バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

京都弾丸日帰り、一人仕入れツアー 午後続編(紫紘と野々花染工房)

2017.04 19

バイク呉服屋は時折、ひとりでふらりと旅に出る。大抵、人知れぬ山奥の温泉や、誰も来ない小さな沼や湖の畔で、数日を過ごす。一応携帯は持っては行くが、掛かってきた電話に出ることはほぼない。家内には、居場所を告げて出掛けるが、よほど緊急のことでも起きない限り、連絡をしてはこない。

私が使っているのは、スマホではなくガラケーであり、普段でも携帯からメールを打たない。だから、仕事の上で私と関わりのある人たちには、不便をかけることも多いが、それでも自分のスタイルを変えることは出来ない。

プライベートの時間の中では、他人と頻繁にやり取りすることが、実に煩わしい。仕事をしている間は、致し方ないが、それでも世間から見れば最低限の関わり方であろう。

 

今の社会では、情報を得ようとすれば、いつどんな場所にいても可能だが、耳をふさぐ事も簡単に出来る。それは、「便利な道具」を持たなければ良いだけだ。自分にとって、必要最低限のことだけが判れば、生きていく不便さは何も感じない。

中国・南北朝時代の詩人・陶淵明の「桃花源記」は、世俗を離れた理想郷・桃源郷のことを記しているが、ここに住む者は皆、社会から受ける全ての束縛から離れ、自由に楽しんで生きている。晴れた日は、少しの土地を耕して自給自足をし、雨が降れば家の中で書に親しむ。社会から隔絶し、晴耕雨読の生活をすること、すなわち「隠逸(いんいつ)生活」こそが、人間らしく生きる理想と説く。

桃源郷は、桃の花が咲く水の豊かな土地。古来より中国では、桃は「不老長寿」をもたらす植物として、認識されていた。そして、これを食べると仙人になれるとの言い伝えもある。そんな桃の花が咲き誇る場所は、やはり人らしく生きる理想郷なのである。

 

今、甲府盆地は、桃の花が盛りで、扇状地の山際から見ると、ピンクの絨毯を敷き詰めたように見える。今年は春先の気温が低かったことで、鮮やかな桃のピンクの花と、淡い桜のピンクの花、そしてスモモの白い花が時を同じくして咲き誇り、なお美しい。

まさに風景は、桃源郷そのものだが、桃園を見下ろす山の斜面には、新しい大きな穴が幾つも開いている。これは、10年後に開業する、リニア中央新幹線のトンネル。東京と名古屋の間をわずか40分で結ぶ、時速500キロの「夢の鉄道」をいにしえの仙人が見れば、思わず腰を抜かしてしまうだろう。

つまらない話が長くなってしまったが、前回書き終わらなかったので、今日も、京都・一人仕入れの続きを書く。読まれる方は、飽きてしまったかもしれないが、お許しを頂きたい。

 

紫紘と米沢の買継ぎ問屋・粟野商事の合同展示会の看板。

今河織物さんで、つい長居をしてしまったので、時刻はすでに午後3時を廻っている。最後に訪ねる予定の紫紘の展示会は、確か5時までのはず。まだ時間に余裕はあるが、真剣に品物を選ぶとなれば少し慌しい。取り急ぎ、山田さんの車で、西陣から室町まで戻り、会場の入り口で降ろしてもらう。そこで彼女に、丸一日お付き合い頂いたことに対するお礼を述べ、別れる。

会場は、三条通りを西へ入り、室町通りを少し越えたところ。呉服問屋がひしめく室町の、ほぼ真ん中あたりのビルの5階。今回は、紫紘単独ではなく、米沢の買継問屋である粟野(あわの)商事との、合同展示会。粟野の扱う品物は、やはり会社に近い、紅花紬や長井、白鷹紬など、いわゆる置賜地方の織物が中心である。

 

呉服問屋の展示会では、今回のように何社かが集まって品物を持ち寄り、共同開催することもよくある。但しその時には、なるべくアイテムが重ならないよう、相手を選ぶ。例えば、4社で展示会を開くとすれば、染・紬・帯・小物から1社ずつという具合だ。

西陣を代表する高級帯メーカー・紫紘と、米沢の紬問屋・粟野商事では、扱う品物がぶつかりあうことはない。だから、訪ねていく小売屋も、気兼ねなく双方の品物を見ることが出来る。紫紘と粟野は、年に2,3度合同で展示会を開く。私も、3年ほど前の共催展示会をきっかけにして、粟野商事から、山形の草木染紬などを仕入れている。

 

会場は、5階のワンフロアを全て使っているので、かなり広い。手前には、紫紘の帯が並び、奥には、粟野商事が扱う山形の紬類が飾られている。

まず、紫紘の品物を見る。私の相手をしてくれたのは、山口伊太郎翁のお孫さん・野中兄弟のお兄ちゃんの方である。今日の目的は、振袖や30代までの訪問着・付下げに使える、若向きの白地の帯。ピタリとキモノを押さえ込むような、紫紘らしい古典模様を選びたい。

