バイク呉服屋の忙しい日々

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バイク呉服屋女房の仕事着(9) 倉庫で眠っていた紬単衣と麻染帯

2019.06 28

呉服屋商いの大きな特徴は、扱う品物を「長い目」で見ることだと思う。一般的にはどんな商いでも、仕入れた商品を短期間のうちに売って、効率良く利益を出すことが仕事の第一義となるが、呉服屋が扱う品物は、そう簡単に売れていくものではない。特にバイク呉服屋のような、カジュアルモノに重きを置く店では、売れる時期を予測することが、極めて難しい。

紬や小紋、名古屋帯など趣味的な品物は、どうしても着用しなければならない場面がある訳ではないので、売れる売れないは、お客様の意識一つに関わってくる。だから、目を留めて頂く方が現れない限り、品物はいつまでも、店の棚に残り続けることになる。

 

うちの店の場合、仕入れてから1年以内に買い手の付く品物が約3割。後は3~5年のうちに売れていくが、1割程度は長く棚の中に居座ることになる。だが呉服の場合、何年経とうが、きちんと管理出来ている限り、商品としての問題は無い。

しかし、棚に長く残る品物は、売り手(私のこと)の方で「厭き」が生まれる。これを、「目垢が付く」と言う。商品そのものは、質に問題があって売れないのではなく、たまたまその色と図案を見初める方に、出会っていないだけ。けれども残っている品物は、毎日自分の目に触れることになり、それが、厭き=目の垢となってしまうのだ。

このような品物は、売る機会があれば、たとえ価格が原価を割っても、捌きたくなる。たまに読者の方から、このブログを書き始めた頃に掲載した品物について、お問い合わせを頂くことがあるが、これがもし残っている場合には、破格な値段を提示する。そして、「よくぞ見初めて頂いた」と、思わず手を合わせたいような気持ちになる。

 

こうして、店の棚に置いてさえあれば、どんな品物でも売れるチャンスはどこかで巡ってくるのだが、その機会を求めることなく、店外に「放逐」される品物がある。つまりこれは、商品として売ることを諦めてしまったことになる。

うちの店は、私が三代目。半世紀以上呉服商いを続けているが、その間には、時代の変化に伴い、全く売れる見込みがなくなってしまう品物があった。例えば、黒の絵羽織。昭和40年代の母親にとって、子どもの入卒時には、欠かすことの出来ない品物だった。しかし、時代を経るうちにその習慣は無くなり、売り先を失った。また、こうした品物だけでなく、祖父や父が、いつになっても買い手が付かないことに業を煮やして、「永久追放」するものもあった。

だが、売り場から退場した品物であっても、「捨てる」ことは絶対に無い。粗雑に扱うことは、呉服屋のプライドとしてどうしても出来ない。では、どこにあるのかと言えば、それは「倉庫の中」で眠っているのだ。うちには、実家の庭に倉庫があり、そこには売り場を失った品物や、使わなくなった用度品が沢山眠っている。

今日は久しぶりに、家内の仕事着姿をご紹介するが、今回着用しているキモノは、倉庫での長い眠りから目覚め、ようやく陽の目を見た品物。どんな着姿になっているのか、早速ご覧頂こう。

 

(生成色 クローバー模様・紬単衣  山吹色 朝顔模様・麻染名古屋帯)

普段、実家の倉庫へ入ることなど滅多に無いのだが、昨年、家内と私の妹が母親の遺品を整理するために、久しぶりに倉庫の片付けをした。その際、積んであった箱の中から見つけたのが、この生成色の紬である。

箱には、様々な残り布やハギレ、そして使わなくなった裏生地類があり、さらにタトウ紙に入った古いキモノや帯類も入っている。今となっては、この品物がどのような経緯で「お蔵入り」になったのかは、わからない。

だが長年呉服屋をしていると、こうした所有者不明の品物がどうしても出て来てしまう。預った品物が出来上がっても、一向にお客様が引き取りに来ず、そのうち連絡がとれなくなり、所在が不明になる。店としては責任があるので、簡単に処分することは出来ず、長い間店内で預っているが、それも十年以上経過すると渡すことを諦めざるを得ない。こんな品物が、倉庫へと仕舞われるのだ。

また、数は多くないが、反物も幾つか入っている。この紬は、どうして売ることを諦めたのか、その理由も不明。家内は、何故倉庫に置いてあるのか、私の父に聞いてみたが、全く覚えがないらしい。店から倉庫へ移された時期も不明だが、最後に倉庫整理をしたのは「昭和」のことなので、少なく見積もっても30年は経っているだろう。

単衣の持ち合わせが少ない家内は、見つけたこの品物を自分で使いたいと考えたが、生真面目な彼女は、私の父に一応お伺いを立てた上で、店に持ち込んだ。こうして長いこと倉庫で眠っていた紬の反物は、女房のキモノとして陽の目を見ることになった。

 

仕立てを終えて、着用するばかりとなった単衣の紬キモノ。

この古い反物は、仕立てに入る前に、今どのような状態になっているか、確認する必要があった。倉庫の箱の中では、一応白い紙に巻いて保管されていたが、反物を開いただけで、すでに強烈なカビ臭を放っている。何十年も風を入れることなく、湿気のある場所に放置していたのだから、無理もない。

巻芯を外し、反物の端から端まで汚れの有無を確かめる。所々に、小さな黄色い変色はあるものの、目立つものではない。おそらく着用してしまえば、わからなくなるだろう。また、虫が生地を喰った形跡は見られない。絹は虫が食わないとされるが、この紬の反物がそれを証明している。

