バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

絽白地刺繍帯の部分補正 西陣寺之内通・植村商店(4)

2015.10 04

高級な鮨屋や和食・割烹の店などでは、店内のお品書きの中に、「時価」というあいまいな値段が付けられているものがある。

大概が、入手し難いもの、あるいは季節により仕入れ価格が変動するようなものであろう。今の季節であれば、さしずめ松茸あたりか。

金額が明示されていないものを頼むのには、少し勇気がいる。思い切って、店の人に値段を聞いてみれば良いのだが、聞いておいて注文しないのも、何だか恥ずかしい。店側に自分の懐を見透かされてしまうようで、嫌なものである。客にとって価格がわからないというのは、どうしても不安が付きまとう。

 

価格が明示できないということは、バイク呉服屋にもしばしばある。よくお客様から電話で、キモノや帯のしみ抜きや丸洗いの相談を受けるが、値段を聞かれると困ることが多い。

「自分で見たところほとんど汚れはないのですが」とか、「汗をかいただけなので、丸洗いでお願いします」などとお話されるのだが、実際に品物を見てみないと、はっきりしたことが言えない。

お客様の申し出通りの汚れだけなら、ある程度価格をお話することが出来るのだが、持ってこられた品物を改めて拝見すると、お客様が気付かなかった汚れが見つかることもよくある。直しの値段というものは、汚れの付き方や、しみの種類、さらに汚れてからどのくらい時間が経過したかで、しみぬきや補正職人の仕事の手間に差が出る。これがそのまま金額に反映されることは、言うまでもない。お客様から頂く直し代とは、職人の手間賃が全てだからだ。

だから、実際に品物の状態を確認させて頂くまでは、明確な直し代をお話出来ない。中には、私自身では直し工賃がどのくらいかかるのか、判断することが難しい場合もある。このような時は、一応品物を預り、職人と相談した上で、具体的な価格をお客様に伝える。そしてこの時には、あらかじめお客様が考える「直し代の上限」を聞いておく必要がある。

直す手間がかなり必要と思われる品物の場合、この上限にそって直し方を考える。例えば、2,3万円である程度使えるようになれば、直しても良いとか、1万円前後で何とか直らないかとか、直しの代金として考える額は、お客様それぞれにより違いがある。

なるべくなら、出来るだけ安く、またお客様が予定する金額の範囲内で、使えるものにしてあげたい。直しの仕事は、単に使えるようにするだけでなく、「直しを依頼しやすい値段」というのが重要だ。金額が高く付けば、たとえ上手く直っても、たやすく次ぎの仕事を依頼してはもらえないだろう。

 

今日は、難しい直しの仕事を、「部分補正」という形で、どのように工夫して、出来るだけ代金を抑えて使えるものにしたのか、それを見て頂こう。

 

絽ちりめん白地・虫籠に秋草模様 総刺繍 八寸名古屋帯

 

直しの仕事を依頼されるとき、もっとも重要なのは、お客様が直そうと考えている品物を、どのように自分の中で位置づけているか、ということである。それは品物に対する「思い入れの強さ」とでも言おうか。

自分が持っている品物が不具合を起こしたが、それをどうしても直して使い続けたい場合、あるいは母親などから譲られた品で、思い出や思い入れがあるために、何とか自分が使いたい場合。人それぞれに、品物に寄せる特別な気持ちがある。これを、直す側が理解していないと、話はうまく進まない。

ただし、先ほどもお話したように、直しにかける金額というものには、ある程度限度があるように思う。依頼する側でも、「この程度の額で」と決めていることが多い。たとえ直すことが出来ても、それがあまりに費用がかかりすぎてしまえば、直してまで使うことを躊躇するだろう。

 

仕事を受ける我々の側では、依頼者が考える費用の範囲で、ある程度結果を出さなければならない。それには、直す仕事の過程において、様々なことを考えに入れる必要があるということだ。どこをどのように直すのか、あるいはどこを省略するのか、さらにどの職人に仕事を依頼すれば、ベストな結果が得られるのか等々。