先ほどやまくまさんのところで、梅垣織物の派手な黒地を選んだが、模様が帯地全体に広がっている重厚な意匠だったので、今度は地の白さが生きるすっきりした図案を考える。価格は、先の梅垣の帯とほぼ同じくらいで、40万円台で売れるものが理想。

 

30本ほどあった派手モノの中で、大七宝の中に花菱が組み込まれている図案と、松だけを連ねた図案が、目に付いた。双方とも白地である。七宝花菱文は、以前黒地のものを扱ったことがあったが、松重ね文は、これまで扱いがない。

松重ねは、極めて単純な図案であるが、その分キリリと見える。松を縁取る配色も、緑・紫・橙の三色だけのシンプルなもの。清潔な白地の良さを存分に生かしている。ということで、この松の帯に決める。同じ図案で、地色に濃朱を使ったものも見せてもらったが、こちらはかわいい印象。いつかこれも扱ってみたい。

 

ウイリアム・モリスのデザインを題材にとった、新しい感覚の帯が並ぶ。

一方では、山口伊太郎の描いた図案を復元した、いかにも紫紘らしい日本的な帯。

 

上の画像で、衣桁の右側に掛けてある帯の文様を拡大してみた。道長取の敷紙の上に、源氏物語・若紫の巻を織り連ねている。山口伊太郎氏が名付けた紫紘という社名は、「紫を紡ぐ」という意味があり、会社のシンボルマークも、源氏香の図の若紫を使っている。

伊太郎氏が精魂を込めて織り出した「源氏物語絵巻」を彷彿とさせるような、帯姿。これほど、紫紘らしい図案もあまりないだろう。

 

こちらは、平安王朝の高貴な方の愛馬のような、白馬を織り出した個性的な引箔帯。

馬の背に置かれた緑色の鞍を見ると、一部分だけは下の模様が透けている。紗のようにも見える布を通して、馬の白い体が映る。こんなところにも、紫紘の高い織技術がうかがえる。

 

精緻な織を眺めているうちに、もう一本帯を求めたくなってきた。今度は、30代から50代までの方が、フォーマルの席で幅広く使えるような、使い勝手の良いものを探そう。そこで見つけたのが、「太子御守袋文」と命名された文様の帯。野中くんによれば、この図案も伊太郎翁が考案したもので、改めて復刻して織り出したと言う。

図案は、七宝文様を連ねたオーソドックスなものだが、帯に付けてある名前から考えると、この文様は、聖徳太子が身につけていた「お守り袋」に由来するのだろう。

バイク呉服屋が大好きな七宝文。そういえば今日選んできた帯の中には、この文様が一本も無いはずだ。最後の最後で、この帯に出会ったのが運の尽きであり、思わず仕入れてしまった。これでまた、支払いに苦慮しなければならない。

 

衣桁に掛かっているキモノは、野々花工房の手による、藍染紬の訪問着。他に、サクラやサフラン、茜など草木染100%の紬が並ぶ。

今回、二社の合同展示会に来る目的の一つが、野々花工房の品物を見ること。粟野商事は米沢の地場問屋なので、紅花紬をはじめとして、山形県の織物を数多く扱う。また、季織苑工房というブランド名で、オリジナル品も数多く生産している。

 

野々花工房の創業は、1851(安政5)年と古いが、現在のような、天然染料にこだわるモノ作りを始めたのが、5代目の諏訪好風氏。「野々花」という工房の名前に相応しく、何気なく咲く野花の色を、自然な姿として織物の上で表現することに、精魂を傾けている。

これまで私が扱った野々花工房の作品は、それほど多くは無い。紅花・サクラ・サクランボ・梔子・藍などだが、どれを見ても、染料を作る人の息遣いが聞こえるような、優しい色合いだった。植物染料は、使う媒染剤により、色が変わる。けれども、色調はあくまで控えめで主張しすぎず、自然の色そのものを感じ取ることが出来る。

この日会場には、好風氏の後を継いでいる、6代目の豪一氏が来られているので、話を伺いながら、品物を探すことが出来る。これも、今回の仕入れの楽しみの一つだった。

 

野々花工房の6代目、諏訪豪一さん。私より20歳くらい若いが、落ち着いた物腰。

野々花工房では、30年ほど前から藍染を始め、今では8つもの藍甕を持って藍建て(藍の染料作り)を行っている。藍の原料となるものは、蒅(すくも)という藍葉を発酵させたもの。

蒅作りは大変手の掛かる作業だ。まず、寝床と呼ばれる土間に、藍葉を積んで水を撒き、上に布団と呼ぶ、莚を掛ける。5日ほど経って水気が無くなると、積まれた藍葉を崩して、再度水を注いで混ぜ合わせ、元のように積んでおく。これを20回ほどくり返して、葉藍を発酵させたものが、蒅となる。この仕事で最も難しいのは、注ぐ水の分量。多すぎると発酵が止まり、少なすぎると遅れる。原料の出来が、染料の出来を左右する。蒅農家の長年の勘が、大きな頼りとなる。

 

