バイク呉服屋の忙しい日々

その他

10年目のブログによせて(後編)  直すことは、話すこと

2022.05 22

「咳を しても 一人」。これは、漂泊の俳人・尾崎放哉の有名な自由律俳句。肋膜を病んで死の淵にあった放哉が、その最期の日々を過ごした小豆島の小さな寺・西光寺の庵で詠んだ句である。五七五の定型に捉われず、心の内を直接表現する自由律俳句こそ、生涯を気ままに生きた彼に相応しい。

東大法学部を出て、保険会社に勤めるエリートでありながら、突然何もかも捨てて、俳句の道を一筋に辿る。仕事も無いのに酒癖が悪く、挙句は妻にも逃げられ、人生のほとんどは寺の雑役夫として過ごしている。人並の幸福は全く望まず、自由奔放に生きる中で、凡人には真似のできない佳句を数多く作り出す。それは、人生に対して無常観を持ち、諦観の境地に達していたからこそ生まれたもの。この「咳をしても・・」の句にしても、放哉にしか詠めない、しみじみとした孤独感や寂寥感がよく表れている。

 

放哉さんほどではないが、ここのところバイク呉服屋も、一人の時間が長い。こう書くと、「とうとう奥さんに逃げられたか」と思われるかも知れないが、そうではない。家内は、90歳を超えた父親の世話をするため、月の半分ほどは実家に帰っているのだ。おやじさんは、頭はまだしっかりしているが、肺を少し悪くしているために、一人での生活が難しくなっている。そのため、自宅にいる時は家内が世話をし、残りは施設でのショートステイを利用して生活している。

自分の父親には、出来るだけ家で心地よく過ごして欲しい。娘である家内とすれば、それはごく自然な思いであろう。私の両親はすでに他界し、娘たちもみんな独立した。甲府には特に面倒を見なければならない人もいないし、今の生活は私と家内の二人だけ。しかも彼女の仕事は、経理が中心なので、支払いが集中する月末と月初は多忙だが、後は留守でも何とかなる。そこで相談した結果、甲府と実家を行き来することになった。コロナ禍で色々な苦労はあったが、幸い何とか無事に、この二重生活が続いている。

 

店は夫婦二人での経営だが、呉服屋としての専門的な仕事は、これまでも私一人で行ってきた。品物を仕入れて、売って、誂えて渡して代金を頂き、着用後には、預って、直して、再度渡して悉皆代を貰い受ける。私の仕事のサイクルは、これである。

品物を通してやり取りするのは、仕入れ先であるメーカーや問屋の人、当たり前だが売り先であるお客様、そして加工先の和裁士を始めとする多くの職人さんたち。この全ての人たちとやりとりをしながら、扱う、あるいは預かる品物に対して全ての責任を持つ。どんな小さな仕入れでも、どんな小さな商いでも、どんな小さな直しモノでも、全てのことに目を通し、自分で何をすべきか判断する。

自分の裁量で全ての仕事を請け負うことは、大変だが、やり甲斐はある。私は偏屈な性格なので、元々共同作業が苦手。そして、人を管理することも面倒くさい。だからどんな仕事も、自分でやりたいようにやるのが一番と思っている。

今日は引き続き、ブログ開設10年にあたって、これから呉服屋としてのあるべき姿をお話しよう。今回は、モノを売ることと同時に、もう一つの大切な仕事、「モノを直すこと」について。「人の手で直すこと」の難しさと、この仕事を受ける際には何が一番重要で、成否のカギは何処にあるのかを、少し考えてみたい。

 

お客様から依頼された、手直しの品物の数々。畳を埋め尽くす上の画像のように、時には一週間で20点近く預かることもある。それぞれに「直すこと」に違いがあり、手間も異なる。何をどのように直すのか。預った時に内容をきちんと理解して、それを覚えていなければ、仕事は全くおぼつかなくなってしまう。

 

