バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

つゆのあとさき 秘色・青磁色

2013.07 02

「雨上がり」に外へ出てみると、からりと晴れた空に心地よい風が吹きぬけ、夏のにおいを感じることがある。疾走するバイクから見えるのは、「富士山」「八ヶ岳」「茅ヶ岳」や「南アルプス」の山々。「盆地」であることの有り難さを実感する。

7月に入れば、あと半月もすると、「つゆあけ」。

そんな「つゆのあとさき」のこの季節にふさわしい色、「青磁色」が今日のテーマ。

 

「青磁色」は「雨上がり」を連想させる色だと思う。それは少し「雫」色に近く、また「草色」のような感じもあり、「静謐さ」や「品のよさ」を印象付ける。

「青磁色」はもちろん陶磁器の青磁に由来する色であるが、そもそも「青磁」は、釉薬に含まれる鉄(1~2%の少量)が高温で焼かれることにより、鉄が還元し(酸化第一鉄)発色する色である。そして、その鉄分の量や還元の強弱によって発色する色が変化する。その色は、黄緑から青までの間の色というから、かなり広範囲に様々、微妙に色が変わるものだ。

中国「漢」の時代の「越州窯」とよばれる「青磁」が、初めて現在の「青磁」の通じる原点になった。それ以前にも灰釉とも青磁釉ともとれるものはあったが、完成された形はこの「越州窯」においてだ。この「窯」の品は「唐」の時代に当時の皇帝、貴族に重用され、「高貴な方」が宮廷内で使う品になった。

この「青磁の色」は「唐」のあとに現われた「呉越国」の王が「高貴な方の使う色」として、一般のものがこれを使うことを禁じ、「秘色」(ひそく)と呼ばれるようになったとされている。この色を「青磁色」と呼ぶようになったのは後のことである。

(青磁色 無地小千谷縮 小千谷・吉新織物 )

画像では少しわかりにくいが、市松格子紋織になっている無地物。丸巻きになっているところを見ると、「青磁色」がわかりやすい。

 

「青磁」が日本にもたらされたのは、平安時代と言われている。当時、国の出先機関であった九州「大宰府」の発掘調査で、前述した「越州窯」の「青磁」が多数発掘されている。国の交易場所に近い「九州」の「当時の役所跡」から発見されたことは、「唐」に赴いた役人が、持ち帰ったものと考えていい。その色はまさに「秘色」であることを思えば、「唐」の「高官」あるいは、「宮廷関係者」から賜ったものだと言えるではないか。また、「大宰府」の役所跡だけでなく、博多港に近い場所からも発見されている。それは、港のそばに「鴻臚館(こうろかん)」と呼ばれた「唐」や「新羅」からの賓客を接待する施設があり、またそこは「遣唐使」や「遣新羅使」が出発する場所でもあったことが要因である。

(青磁色 菱取り文様 双羽透かし紋織夏八寸帯 博多・協和織工場)

透かし紋織の博多織の夏帯、「青磁色」がいかにも涼しげである。「博多」は「秘色」=「青磁色」の故郷でもある。

 

1937(昭和12)年 幸田露伴により書かれた文章の中に「秘色青磁」というものがある。幸田露伴は言うまでもなく明治、大正期の作家で「五重塔」などの代表作で知られている。この1937年という年は露伴が文化勲章を受けた年でもあった。

「秘色青磁」を読んでみると、日本文学の中に「秘色」の語が明らかに見えていると書かれている。その日本文学とは「源氏物語」と「宇津保(うつぼ)物語」だという。

「源氏物語」に登場する「秘色」は、非常に高貴な家の調度品であった「秘色の器」がその家の主が没落して去ったあと、「使用人」が貴いものと知らずにその「器」を無造作に使って食事をしている様を描写している。露伴は紫式部が巧みに「秘色の器がどのようなものであるか」、ということを表しており、すでにこの時代、「秘色=高貴な色」という認識が世間一般になされていた証拠だと記している。

また「宇津保物語」は、「秘色の器」で酒を飲んでいる、「地方の大金持ちの豪族」の様を描写している。その「豪族」は「筑紫のなんとか」といわれているので、西方から舶来する高貴なものを使用するには打ってつけの段取りになっている、などと露伴が解説している。まさに「筑紫のなんとか」、は前述した「大宰府関係の遺跡から出土した青磁」に土地で結びついていると言えるではないか。

(青磁色 羊歯菱集め文様 紗袋帯 西陣・斉城康男)

白地の中の菱文様の色を、幾色かの「青磁色」の濃淡で表した上品な帯。絽や紗の「青磁色」の無地モノなどに合わせれば、何とも夏らしい組み合わせになる。

 

露伴は、「多くもない平安朝時代の文学で、この秘色が顔を出しているところを見ると、とにかく秘色青磁が当時の人に知られており、少なくとも高級社会人にはそれが普遍性を持っていた」と記している。前回の「褐色」の時に、「紫紺色」が奈良時代には「高貴な色」とされていることは、結構知られていることと書いたが、この「青磁色」も、もとをただせばかなり以前から「にっぽんの高貴な色」だったと言えよう。

「にっぽんの伝統色」には、それが「伝統色」と認められるようになった「歴史的な背景」や「文化」が息づいていて、一色一色にはそれぞれ違った経緯があって実に興味深いものである。

今日ご紹介した「青磁色」にまつわる、三点。「梅雨」の「雨上がり」にさらりとお召しいただきたい爽やかな品。

 

幸田露伴のお話をした余談ですが、そのお孫さんである青木玉さんはキモノ関係のエッセイストとしてよく知られています。中でも「幸田文・きもの帖」は我々呉服屋が読んでも出色のおもしろさです。キモノに興味のある方は、ご存知の方も多いと思いますが、ぜひ一読をお奨めします。

最後にその幸田文さんの言葉で、今日のしめくくりにしたいと思います。

「キモノというものは、その場、その場の、その気持ちで着るものです」。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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