バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

品物を、仕入れる呉服屋、仕入れない呉服屋(前編)

2016.03 30

最近、呉服の取引に関して、相談を受けることが何回かあった。時折ブログの中で、この業界の内実について書き連ねているので、話してみたくなったのだろう。聞けば、トラブルの多くが、展示会という商いの場で起こっている。

無理強引に、品物を押し付けられて困惑している人、極端な値引きをされて、価格に不信感を持つ人、作家と称する人の品物を買わされ、家に帰ってネットで検索してみても、その作家の情報が何も出てこなくて、途方に暮れている人。直しの相談に行ったところ、新しい品物ばかり勧められて、怒っている人。

バイク呉服屋は、消費生活センターではないので、お話は聞くことが出来ても、個別具体的な対応策を取ることは出来ない。ただ、ローンを組んで一週間以内ならばクーリングオフの制度があり、品物に納得されていないならば、解約することが出来る旨をお話している。

 

それにしても、まだこんな非常識な商いがまかり通っているとは、驚きである。いくら呉服は、価格や品質が判り難い品物だとしても、消費者の認識不足に付け入ったり、強制的にモノを売るとは、恥ずべき行為としか言いようがない。知識を持たない消費者は、売り手を信頼して品物を求めようとしているのに、これでは不信感しか残らない。

どうして呉服屋は、こんな商いに走るのだろうか。大きな原因を考えてみると、「呉服のことは何も知らないのに、呉服を扱っている」というところに行き着く。

特に、前述のように、「困った展示会」を開くような人たちは、品質が判らないために、適正価格も判らず、その上自分で売ることも出来ない。もちろん、自分の目で仕入れを起こすこともなく、問屋からの借り物(業界用語で、浮き貸しと言う)だけで商いをしている。そして、彼等が見ているのものは、数字だけである。いくらで売ったら、どれだけ儲かるのか、そこには、品物の質や消費者の着姿など考える余地はない。

 

「品物を仕入れる」ということは、自分の目に適ったモノを見極めることだ。品物の質や価格はもちろん、どのような人にどのような場面ですすめていくか、また、店に残る在庫品との兼ね合いはどうかなど、その辺りまで勘案しないと、品物を買い取ることは出来ない。

仕入れというのは、自分でリスクを背負うこと。すぐに売れていくのか、それとも長い間、店の棚に残ってしまうのか、仕入れをする者のセンスと力量が試される。そのためには、品物に対する知識を身につけ、価格にも敏感でなければならない。そして、仕入れた品物は自分で売り切るしかない。うちのように、人を雇っていない店ならば、当たり前のことで、誰も助けてなどくれない。

 

つまり、仕入れをするか否かというのは、呉服屋として成長出来るか否かということと重なっている。買い取って店頭に並べられた品物と、借りてきて展示会場に並べられている品物。消費者にとっては同じに見えても、商いや品物に対する向き合い方は、天と地ほど違う。

そんな訳で、「仕入れ」というものから見える二極化した呉服屋の姿を、二回に分けてお話してみよう。ここを見ておくと、なぜ、呉服という業界に様々な悪しき習慣が巣食うのか、理解出来るように思える。まずは、「仕入れをする=品物を買い取る呉服屋」について、私自身の商いの仕方を中心に、御紹介してみる。

 

衣桁越しの反物棚。店に置いてある品物は、当然自分で全て買い取って仕入れたもの。

 

呉服屋の経営でもっとも大変なことは、仕入れに多くの資金が必要なことだろう。その上、ほかの業種と比べて、すこぶる回転率が悪い。おそらく一年に一回転もしない。

仕入れた品物が、すぐに売れていくことは多くない。調べてみた訳ではないが、平均して2~3年くらいは、店の棚に居座っているように思う。つまり、仕入れの代金を回収し、利益を生み出すまでには、かなりの時間を要することになる。

しかも、仕入れ後2年以上も経つと、値段を見切ってしまうことが多い。品物によっては、ほとんど利益が出ないような価格、あるいは原価割れしたような価格で、売ってしまうこともある。

 

キモノにせよ、帯にせよ、小物類にせよ、管理さえきちんとしておけば、仕入れから何年経とうが、質が落ちることはなく、変わらぬ値段で売ることが出来る。けれども売る側の方で、棚に残り続ける品物に見飽きてしまうと、いくらでも良いから、売ってしまいたくなる。

しっかりとした経営をしている他の店では、バイク呉服屋のように、テキトーな品物の捌き方はしていないだろうが、一人で商いをしているために、誰も咎める者がいない。その品物の仕入代金を支払い終わると、どうしても価格に甘くなる。

うちに来られる常連さんたちは、そんな私の性格を読み切って、品物を求めにやって来る。一番得をするのがお客様ならば、それはそれで良いと思うのだが、後で経理を担当している家内からは、お小言を喰らう。だが、「見切り千両」とはよく言ったもので、安く売ったお客様からは、いつか必ずどこかで利益を頂ける。「損して得取れ」の格言は生きているように思う。

 