預った品物の状態を見て、職人とも相談しながら、一つ一つ仕事の進め方を決めていく。「品物を直す」という仕事の中で、ここが一番大切なポイントであり、仕上がりの出来、不出来に大きく関わってくる。

 

依頼された品物は、白地の絽ちりめん名古屋帯。先日京繍についてお話させて頂いたが、その技術を集大成したように、様々な繍で模様を描き出している。図案も夏らしく、虫籠と秋草。かなり古い品物だが、職人の手がかなり掛けられた品物であり、十分価値がある。

上の画像は、仕事に掛かる前の状態(太鼓部分)。白地なのに、黄色い変色が広がり、ぼかしのような地色になっている。中には、茶色のような大きなしみも見える。

 

ひどい汚れを拡大したところ。こうすると、この帯の汚れの度合いがよくわかる。地色は、もはや元の白い部分はほとんどなく、全てが変色しているような状態。大きなしみや、カビが変化して付いたと思われるような汚れも無数にある。

この原因は、帯の中に湿気がある状態で箪笥にしまってしまい、それを長いこと放置してしまったことにある。帯というものは、予想以上に生地の中に汗が浸み込む。だから、締めた後は必ず吊るして湿気を抜いておく必要がある。汚れていないからと考え、そのまま仕舞い込むと、やがて湿気がカビの発生を呼び込む。

特に、この帯のように夏帯ならば、より以上に汗抜きをしなければ危ない。夏物のシーズンが終わったら、一度丸洗いに出すのが理想的だが、これがなかなか難しい。お客様の傾向を見ると、キモノの汚れには多くの方が敏感だが、帯の状態に注意される方は、少ないようだ。

 

帯全体に広がる生地の汚れと痛み。この帯で難しいのは、地の汚れが柄の部分だけではなく、ほぼ満遍なく全てに及んでいること。白い地だけに、汚れそのものが目立ってしまい、どうにも隠すことが出来ない。

上の画像は、模様のない箇所についている生地の汚れだが、汚れの付き方が一様ではないことがわかる。黄変色の濃いしみあり、前部分で帯を折る時に付く「折スジ汚れ」あり、何かを擦った時に付いたような汚れあり、と多様な汚れ方である。

品物の汚れを見るときに、一貫性のある汚れならば、それを落とすときの対処法も単純である。ある一ヶ所を試してみて落とすことが出来れば、すべて同じ方法で対応出来る。ところがこの品物のように、汚れの付き方が異なる理由で付いているものには、それぞれ違う方法を取りながら、仕事を進めて行かなければ上手くいかない。同じ補正の方法が通用しないのである。

そもそも、この汚れを全て落とすことが出来るのかも、わからない。一部の汚れは落ちても、一部は残ってしまい、全体を見渡したときには、あまり直っていないように見えるのであれば、直す意味がない。依頼された方が見た時に、「これなら使える」と感じて頂けるほど、状態が良くなっていなければ、たとえ一部がきれいになっていても駄目なのだ。

 

依頼された方の希望は、「とにかく使えるような状態にして欲しい」とのことだ。一番大きな問題は生地の汚れにあり、どの程度元の色・白地に戻せるかということに、仕事の成否が関わってくる。

その上に、やはり代金の問題がある。3万円以内で何とか出来ればという、依頼人の希望がある。たとえ仕事が上手く行っても、これ以上の値段を掛ける訳にはいかない。

 

この二つを勘案しながら、どのように仕事の進めたら良いだろう。考えた末に出した答えは、締めた時に「見えない部分」の汚れには、ある程度目をつぶることである。

「見える部分」とは、お太鼓・前・垂れの三ヶ所で、ここだけは、ある程度完璧に直す。もしこの部分のどれか一つでも、上手くいかない時には、仕事を中止する。それ以外のところは、汚れが残っていても構わない。

つまり、はっきりと直す部分と手を付けない部分との「割り切り」をするのである。たとえば、生地汚れが上手く直ったとしても、帯全体に及んでいる汚れの全てを直していたら、代金はかなり高く付いてしまう。これは当然職人の手間の掛かり方が代金に反映するからで、直す部分を限定してしまえば、それだけ安く仕上げることが出来る。