考えて見れば、キモノや帯ほど、価値の可否が分れる品物は無いだろう。例えば遺品として残された時、親族の中で和装を嗜む人がいれば、それは大切に受け継がれる。一昔前なら、亡くなった後には親族が集まって遺品整理をし、各々に品物を振り分けた。中でも黒留袖や色留袖などのフォーマルモノは、娘など一番近しい人に渡されることが常であった。

しかし時は移り、カジュアルどころかフォーマルな場面でも、キモノを着用する人が少なくなる。自分で着装することが難しく、手間がかかるなどの理由から、和装を全く考えない人も増えた。礼装で使わないのだから、カジュアルモノがなお無用なことは、言うまでもない。こうしたことから、家によってはキモノや帯の行き先が全く決まらず、場所を塞ぐだけの「邪魔モノ扱い」をされてしまうことも、珍しくなくなった。

最近では、そんな状況を見透かすように、キモノ買取業者が何軒も現れて、キモノ不要の家の助けになっている。どれほど手を尽くした友禅でも、どんなに精緻に織られた帯でも、それが産地それぞれの貴重な紬であっても、和装に無関心な人、あるいは品物を理解しようとしない人にとっては、全て無価値なもの。だから買い取って貰い、いくばくかに換金できればそれが何より。いや、お金にならなくても、引き取ってもらえればそれで良いとも思っている。不要な人たちも、キモノを特別な衣装と考えているので、なかなか自ら捨て難い。だから、こうした形で処分出来れば、納得できるのである。

 

しかし一方では、大切に大切に受け継ごうとする人たちも、まだ存在している。品物に対する思いはとても深く、不要とする人とは天と地ほども違う。フォーマルモノはもちろんだが、キモノを嗜む人にとっては、遺されたカジュアルモノこそ、より使う気持ちが強い。特にそれが母親の品物で、着姿を覚えているものであれば、受け継いで着用することは、母の姿を自分自身に映すことになる。遺品として、これほど身近に感じる品物は他には無いだろう。

こんな母の遺品に限らずとも、バイク呉服屋に手直しを依頼される方の多くは、「品物への特別な思い」を持ちながら、店の暖簾をくぐって来られる。この気持ちに寄り添いながら、どのように手直しをしていくのか、その最良な方法を探りながら、品物を再生させることが私の仕事。これはともすれば、「モノを売る」ことより難しく、経験が必要になるかも知れない。そしてこの出来によって、呉服屋としての技量が試されるようにも思える。

これまでもブログの稿では、様々な手直しの方法について述べてきたが、今日は技術的なことよりも、依頼するお客様が、品物とどのように関わってきたのかを、まずご紹介する。その上で、どのような希望があって私に手直しを依頼したのか、具体的な事例を見て頂きながら、お話することにしよう。

 

お母さまが着用していた鰹縞の紬。産地は十日町あるいは米沢あたりか。持参されたお客様によれば、このキモノはすでに一度洗張りをして、仕立直しをしている。お母さまとご本人の身長差は、実に20cm以上。寸法を測ると、現状の身丈は4尺2寸程度あるが、お母さまの身長が150cmに届かなかったことを考えれば、よくここまで丈が長くなったと感心する。おそらく元の身丈は、4尺に満たなかっただろう。それが2寸以上長くなっているのは、かなり中上げを長く縫い込んでいたからだ。

この方の寸法からすれば、4尺2寸になっていても2寸は足りない。けれども、紐を下に締めれば、何とか装える長さにはなっている。うちの家内も、私の母親が着用していた紬を仕立直して使っているが、自分の寸法より2寸ほど短いことが多い。けれども着方に工夫をすれば、十分に使える。中上げの長さにより、出せる寸法の範囲が決まるが、たとえ自分の身丈寸法にならずとも、一定程度長くなれば使うことが出来る。この「寸法の許容範囲」を割り出して、直す方に伝えることが大事になる。

