バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

呉服屋の規模を考える

2013.09 24

政府は「経済が成長すること」こそ、デフレ脱却、国債依存体質の脱却につながり、将来の「年金」「保険」「医療」の三分野の「保証」も安心できるものになると言っている。

この後に及んで、まだ本気で「この国が成長」すると思っているのだろうか。「国債」の発行残高が千兆円を越え、国の予算の半分は「この国債発行による借金」である。おまけに「他に例を見ない少子高齢化」のスピードは、2030年までに、人口の約4割を65歳以上の「高齢者」にしてしまう。

「非正規雇用」が働き手の4割近くになり、「雇用条件」は「企業側だけが有利」になり、賃金格差は広がる一方。それに伴い「経済的理由」で「結婚」「出産」は見送られ、「年金」さえ満足に掛けられない人が増え続けている(国民年金を払っていない人が4割にも上る)。

「経済格差」=「将来不安」=「少子化」=「年金医療制度の破綻」、という流れは加速するばかりである。

政府は「会社が儲かれば」賃金は増えるなどと言っているが、おそらく「企業」は「賃金」を増やさないと思う。これまでも「内部留保」や「株主優先」に「儲け」が使われ、「働いている人」には廻らなかった。「法律」でも作って、「企業が利益を出したらある一定割合は従業員に還元する」ようにしない限り、これは無理だろう。

「雇用」は「多様な働き方」という美名に隠れて、人を「調節弁」のように使い、設備投資は海外へ海外へと流れる。「人件費」は安ければ安いほど「価格」に反映出来、「国際競争力」を勝ち抜くことが出来るという「わかったような大原則」を正面に掲げ、己の会社が「生き残る」ことだけが「全て」に優先している。「人があって会社があるのだろうに、会社があって人がある」と考えている者が何と多いことか。「弱肉強食」の世の中は、それを決して「豊か」とは言わないだろう。

消費税を10%に上げたくらいでは、到底現状の制度維持は難しく、いずれ「行き詰まる」だろう。その「最後のとき」の覚悟をしておいた方がよいと思う。

私はもうこの国を批判することは「諦めた」。税金も上げたければ上げればよい。「払うものは払う」。そして「国に何かをしてもらおう」と思わない方がよい。自分が「働けなく」なった時は、自分で自己解決し、「若い世代」に迷惑をかけないようにする。それが「生きていく上での責任」と私は思う。

 

つまらぬことを長々と書いたが、今日は「店の規模」の話をしようと思う。「経済の成長」=「売り上げ増加」を追うことへの疑問、ということをテーマにしたかったので最初の話になった。

私はかなり「偏屈で勝手」な人間だと思う。だから「組織」には向かない。「人を使う」ことも下手である。他人様に迷惑を掛けないようにするには「自己完結」以外にない。それが「一人で仕事をしている」大きな理由だ。

もう一つ理由がある。それは「利益」を追えば、自分の生き方やものの見方を否定しなければならないからだ。それは、モノを大量に売る、顧客の数を増やす、とにかく利益を出す、ことを最優先にすることに「価値を」見出せないということである。

「規模の拡大」は、自分の思うような「商売」をさせてくれない。それは、好むと好まざるとに関らず、「いつも何かに追われている」ように生きなければならないということだ。店や会社を維持したり大きくしたりすることが、「経営者」としての本来あるべき姿と言われれば、「追われること」は当然なのかもしれない。私は「経営者」としての「能力」は皆無だろうし有能ではないことを自覚している。だから「利益」の前には全てが優先するという、あたりまえの「大前提」を受け入れない「生き方」を選ぶ。

その生き方は、「豊かさ」を捨てる、言い返せば、「お金に依存しない」生き方を意識することだ。「古いバイク」を大事に使い続けることで見えてくるものがある。「暑さや寒さ」をただ耐えるというのではなく、自分が選んだ仕事のやり方の「象徴」として、これを考える。「楽をしてはいけない」というのをいつも肝に命じておかねばならない。

「新しい品物」を売ることが、一番「利益」を出すことに繋がるのは言うまでもない。だが私は、「使えるものがあるのに」それを「使えない」としてモノを売ることは嫌だ。店の規模が大きくなっていれば、何としても「売る」他に手はない。それは組織を「維持」していくためには、「売り上げ」が何より優先するからだ。

 

「呉服モノ」というのは、それを使うことを「長いスパン」で考える品物である。特にフォーマルモノは、このブログの「ノスタルジア」の稿でも紹介した品々のように、代々「受け継いでいくべきモノ」と考える。だからこそ、「寸法直し」や「補正」が必要になる。このような考え方でいけば、自ずと「経営」の仕方は違ったものになる。

もちろん「受け継いでいける」ような品物を「購入」して頂く時は、それなりの仕事をしたもので、ある程度「値も張る」ものになるが、それは、「長い間使うことに値する」ということの裏返しの品でなければならない。

今の状況や将来の需要、また生活様式やキモノに対する意識の変化などを考えた見通しで、「規模の拡大=成長」ということに、この業界が進んでいくとは到底思えない。最初に書いた「国が成長する」とは到底思えないことと、どこか繋がるような気がする。

だからこそ、「一人」なのである。「成長」しようと考えて「無理に売り上げを作る」ことには自ずと限界があると思える。そして、私には「他人様」の生活まで保証できるような「経営」をする技量も度量も欲もない。自分勝手といわれても仕方ないが、「迷惑」をかけるようなことにだけはしたくない。自分の家族だけならば、売り上げが上がらなくて、経済的に「我慢する」ことにも耐えてもらえる。

だから「モノや金銭的に豊か」にならずとも「心豊かに」のれんを守ることを選ぶ。そして、全てを自分の責任で行う。自分がいい加減な仕事をすれば、批判されるのは自分だけだ。人のせいにすることは決してできない。実にわかりやすい。

品物の本来の価値や直しの仕事を理解しようともせず、「いかに売るか」「いかに利益を出すか」ということに「汲々として」この業界に生きるのは、ある意味大変な「精神力」である。到底私なんぞが理解できる「世界」ではない。

「成長する」ということから、「一歩離れて」仕事を見つめることが出来ないような「店」の形態にしてしまうことは、「後戻りできない、ただ前へ進むだけ」ということになる。どこかしら、今の政府が目指す日本経済のあり方と「同じ匂い」がするように思える。

 

私は、業界の体質を「よい方」へ変えていこうとか、変わるだろうとは思っていない。そこも今の国のあり方を「批判」することを「諦めた」と同様に「諦めた」。ただ「自分」に関っているお客様や取引先、職人達に「迷惑」をかけないように仕事をするだけだ。そう、これも「自分の老後」と同じで、誰かを頼ったりせず「自己解決」をしていく他はない。

 

今日の私の考え方には、様々な批判もあることでしょう。「企業人」ならば、「自分の思い通り」に仕事をすることなど出来ない(生き方を変えることは難しい)。「個人経営」だからこそ、「わがまま」が通用するのだと。そのことはその通りだと「甘受」します。ただ、「成長」を目指さない「考え方」を選ぶことは、それなりの「覚悟」も必要なことを理解して下されば、と思います。

「誰でも知っている店」より「知る人ぞ知る店」になることが私のささやかな願望です。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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