バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

バイク呉服屋への指令(1) 大人が使える、赤い地色の名古屋帯を探せ

2016.11 20

スパイ大作戦を見ていたのは、確か中学生の頃だと思う。テレビ放映されていた期間を調べてみると、1967(昭和42)年~1973(昭和48)年の7年間。

アメリカの秘密諜報機関から指令を受けて、任務を遂行するスパイのお話で、毎回様々な難題を一時間のうちに解決していく。もちろん、このドラマについて知っているのは、50歳代以上であり、若い方には何のことなのか、さっぱりわからないだろう。

 

このドラマは毎回、スパイのリーダーが、テープレコーダーに吹き込まれた当局からの指令を聞くところから始まる。この機械は、昭和40年代当時の、小さなリール式テープレコーダーで、今となっては決してお目にかかれるようなシロモノではない。

テープは、任務内容を説明した後、最後に必ず次のような「決り文句」が吹き込まれている。「例によって、君、もしくは君のメンバーが捕えられ、殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで。成功を祈る。なお、このテープは自動的に消滅する。」

この言葉を聞いた直後、テープレコーダーが爆発して消滅するシーンが映し出される。「自動的に消滅する」という文句は印象的で、学校でも流行っていたような気がする。地方ではまだ、アメリカのテレビドラマそのものが珍しく、毎回秘密裏に難題を解決していくという筋立ても、新鮮で格好良かった。

 

バイク呉服屋も、お客様からは様々な依頼ごと=指令を受ける。専門店という看板を掲げているからには、希望される品物や多岐にわたる手直しの仕事には、何とか答えていかなければならない。

そこで、お客様がどのような理由で仕事を依頼し、それを私がどのように解決したのか、その仕事の過程と結果についてお話をする「バイク呉服屋への指令」シリーズを始めようと思う。この稿では、呉服屋が日々受ける仕事の様子を、よりリアルにお話出来るような気がする。

では、最初の指令「大人が使える、赤い地色の名古屋帯を探せ」の話を始めてみよう。

 

(赤系地色 京袋帯  光波帯・龍村美術織物)

10日ほど前だろうか、30代後半くらいかと思われる女性が店を訪ねてこられた。女性の年齢を推測するのは、失礼かと思うが、とにかくまだ若い方である。

「探して欲しいモノがあるのですが・・」ということなので、とにかく話を伺うことにした。この方は、カジュアルなキモノを楽しまれ始めたばかりで、自分で着用することも出来ると言う。

現在、使っているキモノは、ほとんどがおばあちゃんが残した品物。上質な紬や小紋が沢山あるが、どれもかなり地味らしい。もちろん、帯もあるが、やはり彼女の年齢では使い難い、年配向きの品物とのことだ。

 

譲られた品物の中に、薄グレー地に細縞があり、所々に小さな赤い水玉模様の付いた紬小紋と、赤い絣の泥大島がある。「赤地色の帯」を使えば、この地味なキモノのイメージを変えて着用出来ると考えた。

だが、この赤い名古屋帯が見つからなかった。東京の老舗デパートなどを何軒か探されたようだが、自分の思うようなモノに行き当たらず、そもそも大人が使えるような「赤地色のモノ」が無かったそうだ。

ということで、今回のバイク呉服屋への指令は、「おばあちゃんの地味なキモノを変身させる、赤い地色の名古屋帯を探すこと」となったのである。

 

確実に品物を探すために、求めている色を確認する。単純に「赤系」と言っても、朱色・茜色・紅色などがあり、色目も異なる。また、同じ系統の色でも、濃淡に差があれば、色の印象が大きく変わる。

彼女が欲しい赤は、キリッと引き締まる強い紅系の色だとわかった。いわゆる「真紅(しんく)」と呼ぶ色だが、これで着姿をピシリとおさめたいようだ。しばしの猶予を頂き、品物を探すことを約束した。

 

私には、すでに「探すあて」があった。一般的に考えれば、織帯にせよ、染帯にせよ、名古屋帯で大人が使えるような赤色系のモノは、簡単には見つからないだろう。特に鮮やかな赤地色は、子ども用の祝帯くらいしか思い当たらない。

品物を提示する時には、一本だけという訳には行かず、少なくも4.5本は用意して、色や図案を比較検討した上で、選んで頂かなくてはならない。

「指令された色」を見つけることは当然だが、出来るだけ上質で締めやすく、その上、様々な地色のキモノに対応出来るような、使い勝手の良いモノ、そして価格は出来るだけ抑えるという、幾つもの条件を満たさなければならない。

 

この難しい条件に見合う帯は、私の知る限りでは、龍村美術織物の光波帯だけである。龍村と言えば、高価な袋帯を作る織屋と認識されているが、この名古屋帯にこそ、龍村らしい意匠が表現されている。

正倉院御物の中から文様を取り出してみたり、名物裂の文様を写してみたり、はては中近東や東欧など、異国の遺跡から出土した古い文様を使ってみたりと、多種多様の図案がある。今まで織り出された模様の数は、100柄以上であろう。

そして、この光波帯には、一つの図案でも地色違い、配色違いのものがある。赤系の地色も、よく使われており、真紅色も見つかるだろう。「探すあて」とは、この光波帯の存在が判っていたからなのだ。

