バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

オリジナルな江戸小紋を誂える(前編) 竺仙で、模様と色を決める

2017.10 07

少し前まで、中元や歳暮に使う贈答品は、老舗デパートから送ることが多かった。それは、たとえ同じ品物でも、格の高いデパートの包装紙に包まれていると、相手の受け取り方が違う、という意識があったからだ。

送る側は、大切な取引先や顧客に宛てた品物を、信用のおける老舗に頼めば、安心できる。そして相手も、そんな気遣いを、「丁寧にしてもらった」と好意的に受け取る。その意味で、デパートの包装紙は大変重要な役割を持ち、いわばその店の顔=イメージでもあった。その中に、多くの人に馴染まれてきた二つのデザインがある。三越の「華ひらく」と、高島屋の「バラ」だ。

 

濃いローズピンクの楕円が点在する三越の包装紙は、1951(昭和26)年から採用されている。デザインしたのは、洋画家の猪熊弦一郎。この作家は、身近な生活の中から見出したモチーフを使い、これを独特な感性で、図案化していくことが多かった。

この三越のデザインも、波打ち際で海を見ているとき、波に打たれてもビクともしない岩を見て、思い立ったとされている。包装紙では楕円に見えているものが、実は岩だったというのは、何とも面白い。三越では、この図案を、開いた花びらのように感じたことから、「華ひらく」と名付けたのであろう。

包装紙をよく見ると、赤い楕円の中に、筆記体・ローマ字で「mitsukoshi」とロゴが入っている。これは、当時三越宣伝部にデザイナーとして勤務していた漫画家・やなせたかしが挿入したもの。つまりこの包装紙は、昭和を代表する洋画家と、アンパンマンの作者がコラボした、稀有なデザインなのだ。

 

もう一方の、高島屋のバラが登場したのは、三越・華ひらく包装紙の翌年・1952(昭和27)年。当時の社長・飯田慶三が、デパートのイメージアップを図るために、高島屋にふさわしい包装紙を、と考えたからである。

モチーフのバラは、この花が美の象徴として、世界中の人々から愛されていることを鑑み、それを高島屋のシンボルフラワーとするにふさわしいとしたからだ。作者は、洋画家の高岡徳太郎。大正期に高島屋の社員だった縁から、デザインが依頼された。

写実的に描かれたバラの花は、気品を感じ、高級感もある。現在も使い続けるバラの包装紙は、高島屋のイメージを形作る上で、果たした役割はかなり大きいだろう。

 

品物を包む包装紙と同じように、人も、身につける衣服の色やデザインで、印象が変わる。無論、キモノでも同じことである。

自分が着用するべき色や模様は、何がふさわしいか。これを考えながら品物を選ぶことは、大変難しい。洋服ならばまだしも、馴染みの少ないキモノでは、「自分らしい一枚」には、なかなか行き当たらない。ましてキモノは、着用する場面や季節で、想定するイメージを変えていく必要があり、なお厄介だ。

また、たとえ「こうありたい」と、着姿を決めて品物を探しても、今度は思うようなモノが見つからないこともある。呉服屋を何軒か廻っても、棚の中には、納得出来るものが無いという訳だ。

 

だがキモノや帯には、アイテムによって、思うような色や模様を使い、オリジナルな品物を誂えることが出来るものがある。生地を選び、色を決めて染める色無地は、もっともポピュラーだが、型紙を使う小紋でも、十分可能である。

そこで、今日から二回に分けて、オリジナルな江戸小紋を誂る仕事について、お話してみる。一人のお客様が、どのような過程を踏んで、「自分らしいキモノ」を完成させたのか、ご覧頂こう。

 

今回、江戸小紋の誂をお願いしたのは、老舗浴衣メーカーとしても知られている竺仙。

バイク呉服屋が依頼を受けたお客様は、千葉在住の方。この方とは、一昨年の春に、このブログに掲載した品物を見初めて頂いたことがご縁になり、お付き合いを頂くようになった。お嬢さまを連れ立って、わざわざ甲府へ足を運ばれたこともある。

彼女は、着付けを学ぶと同時に、普段から品物の知識を深めようと努力されている。とても向上心が高く、意欲的な方。私と出会ってからの二年の間でも、その知識量は飛躍的に増えているように思える。そして、特徴的なことは、自分にどのような品物がふさわしいのか、いつも考えておられること。