このような部分的直し(補正)は、キモノでもよく考えられる手法である。上前や衿、袖など「着姿で目立つ部分」の汚れだけを優先して直し、下前などの見えない部分の汚れには、目をつぶるケースである。

また、汚れを隠す手段として、しみぬきや補正で汚れそのものを直すのではなく、仕立ての工夫により、見える部分から見えない部分へ移して、隠してしまうという方法を取ることもある。衿の切り替えや、上前と下前を入れ替えることが、それに当たる。

 

補正した後、二枚目の汚れ画像とほぼ同じ部分(お太鼓)を写したもの。直す前と画像と比較して頂ければ、どの程度まできれいにすることが出来たのかが、わかると思う。

帯は、前模様と後の太鼓の柄が全てなので、この中に汚れがあると使えなくなる。地色を元のように真っ白にすることは無理だが、変色を出来る限り目立たなくさせておく。しみも、完全に落ちないまでも、限りなく薄くする。

白地の品物なので、他の濃い地色に変えて直すことも考えられるが、このような変色やひどい汚れがある場合には、たとえ色を入れても、しみが浮き上がって見えてきてしまい、単に地色を掛け直しただけでは根本的に解決しない。

 

帯の前模様部分。折スジの汚れ跡が完全に消えている。けれども次の画像を見て頂ければ、この部分だけが補正されたということがわかる。

模様が付けられているところの先、白い無地のところを見て頂きたい。折スジの跡が残ったままで、汚れも付いている。つまり、ここは仕事の中で「目をつぶって」手を付けていない所になる。

 

補正、しみぬき、丸洗いを終えて、仕上がった白地の絽繍帯。最初の汚れ画像とほぼ同じ位置からお太鼓模様を写してみた。この状態ならば、納得して使って頂けると思う。

この直しの代金は1万5千円ほど。依頼された方が希望されていた工賃の半分ほどで、仕上げることが出来た。

仕事の質を落とさないまま、代金を安くする。この二つを両立させることは、大変難しいが、何を直して、何に手を付けないか、その判断をきちんとすることにより、解決出来る。

このような仕事の進め方が出来るのも、お客様と呉服屋、さらに呉服屋と職人の間の意思疎通が出来ているからこそ、なのである。依頼されたお客様が納得出来るように、最良の直し方を模索することが、呉服屋としてもっとも大切になる。

何年経験を積んでも、どの方法、どの手順が正しかったのか、自信を持って答えが出ない。けれども、何より誠実に一つの仕事に向かうという、その姿勢が基本となる。

一つの品物をどのように直すか。品物には、お客様・職人・呉服屋の三者がそれぞれに関わり、「使えるようにする」という目的を果たすために努力をする。「直し」の仕事こそ、呉服屋の良心が試される仕事であろう。

 

直しの仕事というのは、「定価」がつけ難く「時価」になってしまいます。品物の状態は千差万別で、それにより直す手法や手間の掛かり方も違ってきます。これを直す職人の仕事の内容次第でその価格は変わり、一律に定価を設定することが出来ません。

けれども、「時価」だからと言って、お客様が直しの依頼を尻込みしてしまうことのないように、出来るだけ代金の負担は、軽くしなければなりません。

「この値段ならば、他の品物も直してみたい」と思って頂けるように、職人共々頑張りたいものですね。

 

バイク呉服屋が好きな食堂には、「時価」の品が多い気がします。北海道の漁師町の店には「トッカリ(あざらし)のルイベ」や「トドのルイベ」などがあり、秋田のマタギ集落にある店には、「熊鍋」があります。さらに、これまでの経験から、「鹿刺し」や「ボタン鍋」などもだいたいが時価になっています。

このような時価の食い物を見つけた時は、私は決して躊躇しません。喜び勇んで注文するだけです。値段がわからないことよりも、バイク呉服屋の野蛮な嗜好の方が、よほど恐ろしいと言えましょう。もちろんこのような食堂には、私の懐を見透かすような高級な雰囲気が全くないことは、言うまでもありません。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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