バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

紋章職人 西紋店 西さん夫妻(2) 「古紋抜き上絵(紋消し)」

2013.11 24

物事を、「一旦白紙に戻してやり直したい」と思うことはよくある。多くの場合、それは難しく元には戻らない。どんなモノでも古くなれば劣化したり、使い難くなり、長持ちさせるには、それなりの手入れと「思い入れ」が必要になる。

呉服モノは、「大事に使う」という気持ちさえあれば、「世代を越えて」使い続けることができる。それは元々、「長く使うことを前提とした」仕様になっており、それに対応するために、職人の技術と知恵がある。

久しぶりに書く「職人の仕事場」の話は、「一旦白紙に戻してやり直す」技について。

 

古い紋を抜いて、石持(紋を入れる前の状態)に戻したところ・背紋部分。

紋章職人の力量がもっとも試されるといってもよいのが、この「紋を消す」という技術であろう。ネットで、この「紋消し」について調べてみると、HPを公開して、仕事をしている紋職人の「直し方」は様々であるが、「かなり厄介なこと」であることが記されている。

「呉服屋」でも、この仕事の「依頼」について書かれている店があるが、「直るものと直らないもの」があるとか、「きれいに出来上がらないこともあるのでお勧めできない」とか、ひどいケースだと、はっきりと「紋消しして紋を入れ替えることはできない」などと述べられている。

呉服屋には、自分の店の仕事を請け負っている「職人」の技術の差で、出来る仕事と出来ない仕事があるのだが、そもそも、「職人の仕事」を理解したり、その「仕事場」に足を運ぶ「呉服屋」がどれほどあるのか、はなはだ疑問である。

 

「紋を入れ替える」という依頼は特にめずらしいことではない。「紋」というものが持つ性格上(家の象徴であるという)、紋付キモノを受け継ぐ場合、「紋直し」の必要が生じる。紋章職人の西さんに依れば、「紋直し」は昔、「キモノ」が貴重品だった時代(新しい反物が手に入り難くかった頃)、どこの家も「第一礼装」である「紋付キモノ」をとても大切に扱った。そのことで、「代を越えて紋付キモノを受け継ぐケース」や「高価なキモノを買えず、古着を直すような場合」、必然的に「紋直し」をしなければならず、この仕事が数多くあったと言う。

つまり「紋直し」というものは、昔から「当たり前」のようにされてきた仕事であり。「紋章職人」にとって、「直せない」では済まない仕事と言えるのである。では、順を追ってその仕事を見ていくことにしよう。

 

今回の依頼は、「丸に花菱」紋が付いている喪服を、「丸に鷹の羽違い」紋に直す。

「紋を入れ替える」場合、まず今まで付いていた紋を消さなければならない。この作業は、キモノの状態と、初めの紋が「どのようにして入れられたか」ということで、難しさが変わってくる。すなわち、「抜けやすい紋」と「抜け難い紋」があるということだ。

それは、「墨入れ」のときに、どのような「染料」または「顔料」が使われているか、で違いがあり、現状において入れてある紋自体が、墨が滲んだり、石持(紋を入れるところ)が黄変色しているか否か、という紋そのものの状態でも、仕事の手間が変わる。

 

(紋章職人の仕事前の道具。手順により、様々のものが使い分けられるように予め揃えられる。)

「紋を入れ直す」場合、紋章職人はどのような目標で仕事に臨むのか、西さんに聞いてみると、それは、「新品と同じように戻す」ことだと言う。特に「喪服」や「黒留袖」は「紋」が付いてなければ成り立たないキモノであり、「紋」をいかにきれいに浮き立たせて見せるか、ということが求められる。そのためには、「石持部分」の「白く抜けているところ」が汚れていたり、変色していてはいけない。だから、「古い紋を抜く(消す)」時、どれだけ石持の「紋場」を白く美しくできるか、ということが「新品に戻す」目標に近づけることにおいて、最も重要なのだそうである。

(付いている紋を消すのは、上の画像の石鹸を使いながら、水洗いを繰り返し、ブラシで落とす)

前の紋を落とす(墨落し)の作業で使われるのが、「石鹸」である。画像では、角型の「チーズ」のように見えるものだが、もともとは、「材料屋=紋職人や補正職人が使う道具を扱う店)から買い入れるものである。西さんは先代の時から、京都の材料屋で仕事の道具を揃えている。この「石鹸」は、かなり大きい形で道具屋から送られてくるのだが、それを使い易いサイズに切って使っている。

この石鹸は無香料で、「泡立ち」のないもの、成分はどのようなものかはっきりしないが、以前洗い張り職人の太田屋さんが使っていたものが「中性」のものだったことを考えると、おそらく「中性」かそれに近いものだと考えられる。

先にお話したように、この墨落しの手間は、紋やキモノの状態により変わってくる。特に黄変色のひどいものであれば、「石鹸」と「水洗い」だけでは、思うようにきれいにならない。そんな時は、生地の状態を見ながら「方法」を変える。それは、変色した紋部分を、熱をもたせた「コテ」に乗せてぬらし、「熱」により汚れ部分の「黄色の色素」を分解するのである。もちろん、この「荒技」に生地が耐えられるかどうか判断しなければならない。失敗して、「生地そのもの」を駄目にすることは当然許されない。

