バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

誂えの前に必要な「積り仕事」とは(後編) キモノの紋積り

2019.05 27

紋の需要は、フォーマルモノの売れ行きと大きく関わっている。第一礼装として使う、黒留袖や喪服、男モノ黒紋付には絶対に紋を欠かすことは出来ず、それに準ずる色留袖や色無地にも必要になる。

とはいえ、どの家にも和装のフォーマル品が必要だったのは、昭和の時代までで、平成の30年間で式の形態や儀礼に対する人々の意識が様変わりし、需要は大きく後退した。「紋を入れるキモノ」を求めなくなったことは、「家紋への認識」を薄れさせることに繋がる。キモノ以外に紋を入れる品物と言えば、墓石が思い浮かぶくらいで、後は、男児の節句幟や兜、稀に暖簾などがあるが、いずれも限定的である。

 

そんな時代の流れもあって、最近ご自分の家紋が判らないという方も、増えた。うちに見えるお客様は、元々キモノに馴染みがあり、家紋について理解のある方が多いが、「初めて紋付の品物を誂える方」の中には、認識をあまり持っていない人もおられる。

こうしたケースでは、紋の名前だけでも覚えていてくれると、私は助かる。紋帳を開いて、「この紋ですね」と確認すれば良いからだ。また紋名はわからずとも、断片的な形状を伝えてくれると、類推するヒントになる。例えば、四角のまん中に点が付いているとか、おたまじゃくしが三匹泳いでいるとかである。ちなみに、点の付いた四角は「隅立四つ目紋」、おたまじゃくしは「三つ巴紋」だった。

ノーヒントの時は、家にあるキモノを画像に写して、メールに添付してもらうことがほとんどだが、墓石に彫ってある紋を確認するため、私が墓地に出向くこともあった。

 

このように家紋は、人々の意識から遠ざかりつつあるが、少なくなったとは言え、呉服屋の仕事の中では、欠かせない役割を果たしている。そして、和装が残る限り、紋を入れる仕事が完全に無くなってしまうことは無い。

だが、紋を入れる「紋章上絵師」の仕事も、時代と共に簡略化されつつある。きちんと型を起こしたり、模様を描き上げる「職人の技」を使わずに、プリントした紋を貼り付けるような、安易な方法を採ることも珍しくない。紋として付いていればそれで良く、その方法は問わない、ということになるのだろう。これは、インクジェットのキモノが増えていることと同じで、どちらも「見た目が変わらなければ、構わない」との考え方が、根底にある。

前回お話した「和裁士の積り仕事」もそうだが、職人が積み上げた技術を活かしてこそ、「誂え」と胸を張ることが出来る。たとえ外見が同じように見えたとしても、内実は全く違う。「職人の手仕事をどこまで尊重するのか」、この意識の差はそのまま、呉服屋各々の立ち位置や商いの方法の違いとなって表れてくる。

今日はこれから、「紋を入れる位置を、どのように決めていくか」という、「紋の積り」について話をさせて頂こうと思う。これは、紋職人へ仕事を出す前になすべきこと。ここにも、手を尽くすことを尊重する呉服屋の仕事の一端が、見えるように思う。どんな工夫がなされているのか、ご覧頂くことにしよう。

 

別誂染の藤色無地キモノに入った染め抜き紋・丸に木瓜

「紋を入れる」と一言で言っても、品物やお客様の希望により、技法は異なる。その中で、第一礼装として使う黒留袖や喪服、男モノの黒紋付用着尺は、紋を入れる位置が予め白く染め抜かれている。この形状を「石持(こくもち)」と呼ぶ。

黒紋付用着尺にあしらわれた石持。画像の右が男モノ、左が女モノ。

石持とは、元々紋の外側の丸い枠を指す名前だが、この色には黒と白があり、白地には黒で、紺や黒地ならば白で描く。この枠の色が、餅に見立てられて「黒餅」・「白餅」と名前が付いていたが、武士たちは、これに領地を有する「石持」・城を持つ「城持」とそれぞれ縁起の良い字を当てて、使っていた。この「石持」が、そのまま現在に残ったのである。

画像では、白く染め抜いた石持の大きさに違いがあるのが判る。右の男モノは直径1寸(38mm)、左の女モノが5分5厘(21mm)。男女の紋の大きさに違いがあるため、石持の大きさも違ってくる。蛇足だが、紋の大きさは時代ごとに変化があり、現在の紋は明治・大正期に比べて2分、江戸期に比べて4分ほど小さくなっている。

