バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

「ネコの手」も借りたい「師走」のバイク呉服屋

2014.12 07

浅草の「酉の市」や京都南座の「顔見世興行」のニュースを耳にすると、年の暮れが近づいたことを実感する。酉の市の「福をかき集める」という意味で買い求められる「熊手」には、来る年の商売繁盛や、無病息災の願いが込められている。

暮れの「年中行事」を見ると、12月8日の「針供養」がある。我々の仕事とは、最も縁の深い行事の一つだ。針供養は、針仕事をしている中で、折れたり、錆びたりした「使えなくなった針」を寺社に納め、供養する行事のこと。

この行事は、元々「事八日」という正月神事で決められおり、12月8日が「事納め」、2月8日を「事始め」とする。「事」というのは、元は「農事」という意味だったものが、後に「針仕事」に転化し、根付いた。

この日は、「針仕事」を休み、「使用済み針」を奉納する。その際、コンニャクなどの柔らかいモノに針を刺して供養する。針供養は地域により日が異なり、関西では12月8日の「事納め」に、関東では2月8日の「事始め」に行われることが多い。

「十三参りの寺」として知られる京都嵐山の法輪寺では、12月と2月の両方の日に針供養が行われており、和裁職人達が多く訪れ、針をコンニャクに刺しつつ、技術の上達を祈願している。

 

12月というのは、かつて「呉服屋」にとって、一年で最も忙しい時期であった。何故なら、新しい年を迎えるために、キモノを誂える人が本当に多かったからである。そのため、何としても年内に納品して、品代を頂かなければならなかった。また、「掛売り」が日常的な商い方法だったので、節目である年の暮れには、「掛取り=集金」が重なり、忙しさに拍車をかけた。

時代は移り、正月用のキモノを請ける仕事はめっきり少なくなった。それでも、夫婦で仕事を切り回しているうちの店にとっては、「ネコの手」も借りたいほど忙しい毎日が続いている。

今日は、そんな「師走」ならではの「バイク呉服屋」の仕事ぶりをご覧頂こう。

 

「年賀用干支タオル」と「干支はんかち・てぬぐい」

昔、呉服屋では年の暮れが近づくと、正月用として「誂え日本手ぬぐい」の注文が多く入った。「芸者衆」や三味線や琴のお師匠さん達が、年明けに自分のお客や弟子に配るためである。「誂え」なので、自分の名を入れたり、正月らしい図案を考えたりと、それぞれ個性あふれる「手ぬぐい」が染められていた。

私が子どもの頃(昭和40年代)、年末に店でこの「誂え手ぬぐい」を切って、一枚ごと熨斗紙を掛けていた光景を今でも覚えている。

さすがに、オリジナルの手ぬぐいを染める方はいなくなったが、これに替わるような正月用の「タオル」や「手ぬぐい類」の注文を今でも受けている。それが、上の画像のものだ。

毎年、新しい年の「干支」にちなんだ図柄のものを使う。来年は「ひつじ」なので、それを刺繍であしらったタオルや、柄を染めたガーゼのハンカチ、手ぬぐいである。「干支」なので、毎年図柄が変わる。今年の正月はもちろん「午」。

 

もっとも用命が多い「加藤萬」の干支刺繍タオルとプリントタオル

毎年、夏の終わる頃、正月用の干支タオルやハンカチ類の柄が発表される。うちが扱うのは、長襦袢や帯揚げ類のメーカーとして知られる「加藤萬」のものと、やはり古い小間物問屋の「井登美(いとみ)」が作る品物。

どちらも、素材の木綿にこだわり、毎年、色やデザインに工夫を凝らしている。タオル、ハンカチ、手ぬぐいを中心に全部で20種類ほど集めてくる。

11月の中旬になると、品物の「サンプル」を持って、お客様のところへ注文取りに歩く。その年限りの「干支」図案だけに、注文した数しかメーカーは作らない。万が一売れ残ってしまうと、同じ干支が巡ってくるまでに12年かかる。作るほうも、「余らせる」訳にはいかない。