 

(墨落しの時に使われるブラシ・馬毛)

この「馬毛ブラシ(刷毛)」で、叩いて墨を落とす。「馬毛」で出来ているのだが、良し悪しがある。質のわるいものは、どんどん「毛」が抜けていって長く使えない。職人の使う道具の質によっても、仕事の出来不出来が違ってくると言う。

 

さて、「墨落し」が順調に終わり、(この依頼品の場合、抜けやすかったようだ)「石持」の状態(紋入れ前の白く抜けた紋場)に戻る。普通の紋職人では、ここである程度墨が落ちていれば、新しい紋を入れる工程に移るのだが、西さんの場合、ここからが本番である。この「白く抜けた紋場」をより「白く美しく」するための作業である。

「紋消し」と一言で言っても、この「どこまで白く」するか、により新しい紋を入れたときの仕上がりが違う。納得した仕事になるかどうかは、この手間をどこまで惜しまずに出来るかどうかにかかっている。

 

上の三つ続いた画像、「墨落し」の終わった「石持」部分に、「白い溶剤」を施す。

以前はこの溶剤を自分のところで調合していた。「亜硫酸」と「氷酢酸」に亜鉛の粉末を混ぜたものを米粉末で作った「糊」に混ぜる。これにより、より「白い」石持を作ることが出来る。もちろん、「生地に影響のない」成分である。

(現在使われている溶剤。これも京都の材料屋から取り寄せる)

板に挟まれた生地(予め洗いと蒸しを済ませた状態)の紋部分に型を置き、和紙を張って「溶剤」が生地に付かないようにする。その上で、溶剤を「竹のヘラ」を使って紋部分に伸ばすように馴染ませる。

竹ヘラで伸ばした溶剤を、「やかん」で沸騰させた蒸気で蒸す。それにより溶剤が石持部分に馴染む。「ムラ」にならぬように少し小さめのブラシ(刷毛)で叩く。そして再度竹ヘラで均等になっているか確認後、また水洗いをする。水洗い後にまた、ブラシで叩き(水洗い用の別の刷毛)、「白さ」が際立っているかどうか見極める。何度か、この作業を繰り返し、納得する色になったところで、石持の周辺の「黒」の汚れなどあれば手直しし、最後に生地を乾かして完成となる。

 

改めて、石持(白い紋場)の違いを比較してみよう。上が完成された紋場、下は墨落しをして水洗いをしただけの紋場。明らかにその「白さ」の違いが見て取れると思う。この「くっきりと抜けた白さ」の上に新たな紋を入れることで、「新品」のような紋の施しを印象付けることが出来る。

新たに上絵された「丸に鷹の羽違い」。美しくはっきり抜けた「白い紋場」があるからこそ、紋の文様が際立つ。ここに、少しでも前の紋を入れた跡の汚れが残っていると、満足した「紋」にはならない。西さんの言うところの「紋がいのちである第一礼装のキモノ」にふさわしい仕事になるかどうかの「境目」と言えよう。

最後に、仕事場の風景をご覧にいれよう。

長い机の上に、十分な光をあて、明るい環境のもと仕事を進めていく。人が出入りする昼間よりも、静かな深夜の方が品物に集中出来て、仕事が捗るそうだ。周りには「蒸し」に使うコテや、沸騰したフラスコなどが置かれる。道具の位置もそれぞれ場所が決まっている。作業に応じて使い分けられる、幾つもの刷毛やブラシ類とそれを洗う水を入れた容器も別々に用意されている。

傍で仕事を拝見していると、その手順や動きに無駄がない。紋を入れられるキモノの状態は千差万別である。それぞれにふさわしい「仕事のやり方」は何かということを見極めた上で施しを入れる。

職人の仕事に「基本」はあっても、それはあくまで「基本」であり、臨機応変な「応用」と工夫が出来なければ、「職人」という「のれん」を下げることは出来ない。また一度手を付けたものに「失敗」は許されない。それは、「経験」を積むことにより、「仕事の引き出し」が増え、年を重ねるごとに技術は上がっていくということになるのだ。

 

久しぶりの「職人の仕事場」の稿でしたが、いかがだったでしょうか。職人さんのところへお邪魔して「取材」する際、なるべくその「息使い」を読んで頂く方に感じていただけるよう、お話を聞いています。西さんは私が「駆け出し」の頃からお付き合いさせてもらっている方ですが、仕事の上で、様々なアドバイスを受け、こちらも「難しい提案」をしたりと、お互い少しでも、仕事を依頼されるお客様に満足してもらえるような、意見交換を日々の中でしています。

「難しい再生の仕事こそやりがいがある」と彼は言います。このような「意欲ある職人さん」と繋がっているからこそ、お客様に様々な手直しの提案が出来るのです。呉服屋の仕事の半分は「直す」仕事だと決めていますが、「同じ気持ち」を共有できる方が居るからこそ、続けていけることだと、改めて感じています。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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