石持に紋を入れる際に使う技法・上絵(うわえ)は、まず、白く抜けている紋場に汚れの有無を確認して補正した後、細筆を使って描き上げる。紋職人のことを「紋章上絵師」と呼ぶのは、この「上絵技法」による。なおブログの中には、うちで依頼している紋章師・西さんの上絵仕事の現場を取材した稿があるので(2013.11.24)、詳しくお知りになりたい方は、そちらもぜひお読み頂きたい。

 

石持になっている黒留袖や喪服などは、誰でも紋を入れる位置が判るが、模様合わせにより、予め柄位置が決まっている品物・色留袖や訪問着なども、紋の入る位置には決まりがある。

背紋は衿付けから1寸5分下(約6cm)、袖紋は袖ヤマから2寸下(約7.5cm)、抱紋(胸にあたるところ)は肩ヤマから4寸下(約15cm)。この位置取りは、大人の男女共通のもので、子どもモノだと、3分(1.5cm)ほど位置が上がる。つまりは、石持ほどはっきりと紋位置を知らせてはいないが、紋章上絵師が見れば、紋を入れる位置はすぐ判り、困るようなことは無い。

問題は、色無地や江戸小紋など柄合わせの無い品物。これは着用する方の体格により寸法が異なるので、反物上で紋を施す位置にそれぞれ違いが出てくる。ある時お客様から、「紋は、仕立てを終えた後に入れるのではないのですか」と驚かれたことがあったが、紋入れは、必ず品物を裁つ前に施す仕事である。

そこで無地モノは、紋を施す位置を決める必要が出てくるのだが、この位置を反物のどこに設えるかは、呉服屋が決めなければならない。この作業が「紋積り(もんつもり)」である。お客様の体格は依頼する呉服屋が判っており、その寸法に合わせて紋位置を決め、職人に知らせる。もしこの位置を違えてしまえば、品物は寸法通りに仕上がらなくなる。だから、慎重を期さなければならない仕事となる。

今日御紹介する「紋積り」は色無地なのだが、通常の無地紋積りとは異なり、「柄積り」の要素をも含む特殊な品物。どのような作業になったのか、話を進めてみよう。

 

薄藤色 紋綸子蝶文様 引き染別誂無地(地紋一方付け)

一般的な無地のキモノや江戸小紋の紋積りは、簡単に割り出せる。反物全体が無地、あるいは同じ模様の羅列なので、柄合わせの品物のように位置が限定されることはない。もとよりキモノは、身頃・袖・おくみ・衿の四ヶ所・八枚の布パーツを直線裁ちし、それを縫い合わせていく。だいたいの反物の長さは、3丈4尺程度(12m75cm)あるので、これを着用する方の寸法に応じて、裁ち分けていくことになる。

紋を背中に一つだけ施す(一つ紋)とするならば、紋積りに関わる箇所は身頃に限定される。反物の中で、どこに身頃を使うのか、その裁ち位置が決まれば、自然に紋位置は割り出せる。それは、背紋の位置が、衿付けから1寸5分下と決まっているからだ。

身頃の長さは、着用する方の身丈寸法により違うが、私は身丈に4寸を足して裁ち寸法を割り出す。仕上がり寸法よりも、生地を長めにする大きな理由は、1寸5分~2寸の内上げ(縫込み)をしておくため。上げが入っていないと、大きい方に仕立て直すときに、身丈が出なくなる。これは、後々の使い回しを考えての工夫である。

反物の中で身頃に使う場所が決まると、紋を入れる位置に糸で目印を付ける。だが、そうしなくとも紋職人には、裁ち寸法さえ記しておけば理解でき、紋位置は決められる。だから伝票には、紋名と一緒に、4尺4寸裁ちとか、4尺7寸裁ちと記載しておく。

 

通常は簡単なことだが、この蝶模様の綸子無地は、一筋縄ではいかない。それは、地紋に起こされた模様が、一定ではなく、下から上へ行くに従い、模様の大きさが変わっていく仕様だから。つまりこのキモノは、無地でありながらも裁ち位置が決まっており、それは仕立てや紋積りにおいて、制約があることになる。キモノとして仕上がった時に、模様がすべて上向きになるように作る、いわゆる「一方付け」の小紋があるが、これと同様の考え方で、裁ちと仕立てを見通しながら、紋積りをしなければならない。

