バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

呉服屋の道具・6 呉服札と渋札

2014.01 29

昔、呉服屋の丁稚が最初に覚えること、といえばまず「荷物」の解き方と作り方だった。問屋や職人のところから送られてくる荷物は、独特な紐の掛け方がしてある。今は、簡単な「ベルト」のようなものが使われ、それを外したり、鋏で切って荷解きをしている。

昔の紐掛けは、「四手紐(してひも)」と呼ばれ、一本の紐を十文字に二重に掛け、一箇所だけ独特な結び目で縛る方法でなされていた。荷物を解く時、この紐を切ってはならず、結び目を丹念に解き、一本の紐に戻して再利用する。

駆け出しの者が、紐に鋏を入れようものなら、主人にきつく叱られた。「紐一本」たりとも無駄にしないという、「商売人」のモノに対する心積もりの表れである。

 

荷物の扱いの後覚えるのが、反物の巻き方と値札の付け方である。反物を巻くというのは、呉服屋でなければ覚えることのない作業だ。この「稽古」には、実際の反物など使わない。生地に触ることさえ、最初はさせてもらえない。使うものは、反物の中に使ってある紙製の「巻き芯」。この芯を反物に見立て、小指で巻きあげる練習をくりかえす。これで「指を送る」という感覚を身に付ける。

反物を巻くというが、実際は反物を送るといったほうがよい。両方の小指で生地を巻き上げていくのと同時に、両方の手のひらで、形を整えていく。両小指が均等な割合で生地を巻かなければ、生地がずれ、見た目に美しい巻き上がりにならないばかりか、ぶくぶく膨れ上がるような感じになってしまう。

反物の総尺は3丈3、4尺、約13メートルもある。巻き終わった後の、反物の形状をみれば、上手下手は明らかである。下手な者が何度も「巻きなおす」うちに、反物が汚れる。だから、この「巻き」が出来ないものは、いつまでたっても品物に触らせてもらえない。

 

「巻き」が出来るようになり、「反物」に触ることができるようになった後、覚えるのが「値札付け」である。ようやく今日の本題なのだが、呉服屋の値札=呉服札は、「独特」だ。使ってある素材も、その取り付け方も、他の業種ではお目にかからないものである。そこには、昔からの智恵と工夫を見ることが出来る。江戸時代から続く「プライスタグ」である「呉服札」と、職人が使う「渋札」の話をしてみたい。久しぶりのテーマ「呉服屋の道具」について。

 

「様々な呉服札」。「店の名入り」は特注して作らせたもの。「決算」の文字入り赤札は、バーゲンの時に取り付けるもの。黄色の札は通常より少し小さめ。

呉服屋で扱う独特な呉服札類、あるいはキモノを入れるたとう紙、それに箱や伝票類など「呉服店の道具屋」と呼ばれる商売が存在する。このような店も、問屋同様に東京の人形町や富沢町、または、隣接の江東区あたりにあって、仕入れのついでに立ち寄れるように、便宜が計られている。

うちで利用しているのも、「シマダ」という江東区の森下にある店と、「ナカチカ」という富沢町にある店である。ここで、「店名入り」の「呉服札」や「たとう紙」などを作ってもらっている。

 

呉服札には、別名「越後札(えちごふだ)」の名があり、その多くが新潟県の小千谷や塩沢地方で盛んに作られている。ここで、札作りが盛んになったことには、理由がある。ご存知の通り、「小千谷」といえば、「小千谷縮」の産地。縮は雪晒しをして作られるが、和紙も雪に晒すことで白さを増すことができる。縮を仕入れにきた京都や大阪の呉服商人が、この紙の白さに注目し、札を作らせた。小千谷縮を買い付けるのと一緒に、「呉服札(越後札)」も持って帰ったのである。

呉服札は、本体部分と、「針の先」のように「ヨリ」を入れられた部分で形作られているが、この「ヨリ」は、手作業である。越後の長い冬の間の女性の「内職」としても、この「呉服札のヨリの作業」は、貴重な現金収入にもなった。

呉服札の先端。「針先」のように、和紙に「ヨリ」を入れて形作られている。この「ヨリ」が丁寧になされているかどうかが重要で、いい加減な仕事だと「反物」の中に先端が上手く入らず、作業が手間取る。

 

さて、この札をどのように取り付けるのか、手順を追って見て頂こう。

まず、札の先を反物の耳の部分に挿し入れる。この時、千枚通しやキリなどで予め「穴」をあけたりはしない。そんなことをすれば、必要以上に大きな穴があいてしまい、反物に傷が付く。挿し入れる時は、生地を手でピンと張り、札先を捻るようにして、反物の間を通す。先に述べたが、札先の「ヨリ」がしっかりしていないと、生地の中に札が入っていかない。粗悪な札は、札先が生地に引っかかり、折れてしまうようなものもある。だから、「ヨリ」が重要なのだ。

札をねじり入れることで、穴は札先の分だけで済む。また、挿しこむ位置もほぼ決まっていて、反物の耳の端から一分(3,75ミリ)ほど内側に付ける。

生地の上から下へ札先を入れ、「ヨリ」部分の根元まで生地に密着させる。これで札を固定することが出来る。ここがしっかりしていないと、札が動いてしまう。

さて、次に生地の間を通した札先を、札本体の下をぐるりと一周させる。そうすることにより、上の画像でもわかるように、「フック」のような輪が出来る。この輪を使って結び目を作る。

