バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

夏の綿麻織物に見る格子模様  四百年間、日本人が愛してきた図案

2019.08 04

ここのところ毎年、三人の娘達が父の日のプレゼントとして、カジュアル用の服を選んで買ってくれる。年によって、ビームスのポロシャツだったり、ブルックスブラザーズのチェックシャツだったりと、大概はインポートブランドである。

「酷い体型なので、外国のビックマンサイズでないと、合うものが無い。でも何を着ても、似合わないけどね」と、渡す時に散々な言い様をするが、父親に対して心を遣い、彼女達が稼いだお金から捻出してくれる品物なので、有難く受け取っている。

こうしたカジュアルな綿シャツの定番模様と言えば、ストライプとチェック、つまり縞と格子である。近年は高校の制服も、詰襟やセーラー服から、ブレザーにチェックのスカート、ズボンというスタイルに変化したように、この模様は時代を問わず、今もなお、幅広い世代の人々に受け入れられている。

 

二つの文様の歴史を見ると、縞は、飛鳥期の絣錦「太子間道(たいしかんとう)」や、奈良・天平期の「長斑(ちょうはん)錦」や「繧繝(うんげん)錦」と言った織物まで遡ることが出来るが、本格的に日本へ入ってきたのは、室町中期の名物裂・「間道(かんとう)」である。これは、当時の中国・宋や明との貿易により、もたらされたもので、ほとんどが絹織物である。しかしこの裂は、仕覆などの茶道具や、書画の表装として上流階級に珍重されたものであり、使用出来た者はごく限られていた。

綿織物に、縞や格子が見られるようになったのは、室町後期からだが、本格化したのは、江戸時代に入ってからである。この当時、唯一貿易の門戸を開いていた長崎に、オランダ船が運び込んだ綿織物。これを、インド東海岸のセント・トーマス港から運んだことから「桟留(さんとめ)」と呼んだ。

桟留木綿は、経緯に二本の細綿糸を引いた平織で、紺、浅黄、茶の地色に黄色や赤の縦縞を付けた縞柄や、石畳状の格子柄・算崩しや細かい微塵格子など、多様な色と模様が見られた。そしてこの輸入木綿の図案は、日本各地の綿織物産地に伝わり、これをモデルとした織物の生産が拡大することになる。縞や格子の模様は、こうして男女や階級の区別無く、日本中に幅広く普及したのである。

 

以来、四百年あまり、縞と格子は長きにわたって日本人に親しまれてきた。それは、綿シャツやスカートのような洋服ばかりでなく、もちろん和装の中にも、数多く息づいている。そこで今日は「格子」について、夏の綿麻織物の中から見ていくことにしよう。

 

イギリスの伝統模様・タータンチェックの起源は、13世紀にスコットランド高地に住んでいた氏族が使っていた、オリジナル格子柄の布・タータンである。これは毛織物で、糸染めには、矢車菊や榛の木の樹皮などから採取した植物染料を用いた。

このタータン布は、男子の腰巻布・キルトや肩掛布・ブレード、また女子のスカート、ドレスなどに使用されたが、その色目や模様は、氏族の違いを表すだけでなく、目立たない茶色系の柄を狩猟用に使うなど、着用時の用途によっても様々に使い分けていた。

この当時、氏族のタータンには130種類以上の柄があり、それぞれの氏族がシンボルとして使い、他用を禁じた。また、同じ氏族のタータンでも、領主一族が使うものをチーフタータンとして区別し、他の者はこの模様を使うことが出来なかった。なお、現在模様の名前として定着している「タータンチェック」は、タータンの柄・格子模様に重きを置いた時に、使う言葉である。

私が学生だった1980(昭和55)年頃、若い女性の間では「ハマトラ(横浜トラッド)」と呼ぶファッションが大流行していたが、このハマトラを象徴するスカートが、タータンチェックの巻きスカートだった。これは、スコットランド部族における男子の腰巻布・キルトそのものではないだろうか。

 

さて、江戸期に入って庶民の間に広がった格子模様だが、どのような図案や色目があしらわれたのだろうか。これを探る資料として、江戸後期の1837(天保8)年に記された「守貞漫稿(もりさだまんこう)」というものがある。著者は、江戸と大阪を往来していた商人・喜田川守貞(きたがわもりさだ)で、この時代の江戸・京・大坂の習俗を様々な観点から説明した類書(百科事典)である。

この書物の中には、「縞」の項があり、そこには、当時見られた縞と格子の種類が記されている。縞としては、棒縞・子持島・矢鱈縞・万筋島・微塵島など、それぞれに太さの違う柄があり、代表的な格子として、碁盤縞を挙げている。そして模様を、太縞・細縞・格子縞・横縞・縞の一部に浮織が付くもの・絣モノと、6つに分類している。

このように、綿織物に見える縞・格子は、その模様や配色は産地ごとに特徴を持ち、時代を経るごとに様々にアレンジされながら、様相を変えていった。おそらく、現代に続く柄行きの多くは、すでにこの時代までには、形作られていたことになるのだろう。

では、現代の綿麻織物に、どのような格子模様が付いているのか。個別に見ていくことにしよう。

 

左から片貝綿麻(紺仁)・片貝綿麻紅梅(紺仁)・米沢綿絹混紡(おとづき工房)

綿や麻素材の夏織物は、手軽なカジュアル着として使うだけに、涼やかさを感じさせる紺や水色など、青系に白を組み合わせた配色が多い。だが、同じ傾向の色目でも、格子の様相で雰囲気が変わり、また素材の組み合わせや糸の撚り方によっても、風合いや着心地は変わっていく。

 

(三枡格子 綿麻織物 経糸・綿100% 緯糸・綿50% 麻50% 紺仁)

