バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

石榴色染紬地 花鳥模様型絵染帯・鈴木紀絵

2013.09 29

日、祭日だけは一日中店にいるようにしている。とはいっても「一人きり」なので、急な用事ができると「店主不在の張り紙」をして出かけることになる。幸い「商店街」の中に店舗があるので、「不測の事態」が起きても「周りの目」があるので安心だ。有難いことに、最近はお客様が、「私の在店している時間」を見計らって来店されるので、せめて世間が「休み」の時くらい、店主として店にいなければいけない。

土曜、平日は4時頃まで、外仕事である。特に月末の一週間は甲府から遠く離れたお客様のところまで行くことが多いので、家内や先代に留守番をしてもらっている。

県内の仕事の範囲は、東は東京に近い大月市、西、北は長野に近い北杜市(高根町、小淵沢町)、南は静岡に近い身延町。さすがに「バイク」では行きにくい。「井上モータース」の社長にも、「30キロ以上の遠出は責任が持てない」といわれている。そのうち「火を噴くから」などと「脅されている」ため、やむを得ず不本意ながら「車」を使う。

今日の「ノスタルジア」は、芹沢銈介の弟子である「型絵染作家・鈴木紀絵さん」の品を紹介しよう。

 

(鈴木紀絵 柘榴染紬地 花鳥模様型絵染帯 2003年 甲府市S様所有)

鈴木紀絵(すずき のりえ)さんは、まだ現役の作家である。日本国画会の準会員として毎年作品を作り続けている。1929(昭和4)年生まれで今年84歳。上の作品でわかるように、なんとも個性的で愛らしい作風を描く方である。

鈴木さんがこの道に入ったことは、とても単純なことだった。日本舞踊を習っている自分の娘さんのキモノを作りたいという、そんな「子どもを思う気持ち」から出発したのだ。

鈴木さんの師匠は、あの型絵染の第一人者「芹澤銈介」である。1962(昭和37)年33歳の時に芹澤の門をたたく。芹澤が主宰していた「このはな会」へ入会したのである。この会の事は、以前このブログで芹澤の稿を書いたときに少し触れたが、彼が、図案技師として故郷静岡に戻ったときに立ち上げた「手芸グループ」のことである。

この会の発足は古く大正時代に遡る。最初は近所の女性達を集め、「テーブルセンター」や「クッション」「壁掛け」などを作っていた。その作品は当時の「主婦の友社主催・全国家庭手芸展覧会」などに出品され、全国最高賞を取ったりしていた。

この会は、その後芹澤の指導のもと「ローケツ染」、「型絵染」など技法が試みられ、のちの「芹澤作品」を作り出す原点になったのだ。戦後もこの「このはな会」は存続しており、この会の出身者は芹澤の仕事を見ながら育ち、その後独創的な作品を世に送ることになる。

鈴木さんが入った頃は、芹澤自身が意欲的に作品を作り続けていて、「油の乗り切った」時期でもあった。「型絵染」や「絞り」の技法を学びながら、自分らしい図案を模索していったのであろう。

 

鈴木さんの仕事の特徴は、図案や技法はもちろんだが、何といっても「草木染」による地色の引き染めにある。

上の画像で地色の色を見てみよう。「黄色系」の色を染め出すには、様々な草木が用いられ、それを媒染する時に使われる含有金属により変化する。先ごろ紹介した「黄八丈」で使われる「刈安と椿の灰汁」や「椎の樹皮と泥」の関係からもわかる通りである。

単純に「黄色」というが、「にっぽんの色」として内訳られる数は多い。先に述べた「刈安色」を始め、「黄はだ色」「鬱金(うこん)色」「山吹色」「梔子(くちなし)色」「女郎花色」などなど。もちろん微妙に色の出方が異なる。同じ草木、同じ媒染方法を使っても、そのときの気候や媒染の回数などでも色は違ってくる。思うような色を「均一」に出すことが大変難しいことなのだ。

私が推測するこの品の色は「石榴(ざくろ)色」。もちろん私が「鈴木さんの仕事場」を見たものではないため、「間違いない」ものではない。ただ、一つ根拠がある。

鈴木さんはご自身のHPをお持ちになっているが、その中に「植物染料の見本と媒染剤」との関係を「色別」に記したものがある。それを見ると「黄色系」の染め出しに使われている植物が数種類ある。「鬱金」「梔子」「エンジュ」「ヤマモモ」「コガネバナ」そして「石榴」。また、使われる媒染液は「すず」「アルミ」「銅」「チタン」「鉄」。

もちろん植物からの抽出液、うすめ液、媒染液、水などの調合比率により、「色の出方」が異なる。HP上には、この比率も書かれていて、「黄色の微妙な色」も出来る限り再現して載せられている。私はここを参考にさせて頂き、今日紹介している品の地色と照らし合わせて、「石榴」を植物原料とする「石榴色」と判断した。

「石榴」で「黄色系」の色を出すために使われる「媒染剤」は「すず」「アルミ」「銅」の三種類。チタンを使うと色は濃くなり「だいだい色」というか「オレンジ色」のようになる。また、鉄ならば「青く」変化する。

すず>アルミ>銅。これは色の明るさの度合いを表したもの。(私が感じたものなので正しいかどうかわからない)。すずを媒染剤に使うと一番黄色味が強く、明るい色になるようだが、銅だと、すこし落ち着いたくすんだ色になる。アルミはその中間色だ。品物の地色を改めて見て推測すれば、おそらく一番明るい色になる「すず」を媒染剤に使っていると考えられる。

 

では図案を見てみよう。「型絵染」で描かれているのは、「鳥」「花」「石榴」である。

特定出来ないほど「図案化」された鳥。藍色で表現された「目」と「足」と「尾」がアクセントになっている。一羽だけ単独に写して見るのと、何羽も群れている帯全体の「柄」として見るのとでは、だいぶ印象が違う。鳥の形をここまで略して描いていながら、配色により「愛らしく」なっている。

石榴は一見してそれとわかる。私が地色染の原料が「石榴」と推測する理由の一つが図案から見える。「石榴色」の所以は熟した果実の皮の色をとったものだ。石榴の実が熟する季節は丁度今頃、9月下旬から10月上旬。上の画像の石榴の皮の色を見て頂きたい。中央部分は色を挿さず「石榴地色」の生地の色をそのまま生かしている。ここに、地色を「石榴色」とする根拠があるのだ。

最後に「花」。これも特定できないが、濃い「松葉色」で描かれた蔓と小さい葉がアクセントになっている。花は絞りをつかい、花びらの先を柔らかい桜色の濃淡で描くことで「女性らしい」細やかな優しさが見えるような表現の仕方である。

最後にもう一度、帯全体を見て頂こう。

鈴木さんの描くものは、どの作品をみても、「伸びやかに、自由に」表現されている。題材は紹介した品のように「花鳥風月」である。一羽の「鳥」を見てもわかるように、その姿は生き生きしていて、思わず楽しくなるような描き方だ。私は彼女の作品を見るたびに「女性の優しさ」が感じられるのである。

 

80を過ぎた今でも、外へ出かけた時は何気ない鳥や名もない花のスケッチを怠らないとお聞きします。自分の目に留まるもの全てを自分の中で昇華し、作品に描き続けることが出来ることは、それが鈴木さん自身が今を生きる「喜び」として作品を表現されていることに他ならないと私は思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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