バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

龍村の帯文様で見る正倉院(2) オリエント壇文と聖樹瑞鳥文

2017.09 18

建築物の配置や装飾品の図案では、色や形状が中心軸を境に左右とも、同形で均等に配置されていることが多い。この相称性のことを、シンメトリーと呼ぶ。人の心理として、左右にズレや歪みがなく、均等であるものに対しては、自然と美しさや安定感が喚起される。つまりシンメトリーは、人に最も好印象を残す様式美だと言えるだろう。

そのため、古来より洋の東西を問わず、多くの建築物にはシンメトリーが採用されている。自然な美しさだけでなく、威厳や重厚さをも感じさせることが出来るため、有名な宗教的建造物や美術館、王宮などに、その形状を多く見ることが出来る。

例えば、パリの有名な建造物でも、ノートルダム大聖堂(1345年竣工)・ヴェルサイユ宮殿(1682年建築)・ルーブル美術館(1793年開館)と、どれもが意識的に左右対称の姿として映し出されている。現在日本でも、このシンメトリーの美しさは、国会議事堂や東京駅の駅舎に代表され、その姿を見ることが出来る。

 

日本の建造物におけるシンメトリーの始まりは、やはり仏教寺院の伽藍配置からではないだろうか。6世紀の仏教伝来を期に、多くの寺が建立されたが、聖徳太子建立の最古の寺・四天王寺から始まり、飛鳥寺や法隆寺、薬師寺、東大寺、大安寺など、伽藍様式は異なるにせよ、いずれもシンメトリーを採用している。

四天王寺は、鐘楼と経蔵を左右対称に置き、他の建造物は南大門から北へ一直線上に配置されている。また、法隆寺では塔と金堂、経蔵と鐘楼が左右対称、薬師寺や東大寺は、二つの塔が東と西に向き合って建てられている。仏教が広まるに従い、荘厳な建造物を建立し、その配置にはシンメトリーを使って、美しく見せる。この様式の美しさは、1500年も前から、全く同じように捉え続けられているのだ。

 

仏教が伝わって以降、最も信仰心の厚い天皇と言えば、東大寺・国分寺の建立を指示した聖武天皇以外にはあるまい。御本尊・盧舎那仏(大仏)は、工期7年、約250万人もの人々を動員して完成させている。この規模こそが、天皇の信仰の深さを象徴しているだろう。

聖武天皇が亡くなったのは、756(天平勝宝8)年5月のこと。この四十九日法要(七七忌)の際に、后である光明皇后が、天皇の冥福を祈って遺愛の品々や多数の宝物を、東大寺の盧舎那仏に献納した。これが、正倉院の始まりである。

数々の献納品は、目録・東大寺献納帳に記載される。この「国家珍宝帳」に記載している品物が、宝物と認定され、収蔵された。袈裟や帯、刀や念珠などの服飾品や書を始め、琵琶、琴、笛、笙の楽器類、さらに棊局などの遊戯具、弓や刀剣の武具、鏡や屏風などの調度品に至るまで、宮廷生活で使用された多くの品々が、含まれている。

 

そんな数々の遺愛品には、天平という時代を彩った、様々な装飾デザインが見られる。そしてやはりその文様にも、美しいシンメトリーの姿が見て取れる。今日は、そんな正倉院の文様をモチーフにした、龍村の袋帯を二点、ご覧頂くことにしよう。

 

(若草色地 オリエント壇文様 袋帯・龍村美術織物  笛吹市・I様所有)

古代オリエントとは、ナイル川流域のエジプト、チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア、さらにペルシャを含む地域を指し、年代は、紀元前4000年~400年あたりまでである。現在の国名で言えば、エジプト・イラク・シリア・イラン・アフガニスタンということになり、今まさに混迷を深めている中東の地にあたる。

文明発祥の地であるオリエントでは、多くの文様が形成される。この代表的なものが唐草・唐花文様であり、その形状は多種多様を極める。これが、西アジアから、シルクロードやインドを通り、中国、朝鮮を経て日本に伝わってきた。文様は、通過した個々の地域でアレンジされ、変容したものも多い。遣隋使や遣唐使制度が確立され、定期的に大陸と直接繋がるようになった飛鳥から天平期は、文様の流入と共に、大きく装飾が変化した時代となった。

唐花・唐草については、今まで何回かこのブログでも御紹介してきたが、文様の形ごとに、ある一定の法則が見られるように思う。これは、それぞれの模様が発祥した地域の特徴や、歴史的な経緯、さらにモチーフとした植物の種類によって、様々に形成されているからであろう。

では、今日御紹介する帯の文様には、どのような意味があるのか、考えてみよう。

 

帯にあしらわれた文様の中心は、大きな円の中の8枚の花びら。それはまるで太陽のようにも見える。また中心には、図案化された二匹の鳥が向かい合っている。

この帯図案のように、花弁が放射状に広がる円形の花文様のことを、「ロゼット」と呼ぶ。すでにこの形は、紀元前4000年頃のメソポタミアの守護女神・イナンナのシンボル(円柱状に編んだ藁束)に見ることが出来る。

唐草・唐花文様の基礎になっている植物の中で、アカンサス(葉アザミ)・パルメット(忍冬)・ロータス(スイレン)は最も重要視されるだろう。アカンサスとパルメットを繋いだ唐草は、波状唐草と呼ばれ、それは後にアラベスク文様の基礎となる。生き物の表現が制約されるイスラム教において、この文様は重要な役割を果たし、モスクなど多くの建築物の内部装飾にあしらわれてきた。現代でも、イスラム美術の中では、欠かせない文様になっている。

