バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

和裁職人 中村さん(2) 「続・八千代掛け(初宮参り祝着)を作る」

2014.01 22

ここ何日かは、成人式で使った振袖一式の手入れの依頼が多い。ほとんどはうちのお客様なので、その品物がどのようなものかは、わかっている。

幸い、好天に恵まれ、心配するような汚れのある品物はほとんどない。せいぜい「衿の化粧汚れ(ファンデーションが付いたもの)」があるくらいだ。振袖と帯、それに長襦袢を預けてもらい、一つ一つ丁寧に汚れを見る。しみが見当たらなければ、仕立て職人さんに渡して、シワを伸ばして仕上げ直しをする。次に使う時に、「安心して」着ることが出来るような状態にしてお戻しする。

預かる時に、お客様が「今年の成人式の様子」を話してくれる。「松木さんが見れば卒倒しそうな品物や、目が点になるような着つけ方と髪型をいっぱい見た」などという。ニュースなどで、成人式の様子などを見て、だいたいわかっているつもりだが、「現場」を踏んだ方の話を聞くと、まだ驚くようなことがある。

髪型が、例の「つけ毛」をくるくる盛り上げたような、「ソフトクリーム状態ヘア」は相変わらずというのは私でもわかる。しかし何より驚いたのは、「振袖の着方」だ。片方の肩を「丸出し」にした、「おいらん」のような格好の人がいたと言う。ちょうど「遠山の金さん」が桜吹雪の彫り物を見せて、見得をきっている「お白州」の姿を想像して頂けばよい。

「おいらん」というのは「遊女」である。何でも自由に着ればよいと言っても、その着姿の意味を考えれば、あり得ないだろう。このような、「おいらんファッション」が九州あたりを中心に流行っているという。二十歳の慎ましさやおしとやかさ、上品さはもうどこかに飛んでいってしまっている。そんな言葉は「死語」とまで言いたくないが、誰が好き好んで、「遊女」になりたがるものだろうか。それを止めるものがいない「非常識さ」は、到底理解できる範疇を越えている。

極端な「おいらん」はともかくとして、年ごとにキモノの常識からかけ離れていく「成人式」の姿に、憂慮の念が深まるばかりである。

 

こんな憂鬱な話題は置いておき、今日は、和裁職人の中村さんが手掛ける「八千代掛け」の話の続き。

仕上がった八千代掛け。通常この祝着は、夫方の祖母が赤ちゃんを抱いて使われる。上の画像で、白い結び紐が見えているが、この紐を祖母の肩の方から首に回して、後ろで蝶結びにし、赤ちゃんを抱きながら包み込むようにする。

 

画像で見ると、身頃と袖に分けて縫われているようだが、「鋏」は入れていない。中村さんの話では、まず反物の状態の時に、「袖」用と「身頃」用に測り分ける。「裁ち」を入れる訳ではないのだが、それぞれ使う分を決めておくのだ。

袖は片袖がおよそ1尺8寸程度に決める。袖分として4枚分必要なので4×1.8尺になり、7尺2寸である。残りが身頃になる。八千代掛けには、帽子のような三角形の衿が付くのだが、そこには生地を多く必要としない。

この千切屋治兵衛の友禅小紋は、かなり「丈」も長いし「反物の巾」もある。長さを測ってみると3丈7,8尺、巾は9寸5分だ。これは通常の大人物の「着尺」(小紋や紬)よりも長さがある。(大人モノでも3丈4,5尺が普通)。また巾もこの長さなら1尺8寸以上の裄丈に仕上げることが出来る。

つまり、「子どもモノ」としての反物ではなく、通常の「大人モノ」以上の大きさがある品なのだ。この品物は、胴裏を一緒に付けて仕立てられる。この裏はキモノの比翼を付けることと同様なこととして使われる。

こちらの画像の方が全体像がわかりやすい。左側上下に少しずつ見えている「袖」が確認出来る(大部分は下に入っていて見えないが)。身頃には「背縫い」があることがわかり、「おくみ」も付けられている。当然「胴裏」が付けられ、「袷」になっている。

縫い方の手順は、「袖」と「立て衿」から始まる。袖比翼付け、立て衿縫い、袖口縫いととじが終わると「身頃」にかかる。おくみ縫いから背縫い、褄や裾縫いを経て、身頃の中とじをし、「袖」と「身頃」を縫い合わせる。そして「衿」の始末と紐付けで完成である。このように書いてもどこをどのように縫い進めていくのか、具体的に思い浮かべていただくのは難しいかもしれない。

三角形になっている「帽子」のような衿。ここも反物の生地を折りこんで、「フード」のように形作る。もちろん、下の身頃とは繋がっており、裁ちは入れない。ここも、トキをすれば元の反物の巾に戻る。

 

中村さんに何が大変かと聞くと、とにかく「縫う」箇所の多さだという。何しろ寸法に合わせて裁ち切るということのない品である。「表生地」も「裏生地」も全部中に入れてしまわなければならない。その始末にも手が掛かる。

この仕事を請け負う時に見る「ノート」があり、別に「八千代掛けの仕立て見本」が用意されているようだ。反物の上で、どのように袖、身頃などと分けていくのか、その方法も記されている。

最近では、1年に1,2回あるかどうかの「八千代掛け」の仕事。きちんとこなし続けるには、「メモ」が必要になるらしい。うちの方でも、彼女が「縫い方」を忘れないように、このような「八千代掛け」ができることを、お客様に提案していかなければならない。うちでは、もう中村さん以外にこの仕事を請け負うことが出来ないのだから。