着用する場面や季節を踏まえながら、最適な色や模様を探す。この時には、手間を惜しまず、決して慌てない。自分が納得出来るモノには、どうしたら行き当たることが出来るのか、まずそれを考える。それは単純に品物を見つけることに止まらず、誂えることにも繋がる。

 

そんな彼女から、単衣の江戸小紋を依頼されたのは、昨年の秋のこと。ネットをはじめとして、様々なところから情報を得る中で、行き着いたのが竺仙の品物だった。そしてすでに、希望する小紋図案と色もほぼ固まっているとのこと。とすれば、思う品物がそのまま実在していれば、それを求めて頂くだけで良いのだが、竺仙が作る江戸小紋の図案は幾つもあり、色などはそれこそ、多様で無限である。

これだと、思い通りの品物に出会うことは、それこそ偶然でしかなく、確率も低い。だったら、誂えてしまった方が早く、微妙な色でも希望通りのものを選ぶことが出来る。幸い、バイク呉服屋と竺仙には、長年の取引関係もある。こうして、自分で自由に模様と色を決めて作る「オリジナル江戸小紋の誂え」をすることとなった。

 

お客様との待ち合わせは、地下鉄日比谷線・人形町駅の出口。私は甲府から、お客様は千葉から。6月上旬の土曜日の昼下がり。この時期だと、竺仙は土曜日でも営業している。おりしも、浴衣の最盛期だ。

小舟町の竺仙社屋と言えば、古くて渋い木造を思い出すが、実は道を隔てて向かい側のビルにも、事務所がある。古い方には、風呂敷や浴衣が揃えてあり、営業用としての表向きの顔があるが、ビルの方には、江戸小紋や紅型など、綿布以外の品物が置いてある。また膨大な図案資料や小紋型紙も厳重に保管されていて、こちらは実務的な役割を果たしている。

壁一面に並べてあるのは、数え切れないほどの図案資料。芹沢銈介の作品集や俵屋宗達、尾形光琳の図案集などが見える。正倉院文様や有職文様など、ありとあらゆる時代の文様に伴う資料が集められている。これは全て、竺仙で製作する品物の図案に生かされている。

待っていてくれたのは、うちを担当している近藤くんという若手の社員。画像で見ると、誠に申し訳ないことに、顔がぼやけてしまっている。彼に、お客様を千葉の方だと紹介すると、「千葉の海には、よくサーフィンで通ってました」と話す。江戸小紋染をプロデュースするのがサーファーとは、何ともユニークだ。かくいう私も、スーパーカブを駆って仕事をする変な呉服屋なので、人のことはとやかく言えないが。

 

早速近藤くんが、お客様の希望する図案と色を聞き取り、どのような江戸小紋を誂えるのか、具体的な話に入る。この方が希望している図案は、「麻の葉向かい鶴」という模様である。これは、鶴の頭を丸く図案化し、それを向き合うように六角形に組み合わせて、麻の葉のように見せているもの。江戸小紋の図案の中でも、少し複雑でモダン。

「麻の葉向かい鶴模様」を拡大したところ。言葉の説明より、画像の方が判りやすい。

まずはお客様に、同じ向かい鶴模様の品物を見て頂き、思い描いているイメージと齟齬がないか、確認して頂く。彼女は、ある画像を参考にして、この図案を選んでいるので、実際の品物を見て頂き、確かめておく必要があった。画像と実物では、イメージが変わってくることも多いからである。

それと同時に、この模様と雰囲気が似ている、別の図案の品物も見て頂く。違う模様と比較するうちに、新たな希望が出てくるかもしれない。彼女は持参したiPadの中に、参考にした品物の画像を入れてきたので、それを見ながら話を進める。そして、結論として、やはり最初の希望通り、「麻の葉向かい鶴模様」を使うことに決めた。

 

大学生のお嬢さまと相談しながら、希望を話されるお客様。お二人とも、「誂え江戸小紋」を作る過程を楽しまれている。そして、何よりも真剣である。

図案が決まったところで、今度は色に移る。希望される色は、柔らかい藤紫色。折角思い描いた図案を使っても、色が思い通りにならなければ、全体のイメージは壊れてしまう。全ての出来は、染める色に掛かってくるのだ。