このキモノは袷だったので、受け継いだ方も、洗張りをして袷に仕立直した。八掛はそのまま使えたものの、中上げを外して寸法を目いっぱい長くしたので、胴裏が足りなくなった。このように、表の生地は中に縫い込まれていたが、裏地までは入っていないというケースがよくある。こんな時は、胴裏をそっくり替えるよりも、足りない分だけ足すことが多い。当然途中で接ぎが入ることになるが、裏なので表から見えることは無く、裏地代も少なくて済む。ただ、このお客さまは、接ぎを入れるより、思い切って新くしてしまった方が気持ちよく使えると話される。胴裏は汗などで汚れていることが多いが、折角表地を洗ってリニューアルするのであれば、この機会に裏も新しくすれば、品物は一新されるように思えるのである。

今回の依頼は、袷を単衣に直すこと。寸法は直さないので、八掛と胴裏だけを外す。そして繰越から下に居敷当を取り付ける。キモノの上に置いてあるのは、保管しておいた洗張済みの胴裏で、居敷当として使う。仕立替えの際には、古い胴裏が外されて要らなくなるが、洗ってとっておけば、このようにまた使い道も生まれる。

お母さまからご自分へと仕立直しをした際、身巾の寸法が広がったことで、この鰹の縞が前よりはっきりと着姿に表れたと話される。そして、誂えが終わってから、青縞のグラデーションの爽やかさは、袷でなく単衣でこそ相応しいと気づかれた。今回手直しに至ったのは、こんな理由からである。

たった一枚の紬のキモノにも、話を聞けば、こんな長い経緯がある。こうしたお客様との話からは、様々な場面での直しの工夫を伺うことが出来る。そしてそれが、次の直しモノを依頼された際に、仕事を進める上で一つのヒントになる。悉皆という仕事は、様々な経験をすればするほど、その工夫の方法が蓄積される。

 

お姑さんが愛用されていた、雲取り切込模様の江戸小紋。次のお客様のご依頼品は、譲り受けたお姑さんのキモノで、これをご自分の寸法に直すのと同時に、汚れている裏地を替えることを望まれている。寸法を直す場所は裄と袖丈。この方は小柄で、それほど寸法は大きくない。なので裄を出すにしても、袖付と肩付の縫込みは十分あり、袖下の縫込みも、直す寸法に対しては事足りる。

注意しなければならないのは、縫い込んで隠れていた生地の汚れやヤケ。長いこと中に入っていれば、表生地との間で色の齟齬が生まれることがある。これは解けば判ることで、もし不具合があれば、品物を補正職人に廻して、しみ抜きや色ハキをしてから、店に戻す。もし汚れたままだと、寸法を長くした際にそこが表に出てきてしまう。当然これでは、きちんとした寸法直しの姿にはならない。だからまず、すじ消し職人が汚れの有無を確認してから、次の仕事の段取りを付ける。

僅かな部分直しであっても、きちんとした姿にするのは、何人かの職人の手を経る必要が出てくる。お客様には、その手順を説明するとともに、品物の状態によっては「別な直し」の費用が掛かってしまうことも理解して頂く。手直しの内容を理解して頂くことこそ、お客さまの納得へと繋がっている。呉服屋の仕事においては、こうしたインフォームドコンセントがとても重要なのだ。

裏地を広げて見ると、胴裏は衿裏の部分に変色した汚れがあり、胴部分の裏はきれいなまま。胴裏を付ける時には、胴も衿も同じ裏地を使うので、このように、場所によって汚れの差が出来ることは珍しい。もしかしたら衿裏は古いままで、ある時胴だけ新しく付け替えたのではと思わせるほど、違いがある。

お客さまからは、裏地替えを打診されたが、この状態では全部替える必要は無く、衿部分だけを替えれば良い。うちは、胴裏を切り売りしているので、一部分の裏地替えは簡単なこと。品物の状態を見ながら、無駄な出費をさせない。たとえ裏であっても、きれいなところは残して使う。こうした小さな積み重ねが、店には求められている。お姑さんの品物を慈しみ、手を入れて再び着用しようとされる姿勢からは、この方が、ご自分のご主人やお母さまを、いかに大切にされているかを感じ取ることが出来る。

