バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

四方を繋ぐ、おめでたい有職文様  七宝文

2017.01 24

どこのお役所でも、前例のない仕事は、あまりやりたがらない。これは、新たに取り組むことへのリスクを避け、問題を起こさず、なるべく平穏無事に過したいという、お役人特有の「事なかれ主義」がもたらすものであろう。

これが、利益を追求する民間企業ならば、社会の動きや流行に応じて、仕事の方法を変えて行かなければ、生き残ってはいけない。社員が、「前にやったことがないことは、自分には出来ません」などと言っていたら、即窓際に追いやられる。

 

役所が先人の事例(先例)に縛られているのは、何も今に始まったことではなく、長い歴史がある。平安期は、貴族や公家を中心した、いわゆる摂関政治の時代。その中で、10世紀初頭の藤原忠平の政治改革・延喜の治あたりから、過去の例を重要視し、それに基づいて物事が決められるようになった。

先例として参考にしたのは、主に、日本で初めて「関白」の地位に就いた、忠平の父・藤原基経(もとつね)や藤原氏中興の祖である・藤原冬継(ふゆつぐ)が統治していた時代の手法である。

これは、政治的な法令や制度ばかりではなく、宮中での儀礼やその時々の服装、そして季節ごとの習慣として開かれる年中行事に至るまで、先人の轍を踏むことが、基本にされたのである。

 

この、「過去の事例」に関わる知識が「有職(ゆうそく)」であり、それを基として行動(施策を行うこと)の根拠とすることが「故実」となった。先例に詳しい者は「有職者(ゆうそくしゃ)」と呼ばれ、重要な政策を実行する時に、大きな役割を果たした。この時代の権力者・藤原忠平は、有職者の先駆けであり、有職故実に基づく記録が、「貞信公記」という日記の形で残されている。

現在、政府諮問会議の委員として委嘱を受けている大学教授などは、ある事象について非常に知識を持った者、「有識者(ゆうしきしゃ)」という名前で呼ばれることが多いが、これは平安期の「有職者(ゆうそくしゃ)」が転じたものである。

そして、先例に基づくモノの考え方は、法令や制度ばかりではなく、日常生活の中にも、「習慣」という形で根付く。「同じ方法を踏襲する」という日本人の意識は、長い時間をかけて醸成されたものなのである。

 

先ほど、貴族や公家の衣装や調度も、先例を重んじる=有職に従って決められたと述べたが、ここで使われた織物こそが有職織物であり、その文様が有職文様であった。

平安中期から、公家・貴族の礼服として着用された束帯の表着・袍(ほう)は、独特の文様を織り出した綾や錦が使われ、その色や文様は、位階により厳密な区分けがあった。それは、後まで固定化して受け継がれ、まさに先例を踏襲する有職文となったのである。

今日は、そんな伝統を受け継ぐ有職文様のなかでも、もっともポピュラーな輪違文、皆様に良く知られた名前で言えば、七宝文様について、お話してみたい。今年最初の、「にっぽんの色と文様」として取り上げるのにふさわしい、おめでたい文様である。

 

(橙色 大七宝文様 袋帯・梅垣織物)

有職文様が生まれた背景には、遣唐使の廃止(894・寛平6年)を一つの契機として、日本の文化が唐様(中国から伝来したもの)から、独自の和様に変化したことと大きく関わりがある。

中でも、上流階級が着用する装束の変化は、国風化を象徴するものであった。それは、唐を真似た衣装から、男子は束帯に、女子は十二単へと変わったことである。

この衣服に使われた織物の色は、いずれも単色であり、着重ねることにより、色を表現した。これが、「襲色目(かさねいろめ)」である。貴族男性の日常着・直衣(のおし)やその下に付ける袿(うちぎ)などは、表地と裏地に異なる色を用い、表裏を重ねて見えた色が、その衣装を表す色となった。また、女性装束の十二単は、幾重にも袿を重ね着した衣装だが、袖口や褄から覗く何色もの襲は、究極の襲色目と言えよう。

この色の合わせと共に重要視されたのが、生地に織り出される文様である。ここで表現された文様は、幾何学的なものが多く、一つの織地の上では、同じ文様が何度も繰り返して付けられた。モチーフとして使われたのは、正倉院に伝わる文様のような、異国的なものではなく、身近にあるものを図案化・抽象化している。これが、現在まで有職文様として認識されているものなのである。

 

有職文には、幾何学的な菱文や立涌文、襷文などや、植物や鳥からヒントを得た小葵(こあおい)文、藤の丸文、蝶の丸文、鸚鵡の丸文、雲鶴(うんかく)文などがある。だがその中でも、もっともポピュラーな有職文として位置付けられているのが、七宝(しっぽう)文なのだ。

七宝文は、そのおめでたい名前が故に、今もキモノや帯の文様として、様々な場面で使われる。上の画像のような振袖に使う袋帯の図案となったり、少しモダンな小紋の意匠にも使われたりする。フォーマルでもカジュアルでも、頻繁にモチーフとなる珍しい幾何学文である。そして、単独で使われたり、模様を構成するものの一つとしても使われたりするような、大変使い勝手の良い文様でもある。

 

