バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

私の「駆け出し」時代・恥ずかしくなるような失敗

2013.12 25

仕事においては、どんな人にも「新人=駆け出し」の時代がある。大概は、すべてが「初めて」のことばかりで、戸惑ってばかりである。

今は以前より、仕事の上で「困る」ことは少なくなってきたが、それでも迷うことや不安になることは多くある。「経験を積む」ことで、仕事の幅を広げることが必要なことは言うまでもない。今はただ、その「基礎力」がある程度付いたというだけのことかも知れない。

 今日のテーマは、私の駆け出しのころの失敗について話そうと思う。「呉服屋」として、ある程度「マトモ」にお客様と向き合えるようになるまで、数々の失敗をし、「恥ずかしい」思いもした。「恥をかく」ことが成長の第一歩であろう。これから、「恥をしのんで」話を進めたいと思う。

 

 今の会社は「即戦力」としての人材の確保に「躍起」になっているようだが、どんな仕事であろうとも、「即戦力」の人材など「求める方」がどうかしている。「駆け出し」の者を「どう育てるか」が企業の力ではないだろうか。その「育て方」で、会社は良くも悪くもなる。人を「即席」として見れば「応用」はきかない。臨機応変なものの考え方をする人材には育たないだろう。

今の社会は「効率」が最優先する社会で、「長い目で」人やモノをみるという視点に欠けている。「欠ける」というより、「罪悪視」しているようにも感じる。だが、「スピードと効率」では求められないものが沢山あるはずだ。人が信用を得るまでには、時間がかかるのは必然だと思う。

 

昔、「商売をする家」というのは、どんな業種であれ、後を継ぐ者に「手取り足取り」仕事は教えなかった。特に、「呉服屋」などという、「古い形態(徒弟制度の名残があるような)」では、それが顕著だ。

以前にもお話したが、私も「先代」の父親から直接商いを教わったことはない。呉服屋の駆け出しは、まず荷造りを覚え(変則的な「四手紐」という紐の結び方がある)、独特な「呉服札」の付け方や「反物の巻き方」を覚えることから始まる。

鋏の使い方や、裏地の切り方、寸法のこと、紋のこと、それらは、各々の「職人」から学ぶのが最善である。「駆け出し」ならば、「聞く」ことは恥ではない。「知らない方が」恥なのだ。だから、寸法の取り方など、和裁職人の「親方」に聞いたものである。

「伊藤さん」という当時70を過ぎた「和裁士」の方には、色々なことを教わった。この方は、自分でも「内弟子」を取って「人を育てている」方である。仕事を持っていく度に、柄合わせのこと、寸法直しでどこを見ればよいか、などはもちろん、体型によって変わる「キモノの着やすさ」があることも教えてくれた。「マニュアル」というものがなく、その都度自分で考えなければならないことばかりだった。

最初の頃は、かなり「覚え」が悪かったので、そんなことでは、「呉服屋」になれないとよく叱られたものだ。それでも、「教えを請う」ばかりでは進歩しない。それが、実際にお客様と向き合った時に、「生かされるかどうか」である。

お客様にとっては、相手をする呉服屋が「駆け出し」であるかどうかは関係ない。正しく美しく、満足のいく品物になって出来てくればよいのである。つまり、「駆け出し」でも「責任」を負わねばならないのだ。仕事の現場では、「否応なく」失敗は許されない。そして、お客様を前にして、「わかりません」では済まない。

 

もう25年以上前のことだが、あるお客様に「七歳の祝い着」をお売りした時のことである。「子どものキモノ」でも、当店の扱っているものは、すべて「仕立て」をしなければならない。当然「寸法を測る」必要がある。この時は、まだ不慣れではあったが、「寸法の測り方」はわかっていたはずだった。

子どもの身長は数ヶ月で変わることがあるので、祝い着ならば、9月頃に寸法を測り仕立てをする。「子ども」の寸法を測るというのは、大人の寸法を採る場合と少し違う。大人女性の身丈採寸は主に「長襦袢の丈」を測るときに必要であり、キモノの丈は「おはしょり」があるため、また別だ。子どものキモノ丈は、「肩揚げと腰揚げ」を考えて仕立てるので、測った寸法がそのまま「身丈」となる。だから、それを測り間違えると長すぎれば引きずるし、短すぎれば「つんつるてん」になる。

依頼されたお客様に、出来上がった品を持っていき、納品した。その時はなにも気が付かなかった。11月のお祝いが終わり、手入れを依頼され、キモノを預かりに伺った時のことである。七歳の女の子を囲んで撮られた写真を見せて頂いた。

