バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

洗い張り職人 太田屋・加藤くん(1)

2013.05 19

呉服屋として大切なことは、モノを作る職人とモノを直す職人の間に立ち、

その仕事の仔細を説明しながら商品を勧めたり、直しの仕事を受けたりすることが

出来る「知識と智恵」をどれ程持っているかという点である。

「経験」と一言で言っても大変難しいもので、私など20年以上この仕事をしていても、まだまだ駄目である。特に「直す」ということについては、品物の状態は100枚あれば100枚とも違う作り方で、使われた年数、汚れ方など考えれば千差万別であり、とても「マニュアル」など通用するものではない。

「職人の仕事場から」のカテゴリーでは、私の仕事にとって絶対欠くことの出来ない職人の方達の仕事と素顔を紹介しながら、現代に生きる「生き方」など伝えて行きたい。

まず第一回として登場するのは、「洗い張り職人」の「太田屋・加藤くん」である。

「親」から「子、孫」へキモノを受け継ごうとすれば、どうしても寸法の問題に行き当たる。また、長い時間を経ていれば汚れやヤケも出てくるのは仕方ないことであろう。そこで、そのキモノを「ご破算」にして作り変えれば、また新しい着手により新しい歴史が始まるのである。「キモノ」だからこそ出来る智恵だと言えよう。「洗い張り」は「世代を越えて」モノを使うために欠かすことの出来ない仕事なのだ。

当店と「太田屋」さんのお付き合いはかなり昔からである。私は3代目で、加藤くんは4代目であるが、以前は「北秀」という問屋を通して仕事を依頼していた。この「北秀」という問屋は今は倒産して無くなっているが、「染問屋」としては日本一高級な品物を作り、また扱っていた会社であった。東京の銀座筋の高級呉服店であった「きしや(以前のきしやのことで今は経営者が代わっている)」を代表として、この「北秀」の商品を扱うことができる店は「呉服専門店」として「認められた」と言ってもよいそんな問屋であった。「太田屋」さんはそんな「北秀」の取引先からの仕事を請け負っていたのである。「北秀」が十数年前に倒産した後、その「北秀」の社員だった5人が新たに「秀雅」という会社を立ち上げ、今度はその「秀雅」という会社を通して「太田屋」さんに仕事を依頼してきたのであるが、その「秀雅」も昨年倒産してしまい、今は直接品物を送ったり持参したりしてお願いしている。長々と経緯を書いたがこの20年の間に呉服業界を取り巻く変化は激しく、まともな「モノ作り」をしているメーカーほど苦戦をしていると改めて感じさせられる。

太田屋さんの仕事場は、日本橋人形町にある。一番上の画像「甘酒横丁」の路地を少し入ったところだ。昔この辺りは「芳町」と呼ばれていて、芸妓置屋、御茶屋さんが集まる花街であり、太田屋さんの前には「芳町見番」があった。余談だがこの「芳町芸者」として有名なのが「オッぺケペー節」の「川上音二郎」のパートナーの「貞奴」。この人形町という街が持つ小粋で独特な江戸情緒は、この「芳町花街」があったことにより、今に息づいているのかも知れない。

「太田屋」という屋号は「加藤くん」の初代が修行をした店の名前で、日本橋浜町にあったそうだ。職人が新たに店を構えるのは「のれんわけ」として「親方」が独立を認めて初めて開業できる。呉服屋にまつわる職人の世界はみな一様に「のれんわけ」が独立の基本である。「和裁職人」「紋職人」「補正職人」などいずれも仕事が一人前になったら独立できるという夢に向かい日々努力していった。太田屋さんがこの「芳町」を独立の場所として選んだのはやはり花街であり、毎日の衣装であるキモノの仕立て直しに伴う洗い張り等の仕事が多く見込めたということだそうだ。ちなみに「太田屋」さんの創業は明治25年というから実に創業123年、老舗である。

「加藤くん」を「くん」付けで呼ばさせてもらうのは彼が私より10歳ほど?若いからだが、先代の父上が早くに亡くなられ今は母上と奥さんで仕事をされている。職人として手本である父上を思いがけず亡くされ大変であったことは想像以上であるが、彼はいつも「まだ修行の身で毎日が勉強です」と言っている。何より仕事はいつも一生懸命で丁寧である。

「洗い張り」の前にまずしなければならないのは「トキ」である。「トキ」はその言葉通り縫ってあるキモノをほどくことである。昔は依頼するお客さんの方で「トキ」を済ませて洗い張りに出すことが多かったのであるが、今当店が依頼される品はほとんどそのままの状態である。私が「トキ」をしてもよいのだが何分ほぼ一人ですべての仕事をしているため(誰も雇っていないので)時間がなく、太田屋さんの方に「トキ」も頼んでいる。「トキ」をするとそのキモノがどのように縫われているかがよくわかる。丁寧な仕立てをした品は、「トキ」が大変なのである。

「トキ」をしたところで「キモノ」の表地のそれぞれの部分である「身頃」「衿」「袖」「おくみ」の他、八掛や胴裏など裏地がすべて揃っているかを確認する。昔お客さんが「トキ」をしたもので「衿」が入ってなかったということがあったが、今は「トキ」も頼んでしまうため、そういった事もなくなった。

「トキ」の次は「ハヌイ」である。「ハヌイ」とはほどかれて各部分バラバラになったものをもう一度簡単に縫い合わせる作業のことである。「ハヌイ」は表地と裏地の八掛、胴裏のそれぞれを一枚の反物のように縫い合わせ、これにより三反の反物のようにしてしまう(表地1・裏地2)のだ。こうすることで、生地をつなぎ失くさないように洗い張りの工程に進むことができる。キモノの部分はどこか一つが欠けても仕立て直しが難しくなるため、「トキ」をした品物は慎重に扱わなければならない。

上の画像は「ハヌイ」の作業を写したものである。「ハヌイ」に使うのは「ハヌイ専用ミシン」。一番下の画像を見るとわかるのだが、一本糸の通しである。これは後の作業で「ハヌイ」を解く時、糸をほどけやすくしておかなければならない必要があるからだ。

この「ハヌイ」作業は、先代の奥さんつまり加藤くんの母上の仕事である。母上に話を聞くと、この「ハヌイミシン」が出来る前は、「手縫い」で「ハヌイ」をしていた時代があったという。しかし「ハヌイミシン」も大変特殊な物で、もう製造もしていなければ、壊れたら直す部品もないらしい。今太田屋さんには二台のミシンがあるそうだが、それを丁寧になだめながら使っているとの事だ。もし壊れたらまた「手で縫えばいい」などと仰るがそれはそれで大変だろう。

上の画像が「ハヌイ」を終えた状態のもの。一本糸で繋ぎ合わされているのがわかる。「衿」と「おくみ」は共に反巾のため同じところに縫い合わせておく。この状態にしておいて「洗い張り」の作業を始める。

長くなったので、この続きは次の「職人の仕事場から」のカテゴリーを書く時にしたいと思います。読んでいただきありがとうございました。

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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