この帯ならば、質は間違いなく、その上締めやすい。紬でも小紋でも良く、カジュアル全般で使ってもらえる。価格も、仕立て上がりで95.000円なので、求めやすい。色を探しやすいだけでなく、他の条件にもピタリと当てはまる品物なのである。

 

龍村に依頼して送ってもらった7本の赤系地色の光波帯。下段左から、繍花楽園文・中円文白虎朱雀錦・花鳥梅花文・鱗形吉祥文。上段左から、山羊花卉文・小円文白虎朱雀錦・ペルシャ鶏華文。

 

龍村への依頼は、電話一本で事足りる。高島屋や三越ならいざ知らず、こんな小さな地方の小売屋と直接取引を頂けるのは、有難いことだ。今年の初め、長いことうちの店を担当していた龍村の社員が急逝してしまい、どうなることかと思ったが、後を継いだ若い女性担当者も、実に丁寧に応対してくれている。

そうして送られてきたのが、上の画像にある7本の光波帯である。赤系地色と言っても、一つとして同じものはなく、模様の雰囲気も違う。多様の品物を見せることが出来れば、選択の幅も広がる。気に入って頂ける帯も、おそらく見つかるだろう。

 

実際には、おばあちゃんの地味なキモノを持参して頂き、その品物を見ながら帯を合わせていった。その時の様子を画像に残しておけば、よりわかりやすい説明が出来たと思うが、ブログの稿として取り上げることを考えていなかったので、写してはいない。

そこで、持参された品物に近いモノを使いながら、商いを再現してみよう。ご覧のように、小紋・紬ともに、若い方が使うのには、かなり地味な品物である。

 

7点の帯のうち、まずこのペルシャ鶏華文の赤地色が、求めていた色に近いということで、目に留めて頂いた。

次に気になったのが、この山羊花卉文。はっきりとした紅色ではなく、やや黄色みを掛けたような優しい地の色合い。模様に挿し色が無く、シンプルで使い勝手の良さが感じられたようだ。

この花鳥梅花文は、もっとも模様の良さを感じて頂けた品物。ただ、地の赤の色が、少しだけ茶が掛かっていて、上の二点と比べると沈んだ色に見える。

他の4点は、文様そのものが好まれなかったり(円文白虎朱雀錦)、模様が密なために、地の赤を感じないものだったり(繍花楽園文)、これから使うには、少しためらわれる派手さがあったり(鱗形吉祥文)として、選択からは外された。

 

三点の候補から最終的に選ばれたのは、このペルシャ鶏華文。やはり、「自分が求める赤い地色」に最も近い色ということが決め手となった。確かにこの色なら、地味なキモノをパキッと引き立てる。ここまではっきりとした「赤地色の大人帯」は、なかなか無いだろう。

山羊花卉文の柔らかい雰囲気や、花鳥梅花文の文様のかわいらしさも捨てがたいが、ここは「初志貫徹」で、あくまで地の色にこだわって、モノ選びをされた。

この文様には、「メダリオンパターン」とよばれる様式が見られる。英語でmedallion(ペルシャ語ではトランジ)とは、丸いメダルに付けられた飾りなどを意味するが、丸や楕円で囲まれた中に模様を描き、さらにその周りに別の文様を配する様式が、このメダリオンパターンである。

この帯には、すこし不恰好な円の中に鶏がいて、その周りには幾何学的な花文が配されているが、このような文様は、6~7世紀のササン朝ペルシャの器や織物にも、数多く見ることが出来る。

天平期には、この文様パターンも、シルクロードを通じて日本に伝播する。正倉院の中倉に収納されている「金銀平脱皮箱(きんぎんへいだつのかわばこ)という御物があるが、この文様を見ると、金銀二重の連珠で付けられた丸の中に、花の枝を加えた鳳凰がいて、その周りには六つの双鳥(つがいの鳥)が配されている。

龍村の帯文様を調べていくと、大概その基になったと思われる収納品を見つけることが出来るが、やはりこのペルシャ鶏華文も、天平装飾の一つの文様パターンをヒントにして作られていた。

 

希望されていた赤無地のちりめん帯揚げを使って、コーディネートしてみた。帯の赤地色より、もっと真紅な色。帯揚げを帯地と同系統の色で考えるとすれば、このくらい強い赤が必要になるだろう。帯締めは、不規則な感覚で織り込まれている白地の縞模様(細見華岳・綴帯〆)で、キリリとした赤地色の帯が、より効果的に見えるように引き締めてみた。

 

ということで、今回受けた指令に対し、無事任務を果たすことが出来た。だが、努力しても上手く行かないこともよくある。

やはり品物に関しては、お客様に納得頂けるモノを見つけられるか否かが、最大のカギとなる。だから、常にアンテナを張って「モノの在り処」を探しておかなければならない。今は、どこのメーカーでも多種多様にモノを作ることが難しく、この先はもっと厳しくなることは間違いない。

読まれている皆様の参考になるような「指令」を受けた時に、また、このシリーズの中で話をしてみたい。

 

バイク呉服屋には、品物探しの指令を受けたのに、一年以上も解決出来ていない案件があります。お客様からは、「いつでも良いので」と時間制限を付けられていないため、それに甘えさせてもらっているのです。

早くしないと、「なお、この店舗は自動的に消滅する」ようなことにもなりかねません。少し焦った方が良いのかも知れませんね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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