バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

和裁職人 中村さん(1) 「八千代掛け(初宮参り祝着)を作る」

2014.01 14

「キモノを使い回す」ということを、呉服屋としていつも頭の中に置いておかなければならない。親から子、孫へ、と寸法などを変えて使われるのは当然である。

また、アイテムを変えてどのように使えるかを考える。例えば、キモノを羽織や道行コートにしたり、羽織を帯にしたり、というのはその中でも基本であり、いかに、そのバリエーションを増やすかが大切である。お客様から様々な難しい依頼を受け、「使い道」を考える。その経験が増えれば増えるほど、多様な提案が出来るようになる。

今日は、この「使い回す」ということにおいて、最も品物を「効率よく」使うことが可能な、「子どものキモノ」について話を進めてみたい。

これまでにも、このブログで「八千代掛け」のお話を少しずつ何回かしてきた。「八千代掛け」というのは、「初宮参り」に使われる「掛けキモノ」のことである。

 

子どもが使うものというのは、年が経つに従い、大きさが変わるということが問題である。体型が固まった「大人モノ」であれば、寸法にそう変化はない。通常の洋服でも靴でもそうであるが、「子どもモノ」は使える期間がどうしても短くなる。一年も経たないうちに体に合わなくなるというのは日常茶飯事だ。

「キモノ」に関して言えば、女の子の場合、「初宮参りー三歳祝いー七歳祝いー十三参り(関西などに限られるが)」と続く祝い事でその都度使われることになる。

これをその都度購入していたら、大変不経済である。今は貸衣装で済ませる場合が多いので、そんな事を考える必要はない人がほとんどかも知れない。

大概の呉服屋における「子どもの祝い着」の売り方を見れば、「初宮参り」には「仕立て上がりの掛けキモノ」、「三歳祝着」は「被布付きの祝着セット」、「七歳祝着」も「キモノと帯、小物まで付いたセット」、というように、すでに「仕上がった形」になって売られているものがほとんどである。手を入れることと言えば、せいぜい「肩揚げと腰揚げ」をする程度だ。子どもモノには「揚げ」が必要なので、これだけは、それぞれ着る子どもの寸法に合わせて作らなければならない。

現状の売られている品物がこのような形態なので、「子どもモノ」の仕立てをするケースはほとんどなくなっている。ただ、「仕立て上がり」の場合、「融通」が利かない。三歳で使ったキモノは七歳では使えない。まして、お宮参りのものならなお無理である。ここには、「使い回す」という意識がまったく考えられていない。つまり年齢に合った「その時だけ」の品物と言えよう。

 

それでは、どのようにして「子どもキモノ」を使い回せるのか、ということをご紹介しよう。初宮参りのキモノを三歳でも、七歳でも、十三歳でも使うことの出来る方法である。これは、ともかく「仕立てをする」、その都度「手を入れる」ということが、キーワードになる。「仕立て」ということになれば、「使いまわせるような仕立て方」の出来る職人の存在は不可欠になる。

(千切屋治兵衛 濃朱地 観世流水に四君子模様 型友禅小紋)

(千切屋治兵衛 山吹色地 流水に桜楓模様 型友禅小紋)

これまでも紹介してきたが、上の反物がうちで「子どもモノ」として置いてあるものだ。この小紋を使い、「初宮参り」から「十三参り」まで、十三年にわたり、その都度「仕立てを駆使」しながら、「使い回し」をしていく。

では、生まれたばかりの赤ちゃんの掛け着が、いかようにして、150cmほどの身長になった中学生でも使えるようになるのか、ということである。

常識で考えれば、「使えるはずはない」と思えるだろう。だが、「使える」のである。このことは、「仕立ての智恵」により「キモノがいかに上手く出来ているか」ということを見る上で、最適なケースである。

ここで、今日のテーマ「八千代掛け」をどのように作るか、ということになる。それを端的に言えば、「鋏を入れない」という特殊な仕立の技術のことである。

 

