バイク呉服屋の忙しい日々

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国立博物館・特別展 「きもの KIMONO」を見に行く(前編)

2020.08 02

先月末の四連休から、政府お墨付きの観光促進企画「go to travel」が始まった。最初の計画より開始時期を前倒して始めたものの、どの宿泊施設を使えば割引の恩恵が受けられるのかさえ決まっておらず、拙速感は否めない。さらに折悪く、首都圏を始めとして、全国でウイルス陽性者が増え始めており、これでは「go to trouble」だと揶揄する声も聞こえてくる。

ホテルや旅館を始めとして、飲食店や土産物店、さらに運輸業では、この春以降、ほとんど観光に訪れる客はなく、売り上げが全く無い状態。このまま移動の自粛が続けば、事業の存続が危うくなる。政府は、この状況を憂慮し、旅行費用の一部を肩代わりする「お出かけキャンペーン」を思いついたのだが、ウイルスの蔓延が継続している中で、どれほど効果があるのか、と疑問視せざるを得ない。そしてやはり、観光地を訪れる客が、「ウイルスの運び屋」にもなりかねず、地方へとコロナ陽性者を増やすことも懸念される。

 

まさに「トラベルがトラブルになる」状態だが、この二つの単語は読み方がよく似ている。もしかしたら同じ語源ではないかと調べて見ると、そうではなかったが、興味深いことが判った。

まずトラベルだが、語源を辿るとラテン語の「Tripalium・トラパリウム」に行き着く。この意味は何と、体を張り付けて使う拷問器具の一つ。それが後にフランス語の「Travail・トラバーユ」となり、「苦しむ」という意味で使うようになる。おそらく、先の拷問道具で懲らしめる、苦しめるという意味から派生して、語句の意味となったのだろう。

いにしえの旅は、とても楽しいとは言えない。交通も宿泊施設も、現代のように整っておらず、見知らぬ土地に出かけることは、苦しみを伴う。だからトラベルという単語は、「骨の折れる旅、もしくは苦しんで旅をする」という意味を包括している。

ではトラブルはというと、ラテン語の語源は「Turbidus・タービダス(読み方がこれで正しいか判らないが)」で、「混乱」を意味する。これがそのまま英語・トラブルの意味となっているが、ここから派生したフランス語に「Troubler」があり、これは「苦しむ」という意味を持つ。つまりは、語源は異なるものの、トラベルもトラブルも「苦しいことには、変わりはない」のである。

 

昔から旅は、かように苦しいものとされてきたが、旅を表す英語は幾つもあり、それぞれ微妙にニュアンスが違う。例えば、「Trip・トリップ」は、短期的な旅とか身近なお出かけを表し、「Tour・ツアー」は、見て回る旅、「Journey・ジャーニー」は、道中とか長旅という意味を持つ。また、「Passenger・パッセンジャー」は、単に旅客とか乗客の意味になる。

若い頃、寝袋を持ちながら、無人駅のホームや農業倉庫の軒下を泊まり歩いていたバイク呉服屋は、まさにトラベラーであり、毎日がトラブルと背中合わせだったが、さすがにそんなことは体力的にもう出来ない。そして今、何処へ行くにしても、コロナのリスクを伴うので、おいそれと出掛ける訳にはいかない。

しかしながら私には、今年の春待ち望んでいた展覧会があった。それが二か月遅れで開催されることになり、先月思い切って行ってきた。丁度首都圏で感染者が増え始める直前で、今考えればギリギリのタイミングだったかもしれない。

今日はその展覧会、上野・国立博物館で開催されている「きもの KIMONO」特別展の様子について、お話することにしたい。

 

上野の国立博物館・平成館で開催中の特別展 「きもの KIMONO」のポスター

小袖から、キモノへ。時代とともに変遷していった図案と加飾技法。安土桃山から江戸期を中心として、300枚以上の作品が一堂に展示される。現代に受け継がれてきた日本の民族衣装・キモノの美。このルーツを辿るには、またとない機会になるだろう。

この春、上野の国立博物館で開かれる予定だった特別展を、私は年明けから楽しみに待っていた。しかし、思いもかけぬコロナ禍により、展示公開は延期。本来は4月14日~6月7日に開催する予定だったので、この様子だとこのまま中止になるかもしれない、そう思っていた。

 

けれども有難いことに、日程を変更して開催すると言う。もちろん今のご時勢を反映し、三密を避けることは当然のこと。チケットはオンラインで日時を予約し、事前に購入しなければならない。期間は、6月30日~8月23日までだが、東京で感染者が増えだすと、行きたくても行けなくなる。そう思い立って、先月半ばのウイークデイに出かけてきた。

