バイク呉服屋の忙しい日々

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バイク呉服屋女房の仕事着(8) 母が遺した唐草模様の結城紬と紬帯

2018.12 04

大概男の子は、中学生くらいになると親が疎ましくなる。日常の会話と言えば、「メシ・風呂・カネ」くらいのもので、自分の話をすることはほとんどない。やはり私もこの例に洩れず、高校生あたりからは、親との会話がほぼ途絶えた。

今考えてみると、私が子どもだった昭和40~50年代は、一番呉服屋が良い時代だった。両親は、毎日の仕事に忙しく、子どものことにまでとても手が廻らない。それを良いことに私は、全く干渉されること無く、自由に伸び伸びと育った。

そして、18歳で家を出た。大学受験の時も、私がどこを受けるのかさえ関心を持たず、結局入った大学の場所がどこにあるのか、卒業するまで知らなかった。

 

東京へ出てからは、滅多に甲府の家へ帰らなくなった。大学へは通わず、一年中北海道を放浪している息子の将来など、両親には見通せるはずもない。おそらくそれは、諦めにも似た境地だったと思われる。そしてもちろん、店の跡を継ぐことなど、想像出来ようもない。今考えれば、ひどい親不孝である。

ただそんな母は、稀に下宿まで私を訪ねて来ることがあった。当時、下宿には電話など無かったので、連絡もせずにやってくる。私は、ほとんど留守にしているので、会える確証はない。だが、仕入で東京へ来たついでに、顔だけでも見たいと考えたのだろう。

ある日、下宿へ帰ってみると、ドアに紙袋が掛けてあった。中には、山ほどの菓子パンが入っている。おふくろさんが、私の大好きな菓子パンだけを置いて、帰ったのだった。普段は顔も見せず、電話も掛けず、何一つ話さない息子でも、やはり子どもは子ども。この時ばかりは、とても申し訳ない気持ちになったことを、今も思い出す。

 

その後私は、紆余曲折を経て、店を継ぐこととなった。そして、自分で選んだ結婚相手も連れてきた。全く当てにしていなかった息子のこの不可解な行動を、母はどのように思っていたのだろう。それはきっと、狐に摘まれたようなものだったに違いない。

そうして、40年近くの時が流れた。今、家内は、そんな母が遺したキモノと帯を着て、店で仕事をしている。今日は、久しぶりに書く女房の仕事着の稿で、母親が愛用していた結城紬と、藤田織物の帯について話をしてみよう。

 

(藍色 唐草模様70亀甲結城紬・丁子色 横段模様 真綿紬八寸帯)

以前、母が遺した三枚の結城紬の話をしたことがあったが、その中で、全体に唐草が広がる一番大胆な模様の品物を、妹より背の高い家内が受け継ぐことになった。

家内と母の身長差は、約10cm。身丈の寸法は3寸、裄は1寸5分違う。もちろんそのまま使うことは出来ないので、一度洗張りをして仕立て直す。幸いなことに、中揚げに1寸5分の縫込みがあったので、別布で胴ハギをせずに、何とか着用出来る寸法になった。そして、裄も生地巾いっぱいに出す。

結城紬は、各工程で糊を使っていて、その重さは一反で120gにもなる。もちろん、最初に仕立てる時の湯通しで、出来る限り糊を落とすが、それでもかなりゴワゴワした感じが残ってしまう。それが、着用し続けることで生地が揉まれ、次第に柔らかくなっていく。そして、洗張りを数度繰り返すうちに、生地の硬さが消え、しなやかで着心地の良い風合いに変わる。

おそらく母は、この結城の洗張りを三回は行っていると思われるので、すでに硬さは消えている。今度で四回目になるので、もう完全に糊気は無いだろう。結城紬に関して言えば、着倒した品物を受け継ぐことが、何より贅沢なことなのだ。

 

唐草の風呂敷を思わせる模様付け。亀甲の絣は、反巾に70並ぶ。シンプルなデザインながら、どことなく懐かしさを感じる結城紬。深く落ち着きのある藍色だが、動きのある蔓唐草図案のせいか、それほど地味な印象にはならない。こうした単調なキモノは、帯次第で印象が変わるので、合わせる帯を選ぶ楽しみがある。

仕事着としてほぼ毎日キモノを着ていた母だが、冬から春にかけての寒い間は、紬ばかり使っていた。中でも真綿糸を使った結城は、暖かくて軽いので、一番出番が多かった。そして、体への負担も少ないために、年齢が進むに連れて、着用の頻度も増していたように思える。

キモノは、同じものを何日か続けて着用したが、帯は替える事が多かった。そのため、母の遺した品物の中で、もっともバリエーションに富んでいるのが、紬地の八寸織名古屋帯である。箪笥整理の時に、私と家内と妹とで、よくもこれだけ作ったものと、半ば呆れてしまった。これはおそらく、父には内緒で誂えていたのだろう。

 

(丁子・焦茶地糸 横段連ね 真綿紬八寸帯・藤田織物)