仕立てをするにあたり、やはり一番の問題はカビくささで、反物にはカビ菌がかなり付着していると思われる。そこで、太田屋の加藤くんに丸洗いを依頼し、その後で湯通しをして、生地の糊気を落とすことにした。小さな汚れは、丸洗いで出来るだけ落とし、もし取りきれなければ、そこは目を瞑ることにする。家内が着用する品物に対する仕事は、こんなふうに、いつも鷹揚になってしまう。

 

地色は白ではなく、僅かに茶色の気配の残る生成色。この色は、自然のままの絹の色で、白よりも柔らかみを感じる。図案は、ご覧のように、正方形の枠の中に四つの小窓があり、窓の図案はクローバー型に分割しているものと、型抜きされているものの二種類で、これを交互に組み合わせている。

紬には、幾何学図案を使うことがよくあるが、この品物のように、全体を規則的な方形模様であしらうことは珍しい。しかもこんな面白い図案は、あまり見たことがない。

図案を拡大してみると、小さい絣が浮び上がってくる。具体的な産地はわからないが、おそらく十日町あたりの品物かと思われる。

 

この地色には、やはり単衣の軽やかさが感じられる。家内の話では、5月に入って25℃近くになると、単衣の方が過ごしやすいという。この時期、袷で外へ用事を足しに出掛けたり、店で動いたりすると、少し汗ばんでくる。裏を付けない単衣だと、体が軽くなるように思えるのだろう。

年々暑さは前倒しとなり、しかも長く続く。以前なら、単衣着用は6月と9月だったが、そんなことは言っていられない。着用する人が、心地良く過ごすためには、その時々の気候により、自分で自由に使い分ければ良いのだ。

今日合わせた帯は、麻の染名古屋帯。キモノには、地色以外に色の気配が無く、図案も細かいために、遠目には無地っぽく見える。こうしたキモノは、帯次第で、いかようにも着姿のイメージを変えることが出来る。毎日の仕事着として使うには、実に使い勝手のよいものと言えるだろう。

帯の地色は、濃い目の山吹色。紬の生成色とは系統が同じだが、色の差は付いている。黄系地の帯は、こうした白っぽいキモノにもよく合い、また濃い目の青や茶、紫系統との相性も良いので、非常に便利。

帯のお太鼓には、朝顔と女郎花。麻の帯らしく、盛夏の花・朝顔と秋の七草の一つ・女郎花を描いて、旬を表している。単衣に使う帯は、5月や6月上旬ではまだ冬帯を使うが、6月中旬以降になれば、夏帯を使い始める。9月も中旬までは夏帯で、それ以降は冬帯が多くなる。いずれにせよ、単衣に合わせる帯は、着用する方の裁量に任されるものであり、「こうするべき」とする決りを作ることはナンセンスであろう。

帯の前模様は、朝顔。模様を正面に出すのではなく、僅かに右に寄せて締めている。染帯の図案には、その時々の植物を描いたものが多くあり、これを使うと着姿で季節が表現出来る。しかも図案には、染特有の柔らか味のある表情が出てくるので、こうした無地感覚の紬単衣では、なお効果的かと思える。

この帯は、竺仙の品物。毎年3月になると、竺仙の担当者・近藤くんが浴衣の見本帳を携えて店にやって来る。その年に仕入れる品物は、この見本帳の中から選ぶわけだが、一緒に夏帯も持ってくる。私と一緒に品物を見ていた家内は、この麻帯をどうしても自分で締めたくなり、その場で近藤くんと値段の交渉をして手に入れた。

呉服屋の女房は、時々こんな「自腹仕入れ」をする。私の母親も、よく自分用の品物をその場で買っていたが、この時、値切りの常套句は、「私が着用するから、安くして」だ。売る側としても、このようにおかみさんに言われてしまったら、負けない訳にはいかない。その弱みを突くのである。家内は、商売と縁のない家から嫁いだが、30年呉服屋にいるうちに、しっかりと値段交渉が出来るようになった。立派なものである。

帯揚げは、絽の薄いクリームと藤色のぼかし。帯〆は、白一色で、脇に僅かに芥子色と藤紫のアクセントが付いた目の粗い夏の平組紐。(帯揚げ・加藤萬 帯〆・龍工房)

キモノの生成色、帯地の山吹色、帯揚げのクリーム、帯〆の白と、何れも白から黄系で、色の差があまり付かない組み合わせ。単衣ならではの爽やかな着姿が、意識されているように思う。

 

今日は、女房の単衣姿をご覧頂いたが、如何だっただろうか。お客様からは、「良いキモノですね」などとお褒めにあずかることも多いが、まさかこれが、30年以上も倉庫の中に眠り、カビくさくなっていた品物とは思うまい。

丸洗いをして仕立てた直後は、まだカビの匂いが残っていたものの、着用を繰り返すうちに、いつしかそれも消えた。「風を通すこと」で、古い品物は新たに生まれ変わる。改めて、キモノの持つ強い再生力を感じる。

目垢が付いて棚に残った品物でも、売ることを諦めなければ、いつかは出会いが必ずある。そう信じて、「待ち続けること」の大切さを心に留めつつ、商いを全うしたい。

 

呉服屋のおかみさんが、日常の仕事着として着用するものは、「新しい品物」ではなく、今回の紬のような「いわくつき」のものや、先代からの「お譲り」がほとんどです。それでも、手を入れさえすれば、全く問題なく使うことが出来、古さを感じさせることもありません。むしろ、昔の図案や色目には、今の品物には見られない斬新さを感じることもよくあります。

棚に残り続けている品物も、どこかに魅力を感じたからこそ、買い入れたもの。売ることを諦めてしまうのは、自分の仕入れのセンスを否定するに等しいでしょう。やはり、「いつか、誰かが見初めてくれる」と信じることが、商いを長く続けるためには必要になりますね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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