 

お母さまが着用していた、クリーム地に四季花模様の優しい付下げ。このお客様の依頼は、模様の位置を下げること。付下げやフォーマル絵羽モノは、どれも模様の位置が予め決められていて、それに合わせて仕立をする。けれども、着姿で最も目立つ上前衽と身頃の模様は、品物によっては、裾からかなり上に模様の中心が付く場合がある。

背の高い人であれば、模様が隠れてしまうことは無いが、小さな人だと模様が上に来てしまい、時にはおはしょりの中に入ってしまうこともある。だから、小柄な方の誂えは、模様位置の高さに留意する必要があり、予め身丈の寸法から適切な位置割り出して、仕立てをする必要がある。この付下げの場合、上の画像からも判るように、剣先のすぐ下あたりに模様の中心があり、裾には模様の無い部分が広がっている。

依頼された方は、着用すると肝心な模様が隠れてしまうと話される。お母さまよりも小柄なので、身丈から割り出す模様の中心が異なり、元の状態のままではこんな不具合が出てしまう。これを解消するためには、一旦身頃を解いた上で、模様位置を下げて仕立をやり直す。ではどのくらい模様を下げれば良いか測ってみると、二寸程度と判る。

このお客様の身丈寸法は4尺で、剣先の下・褄下の寸法は1尺9寸5分。この寸法に従いつつ、裾に向かって模様中心の位置を2寸下げ、仕立直しを施すことになる。こうした場合でも、品物を全て解いて誂え直すようなことはせずに、あくまでも部分解き、部分寸法直しで和裁士が対応する。

寸法直しを依頼されることはとても多いが、まずお客様の寸法と品物の現寸法を確認した上で、部分直しにするのか、それとも全て解いて完全な仕立て直しにするのか、品物の状態も仔細に見ながら、じっくりと検討する。職人の手をどのくらいかけるかで加工賃が変わるので、最短で上手く直す方法を探る。大手術が必要なこともあるが、出来る限り手間なく直したい。お客様の負担を少なくするために、知恵を絞る。これが直しの際、最も私に求められることになる。

 

最後にご紹介するのは、お母さまから譲り受けた唐子人形の黒留袖。お客様は、自分の息子さんの結婚式に使うために、手直しを依頼された。最近では形式に捉われない式を挙げる人も多いが、花婿花嫁の母が黒留袖を装う式もまだ多い。母親の中には、機会があればぜひ一度は、黒留袖に手を通してみたいという方もおられる。母から娘へと譲られる品物の中で、最も多いのが留袖類。何故なら、母親世代ではまだ儀礼が形式化されており、黒留袖を誂えた方がかなり多かったからである。

依頼された寸法直しは、身巾と裄。お客様は、お母さまよりやや身長が低いので、身丈寸法はこのまま直さずに使える。問題は身巾と裄で、どちらも現状では狭い。測ってみると、前巾6寸3分、後巾7寸5分、裄が1尺7寸。これは昔の標準寸法より、若干広い程度。この方は、前巾7寸、後巾8寸、裄は1尺8寸。そして、抱巾を通しで付けている。現状の抱巾は、標準通り3~4分詰まっているので、ここも広くしなければ、胸元が苦しくなる。身巾を変更する時は、抱巾にも留意しなければならない。

身丈と袖丈はそのままで、身巾、抱巾、裄を直す。つまり寸法的には、縦の長さは変わらないが、横の長さを変えることになる。巾を出すことになるので、当然前の縫いスジは消さねばならず、一旦スジ消し職人に預けて、部分解きとすじ消しを済ませてから、和裁士に渡すことになる。

そして寸法直しと共に、もう一つ依頼されたことは、裏地を外すこと。この留袖を着用する結婚式は、7月の予定。本来なら薄物を装う季節だが、絽の黒留袖を用意されている方などほとんどいない。またレンタルでも、そうそう置いてある品物ではない。現実には多くの人が、夏の挙式でも冬の黒留袖を代用しているが、このお客様は、少しでも心地よくこれを着用したいと話す。