藤紫といっても、色見本帳には数え切れないほど種類がある。また、見本帳の布はとても小さいもので、実際顔映りがどうなるのか、想像し難い。そこで、すでに仕上がっている江戸小紋の中から、藤紫系の色の品物を数点用意し、その品物を体に掛けて頂きながら、希望する色のイメージに合うかどうか、確認していくことにした。

藤紫は微妙な色で、僅かな濃淡でも、雰囲気が変わってしまう。また、このキモノは単衣として使うものであり、それも考慮に入れなくてはならない。落ち着き過ぎず、明る過ぎず、暑苦しくならず、そして柔らかく控えめな雰囲気になるような色。言葉にしてみると、難しさは増してしまうが、そこは、現実に反物で色を見ることにより、想像力も上がってくるだろう。

上の画像の右上に、色とりどりの反物が見える。これは全て、すでに染め上がった江戸小紋。棚には、かなりの数の品物がある。あしらわれている模様は様々だが、これだけ色数が揃っていれば、同系統の色の比較も出来る。このあたりは、実際にモノ作りをして、品物を抱えているメーカーの強みである。

比較として出した五反の藤色系反物の中で、最終的に二点が残り、それをお客様の左右の肩に同時に掛けて比較してみる。お客様から、「松木さんは、どちらの方が良いと思う?」と聞かれたので、少しだけ強く紫色を感じるほうを勧めてみる。

なぜなら、無地場では一見濃いように思えても、型紙をのせて染め上げると、色が柔らかく抑えられる傾向が、江戸小紋にはあるからだ。薄い色で染めてしまうと、模様が浮き立ってこない。遠目からは無地に見えても、折角こだわった模様を、生地の中に埋没させたくない。

迷われていたお客様は、私の一言で決断された。そして決まったのが、上の生地に取り付けた柿渋紙の画像に見える、藤紫色。この色を、「紫苑色(しおんいろ)」と呼ぶ。秋の早い時期に、淡い紫色の小花を付けるキク科の多年草・紫苑に近いことから、この名前が付いた。控えめに咲く秋の野の花の色ならば、この単衣江戸小紋の色としても、ふさわしいだろう。

結局バイク呉服屋が、お客様から色の最終判断を委ねられた形になったが、きっと納得出来る品物に仕上がると信じて、選ばせて頂いた。これまで、無地や八掛などで、誂え色染めの仕事を何度も受けてきた経験が、こんな時に生きるのだと、つくづく思えた。

こうして、誂え江戸小紋の模様と色が決まった。近藤くんからは、染め上がるまでに、ひと月半ほどの猶予を頂きたいとの話を伺う。お客様が着用する日は、すでに9月半ばと決まっている。品物が出来た後の、紋入れと仕立に要する時間はあまり残されていないが、何とか間に合うだろう。

 

今回の誂え相談は、約二時間ほど。お客様からは、「今日は本当に楽しい時間を持つことが出来ました。仕上がりが待ち遠しい」と感謝の言葉を頂く。また、一緒にいらしたお嬢さまも、「こんな機会は、なかなか経験させてもらえませんので、本当に勉強になりました」と話される。

でもすべては、このお客様が「納得出来る品物を身につけたい」という意思を強く持っていたことに始まる。ふさわしい図案と色を探し、それを実現するために、誂えという手段を選ぶ。型紙を使う江戸小紋では、それが十分出来ることがわかっているからだ。お客様自身が知識を身につけたこと、それこそが、今回の仕事に結びついたのである。

バイク呉服屋は、そんなお客さまと、モノ作りをするメーカーとを繋いだだけなので、大した仕事はしていない。小売屋が果たす役割を考えれば、ごく当たり前のことと言えよう。

次回は、染め上がった誂え江戸小紋を見て頂くのと同時に、その品物にどんな加工をほどこして、単衣のキモノとして仕上げたのか、その最終形をご覧にいれたい。

 

「こだわりを持つこと」が、今回の仕事の出発点になりました。このお客様は、私に江戸小紋の仕事を依頼をしてから、品物を受け取るまでに、一年を要しています。その間、ご自分でふさわしい模様を探し、色を見つける努力をされました。

漠然としてではなく、しっかりと希望する品物の姿を思い描く。そこに辿り着くためには、お客様自身のこだわりが、どうしても必要になります。この過程の中で、自然と知識は深まっていき、それはやがて、新たな世界を知ることにも繋がります。

「自分だけの一枚を誂える」ことの楽しさを、多くの方に知って頂きたく思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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