片貝木綿の製造元としてよく知られている、小千谷・紺仁の品物。経糸に綿糸だけを使い、緯糸には綿と麻を半分ずつ使っている。このように、縦横三本ずつの線で構成される格子模様のことを、三枡(みます)格子、あるいは三筋(みすじ)格子と呼ぶ。江戸の後期、この模様は庶民の間で、キモノや手拭いの図案として大流行した。

(鰹縞格子 綿麻織物 経緯糸ともに、綿80% 麻20% 紺仁)

これも紺仁の品物だが、経糸と緯糸双方に、同じ比率で綿糸と麻糸を混ぜて織り上げたもの。またこの品物は、太糸を織り込んで生地表面に凹凸を出す、いわゆる「紅梅」として仕上げている。付いている格子模様は、鰹の体のような青いグラデーションのある「鰹縞」を組み合わせている。このような青系色だけの縞モノは、江戸時代に輸入された桟留の中にも見られる。

(格子重ね 綿絹織物 経糸・綿100% 緯糸・絹100% おとづき工房)

経糸に綿糸、緯糸に絹糸を使った、珍しい綿絹混紡の織物。絹を使っているだけに、生地にしなやかな風合いが残る。細い筋と太い筋、異なる二本の線が交差しているので、二つの格子が重なり、モダンな模様に映る。

 

左から、小千谷縮(杉山織物)・小千谷綿麻縮(吉新織物)・近江アイスコットン着尺(川口織物)・伊勢木綿(臼井織布)

こちらは、単純な格子や目の細かい、いわゆるギンガムチェック的な図案を集めて見た。配色も明るいものが多く、綿シャツの中にもありそうな格子である。

 

(碁盤縞 麻織物 麻100% 小千谷・杉山織物)

麻100%のオーソドックスな小千谷縮で、格子は碁盤の目のように見える。このように、碁盤の目状に縦と横の幅が同じ格子を、碁盤縞(ごばんじま)と呼ぶ。また配色はこの品物のように、白地に紺あるいは、紺地に白のものが多い。近接した画像を見ると、グラデーションの付いた織姿と判る。

(碁盤縞重ね 綿麻織物 綿70%・麻30% 小千谷・吉新織物)

小千谷の縮ではあるが、素材として、麻よりも綿の方を多く織り込んでいる。そのため、麻特有の硬さが無く、柔らかな生地感を持つ。格子は、朱色の細縞と、少し太い薄紫縞の二つで構成されている。どちらの筋も、縦横幅は同じで碁盤縞であるが、異なる色と太さの縞が重なることで、単純さが消えている。

(弁慶縞 綿麻織物 経糸・綿85% 麻15% 緯糸・アイスコットン100% 近江・川口織物)

緯糸に、触ると冷たい特殊な綿糸・アイスコットンを使った綿麻混紡の品物。そのため、麻特有のシャリ感と優しい木綿の質感を兼ね備え、独特の風合いを持っている。この格子のように、縦横二方向に太い棒縞を配して組み合わせ、それを碁盤の目状に表現したものを、弁慶縞と呼ぶ。この模様は、一般的に大柄なものが多い。

(碁盤微塵縞 綿織物 綿100% 伊勢・臼井織布)

伊勢に一軒だけ残る綿織屋・臼井織布の手による綿100%の織物。経糸に撚りの少ない弱撚糸を使い、緯糸は糊付けをしないという製法により、生地の密度が高まり、しなやかで優しい木綿の良さが引き出されている。これも太さの違う二つの縞の組み合わせだが、格子の目は細かい。こうした目の小さな格子を、微塵(みじん)格子と呼ぶ。

 

さて今日はこれまでに、7点の格子柄・綿麻織物をご覧頂いたが、如何だっただろうか。それぞれに素材糸が異なり、また品物によっては混紡の比率も異なる。そして、一口に「格子柄」と言っても、配色、大きさ、地の空き方などが変わると、模様の表情が全く違ってくる。

御紹介した格子は、ごく一部であり、他にも、筋の取り方や配置により、多種多様な図案の綿織物がある。直線で構成される単純な幾何学文。だからこそ、先人達の豊かな発想の下で、数え切れないほどの格子模様が生まれてきたのであろう。

庶民の日常着として欠かすことの出来なかった綿織物。そこにあしらわれていた格子や縞を、ぜひ皆様もお試し頂きたい。多くの日本人が、綿シャツに代表される洋装のチェック模様としてだけ、この伝統柄を認識している現状を考えると、何か勿体無いような気がする。

 

娘達は、私が着用する綿シャツを、インポートブランドの直営店で購入するのではなく、「サカゼン」という店で、買ってきます。

「サカゼン」は、都内に多店舗展開をしている紳士服の専門店。しかし、ここは普通の店ではなく、集中して大きなサイズを扱うことを「ウリ」にしています。会社の専属キャラクターが、「でぶや」こと、ホンジャマカ・石塚英彦であることを考えれば、どのような店なのか、皆様にはお判りになるでしょう。

デブの父親に贈るものは、やはりキングサイズが多い店で買うのが相応しい。こうした安易な発想をする娘達が、私には解せません。確かに私のウエストは100cmと、普通の人に比べれば大きいかもしれませんが、サカゼンの品物では、これが一番小さいサイズになります。

ユニクロあたりだと私のサイズは一番大きく、品揃えも良くないのですが、サカゼンでは逆に、小さすぎるのです。微妙な男女の関係を表す言葉に、「友達以上、恋人未満」がありますが、私のような微妙なサイズは、さしずめ「ユニクロ以上、サカゼン未満」ということになるのでしょう。

文句を言うならば、もっとスマートになれば良いのですが、それが出来ないのが何とも情けないですね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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