶模様 緞子八寸名古屋帯  紫紘

目の覚めるような紅色に、朱と若草色を付けた鮮やかな揚羽蝶が舞っている。この派手な緞子帯は、私の妹が若い頃に使ったものだが、数年前うちの末娘が借りて締めた。画像はその後姿だが、地色も蝶も思い切り目立っている。上の大島と同様、蝶と露芝の組合せだが、全くイメージは異なる。

藍地 薄に揚羽蝶模様 コーマ浴衣  竺仙

この浴衣は、薄と揚羽蝶の組み合わせ。浴衣に揚羽蝶というのは、季節的にそぐわないと思うかもしれないが、実は揚羽蝶は、夏の季語として俳句などで使われている。蝶だけなら春なのだが、揚羽蝶に限定すると夏である。だから、浴衣のモチーフとしては、外れてはいない。

藍地に白抜きされた揚羽蝶は、相当インパクトが強い。挿し色がないだけに、なお蝶が強調される気がするが、その分すっきりとしたシルエットになる。実はこんな浴衣が、一番目立つ。

 

最後の三点は、露芝や薄を伴った意匠だが、アイテムに合わせて、図案も挿し色も模様付けされている。こうして見ていくと、和装において、蝶は無くてはならないモチーフであり、多様さと自在さが抜き出ている文様と位置付けられよう。

一般的には、春に相応しい図案と思われている蝶だが、夏モノ・冬モノ問わず、様々な品物に様々な姿を覗かせている。伝統的な文様形式・有職文の中で使われ、子ども図案としても愛らしく、そして優雅なデザインとして存在感を見せる。皆様には、こんな優美な蝶の文様を、ぜひどこかで一度は、お試し頂きたいと思う。

 

荘子の著書・内篇の第一節には、逍遥遊(しょうようゆう)という言葉が出てきます。この意味は、何にも捉われることなく、自由で伸び伸びとした境地で、心を遊ばせるということです。

「物事に固執することなく、あるがままに生きよ」と言われても、そんな境地に達することは、凡人には難しいことでしょう。けれども、人の目を意識せず、自分は自分と開き直り、なるようにしかならないと腹を括れば、楽に生きられるように思います。

無策ではなく、無為なこと。考えた上で、行為を何も考えないというのは、もしかしたら、それは最善策かも知れません。閉塞感に満ちている今の社会では、こんな荘子の考え方が、生きるためのヒントになるような気がします。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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