母は父の仕入れに付いて行く時には、自分の趣味に合う品物には目を止め、それを仕入れるように父に勧めていた。父は、どちらかと言うとオーソドックスな模様や作り方を好み、手堅い品物ばかりを選んだ。だが母は、斬新な模様や色合いの品物に、興味を惹かれることが多かった。

仕入れに関しては、保守的な父と革新的な母が上手くマッチして、店に置く品物の幅が広がった。そして母は、自分のメガネに適うものがあれば、自分で買って、自分で使った。特に、毎日使う織帯に関しては、その傾向が強かった。

 

様々な色の真綿糸を組み合わせて、筋を作る。点と線を配置しながら、立体的に模様を見せる。この帯屋でしか生まれない、独創的な帯。そしてこのメーカー、二本と同じモノを作らない。

上の画像の藤田織物の帯も、そんな母が好んで使った一本である。真綿の色糸を組み合わせ、自由に模様を形作る藤田の帯は、それまで見たことのない新しい品物だった。地糸も真綿を使い、紋図を用いず、作り手の感性をそのまま帯に生かしたモダンな図案。いかにも、「新しモノ好き」の母らしい品物と言えよう。

 

この組み合わせだと、まだ家内には地味なので、深い紅色の四つ組帯〆と同色の絞り帯揚げでアクセントを付けてみた。地を区切った丁子色と焦茶色の組み合わせ方が大胆。幾何学的な図案には、この織屋独特の感性が込められている。

お太鼓の表情。赤紫・芥子・白の三色を組み合わせた三本のラインと、薄水色と白で構成された二本のラインを、交互に配している。社長の藤田さんの話では、使う地の色を見てから、模様として使う真綿糸の色を考えるとのこと。どのような配色になるかは、何も決まりが無く、ただ自分の感性に任せるだけ。作り手の個性が、そのまま着姿に反映される面白い帯である。

 

(白・焦茶地糸 ドット図案 真綿紬八寸帯・藤田織物)

既成の模様に捉われることなく、自分が締めてみたい帯を自由に選び、毎日の仕事の中で使う。そして、着用することでその帯の良さを理解し、改めて今度は、店で扱う品物として仕入れをする。それは、進取の気性に富んだ母らしい商いに対する姿であった。

専門店では、店主の好みがそのまま扱う品物に表れるが、一人で仕入れをしていると、どうしても色や模様が偏ってくる。やはり、趣向の違う父と母二人で品物を選んでいたことは、商いに良い結果をもたらしたと思う。

その点では、我々夫婦も先代夫婦を見習わなければいけないのだが、私は、家内を連れて仕入先に行くことがどうにも面倒くさい。これは、これから仕事を続けていく上で、私が考え直さなければいけない課題である。

 

先ほどの帯とは、また違う糸の組み方で、模様を形作っている。今度は、一つ一つの点を連結させ、線や割付として使っている。また拡大すると、地の経糸と緯糸の織り目が不規則であり、それが温かみのある手織帯の表情となって表れている。

 

家内は、今回仕立直しをする際に、八掛を濃い芥子色に替えている。母は、紬地色とほぼ同じ深い紺色の八掛を付けていたが、そのままでは落ち着きすぎてしまう。なお、この八掛も新しく染めたものではなく、以前他の紬で使っていたものを外して保管し、再利用している。古い裏地も、いつかは使い道が出てくるので、取って置いても無駄にはならない。

この八掛の色に合わせて、小物を考えてみた。帯〆はゆるぎで、帯揚げは絞り。色は芥子よりやや明るい山吹色。帯の前模様の中にある黄色のドット模様とも、リンクしている。地味な紬を使う時に、八掛と小物を同色でまとめるのも、一つのコーディネートの方策かと思う。

お太鼓の表情。最初の帯よりも、地色と中の模様の配色がおとなしいために、無地に近い印象を受ける。やはりこのような帯は、前姿で濃い帯〆を使うと、着姿がぐっと引き締まる。

 

母がこの結城紬を着用していた記憶が、小学生だった私に残っている。ということは、使い始めてからすでに半世紀以上が経っていることになる。着れば着るほど風合いが良くなる結城こそ、代を繋いで受け継ぐべき品物かと思う。

そして、同じく真綿糸を紡いで織り出された、個性的な紬帯。これは、仕事着として、多種多彩な帯を締め尽くした人が選んだ品物。跡を受け継ぐ者はこうして、先人の品物を見極めるセンスをも、受け継いでいく。

 

いくら上質な品物を残したとしても、それを受け継いで着用する者がいなければ、そこで終わってしまいます。今、家内がこのキモノを仕事着として使うことは、母が一番望んだ姿だと思います。その点では、暖簾を繋いだ息子として、少しだけ親孝行が出来たでしょうか。

しかし、若い頃の行状が酷すぎて、とてもこのくらいでは許してもらえないでしょう。

「呉服屋にだけは、絶対にならない」と決めていた私に対して、一度も「跡を継げ」と言ったことのない両親がいました。もしかしたら、それが、私を家業に向かわせたのかも知れません。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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