藍甕にこの蒅を入れ、そこに灰汁液を合わせて発酵させ、藍を建てる。約一週間ほどで、染料が出来上がるが、その時の気温や湿度で色は変化する。同じような工程を踏んでも、決して同じ色にならない。時には、発酵を促進させるために酒を入れてやる。発酵が進むと、藍甕の中が泡立ってくる。これが「藍華」だ。

豪一さんは、今回出品している藍染料の出来は、非常に良いものだったと話す。毎年同じように繰り返す藍建ては、蒅の出来や、甕で発酵する時の気候に大きく左右され、なかなか思うようにはならない。

こんな話を聞くうちに、藍と五倍子を使った真綿紬に目が止まる。濃淡三色の鰹縞の中に、雪の結晶のような絣が規則的に飛んでいる。雪深い米沢の織物らしい模様で、それでいてモダンさも感じられる。これまでは、単純な縞や格子柄ばかり仕入れていたが、思い切って絣を扱ってみよう。この藍絣のほかにもう一反、サクラ染の紬も買い入れることにした。

 

こうして、今回予定していた仕入の全てを終えた。すでに、日は西に傾き、夕闇が迫っている。8時間かけて、2つの展示会場(松寿苑・紫紘・粟野商事)と2軒の織屋(捨松・今河織物)、そして案内をしてくれたやまくまさんの仕事場を廻った。さすがに、疲労困憊である。

 

さあ、仕事が終わった。地下鉄に乗るため、烏丸通りに出た途端、「腹が、減った」。突然の、井の頭五郎状態である。新幹線に乗る前に、何か腹に収めたい。そうしなければ、腹が暴動を起こしかねず、東京まで持たない。

孤独のグルメでは、「よし、店を探そう」ということになるが、バイク呉服屋は、どこに行けば良いのか、すでに目途が付いている。

烏丸通りから、蛸薬師通りを西に入ってすぐのところにある「マエダコーヒー本店」

京都には、伝統ある個性的な喫茶店が少なくない。マエダコーヒーもその一軒だ。ここは室町の問屋街に近く、地下鉄・四条駅にも近い。しかも、煙草を心置きなく味わえる席もちゃんと用意されていて、バイク呉服屋のような愛煙家にとっては、まさにオアシスである。

「丸に三つ柏紋」が染め抜かれた幕や、店の構えだけを見れば、とても喫茶店には見えない。それもそのはずで、以前ここで商いをしていたのは呉服屋だった。1981(昭和56)年、マエダコーヒーが建物を改装し、店を開いた。いかにも、呉服商いのメッカ・室町らしい話である。

一通り仕入れが終わって、疲れを癒したい時や、泊まりで仕事に来たときの朝食スポットとして、よくここにやって来る。私にとっては、お馴染みの店である。

ホットミックスサンド・970円とオリジナルブレンドコーヒー・龍之介

パンの両側をカリっと焼き、中に厚焼き玉子・ハム・トマト・レタス・キュウリを挟み込んだ、ボリュームたっぷりのサンドウィッチ。創業した当時からあるメニューの一つ。京都の人に、長く愛され続けてきた味だ。

龍之介と名付けられたコーヒーの味は、少し酸味があり、濃く感じられる。このマエダコーヒーもそうだが、もう一軒の老舗・イノダコーヒーもしっかりとした、いかにもコーヒーらしい一杯を出す。京都人は、濃いめがお好きなのだろうか。

サンドウィッチを拡大してみた。一切れの大きなこと。その食べ応えは十分。千切りキャベツとポテトサラダも添えてある。食べ終えて煙をゆっくりくゆらしているうちに、疲労感が増してきた。さあ、急いで東京に帰ろう。明日は、東京の仕入先を4軒ほど廻らなくてはならない。

京都駅で、家内と妹に頼まれた抹茶スイーツ・「茶の菓」と、家内の父とその家に厄介になっている娘達に、「柿の葉すし」と「赤福」を買う。出張土産は、いつも同じである。自由席が混んでいそうな新幹線を一本見送り、新大阪始発の「のぞみ」で帰る。座った途端に眠ってしまい、気が付いたら品川だった。時計の針は、もう10時近くを指していた。

 

読者の皆様には、三回にわたって、私の仕入れに同行して頂きました。弾丸仕入れの様子で、私がどんな濃密な一日を京都で過ごしているか、わかって頂けたと思います。

仕入れというのは、呉服屋の暖簾を掛けていれば、絶対に欠かすことの出来ない大切な仕事です。けれども、呉服屋の品物は、決してすぐに売れるものではありません。仕入れをして、1年以内に売れていけば上出来で、3年くらいは平気で掛かります。中には、10年以上棚の中に居座ることもあります。

しかし、実際に自分の目で確かめ、気に入って買い入れた品物には、どれも思い入れがあります。そして、リスクを背負って仕入れをしない限り、呉服屋としての成長もありません。品物を選ぶ力を付け、探す努力をする。そして、モノを作った職人の思いを消費者に伝える。これは、きちんと仕入れをしなければ、身に付かないことです。

呉服屋としての矜持は、「自分で品物を買い入れることから始まる」と言っても過言ではないでしょう。

今日も、長い話に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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