帯が入っている棚。新参者もいれば、牢名主のように、棚に居座り続ける輩もいる。初めて来られたお客様からは、どの品物が古く、どの品物が新しいかはわからない。

 

自分が選び抜いた品物を、お客様に一目で気に入って頂き、自分の思い通りの価格で売れた時の喜びは大きい。利益を出せたことはもちろんだが、それ以上に自分のセンスが理解されたことが嬉しいのだ。ここに、呉服屋の商いとして、一番の醍醐味がある。

品物を見極めるということは、大変難しいことで、自分が考えたようにモノは動いてくれない。早く売れると見込んだスタンダードな模様が、いつまでも残ったり、少し奇抜に思える地色のモノが、簡単に捌けてしまったりする。紬や小紋、名古屋帯といったカジュアルモノでは、この傾向がなお強い。

だが、仕入れの時に大切なことは、すぐに売れなくとも、いつかはどなたかの目に留めて頂けるだろうと、長い目で品物を見ることかと思う。きちんと作られている品物は、時を経ても魅力は失われない。そのことだけは、確かだ。

自分の様々な思いが込められた品物だからこそ、上手く商いが成立した時には、「自分で自分を褒めたくなる」。こんな「岩崎恭子状態」を味わいたくて、毎日仕事に励んでいるようなものである。たまに、棚の古い品物を見て、「駄目だこりゃ」といかりや長介のように呟くことも、あるが。

 

バイク呉服屋は小さな店なので、買い取る品物の量は知れたものだ。沢山の品物を動かすことが出来ないために、仕入れに回す資金は限られたものになる。だから、欲しいモノがあっても、じっと我慢するようなこともよくある。

本当に良質な専門店というのは、一つのアイテムに対して、幅広い品揃えが出来ている。例えば、小紋で考えてみよう。江戸小紋や飛び柄小紋、また街着に向くような総模様のものなどを、お客様の年代別に、ある程度の色数を揃えて置いてある。自分の目に適う品物を、質・量共に兼ね備えて買取り、きっちり店先に並べることのできる店こそ、尊敬すべき専門店と言えよう。

 

世間は広いもので、良い店というものは、まだある程度残っているように思える。きちんと仕入れをしている店か否かは、その店の普段の姿を見ていると、判断できる。ウインドのディスプレイや、店内に置かれているものをちょっとだけ覗けば、店主の気持ちが込められている品物かどうかが、飾り方で判る。

専門店は敷居が高く、入り難いというのは理解出来る。店構えだけで、圧倒されてしまうようなところも多いだろう。けれども、ウインドを「定点観測」することにより、その店がどんな品物を扱っているかが判って来る。

季節に応じた品物を置いてあるか、店先のディスプレイを小まめに変えているか、カジュアルモノを飾ることがあるか、そんなことに注意してウインドを見ていけば、その店の姿が否応無く浮かび上がる。一年中ウインドに、振袖しか飾っていないような店は、呉服の専門店として論外であろう。

 

仕入れをする呉服屋というのは、店先におく品物の姿を重要視する。自分が心を込めて買い取ったものを、お客様に美しく見せたいと思うのは、当然のこと。店頭こそが、唯一無二の商いの場であり、大切な仕事場と考えているからである。

皆様も、気になる専門店があれば、その店先を「定点観測」しつつ、思い切ってドアを開けて頂きたい。自分で仕入れをするような店は、品物を売りつけたりはしない。きっとじっくり話を聞いてくれるはずである。ネットに置いてあるHPでは判らない、リアル店舗の姿を自分の目でご覧になって、店選びの参考にして頂きたい。

 

後編では、仕入れをしない呉服屋について、話を進めることにしよう。どんな商売でも、きちんと仕入れをしなくてはモノが売れないだろうに、不思議なことに呉服業界では、それが出来てしまう。「展示会」という方式が、それを可能にしているからだ。

なぜ、これほどまでに、展示会商法が業界を席巻してしまったのか。それにより、業界で失われたものは何なのか。また、消費者に対する弊害が、何故起こってしまったのか。その辺りのことを御紹介しながら、「仕入れをする呉服屋」とは対極にある、「仕入れをしない呉服屋」の姿を浮かび上がらせてみたい。

 

専門店のはしくれであるバイク呉服屋からみても、到底かなうことのない、凄い店が何店かあります。品物の上質さは言うまでも無く、置いてある数も圧倒的なもの。どうしたら、これだけの品物を買い取ることが出来るのかと、思わず考え込んでしまいます。

もちろん、このような店の主人は、モノを見極める目は抜きん出ていて、知識の豊富さにおいては、私なんぞ足元にも及びません。しかも、価格においても、非常に良心的であり、こんな店がうちの近くにあったら、とても商売にならないでしょう。

 

私が尊敬する店は、決して大きな店構えではなく、従業員を雇い入れてはいません。家族で、あるいは一人で商いをされています。小さくとも気概を持てば、理想的な専門店として存在出来る、良いお手本ですね。

そんな店と同じような仕入れをすることは出来ませんが、品物やお客様に対する姿勢は、意識を高く持って、出来る限りの仕事をしていきたいと思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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