私が「バイク」で回る先は、40軒以上。日本旅館や老舗そば店などは数百枚単位で注文があり、その他にも事業所で使ってくれるところもある。これは年の初めに来たお客様に配ったり、年始の挨拶回りの際、持って行くのである。また、「茶道」や「華道」、それに「筝曲」や「三味線」などの「お師匠」さんからも、毎年注文を頂く。これは、年明けの初稽古の時に、お弟子さんたちに渡される。

それぞれ「一枚単位」から注文を受けるので、間違わないようにメーカー側に発注しなければならない。数を取り違ったり、色や柄を間違えたりすると、後で取り返しが付かなくなる。メーカーは、限られた数しか作らないため、「追加」が出来にくい。注文を取り歩いている最中に、「完売したので、もう注文を受けられません」などと言って来る品も、毎年のように出てくる。

二千枚ほどのタオル類を注文別に「仕分け」。

注文を受けるのは私の仕事だが、メーカーへの発注と、届いた品物の「仕分け」は家内の仕事。注文された数を、一枚たりとも間違えないようにするばかりでなく、「熨斗紙」をかけたり、店名や会社名の印刷までこなさなければならない。

家内は「几帳面」な性格なので、有難いことに、今まで一度も「間違い」は起こっていない。いい加減な私などには、出来ない芸当である。

注文別に「メモ」が付けられる品物。

発注別に品物が全部出揃ったところで、計算書を付けて納品となる。これが、12月の初めから始まり、受注の時と同じように「バイク」で走り回る。今が「納品」のピークだ。毎年、年末の忙しさに「輪をかけている」のが、この仕事である。

 

「大変な状態」になっている昨日の閉店後の仕事場。

寸法直し、しみ抜き、丸洗いを依頼されたモノや、これから仕立てにまわすモノなどがあちこちに置かれ、雑然としている。画像には映っていないが、かたわらで呆然としている「バイク呉服屋」の姿がある。

毎年、11月の中旬から「直すモノ」の依頼が増え始めるが、今年は例年より数が多い。また、県外から送られてくるモノが多いのが今年の特徴。基本的に、今月10日までに受けた「直しモノ」は、年内に納品することにしている。また新しくお求め頂いた品物については、全て今年中に仕立てて納める。

このブログでご紹介してきたように、うちの職人さん達の多くは、東京や京都にいる。直しのモノは、こちらから発送する前に、すべきことが沢山ある。以前、洗い張り職人の「太田屋」さんや、補正職人の「ぬりや」さんの「仕事場」へ送る前にすべきことをテーマに、稿を書いたが、一枚一枚のしみ汚れを確認したり、寸法直しのためにあらかじめその部分の「トキ」をしておかなければならない。だから職人さんの所へ行くまでに、どうしても時間がかかる。

昔のように、年末ギリギリの仕事を頼むことは心苦しい。そのため、20日が仕上がりのメドになるように、仕事を渡すことにしている。だから、そろそろタイムリミットが迫っていることになる。上の画像のように、「何から手をつけてよいのやら」と呆然としている暇はないのだが。

日中家内には、年始干支タオルの納品を急かされ、店へ帰り着けばこの状態。すでに仕上がってきた直しモノで、未だに納品していないものや、売り掛け集金の予定などもあり、その上急なお客様からの依頼ごとも入る。

昨晩、遅くまでかかってようやく「職人別」に伝票をつけて送る手筈となった品物。

 

「ネコの手も借りたいバイク呉服屋」の師走の様子を見て頂いたのだが、如何だっただろうか。「呉服屋」の年の暮れの光景は、それぞれ店ごとに違うだろう。店の規模や、立地、それに商いの仕方によっても異なる。

毎年当たり前のように繰り返される暮れの仕事。それは、バイク呉服屋にとって、「酉の市」や「羽子板市」にも似た、年末の風物詩のようなものと言えるかも知れない。

 

12月の「リアルなバイク呉服屋」の姿を書いてみました。どんな職種の店でも、毎日の仕事がどのように行われているのか、外からは中々わからないものでしょう。

バイクで風を切って、師走の街を全力疾走しなければ、仕事はいつになっても終わりません。巷で流行る「インフルエンザ」などは、「予防注射」を打つよりも、この「寒風の中を走って体を鍛える」逆療法のほうが、私には効果的と思われます。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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