出来た小さい輪の下から上に向かい、札先を入れ、引っ張り上げる。この時、片方の手で、輪を押さえてやる。そうしておかないと札がズレ曲がってしまう。

引き出した札先が、輪に「絡げ(からげ)」られて、札が付いた状態になる。この時、輪にしっかり絡まるように、少し力を入れ、先を引く。そうしないときちんと止まらない。

最後に、ヒゲのように伸びた札先を、上の画像のように切り落して完成。

札付けの時は、手が汚れていないかよく見てから、作業をする。また、札には、あらかじめ価格を入れておく(上の見本画像には入っていないが)のだが、そのときの価格表示をした印字にインクなどが付着していないか注意をする。とにかく、品物は大切に管理する。折角悩みつつ買い入れた品である。粗雑に扱うことは出来ない。

問屋も自店の「ロゴマーク」入りの「呉服札」を付けて、商品管理をする。上は「松寿苑」。下は「菱一」。松寿苑の札は「渋札の呉服札」になっている。

 

この特殊な「呉服札」の付け方により、品物がどのようなものか、例えば「浮き貸し品」として日本中を飛び回ったものなのか、とか「長い間問屋で売れなかったものか」などとある程度予測出来、判別することが出来る。

それは、反物の端の「穴」に注目することだ。その穴が幾つもあいていたなら、問屋から小売屋に品物を貸すたびに「札が付けられた証拠」と見ることができる。

だいたい、「浮き貸し」に何度も回されるような品は、「ぞんざい」に扱われることが多い。また借りる小売屋がいい加減な店なら、「値札の付け方」など頓着しない。だから、どこへでも「札の穴」をあけてしまう。買い取った品に札を付けるのは、一度だけ。札が傷んで付け直しをする時も、「同じ穴」を利用する。新たに別のところに札穴を作るようなことはしない。

問屋で長く「寝ていた」品も、その都度値段を変える時に「札を付け替える」ため、穴の数が自然に多くなる。もっとも商品を大切にする問屋なら、そんな乱暴な札付けはしない。この一点をみても、その問屋が商品をどのように管理しているのか、その姿勢というものが見えてくる。

 

さて、「渋札(しぶふだ)」の話に移ろう。この札を端的に言えば、商品が「迷子」にならないために付けられた印しとでも言おうか。

呉服屋から職人の仕事場に出される品は、色々である。そして職人から職人へと、その品物が送られ、その行く先々で手が入れられていく。例えば「洗い張り職人の加藤くん」のところへ送られた品で、洗い張りでも落ちなかった汚れは、「補正職人のぬりやさん」に送られ、手が入れられるという具合だ。

店から出て行ったモノが、職人の間を行き交う時、それがどこの品なのか、わかるようにしておくのが、この「渋札」の役目である。

洗い張りの品に付けられた「渋札」。表側には、店名や客名などが記されている。画像は札の裏に記載された「伝票番号」と思える数字。

「渋札」と呼ばれるのには理由がある。この札、ご覧になればおわかりになるように、「茶色」で独特な色をしている。それは和紙に「柿渋」が引かれて作られているからだ。柿渋には、もともと「タンニン」の成分が含まれていて、それが、水に強く、ある意味で「防水加工」の役割を果たしている。また、紙の強度を上げることも出来る。

ある品は洗い張りから湯のしに、湯のしから紋入れに。またある品は、洗い張りから色抜きそして色染め、その後湯のしに。このように品物が行き来する際の「目安」として付けられている。だから、この紙が破れにくく、水にも強い「柿渋」を染めた和紙が使われているのである。昔この紙が、「番傘」として使われていたというのだが、十分に理解できることだ。

「渋札」の付け方は、「呉服札」の付け方と同じ要領。この付け方がいかに、生地から「はずれにくい」方法なのかが、伺い知れる。

 

今日見てきた呉服屋がつかう「札」というものでも、それを「使い続ける理由」と「智恵」がわかっていただけたのではないだろうか。

札を作るのも、付けるのも「人の手」による。機械で大量生産できるような、安直なものではなく、そこには、人の気持ちというものが入っている。呉服札の「ヨリ」の加減一つにも、作る人の息遣いと工夫がされ、使いやすいモノが完成する。これも優れた一つの日本の文化と言うことが出来るように思う。

 

私は生来、「手先が不器用」で、基本的な呉服屋の仕事に慣れるまで苦労しました。もともとが「左きき」のせいで、札先の巻き方がどうしても「逆」になってしまいます。これを矯正するまでにも時間がかかりました。

今では、思い切り「札先」を引っ張るので、札がはずしにくいと家内に小言を言われます。また「反物」の巻き方も、少しのズレも許さないので、「気に入らないなら、自分の気に入るように、寸分の狂いもなく巻けば」とこれも小言を言われます。

何ごとも、「ほどほど」にしておかないと、何もかも自分でやる羽目になるということでしょう。「人任せに出来ない」というのは、結局自分で自分の首を絞めるようなもの。少しは反省しないといけません。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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