バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

本当の「桜」の色はどんな色

2014.04 09

桜の花 散り散りにしも わかれ行く 遠きひとりと 君もなりなむ (釈迢空・折口信夫)

桜の季節になると思い出す歌がある。「桜の花がはらはらと散りゆくように、君は別れて、遠い人になってしまうのだろうか。」 まさに、「惜別」の歌であり、人と人とが別れ行く、「卒業」という節目の情景を映し出す歌である。

「桜の木」がない学校、というのはほとんどないだろう。卒業の3月、入学の4月、別れと出会いの季節を彩る花として、桜がある。だからこそ、日本人の心の琴線に響く。

 

毎年春先になると、気象庁から「桜の開花予測」が出され、人々はその訪れを待ちわびる。先週から、今週にかけて全国各地で「満開」となり、今が盛りだ。この「桜前線」に使われる「桜」の種類は、「ソメイヨシノ」。この品種、実はそんなに古いものではなく、江戸期に育成され、明治中期から大々的に植樹されたものである。

「ソメイヨシノ」の「ソメイ」とは、「駒込染井」という地名から付けられたものである。「駒込染井」は、江戸・駒込染井村(今の東京都駒込付近)のことで、この村に住んでいた植木職人により育成された「桜」にちなんだもの。初め、この「染井桜」は、「吉野桜」と同じものとされていたが、調べてみると違う品種だった。

「吉野桜」は「ヤマザクラ」という種であり、この桜こそ、古くから日本人に愛されてきた桜である。桜という花が、この国で「特別な思い」を持って見られた始めたのは、平安期・桓武天皇の頃からとされている。この天皇が、御所の庭の梅の木に変えて、吉野から取り寄せた桜の木を植えた。これが、「桜を愛でる」きっかけになった。

御所では、これ以後、桜の季節になると「花の宴」が催されて、桜を愛でて歌が詠まれ、同時に管絃が演奏された。「ひな人形」の段飾りを見ても判るように、「右近の桜」、「左近の橘」として、この国の春を代表する花となったのである。

では、この「桜」、花の色はどんな色だろうか。一般的には、「ピンク」とか「薄桃色」とか、「白に薄くピンクが掛かった色」と言われている。キモノの地色や柄に付けられる「桜」の色も、大体それに添った色だが、本当の桜の色と比較して、違いはどうだろう。今日は、こんなテーマで話を進めてみたい。

 

この桜は、甲府市の北部にある「八幡神社」の傍らに咲く「ソメイヨシノ」。この社は、あまり大きくないが、横に小さな公園があり、毎年必ずバイクを止めて見る桜。「花見客」など見かけたこともないが、私のお気に入りの「花見スポット」である。

では、「花の色」を見てみよう。五弁の花弁の基調は「白」であり、付いているかどうかわからないほど、ほんのりした「ピンク」に染まっている。「蕾」では、開いた花に比べて、濃く染まり、特に蕾の先端は、「桃色」のような濃さになっている。

一輪ずつ見る色と、まとまって見る色では、少し印象が違う。やはり、「桜の木全体」では、「白」よりも「ほんのり色づいた薄いピンク」を感じさせてくれる。この「桜色」はどちらかと言えば、「わずかな赤み」のある紫色を薄めた色になっている印象だ。

 

古来、桜や桃系統の色を表現するために使われてきたものは、「紅花」である。現代で言う「ピンク色」を表す色として、「一斤染(いっこんそめ)・聴色(ゆるしいろ)」とその色を薄めた「退紅(あらぞめ)」があり、「桜色」はこの「退紅」をさらに薄めた色という位置付けになっている。

「一斤染」というのは、絹一疋(二反分)に対し、紅花600gを使い、淡い紅色に染めることである。「一斤(いっこん)」というのは、今の重さで言えば600gのことで、この当時の「重さ単位」から取られたものだ。平安時代には、紅色を染めることが出来る「紅花」と、「紫色」を染めることが出来る「紫根」は、とても貴重な植物染料だった。この両方を大量に使う「濃染」は、高価なものであるため、一般の人々には、使うことの出来ない「禁色(きんじき)」とされており、一部の公家や、高位の者だけが、身に付けられる色になっていた。

庶民が許される「紅花染」の限界の濃度が、この「一斤染」である。つまり、絹二反に紅花600gまでは使うことを許されていたということで、別名「聴色(ゆるしいろ)=許色」の名が付いていたのだ。

(一斤染・聴色に近い色 北秀八掛見本帳「秀美」より)

 

「退紅(あらぞめ)」は、前の「一斤染」と「桜色」の中間色になる色だが、この「退」の意味は「褪」と同意義で、「褪めた紅」という意味である。この色を染める時には、紅花の搾り滓を使ったという記録も残っているほどだが、平安時代の公式記録とも言える「延喜式」には、「退紅帛一疋 紅花小八両、酢一合、藁半囲、薪三十斤」という正式な染め方が記載されており、一疋(二反)に対し、使われる紅花の両は「小八両(約13g)」であり、一斤染の600gと比較して、ほんのわずかな量であったことがわかる。