 

反物の地紋には、大きな蝶と小さな蝶が半分ずつ入っている箇所があるが、ここを見ると、この無地が柄位置が決まった品物とよく判る。上の画像の、大きい蝶はおくみに、小さな蝶は衿に付けなければならない。

この判り難い無地は、反物の耳に小さく記された文字で、裁つ位置を教えている。墨打ちした横に薄く「ミ」の文字が見えるが、ここが身頃の境界を示している。

上前身頃とおくみの合わせを、裾から写したところ。墨打ちの印や模様を見ながら柄合わせをしていくと、上の画像のように、裾から上へ行くに従って、徐々に蝶が小さくなっていく模様付けになっていることが判ってくる。

間違いなく紋位置を確定するためには、身頃だけではなく、おくみや袖、衿にあたる箇所が、反物のどこに当たるのかすべて確認した上、キモノとしての最終形はどうなるのか、「模様積り」をしなければならない。前回お話した飛び柄小紋の柄積りは、どのような模様配置になるかは、作り手の工夫次第で正解は無いが、この蝶模様の柄積りの正解は一つだけで、間違いは許されない。万が一誤ると、紋位置の狂いどころか、キモノとして納まらなくなる。

 

身頃の裁ち位置から、紋位置を割り出す。身頃のヤマが確定できれば、背紋位置は衿付けから1寸5分下との決めがあるので、紋職人が紋位置に迷うことはない。

紋位置は、二枚の身頃にそれぞれ糸で印を付けておく。

画像左上の青い糸印が、身頃の境界。右下の白い糸印が紋位置の端。これで紋積りが終わる。この品物の背紋位置は、この場所以外には無い。

 

紋積りによる紋位置に従い、紋章上絵師の西さんの手で描かれた「丸に木瓜」の日向紋。紋型を起こし、その型を使って色抜きしたあと、細部を筆で描く。よくよく見ると、左右の紋には、線の揺らぎや形に微妙な違いがあり、人の手で描いた図案と判る。

西さんは、紋に仕事の証拠を残している。右側の紋には、19・4・9の数字が見えるが、これは紋を施した日。左側の紋には、自分だけが判る小さなサインがある。どちらも、仕立てをしてしまえば、中に縫いこまれて見えなくなってしまうが、これは、職人としての矜持を、作品の中に残したいという表れだと思う。

左右の紋を合わせ、直径5分5厘の背紋として仕上がる。

 

蝶模様の地紋・上前身頃とおくみの「裾」に近いところ。

蝶模様の地紋・上前身頃とおくみの「衿下」に近いところ。

蝶模様の地紋・上前の「衿」と「剣先」付近と袖の一部。

上の三枚の画像は、仕上がったキモノの地紋の変化を写したところ。蝶の地紋は、裾部分は大きな図案で密集しているが、上にいくに従って図案は小さくなり、範囲も疎になっている。このように、地紋に一定の規則性を付けた生地を、たまに見かけることはあるが、無地染めに使うことは珍しい。

仕立てを終えて出来上がった、蝶模様の紋綸子色紋付。柄積り、紋積りが正しく出来ていたので、きちんと一枚の品物として仕上げることが出来た。

この品物は、「蝶が舞う地紋生地で、無地紋付を染めたい」というお客様からの依頼があって誂えた品物。地紋と色にこだわった「オリジナルな色無地」は、バイク呉服屋と様々な職人の手を経て、ようやく完成した。

 

呉服屋には、それぞれの職人が品物に手を掛ける前に、やっておかなければならない仕事が沢山あります。御紹介してきた、仕立てをする前の模様積り、紋を入れる前の紋積りだけでなく、無地や八掛を染める際の色の選定や、羽織、コートを仕立てる前の裏地の選定もしなければなりません。

また、直しモノを請け負ったときは、品物の状態を隅々まで調べ、しみや汚れの有無を確認し、直す場所には印を付けておきます。そして寸法直しの際には、裄直しなら袖付けや肩付け、袖丈直しなら袖下を解いておく必要があり、急ぎの洗張りを請け負った時などは、品物全部を解くこともあります。

職人が仕事をスムーズに運ぶことが出来るよう、準備をするのも呉服屋の仕事。だからこそ、呉服屋と職人は、日頃から意思の疎通を図り、信頼関係を築くことが大切なのです。「良い誂え」をするために何より必要なことは、やはり、人と人のあり方ということになりますかね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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