この時、寸法を「間違えた」ことに気づいたのだ。女の子の足袋の先端より上に「キモノの裾」がきている。もう「足」が見えそうになっているくらい。「寸法」の採り違いは明らかである。見た目でも2寸(6cm)以上の短さだ。

お客様はこのことに気づいていない。そして、「写真」にまでなってしまったので、「取り返しのつかない」失敗である。「子ども」の採寸は、大人と違い、「かかとの下端」つまり、地面に付くところで採らなければならない。それは、子どもキモノには着せやすくするための「紐」が付いていて、それを縛った時に少しキモノが上に持ち上がることと、「草履」を履くことにより、その草履丈分だけ、丈が長くなるからだ。

おそらく、無意識のうちに、「大人」の長襦袢の採寸とおなじように、「くるぶしの少し上」までの寸法を「身丈」にしてしまったに違いない。写真をみれば短いのは、丈だけでなく、「裄」も短い。これは、その時に、「子どもの裄は着丈の半分」と覚えていたことが原因である。だから、「着丈」を間違えれば連動して「裄」も違ってしまうのだ。

 

私の寸法の失敗を、「気が付かない」お客様に正直に話すべきかどうか、迷った。だが、「キモノのわかる人」なら、写真を見れば、その丈の短さには気が付くだろう。「他の人から指摘」され、お客様が気づけば、「失敗」の上に「それを言わずに隠した無責任」が加わる。「失敗」してしまったことは戻らないが、それを「そのまま放置」することは、それ以上に信用を失うことになる。

そう考えた末、正直に「寸法違い」をお話した。ありがたいことに、「気が付かなかった」お客様は「寛容」な方だったので、お許ししていただけた。折角、お祝いのキモノを新調して頂いたのに、不慣れな「駆け出し」の者による「単純な」失敗により、不恰好な物を着せられてしまったのだ。あとの祭りだが、寸法直しをして、納め直したのは言うまでもない。

 

このような寸法間違いばかりではない。もっと単純な(基本的な)失敗もある。例えば、「キモノを洗って」と依頼されたものを「洗い張り」してしまったこと。お客様は「洗う=しみを見て欲しい」と伝えたつもりのものを、わざわざ全部トキをして洗い張りしてしまったのだ。

「洗い張り」というのは、よほど「汚れがひどい」場合か、あるいは他の人が寸法を直して使う場合に考えられる仕事。品物を見れば「洗い張り」が必要かどうか判断できるし、元々誰かに譲るなどとお客様から言われていないことを考えれば、間違えることがどうかしている。「しみぬき」と「洗い張り」を混同することなど、今では考えられない。呉服屋として「基本がなっていない」誤りである。

「裄直し」を依頼され、寸法を出すところを逆に縮めてしまったり、キモノの袖丈に合わない長襦袢を作ってしまったり、とても「恥ずかしい」失敗ばかりだった。

最初の3年ほどは、いくつもの「恥」を味わう。ただそれに負けてしまったら、いつまで経ってもマトモな仕事は出来ない。跡継ぎは「嫌だから他の仕事に変わる」という訳にはいかない。継いだからには「のれんを守る」責任があるのだ。逃げ出すくらいなら、最初から継ぐべきではない。

こうやって、曲りなりにもこの仕事が続けられてきたのは、「寛容」なお客様のおかげである。昔からの「おなじみさん」は、「仕事の出来ない駆け出しの者」を何とか育てて、一人前にしてやろうという気持ちで付き合ってくれていた。

キモノの知識において、「売り手」よりも「買う側」の方が上なのだ。本当はこれでは、「商い」にはならない。対等でもだめで、「売り手」のほうが「上手」を行かなければ、お客様に納得していただくような、品物をお勧めすることも、工夫された「直し」の提案をすることもできない。

経験により智恵や知識が付けば、お客様の方でも接し方が変わる。「売り手」の言うことを聞いてくれるのだ。このようになって初めて、「マトモ」なお付き合いといえる。

 

呉服屋の仕事ばかりではなく、何の仕事にも共通する「失敗」のお話をしました。人間は「失敗」するものです。ただ、失敗を認めることが大切で、「言い訳」や「隠す」事のほうが「信用」を失くすことに繋がります。「正直」なことが何より大切と思います。

長く続ければ、単純な仕事は「慣れ」を感じます。この「慣れ」が一番間違いを起こしやすいのです。「難しい仕事」は慎重になりますが、「機械的」に進める「慣れた仕事」こそ「落とし穴」が出来やすいように思います。

「駆け出し」のことをたまに思い出すのも、「事を慎重に進める」にはよいことです。私は今も、「子どもの寸法」を測るときはかなり「神経質」になり、3回は測ります。昔の失敗が「トラウマ」になっているということでしょうが、これくらい「慎重」になれば、間違えを起さず、これでよいと思っています。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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