その日は、朝から雨が降り続くあいにくの天気。入り口では、検温と消毒を行い、入場人数は30分間隔で細かく制限している。閲覧時間も、概ね1時間半でと掲げられている。予約制なので、入場はスムーズ。そして雨にも関わらず和装の方が目に付く。来場者のキモノ率は30%ほどで、この天気からすれば、キモノ率はかなり高い。キモノ愛好者からしても、大変魅力ある展覧会ということが判る。

さて、桃山期から現代に至るまで、時代ごとに作品は羅列されているが、この展覧会全般をレポートするとなると、まとまりはつかなくなってしまう。そこで、「小袖からキモノへ」と変容を遂げた安土桃山~江戸中期・元禄辺りに絞って、お話してみよう。今回の展示作品として「見るべきモノ」は、やはりこの時代の加飾と構図であろう。

 

朝日新聞は、国立博や文化庁と共にこの会を主催。会場には、記念号外が置いてある。

現在「キモノ」と呼んでいる衣装の源流が、小袖である。出現は平安期と古いが、当時の上流階級・公家や貴族は、重ね着して使っていた衣装・大袖の下に着用する「下着」として使っていた。だが、庶民はこれを下着・上着両方に用いており、鎌倉期以降、庶民出身の武家が世の中を支配するようになるにつれ、次第に小袖は衣服の主役となっていく。

鎌倉から戦国の時代まで、多くの武家は公の場では大袖を、私的な場では小袖を着用していた。だが、公家系勢力の鈍化により、権威としてあった衣装の大袖は、次第に姿を消し、小袖が前面に出ていく。そして、庶民の衣装だった頃の小袖が、麻生地で無地モノであったのに対し、権力者が身に付ける衣装となったことで、絹生地に華やかな加飾を施す品物が生み出されたのである。

そして時代が進み、庶民の中でも豊かな経済力を持つ者が出現すると、こぞって華やかな小袖を身に付けるようになっていく。こうした貴族的衣装・大袖の没落と、庶民衣装・小袖の上級化は、15世紀後半に起こった応仁の乱が契機になったとされている。

 

こうして小袖は、室町期以降は服飾の中心となり、武家・庶民問わず各階層で着用されるようになる。そしてその形態と仕様は、現在のキモノとほぼ同じ姿である。人々が着る衣服がほぼ小袖になったことで、この衣装は、「着るもの」すなわち「きもの」という言葉に置き換ることが可能となり、小袖=キモノとなったと想像がつく。

着用される小袖は、武家や庶民という地位の違いや、個人が持つ財力の差によっても、生地の種類や使用される染織技法、意匠の形式に違いが見られ、それが時代とともに変化し、時にはその時の流行を織り交ぜながら、発展していく。この展覧会で注目されるのは、変遷が作品展示により、一目で判るようになっている点に尽きる。

では、展示品を時代ごとに追っていこう。参考画像としてご覧頂くことが出来るものは、出典を明らかにした上で出来るだけ掲載したい。また、つたない私の説明では、皆様に作品をご理解頂くことはやはり難しい。作品名を掲げておくので、興味のある方はぜひ検索してお調べ頂きたい。なお、全ての作品を羅列してご紹介することは到底無理なので、一時代一作品とすることをお許し頂きたい。

 

展示室に入り、まず飾ってある作品が「国宝・白地小葵鳳凰模様二陪織物(鎌倉期・鶴岡八幡宮所蔵)」である。これは、平安時代に完成した公家衣装の加飾を知ることが出来る、数少ない遺物の一つ。

(白地 小葵鳳凰模様 二陪織物 神職袿  日本の美術264・染織中世編より)

この織物に施されているのが、織部分に絵緯(えぬき)を返して織り込む「縫取織(ぬいとりおり)」で、模様は刺繍されているように見える。唐織や二陪織物はこの技法を使うが、文様の色を自由に替えることが出来るために、華やかでカラフルな意匠となる。鶴岡八幡宮には、亀山上皇が寄進したとされる神官服が五組あるが、この袿はその中の一つ。画像でも判るように、表面に浮き上がっている文様には、小さな葵文や舞い飛ぶ鳳凰の姿が見える。

 

入口に展示した二陪織物を序章とした後、いよいよ本題に入る。第一章は「モードの誕生」として、安土桃山~慶長期の作品を展示している。そこで目を惹くのが、「重文・縫箔白練緯地四季草花四替模様(桃山期・京都国立博物館所蔵)」である。

この時代になると、室町期の綾織や唐織に替わって、経糸に生糸、緯糸に練糸を用いた平絹生地を使うようになり、加飾技法の中心は、絞り染や刺繍、摺箔(型紙を使って糊を置き、金銀箔を張り付けて模様を表す方法)である。このうち、刺繍と摺箔の組み合わせが繍箔(ぬいはく)で、絞り染と縫箔、描絵、色挿しを併用したものが辻が花染であった。