帯に織り出されている七宝文様を、拡大したところ。

この文様の元来の名前は、「花輪違い」。構成されている文様の形を見ると、同じ半径の円の円周が4分の1ずつ切り取られていて、中に花菱のような唐花が置かれている。

このように、四つの輪が交錯している形は、以前から四方襷(しほうたすき)とか、十方(じっぽう)と呼ばれていたものだが、この文様に七宝という名前が付いた由来は、「四方」あるいは「十方」が転訛したものである。ご存知の通り、「七宝」とは仏教のおける七種の貴重な宝のことであり、その縁起の良さにちなんで、この呼び名になったのであろう。

だから、七宝文様と本来のお宝・七宝(金・銀・瑠璃・瑪瑙・珊瑚・玻璃・シャコ)とは何の関わりも無く、いわば「おめでたさを連想して」、便宜的に付けられた名前なのだ。

 

(黒地 七宝繋ぎ文様 型小紋・千切屋治兵衛)

前の袋帯に表現されていた七宝文様は、中に唐花を入れた「花輪違い文」だが、この小紋のように、花がない単純なものは、「輪違い文」となる。

円を四つ切り取った形は、真ん中が太く両端が細い円柱形で、これを紡錘(ぼうすい)形と呼んでいる。紡錘とは、糸を紡ぐ道具の一つで、スピンドルと呼ばれるもの。

四つの紡錘形を結び合わせたものを、一つの単位とし、この小紋のように連続させた文様が、「七宝繋ぎ文様」となる。

この小紋は黒地で、四つの紡錘形は黄・緑・青・ピンクと、それぞれ違う色が配されている。そのため、見ようによっては、七宝文というよりも、四枚の葉を連続させた図案のようにも映る。模様を眺めていると、何とも不思議な感覚になる文様である。

この七宝繋ぎ文に関しては、正倉院に所蔵されている夾纈の薄絹にも、ほぼ同じようなものがあり、一部の有職文の源流は、すでに平安時代以前から形成されていたものと、理解出来る。また、逆に平安期以降のモチーフでも、有職文として認識されているものがあり、いずれにせよこの文様群が、現在に至る「日本文様の原型」と意識されていることは、間違いない。

 

(薄鶸色 七宝に宝尽し 型友禅付下げ・菱一)

輪違い文は、「七宝」の名前が付いているだけに、宝尽し文様と併用されるか、あるいは七宝文そのものが、宝尽し文の範疇として、位置づけられることも多い。

宝として認識されているものには、金や銀などの七つの玉、いわゆる七宝の他に、宝輪や宝瓶、蓮花まど、仏教で吉祥とされる法具「八宝」があり、さらに丁子や方勝などの「雑八宝」もある。そして打出の小槌や分銅、隠れ蓑や隠れ笠などは、日本固有のお宝である。

キモノや帯に、「宝尽し文」として表現されているモチーフは、八宝や雑八宝と和製宝物が混在している。なお、輪違い文=七宝は雑八宝の一つでもある。

幾つかの七宝文を繋いだ中に、様々なお宝が見えるが、宝巻や分銅、打出の小槌、隠れ笠、隠れ蓑など和製宝物が多い。そして、小さな七宝文も、お宝構成員の一つとして加わっている。まさにこの宝尽し模様の付下げの中心は、七宝であり、それが模様を割り付ける役目と、模様を構成する役目の両方を果たしていることがわかる。

輪繋ぎ七宝は、宝物としての実態はないものの、宝尽し文の中では、欠かすことは出来ない存在になっている。輪繋ぎはその形状から、円を繋ぐもの=縁を繋ぐものとされてきた。その意味でも、吉祥文の一つと言えるだろう。

 

宝尽し文は、室町期から意匠として定着し、江戸期になると、大奥女性の夏の正装、腰巻の模様として用いられることが多かった。また、明治時代以降になると、仏教伝説や、説話などに基づく恭しいモチーフに代わり、庶民に身近な縁起物、例えば熊手とか、福笹、お多福などをあしらった、いわば「庶民の宝尽し文」のようなものも、登場する。

なお、宝尽し文における和製宝物に関して、詳しくお話した稿(2014.11.11・「このおめでたい道具は何だ」)があるので、興味のある方は、ぜひそちらもお読み頂きたい。

最後に、今日ご紹介した七宝文の品物を、もう一度ご覧頂こう。

フォーマルにも、カジュアルにも図案として使われる七宝文は、文様の「オールラウンド・プレイヤー」である。おそらく、皆様がお持ちの品物の中にも、一つや二つは、その姿を見ることが出来ると思う。

有職文としての伝統を持ち、宝の象徴でもある、不思議な形の輪繋ぎ文は、これからも日本を代表する文様として、多くの品物にあしらわれていくことだろう。「四方が転じて、七宝となる」。こんな語呂合わせのような名前の付け方で、文様の存在価値が高まっていることが、何とも面白い。

 

 

バイク呉服屋は、七宝文様を見ると、忌まわしい算数のテストを思い出します。円を切り刻んだり、重ねたりした図形、まさに「輪繋ぎ文様」のようなものが提示され、その一部の面積を求めさせるような問題が、よく出されました。

もちろん、算数、特に幾何が大の苦手だった私には、解けるはずもなく、輪繋ぎ図形を目にした瞬間、テストは投了となりました。まさに七宝図形は、秒殺図形なのです。

今でも、七宝の面積は解けませんが、七宝文様のキモノは解(ほど)いて、洗張り職人に回すことが出来ます。同じ「解」でも、大違いですが、呉服屋ならば、これで十分かと思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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