(退紅色に近いと思われる色 宝相華紋 綸子色無地)

 

では、今日のテーマの「桜色」はどんな色なのか。桜色の位置付けは、一斤染>退紅>桜色であり、紅花染めの中で、もっとも淡い色ということになる。

平安時代の記録の中に、「桜色」の染め方に関する記録は残っていない。ただ、「源氏物語」の中に、興味深い記述を見ることが出来るようだ。それは、「光源氏」が宴席に招かれた際、纏っていったとされる直衣の色。まだ遅い桜が残っている季節だったので、「桜の唐の綺の直衣」を着て出掛けたらしい。

この「桜の直衣」は、「表地」が透明な「白い生絹」で、「裏地」が「紅花あるいは蘇芳で染められた赤」であった。この着姿を光が透過して見た時、淡い「桜色」に見え、「なまめきたる」美しさになっていたという。(「吉岡常雄著・日本の色辞典」より)

(桜色に近い色 北秀八掛見本帳「秀美」より)

ホンモノの「桜の花」と上の「桜色」を比較してみると、ほんのりと現実の花に色づいた色は、まさしくこの色に近い。白に近いほど薄く淡く染められた色こそ、「桜色」と言えるのではないだろうか。

 

(桜色より僅かにくすんむ「桜鼠色」・墨染めの桜色というべき色)

桜の花の「散り際」に見せる色。盛りを過ぎ、少し風が吹けば散らされてしまうような時、この色を感じることが出来る。「蕾」から「散り際」まで、それぞれの色がこの「桜色」にはあるように思える。それは、この花を見る人が、その時々に感じる心の移り変わりを表しているような気がする。

 

ついでに、この季節に盛りを迎えるもう一つの花、「桃」の花について、簡単に見ておきたい。もとより、全国一の桃の産地である山梨では、「欠かせないもう一つの春の花」である。

この画像は、5日ほど前に写したもので、まだ「二分咲き」といったところ。場所は山梨の中でも一番の桃の産地、甲州市一宮町の桃園の様子。南側の日の当たるほんの一部が、花を開いている。桃の花は、桜よりも一週間から十日ほど遅れて開く。山梨県人は、二度「お花見」をすることが出来る贅沢な土地柄だ。

「桃の色」は「桜」に比べて、かなり「濃厚」なピンク。甲府盆地の東に位置する桃の里を、山側から見下ろせば、「ピンクの絨毯」を敷き詰めたような、あざやかな風景になる。「濃い色」だけに、一層美しい。

 

「桃」の色は、かなり古くから意識され染められていた。「日本書紀」には、667(天智天皇6)年、「桃染布(つきそめのぬの)」の記載が見え、「万葉集」にも「桃花褐(つきぞめ)の浅らの衣」と詠まれた箇所が見られる。

「桃」は古代の色名では、「つき」と読まれていたようで、その染色に使われていた原料は、やはり「紅花」である。使われる量は、先に記した「退紅色」より、少し多いため、それより「濃い色」になっている。

(「桃色」に近い色 北秀八掛色見本帳「秀美」より)

(「桃色」にやや近い地色の小紋 飛び絞り加工着尺)

控えめな「桜」のあとで見る「桃」の色は、その色の主張の度合いが大きい。同じ系統の色なのに、これほど印象が違うものかと驚く。ただ、日本人の好みとしては、やはり「桜」に軍配が上るようで、「パッと咲いて、あっさり散る」ような引き際のよさと、「薄く、淡い」その色に引き付けられるのだと思う。

 

最初の歌の作者、釈迢空・折口信夫(おりぐちしのぶ)は、日本を代表する民族学者「柳田国男」の後継者。国語・国文学の研究者、そして、正岡子規の「アララギ」同人として、作歌、選歌者であった。

1920年代に國學院や慶応の文学部教授となり、万葉集や源氏物語の研究をする一方、作風が合わないことから、アララギから別れ、北原白秋らと、「月光」を創刊する。「桜の花、散り散りにしも・・・」の歌は、1930(昭和5)年に刊行された、歌集「春のことぶれ」の中に入っている。民俗学、文学に精通しながら、日本を代表する歌人でもあり、まさに「巨人」ともいうべき人物だった。

 

バイク呉服屋にとって、「折口信夫」は同じ大学、同じ学部の偉大な先輩であり、まさに、「雲の上の人物」です。入学時にはかろうじて、「おりぐちのぶお」ではなく、「おりぐちしのぶ」と読むことを知っていたくらいのもので、その認識は恥ずべきものだったと言えましょう。

今年もまもなく「散り散り」となる桜の花。学生時代に出会い、その後別れたままになっている人達が、今どうしているのだろうかと、ふと気になりました。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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