繍箔は武家女性の小袖に、辻が花染は戦国武将の小袖や上流町人の女性に多く使われたが、繍箔は江戸初期になると、刺繍と摺箔に技法が分離し、箔は金糸繍に代用されて次第に使われなくなっていった。一方、辻が花染はもっと早く複合技法が解かれ、それぞれの技法が分離独立する。この染を「幻の染」と呼ぶ理由はこの辺りにある。なお、辻が花染の中核技法だった絞りは、繍箔から分離した刺繍と一緒になり、この二つが江戸前期の小袖における加飾技法の中心となっていった。

この展示品「縫箔白練地・四季花四替模様」の生地は、白練地とあるように先述した平絹生地であり、縫箔とあるので、当然刺繍と摺箔を併用した技法で模様を表現している。また四替とあるのは四季に区切って花模様を構成している図案であり、このようにモチーフを一定の区画内に区切ってあしらうことが、この時代の特徴でもあった。

 

桃山・慶長小袖の技法「摺箔」をイメージして製作した大振袖。この立浪青海波模様振袖は、バイク呉服屋の女房が結婚式で着用した品物。今は無き北秀商事が、贅を尽くして誂えた昭和の逸品。今後こうした品物を作るメーカーは、出てこないだろう。

摺箔と刺繍を併用したあしらい。菊の輪郭は、駒繍と駒詰め。赤い花弁は全て刺し繍で縫い詰め、金の花弁は箔を敷いている。無論友禅染のあしらいも見えるが、コンセプトは慶長模様であろう。このように、地が見えないほど箔と繍が施されている小袖を、「繍箔小袖」あるいは「地無し小袖」と呼ぶ。この特徴あるあしらいは、武家女性の間で大いに流行した。

 

小袖の大きな流れ、桃山・慶長期から寛文期の間には、元和・寛永という狭間の時代があった。展示では、この時期のことにも触れているが、象徴として置かれていたのが、「誰が袖美人図屏風(根津美術館所蔵)」であった。

「誰が袖(たがそで)」とは、小袖を衣桁に掛けた情景を指すが、この姿をモチーフにした屏風が、桃山期には数多く制作された。これは贅を尽くして加飾を施した小袖が、着るものであり、そしてまた見るもの=鑑賞に値する品物として、認知されていた証とも言えよう。屏風を見れば、当時の染織技術や文様の傾向が判るので、この時代の小袖を理解する上でにおいて、屏風は欠かせない存在。こう考えると、この場で展示されている理由が理解できる。

またこの期の小袖として、「染分綸子地鶴松花鳥模様(文化庁所蔵)」が展示されている。慶長小袖からやや遅れたこの時代の様式は、染分け構図は慶長時代と共通した意匠であるが、加飾は絞りと描絵を併用したあしらいで、前述した繍箔とは全く異なる。

これは、辻が花染の流れを組む小袖であり、繍箔の重厚さや豪華さとは、一線を画すものである。こうした様式は町人女性の間で流行し、武家女性の好む小袖とは、対照的な落ち着きのある意匠となった。この二つの流れはどちらも、後に続く寛文小袖に大きく影響を及ぼすことになる。

 

次回は、今日の続き江戸前期のモード・寛文小袖と、革命的な加飾として友禅が現れた元禄以降の小袖について、話を進めることにしたい。

展示品で時代を追いつつ、その特徴を適切にお話していくことは難しい。だが小袖の加飾形式は、現在のキモノにそのまま受け継がれている。だから、小袖を知ることは、キモノ技法の仔細を知ることでもある。呉服屋として、この展覧会を見るべき理由が、ここにある。

 

人々が小袖を「きもの」と呼んでいたのは、桃山時代から。1577(天正5)年に来日したポルトガル宣教師・ジョアン・ロドリゲスは、約30年にわたって滞在した日本のことを、「日本教会史」という本で著しています。その記述には、「人々がつねに着ている主な衣類は、着る物(kirumono)もしくは着物(kimono)と呼ばれている」とあります。

小袖=きものは、明治期まで長らく衣服の主役を務めてきました。しかし、文明開化の後、欧米文化が流入するに従い、服装の洋装化が急速に進んだのです。そして西洋の服ということで「洋服」という言葉が生まれ、普及するにつれて、きものは「和服」という呼び名へと変わっていきます。これは、洋服と対をなす意味で和服になったのでしょう。そしてそれは、時代の流れに伴う、半ば強制的な変更だったのかも知れません。

敗戦後、いっそう洋装化は進み、きものはどんどん隅に追いやられるようになってしまいました。人々の生活から、すっかり消えてしまったきもの。ですがやはり、和服と呼ぶより「きもの」と呼ぶ方が、しっくりきます。キモノこそ、贅を尽くした日本の民族衣装。ポスターのコピーにある「日本の花道(ランウェイ)」とは、まさにその通りだと、思わず拍手を送りたくなりました。

今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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