 

さて、この「八千代掛け」を3歳と7歳、そして13歳の時にどのように使い回していくのか、それぞれ簡単に説明しておこう。

まず、3歳の場合。最初に「八千代掛け」を全部解く、いわゆる「トキ」をする。当然「裁ち」がないので全部繋がった状態=反物の状態に戻る。上の「作り方」でも説明したように「縫い目」はある。ここを消して置かなければばらない。つまり「トキ、すじ消し」をする。

この時、付いている「胴裏」もすじ消しする。この裏をそのまま3歳のキモノの裏として使う。また、八掛けは別生地を使わず、生地の一部を回すのである。もともと反物の長さは3丈8尺と長く、三歳の女の子の要尺としては十分事足りる。1丈ほど「裾地」に回しても、生地が足りなくなることはない。

注意したいのは、この「裾回し=八掛け」を裁ち切らないことだ。これは、7歳時に使う場合、この部分をキモノの表地として使う必要が出てくる。(7歳の子の寸法では、生地を裾地に回す余裕がない)。つまり生地の一部は、3歳時では、裏生地に、7歳時には、表生地として使われるという、通常の仕立てでは考えられない「使い回し」の方法なのだ。

また、「袖丈」を1尺7寸~8寸と確定する。3歳の子には長すぎることもあるが、7歳の子の袖丈にはこのくらい必要である。あまり短い袖だと「子どもらしく」ない。3歳の祝着にする時に、初めて寸法に合わせた「裁ち」を入れるのだが、当然「7歳」で使うことを予想しながら、仕事を進めていくことになる。

先を考え、生地を「縫いこんで置く」というのは、「八千代掛け」の時と同じである。このことで、「3歳のキモノ」としては、少し「重い」ものになるという「弱点」があるのだが、将来使うためには、避けることができない。ただ、「子どもの肩にずしり」とくるような重さにはならないので、あまり問題にはならないと思う。

 

上の画像が、7歳の祝着にした状態。柄は違うが、八千代掛けから3歳祝着を経て7歳のキモノにしたところ。

3歳から7歳へ移行する場合、またトキとすじ消しをする。今度は裾地に別生地を付け、生地全部を表地として使う。胴裏もすじ消しをしてそのまま使う。新たに用意しるのは八掛だけ。

上の画像では、「腰揚げ」を取った状態になっているが、当然「肩揚げと腰揚げ」を施し、寸法に合わせて仕立てる。ここで、仕立てとしては一区切りということになるが、十三参り(13歳使用)を考えて、「揚げ」部分に生地を入れておく。

子どものキモノには、「揚げ」が必要であり、それは、13歳でも付けてなければならないが、生地の長さや反巾を考えれば、十分それに見合うだけの長さが取れる。袖丈が1尺8寸と長くなっていても、裄は肩揚げ部分含めて1尺7寸程度にはなり、身丈も腰揚げ部分含めて4尺程度にはなる。

つまり身長150cm程度、昔で言うところの女性の「並み寸法」くらいの大きさのキモノとして使えるということになる。7歳以降にこの祝着を使う時は、寸法に合わせて「肩と腰揚げ」を調節して、長くしていけばよいだけで、「仕立て直し」の必要がなく、簡単に「使い回す」ことが出来る。

 

今まで、このブログで、「仕立て」や「寸法」のことを書いたことが何回かあるが、どれもこれも、「わかりやすい」説明にはまったくなっていないだろう。これは、私の「能力のなさ」が原因である。読んでいる方には本当に申し訳なく思う。

実際にキモノや反物を目の前に置いて、お話させていただければ、まだ「まし」な説明が出来ると思うが、それでも、一般の方には難しいかも知れない。

ただ、「漠然」とでも、こんな「使い回し」が出来るのか、と頭の片隅にでも置いて頂ければ幸いである。0歳の子から、150cmに成長した子まで、「使える品」があり、それを工夫しながら仕立てを請け負う「和裁職人」さんの技術があることを、少しでも理解していただければ、それだけで十分である。

 

初宮参りは、旧来男の子は生後31日、女の子は32日とされ、生まれて約1ヶ月ほど経った頃行われるものでした。赤ちゃんが無事生まれたことと、健やかな成長を神様にお願いする行事。

最近では、生まれた季節により、この「約1ヶ月後」にこだわらない方たちも増えているようです。例えば12月生まれの子が、寒い1月は避けて、暖かくなった4月頃にお参りするというように。

また、「八千代掛け」で赤ちゃんを抱くのは、「夫の母親」が一般的だったのが、「実の母」が抱く場合や、祖父母が伴わず「夫婦だけ」で初宮参りを済ますことなど、「昔の形式」に捉われない方々も随分と増えました。

こんなところにも、現代の「家族」のあり方が少しかい間見えて、日本の「風習」の変化が感じられ、この先どのような形で残っていくのかと思います。この「初宮参り」に始まり、「三歳」「五歳」「七歳」そして「二十歳」まで、子どもの成長とともに、家族で祝う日本の伝統行事が、「形だけ」のものにならないことを願わずにはいられません。「子どもの成長」を祝う最後の行事である、昨今の「成人式」のあり方などを考えれば、その思いは一層強いものに成らざるを得ないのです。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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