そのための工夫として、胴裏や比翼地を外すことを求められる。そして襦袢も、外からは見えないので、麻を使って通気性を良くして、涼やかな着心地を目指す。表地は替えることが出来ないが、裏地や襦袢に、暑さを避ける余地を見出したのである。裏を外すことは、着姿にほとんど影響しないが、ただ比翼の無い留袖は恰好が付かないので、衿部分だけは残しておく。そして襦袢は、いかに麻モノを使っても、表に見える半衿を麻や絽にする訳にはいかず、ここは塩瀬衿を付ける。

寸法を直すと同時に、裏を外す。今日取り上げた手直しの品物を見ても、お客様は、幾つかの直しを複合した仕事を求めている。スムーズに仕事を進めるには、何を先行させ、何を後に廻すのか、手順をきちんと組みながら、各々の職人に順番に渡していくことが大切になる。これも、悉皆の経験を積んでいけば、自然に判ってくる。

 

ここまで、紬、小紋、付下げ、黒留袖と四点品物の手直しについて、お話をしてきた。これまで述べたことで判るように、依頼される手直しの内容は、本当に千差万別。お客さまそれぞれには、手を入れたい理由があり、着用したい場面がある。なので、まず依頼される方の希望を聞くことが、仕事の始まりになる。

希望した通りに生まれ変わる品物もあれば、状態によっては、その願いが叶わないこともある。そして思わぬものに、形を変えることもある。それは例えば、身丈の寸法が出ないキモノを羽織に直したり、羽織を名古屋帯に変えるような事例だ。しかしどんな場合であれ、手直しの内容や仕事の手順をきちんと説明し、理解して頂くことを怠ってはならない。どのように変わるか、その最終形をきちんと提示し、納得して頂いた上で仕事に入る。

お客様が話される希望を聞いた上で、私が手直しの方法や可能性を話す。つまり、「直すこと」において最も重要なのは、「話すこと」に尽きるのだ。品物を間において、話を交わして理解し合うことが、手直しを成功させる鍵になる。こう考えれば、顔の見えないネット上のやり取りだけで手直しの仕事を受けるなど、到底できない相談である。

 

売ることよりも、直すことを語る方が難しい。そして、手直しの具体的な内容を文章で説明するのは、なお難しい。書いているバイク呉服屋自身も、訳が判らなくなる時がある。だから余計に、話はとりとめも無く長くなり、いつも山本リンダ状態(どうにも止まらない)になる。

そして、読者の方々もブログの稿がなかなか終わらないので、同じく山本リンダ状態(困っちゃうな)になる。書き手も読み手も、最後はリンダになってしまうのは、10年経っても変わらない。なんとか解消しようと思うのだが、難しい。皆様には、本当に申し訳なく思っている。この場を借りて、お詫びしたい。

 

我が家の斜め向かいに住むおばあちゃんは、回覧板を持ってくるたびに、「最近、奥さんを見かけませんが・・・」と言います。私はその都度、「父の面倒を見るために、実家へ帰っているので」と答えますが、それでも必ず、家内が家にいないことを口にします。どうやら私の言葉を疑っているようです。もう私も、いちいち返事をするのが面倒なので、今度聞いてきたら、「実は逃げられましてね」と答えようかと思っています。

冗談はともかく、呉服屋の現場仕事は私が全てしていますが、経理やその他雑務は、全て家内が引き受けています。もしかすれば、店の経営内容は、家内の方がずっと判っているかもしれません。ですので、奥さんがいないと、商売は「どんぶり勘定」に陥る可能性が、極めて大きいです。お客様からは、私が仕事の全てを、取り仕切っているように見えるかも知れませんが、実はちゃんと家内と二人三脚で店を守っているのです。だからこの先も、逃げられることなど、決してあってはなりませんね。

今日は、いつも以上に長い話にお付き合いして頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

ご感想・ご要望はこちらから e-mail : matsuki-gofuku@mx6.nns.ne.jp

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