この「鋏を入れない掛けキモノ」にする、ということはどういうことか、といえば、「鋏を入れない=生地を裁ち切らない」ため、ほどくと「反物」に戻るということである。「反物」に戻れば、改めて仕立てをすることが出来る。

この、「裁ちをしない掛けキモノ(八千代掛け)」を仕立てることの出来る職人さんは、限られている。今、うちの仕事を請け負っている仕立て職人は三人いるが、この仕事が出来るのは、今日紹介する「中村さん」だけである。これまで、ブログに三回ほど登場してもらった「保坂さん」には出来ない仕事である。

 

「仕立職人」には、仕立てる品物により「得手と不得手」がある。「ぐししつけ」が細かい職人さん(保坂さんのように)や、「羽織、特殊な衿のコート類を得意としている職人さん(いずれブログで紹介するが、うちには小松さんという職人さんがいる)、そして「子どももの(小裁ちモノ)」を安心して任せられる「中村さん」である。

この「得手、不得手」が何故あるか、ということだが、これは「学んだ師匠」によるところが大きい。「ぐし」が上手な師匠に付けば、自然に「ぐし」は上手くなり、「子どもモノ」に秀でた師匠の弟子は子どもの仕立ては上手い。

 

中村さんの師匠は「伊藤さん」という方である。以前、ブログで、私が駆け出しの頃のことを書いたときに、「私がよく叱られた」職人さんとして登場してもらった。私も、この人には、一から、寸法のことや仕立てのことを教えてもらった。この方が、「子どもモノ」を得意にしていたのである。

中村さんが、「仕立職人」を志した理由を聞いてみたところ、意外にも「単純」なものだった。彼女の家は「美容師一家」とも呼べる家庭である。お母さんも妹さんも「美容師」である。美容院はキモノと縁が深い(妹さんは自分で経営されている)。キモノに馴染む環境にあったことも大きいと思うのだが、「キモノを縫う」ことに目覚めたのは、「高校の家庭科で、浴衣を縫った」のがきっかけだと言う。

今も高校の授業で、「浴衣を縫う」ことが取り入れているかどうかわからないが、中々「針を持つ」という女性が昨今では少なくなっている。

「縫う」ことを仕事にしようと決めた彼女は、高校卒業後、東京の文化服装学院の「キモノ科」に入り、勉強を始める。ただ、「学校で学ぶ」ということと、「プロの仕立職人として仕事を身に付ける」ということは全く違うそうだ。

どこが違うか、と聞くと「責任の重さ」だという。例えば学校は「縫い方」の基礎や方法は教えてくれるが、それは「教材」という「布」を使ってのことだ。師匠の下で内弟子に入れば、「教材」ではなく、「依頼された仕立物=お金を頂く商品」で仕事を覚えて行かなければならない。

また、単純に新しい品物だけでなく、ありとあらゆる「直し物」を依頼される。古いモノをいかに寸法を工夫し、仕立て直すかということだ。「直しモノやまとめモノ」が出来なければプロにはなれないのである。それには、「生きた品物」が来る「師匠」の下で学ばなければ、とてもそれで「飯」を食べれるようにはならないのだ。

学校で一通りのことを覚えた後、山梨に帰ってきて、「伊藤さん」のところへ弟子入りする。修行期間は約四年である。伊藤さんはその頃すでに70歳を越えていて、中村さんは「最後の弟子」になった。

 

前置きの話が、またまた長くなりました。本筋に入るのに時間がかかるのが、「バイク呉服屋」のコラムブログの特徴と言えるでしょう。ここをいかに簡潔にお話できるかというのが、読みやすくする最大のテーマかも知れませんが、文章力に欠ける私には、大変難しいものです。お読みいただく方には、回りくどい書き方と思われるかも知れませんが、何卒ご容赦のほどよろしくお願いいたします。

「八千代掛け」の仕立て方や、以後の祝い着としてどのように工夫して行くか、またどのように「使い回して」行くのかという、具体的なことは次回にお話したいと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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