ヨーロッパでは、円形花文=ロゼットの原型植物をバラとしている。しかし、オリエント地域に見られるロゼットでは、バラの花を想起出来ない。では、どの植物かと言えば、それはスイレンである。

この文様の起源となったエジプトでは、朝に開き夜に閉じるこの花を、太陽に見立てて慈しんだ。つまり、ロゼットという文様は、太陽の光がスイレンの花に投影されたものということになる。だから、この帯文様の図案を見ても、光を放つように円の中心から、放射状に花弁が描かれており、それが太陽のように見えているである。現在でも、エジプトの国花はスイレン。いかにこの花が、この国の歴史と強く結びついているかが、わかる。

地色は、鮮やかな若草色。模様の配色はインパクトのある朱と空色にほぼ限定されている。ロゼットの周囲には、忍冬をモチーフにしたパルメット唐草の姿もある。図案と配色それぞれは、上下・左右に対称的なシンメトリーの形式を、きちんと取っている。

中国・唐代に生まれ、天平期に日本にやってきた宝相華(ほっそうげ)文様は、唐花(八つのことが多い)を環状に繋げた形状のモノが多いが、モチーフは、牡丹あるいは蓮とされている。蓮は、仏教においては象徴的な花であり、仏教美術には欠かせないものだ。やはり蓮という植物は、唐草文のモチーフとして、重要な役割を果たしていたと言えるだろう。

正倉院の宝物の装飾では、パルメット唐草、ロゼット、宝相華と、様々な唐花・唐草の形を見ることが出来る。それぞれの文様には、辿ってきた経緯や歴史が内包されているように思え、興味が尽きない。

なお、花弁を太陽に見立て、放射状に描くロゼットの特徴は、日本の文様の中にも見受けられる。天皇家の象徴紋・十六弁菊がそうだ。皇室の租神・天照大神は太陽神であることを考えれば、この図案の意とするところは、エジプトも日本も同じことになる。

この帯を合わせたキモノ。室町期の幻の染・辻が花模様の付下げと、オリエント・ロゼット文様の組み合わせ。柔らかな橙地色のキモノに合わせると、インパクトのある着姿が演出出来る。かなり個性的なコーディネート。文様の起源が全く異なるモノを結び付けられるのも、和装の面白さであろう。

 

(白地 聖樹瑞鳥文様 袋帯・龍村美術織物  山梨市・I様所有)

先ほどのロゼット文様の中にも、一対の鳥が描かれていたが、正倉院の宝物装飾の中で、特徴的に見られる構図が、樹木の下に一対の鳥、動物が描かれているもの。文様名は、「樹下聖樹文」である。

古代オリエントでは、樹木は命の源として、信仰の対象としてきた。この木のことを、「生命の木」と呼ぶ。メソポタミアの地で生命の木とされたのは、ナツメヤシ。おそらく、この地域の乾燥した気候の中でも、決して枯れることのない生命力を、見てのことと思われる。樹木の下に、一対の動物や鳥を描く意味は、聖なる木から恵みを受ける姿を映すためである。生命の木の下は、楽園になると、言いたかったのであろう。

この文様が、ササン朝ペルシャ(226~651年)で重要視されたことと、正倉院宝物の中にこの文様を数多く見受けられることは、関連がある。ササン朝ペルシャの晩期は、日本の天平期にあたることから、この樹木聖獣文をあしらった装飾品が、シルクロードを通じて唐の都・長安に運ばれ、そこから日本に伝来したと、容易に想像が付くからである。

正倉院宝物でも、樹木の下に置かれた対の動物、鳥には色々なものがある。例えば、「花樹獅子人物文橡綾」では、対の獅子(ライオン)が、「深縹地花樹双鳥文夾纈絁」では、対の鴛鴦、さらに「鹿草木夾纈屏風」では、対の鹿を描いている。また、対ではなく、一つだけを単独で描くものもある。「羊木﨟纈屏風」と「象木﨟纈屏風」では、羊と象が一頭ずつ見える。いずれの装飾文様でも、樹木にナツメヤシが使われていることから、やはり「聖樹文」として、図案を意識していると理解が出来よう。

この帯を使ったキモノは、雲取り切り込みが特徴的な、慶長文様の京友禅振袖。こちらは、桃山期の文様とササン朝ペルシャのコラボ。改めて帯姿を見ると、この樹下聖獣文様が、ナツメヤシの木を真ん中に置き、その下に二対の動物・鳥を相対させる、典型的なシンメトリー模様と理解出来る。左右対称の美しさを、特に感じさせる文様だろう。

 

今日は久しぶりに、龍村帯に見られる正倉院文様について、お話してきた。今日御紹介した帯は、いずれも30年ほど前にお求め頂いたもの。どちらも、母から娘へと代を受け継いで使われている品物である。だから手入れのために、店へ里帰りしてくる時には、改めて文様の美しさを再確認できる。これも、長く龍村の帯を扱ってきた、一つの恩恵かと思う。

また折りに触れて、特徴的な正倉院文様をあしらった龍村の帯を、御紹介したい。

 

シンメトリーの持つ印象の良さは、人間の姿でも感じられるようです。人の体は、左右対称に出来ていますが、肩肘をついたり、足を組んだりすると、その形が崩れます。正しい姿勢で正対することが、好印象を受けることに繋がるというのは、理解出来るところでしょう。

という訳で、バイク呉服屋も自分の姿を鏡に映してみました。確かに、顔や体の作りは、一応左右対称になっているように思えますが、顔は怖く、体型も酷いものです。いくらシンメトリーだからと言っても、元々の素材が悪ければ、印象もヘチマもありませんね。駄目だ、こりゃ。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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